逃走
俺たちは今まで何度となくこのキュアル草の群生地に来て、陽当たりも良く心地よい場所だと思ってきていた。
しかし、今ほどこの場から早く離れたいと思ったことは無い。
走ったらすぐの所にいる体長二十メールはありそうな巨大なトカゲ。足跡を見てもあの捕食の跡を作ったのはどう考えてもこいつだけだろう。
頭だけでも数メールの大きさはあって、足も太い。隠れているように見えるが身体の大半が草から出ている。
いや、隠れる必要も無いのかもしれない。
寝ているだけのようだが魔物や野生動物はおろか、虫すらもいない。それなりに暖かいから虫くらいは居てもおかしくはない。
「とりあえずさ、ここから離れない?」
ルルが震えた声で言ってきた。
「そうだな……さすがにあいつはヤバい。だけど……あれはなんだ?」
まだ少しは距離があるからまずはここから離れることが先決だが、ギルドに報告する為にも少しは情報を集めたい。
しかしあれはトカゲのように見えるが自分の知っているトカゲはあんな大きくは無い。
俺は色々考えながらもそっと後ろへ下がっていく。
森から出てほとんど動いていないからほんの少し下がればすぐに森だ。だからそっと音を立てないようにいていく。さすがに気づかれたら逃げ切れる自信は無い。
パキッ
その音はこの静寂の中ではどこまでも響いた。
俺もその音を立てた当人も固まった。
足元には二つに割れた枝が落ちている。
「あ……ああ……ごめん……」
音を立てた本人はプルプル震えて涙目でこっちを見てきた。
俺はその顔を見つつ例のトカゲの方を見る。
まだ眠っている。奴は気づいていないようだ……
俺はルルに向き直り大丈夫だ、と伝えるように頷く。
しかし本当は大丈夫ではなかった。
「グオオオオォォォォ!!」
その叫びはこの森に響いた。
木々を震わせ、地を揺らす。
間近で聞いていた俺達にはそれ以上の圧力があった。
「逃げるぞ!」
俺はルルの手を取って森の中に走り出す。彼女は今の叫びで怯えてしまってすぐには動けなさそうだったからだ。
正直に言うと俺もものすごく怖い。今すぐにどこかに隠れて震えたいくらいには。
だけど俺を走らせているのはルルを守るという使命感からだ。
今日はササ山に俺たち以外は誰も居ないとミラさんは言っていた。いたとしても今のがどこまで聞こえたか。
多分、馬車を降りたところには届いていないだろう。
そして、おそらくギルドはこいつの存在には気づいていないはずだ。
つまり救援は来ないため、馬車を降りたところまでは自力で戻らなければならないのだ。
「あいつ足早すぎだろっ!」
「ごめんね、ごめんねぇ……」
ルルは走っている最中ずっと謝っている。
山の中をかなり闇雲に走っていたから自分の位置も見失ってしまった。
幸いなのはここが森の中だからあいつがまっすぐ追いかけて来ることが無いという事。
木を避けて追いかけてきているから必然的に遅くなるからだ。
しばらく走っていると俺たちは小さな岩場に出た。
ここに着く直前に茂みに隠れてほんの少しだけ引き離せたからその時間を無駄にしないように急いで岩場を登る。
本来なら見つかりやすくなり危険になるのだが、まずは自分がどの辺にいるのかを知りたかった。
自分の場所がわからなくともとにかく東に向かえば街の方へは向かえるからだ。
「朝五時過ぎに街を出てここに来るのに三時間弱……それで山の中を二時間半、ここまで二十分は走ったか?なら今は十一時くらいかな?」
俺は太陽の位置や時間などと小学校のときに習った理科の知識を総動員して方角を調べる。
……理科は嫌いだったがまさかこんな形で役に立つなんてな……。
岩場の下から足音がドスドスと聞こえているからまだあいつは俺たちを探しているのだろう。
早いとこ方角を調べてここから離れなきゃな……
「ヤマト、分かったよ。あいつの正体」
ルルはさっきから何か考え込んでいた。
こういうところがルルのいいところだ。すぐに状況の対策を考えること。ミスをずっと引きずらないところ。かつての俺とは大違いなんだ。
「多分あれはね、
俺はルルの言う正体に吃驚した。
剛体蜥蜴は確かに今まで何度か見たことはあるが……あんなにでかくは無いはず。
「でもね、足跡は確実に剛体蜥蜴でしょ?」
言われてみればそうだ。確か普通のトカゲは足の指が四本とかだがあの足跡はモミジのように五本あった。
そうだ。どこかで見たことがあると思っていたらまさにこの山で見たんだ。
角猪を追いかけていた時に偶然見かけたのを思い出した。
あの時も足跡を見てモミジの形だと思ったのだ。
「なるほどね、剛体蜥蜴だったのか……それにしてもでかくなりすぎだよあれは」
「そうだね。でも何とかして馬車まで戻らないと。下手にやり合ってもこっちが殺される」
ルルの言うことは合っている。
あんなのと真正面からやり合ってもそもそも勝負にならない。どうにかして逃げに徹するべきだろう。
こんな風に簡単に言ったが、俺たちは気づいている。今まさに「死」というものが目の前にあることを。
ただ考えたくないのだ。まだ経験したことも無い恐怖が襲ってきていることを。
「どっちに向かえば良いのかがわかったよ」
俺は太陽の位置を影で見ながら方角を調べ終わった。
「今俺たちはササ山の北側にいるみたいだ。それで行くべき方向はあっち、東だ」
俺はルルに方向を指さしながら考えた作戦も説明していく。
「ヤマト、それ本気で言ってるの?」
彼女の目と声が冷たい。思いっきり責めている目だ。
まあそうなるよな。だってちょっとした賭けだもの。
「ルル、ここの真下にあの剛体蜥蜴がいるんだ。だったらおびき寄せた方が良いだろ?」
そう言うと彼女は首をブンブン振って嫌がる。
「ダメ!わざと言わなかったみたいだけどそれってここにヤマトが残るってことでしょ?」
うーん、間違ってはいないんだけどちょっと違うな。
「俺は囮になるつもりなんて無いよ。単に少しでもダメージを与えたいだけ」
すると彼女は涙目で訴える。
「だったら二人で行こうよ!ここに残るなんてダメ!」
「じゃあルルはここから二人で気づかれないように降りれると思う?」
そう言うと彼女は口をつぐんだ。
今俺たちがいる岩場はそれなりに急な場所で岩陰も多い。だから剛体蜥蜴から隠れられてる訳なんだけど、問題が一つあった。
この岩場には安定して降りられる場所が一つしか無かったのだ。それは当然、登ってきた場所である。だが、よく見ると、辛うじて俺たちでも降りられそうな場所があった。
だがそこは下にいる剛体蜥蜴から少しだけ隠れた場所。音を立てれば気づかれてしまいそうな場所だ。
そこで俺が考えたのは逆の作戦。
剛体蜥蜴に向けて発砲し、あえて音を立てて意識をこちらに向ける。
その隙にルルが下まで降りて、できるだけ遠くまで逃げるという寸法だ。
「大丈夫だよ、ルル。そこから降りるだけだしルルは木登り下手なんだから時間かかるだろ?」
「……分かった。でも、すぐに降りてきてね!」
そう言って彼女はいつでも降りられるように待機した。
俺はそれを確認すると既に装填してある銃を下にいるあいつに向ける。
奴はキョロキョロしている。
しかし、上にいる俺たちには気づいていないようだ。
ならばチャンスだ。好きな所を狙える。
しかし、剛体蜥蜴とはいえ大きさが二十メールの巨体である。本来なら通るはずの身体を狙っても体表面の鱗で弾かれるかもしれない。
だったら狙うべきは……
「目だな。あのパッチリな目を撃ち抜いてやる」
あとから聞くと、この時俺はニヤリと笑って銃を構えていたらしい。
「ルル、準備は良いな?」
彼女はしっかりと頷いた。
よし、準備は出来た。
俺のあいつの目に照準を合わせる。
パアン!
その音は森に響いた。
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