2021.1.29 金 サブタイトルについて

 昨日のサブタイトルを変更した。変更したといっても大仰なものではない。半角スペースを足して木という文字を増やしたのだ。曜日を足すことに何か意味があるだろうか。私には分からない。

 意味があるかもしれないし、意味がないかもしれない。日記というからには、曜日も入っていた方がいいのかもしれない。なんとなく、昨日寝る前のうとうとしている時間でそう思ったのだ。


 サブタイトル。日付だけでも良くないか。そういう疑問というか、問題提起みたいなものが私の中にある。しかし、それに対しての答えは、だいぶ前に私の中に出ている。数字だけだったりすると味気ないのだ。

 第何話とか、何話、そういったナンバリングだけだと、味気ないと思ってしまう。味気ない。大分感覚的な話だ。寂しいというか味気ない。そういうサブタイトルを付けている人を否定するわけじゃないのだ。


 人には、それぞれ考え方が有るし、それぞれの考え方や感性を尊重するべきだ。別にそういうサブタイトルを付ける人に恨みはない。恨み言みたいに聞こえるかもしれないけれど。

 さっきのは、書く側からすると味気ないじゃんという話。今度は読み手の側からだ。WEB小説の場合、特になろう、栞だったりを挟み忘れるとどこから読んだかが分からなくなってしまう。


 そんな時に、印象的なサブタイトルだったりが付いていると、どこまで読んだか、思い出すかもしれない。何話、とか書かれていると、どの辺まで読んだっけ?ってなってしまう。多少長いサブタイトルだと、ここら辺じゃないかな。って見当がつくような?

 分からない。実際、WEB小説を読むときはサブタイトルをそんなに意識しない気がする。毎回、サブタイトル考えるの面倒くさいし、何話というのでもいいのでは?分からない。


 個人的な経験だと、ここら辺まで読んだ気がする。って感じでわかる気がするんだよね。データとかソースは無いです。なんかそんな気がするだけ。論文とか漁ればあるかもしれない。わかんないけど。

 憶測になった。というか、日記ってこんな感じなのだろうか。起床時間とか、その日の体調の変化だったり、仕事とかを書くものじゃないのだろうか。匿名の場に、そんな個人情報を書きたくないね。だから、こんな感じになっているんだ。


 閑話休題。サブタイトルで面白いなと思ったのが、槻影さんの新ていまそ。毎話のサブタイトルが、その話のキャラクターの発言になっていた。たしか。面白いなと思ったんだ。待てよ、自信がなくなってきた。

 日記だし。正確な情報を書く場所じゃないじゃん。私の主観だし、間違ってても許してね。こんなもんで終わりでいいだろう。書くことがなくなった。

 もし、これを読んだ人がいたら、感謝を。

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むにゃ枕日記 むにゃ枕 @asay

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