最終章

第23話暗転


「……………………」



 いつの間にか、店の前にいた。

 どうやってここまで来たのか、覚えていない。

 放心状態のまま、無心で歩いていたから。


「……………………」



 こんな気持ち、初めてだ。

 胸の奥が、抉れたように痛い。


 自分がものすごく惨めで、無価値な存在へと沈んでゆく。

 そんな感覚。



 お店はまだ営業時間なので、窓からは光が漏れていた。

 きっとローザさんも、中にいるだろう。

 ローザさん……

 いつだったか、彼女が言ってくれた言葉がふと、脳裏をよぎる。



『あたしらはホステスで向こうは客!この関係をくれぐれも忘れんじゃねぇぞ!!』



「……………………」


 本当に、その通りだった。

 彼にとって、これは単なる遊びだったのだ。

 金持ちおぼっちゃまの、ただの暇つぶし。

 それなのにあたしは、ローザさんの忠告も聞かずに……


 ……馬鹿だな。本当に。

 ごめんなさい、ローザさん。 

 今日は、ちょっと顔を合わせられそうにありません。

 もらったお小遣いで買ったこのワンピースも、見てもらいたかったけど……

 とてもじゃないけど、笑顔では見せられないから。



 店の入り口の、石段を見て。

 あの時のことを思い出す。

 彼が……クロさんが、ここで待っていた時のことを。


「……………………っ」



 ああ、思えばあの時から。

 彼に、恋をしていたなぁ。


 毎日が意味もなく楽しくて。

 キラキラしていて、ドキドキしていて。

 今までの辛かったことも忘れて。

 こんな世の中のことも忘れて。

 夢中になった。


 それが。

 ……それが、終わってしまったことが、悲しい。

 もう、戻らないことが、悲しい。


 ううん、本当は最初から『偽り』の時間だったんだ。

 彼にとっては、期限付きのゲームだったのだから。



 嗚呼、ルイス隊長。

 拾ってもらった、この命だけど。

 今はもう、捨ててしまいたいです。



「……………………」


 そうして、うつむきながら階段を上ろうとした……

 その時。




「れ…レンちゃん!!」



 後ろから、誰かがあたしを呼んだ。

 振り返ると、そこには……


「じ…ジェイドさん……」


 クロさんが来る前まであたしのお得意さんだった、あのジェイドさんである。

 そう言えば最近、見ていなかったな……


「た…大変なんだよ!!」

「どうしたんですか?そんなに慌てて……」


 よっぽど急いで走ってきたのか、ぜいぜいと荒い息をしている。


「それが……」


 ごくり、と彼は唾を飲み込むと、



「……国境を越えて、いきなり……ロガンス軍が攻めてきやがったんだ。もう街の近くまで来てる……今は俺らみたいな脱走兵が集まって対処してるが、いつまでもつか……」

「え……」



 ロガンス軍が……攻めてきた……?



「た……確かなんですか?それは……」

「あぁ、間違いねぇ。国の紋章が付いた旗をでかでかと掲げて、押し寄せてきたんだからな」


 ……そんなはずがない。

 隊長やみんなが所属するあの国が、そんなことをするわけがない。

 だって、自らの危険を承知の上で、敵国の民を救おうとしていたような国なのだ。

 あたしの、行ってみたかった国…なのだ。


 だからきっと、それはなにかの間違いだ。

 もし仮に本当だとしても、なにか誤解が生じているに違いない。

 話せばきっと、わかってくれる。


「避難するように、みんなに知らせようと思って来たんだが……」

「あたしも行きます」


 ジェイドさんの言葉を遮って、あたしは言う。


「あたしも、一緒に行きます」

「で、でもレンちゃん。相手はロガンス軍だぜ?心配なのはわかるが、危険すぎる」

「いいえ、大丈夫です。あたしが……」


 あたしが、なんとかする。



 だって今のあたし、別に死ぬのなんか怖くないんだもの。

 失恋、しましたから。


 あたしはどうなってもいい。けど。

 大事な、この街の人たちが死ぬのだけは、絶対に嫌。



「連れていってください。みんな、どこで戦っているんですか?」


 真剣な目でそう言うと、ジェイドさんはやはり気が進まない様子だったが、


「……そこまで言うんなら、しかたない。さぁ、こっちだ」


 そう言って、走り出す。それにあたしもついて行く。

 あたしがあの隊を離脱した日、兵士Aが見送ってくれた街の外れから、森の中に入る。

 まだ魔法で戦う音などは聞こえない。

 それどころか夜の森は、恐ろしいほどに静かだった。


「しかし、正直助かったよ。レンちゃんがいれば、みんなの傷を治してもらえるからな」


 前を走るジェイドさんがこちらに振り返りながらそう言ってくる。

 それにあたしは、笑顔で答える。


「はい。あたし、ちゃんとみんなを助けますから」



 そうだ。あたしにだってできることがある。

 それは、この魔法で人を救うこと。

 だからまだ、死ぬわけにはいかない。

 ローザさんやヴァネッサさんや、お店のみんな。

 この街の人、全てを……

 そして、ロガンス軍の人たちを、救うまでは──



 見ていなさいよ、クロさん。

 あんたが遊ぶだけ遊んで捨てた女が、今から戦争を止めるんだからね!!



 まだ痛む胸を、そんな風に誤魔化してから。




 ………ふと。


 ある疑問が浮かぶ。

 それは……




「でも………どうしてジェイドさんが、あたしの魔法のこと、知っているんですか……?」



 そういえば、彼の前でこの魔法を使ったことはなかったはずだ。

 クロさんに、「使っちゃだめだよ」と言われていたから。

 それを、どうして……


「…………………………………」


 ジェイドさんは何も言わない。


 ──そして。


 突然、その姿を消した。

 たった今まで目の前を走っていたはずなのに、いきなり消えてしまったのだ。


「え…ジェイド、さん……?」


 辺りを見回している……と。




 ──ガッ!!




 いきなり、強烈な痛みが後頭部を襲った。



「少しの間、おとなしくしててもらうぞ」




 そんな声が、背後から聞こえて……




 あたしの意識は、そこで途絶えた。

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