第18話勝敗の帰趨は


「あんた…それって………」



 次の日の夜。

【禁断の果実】カウンター席にて。



「…………恋、だな」

「ぇ……ぇぇええええええ?!」


 ローザさんの確信的な物言いに。

 あたしは、絶叫した。



 ローザさんを指名していたお客さんが帰ったのを見計らって、昨日のクロさんとの出来事を簡潔に聞いてもらっていたのだが……

 一部始終を話し終わって言われた第一声が、これである。


 あたしが、このあたしが……

 クロさんに……恋…?


「……いや、いやいやいや。それはないって」

「ないわけないって。あんた何回ときめいてんだよ。押し倒されたら抵抗しろよ」

「そ、それは……ああいう時どうしたらいいのか…その……」


 ごにょごにょと言葉を濁すあたしを見て、彼女はため息と共にこめかみを押さえる。


「まさかこんなに早く、心配していた事態が起こるとはね……」

「へ……?」

「昨日言ったばっかだろ?あんたのほうがあいつに溺れないように気をつけろって。それを、この娘は……」

「いや、あたし一回も好きだとは言ってな」

「黙りなさい」

「あう」


 な、なんか……ローザさん怒ってる…?

 ……あ、もしかして。


「ローザさん…ひょっとして、あたしのこと……好きだった…?」


 ぷつん。


「てンめぇは……」


 ひくーい声でそう言い、がたっ、と彼女は立ちあがって、


「なに寝ぼけたこと言ってやがんだこのお子様がぁぁ!!人がせっっかく心配してやってんのに!!」

「ウソウソ冗談!冗談です!!」


 恐ろしい剣幕で怒鳴られ、あたしは猫のように首根っこを掴まれる。


「しっかりしろ!あたしらはホステスで向こうは客!この関係をくれぐれも忘れんじゃねぇぞ!!わかったか!!」

「わかりましたわかりましたごめんなさいぃ……………あと、お客さんがみんなびびってます」

「……………」


 そう涙目で告げると、彼女はあたしを離し、無言で席に座った。

 そしてこほん、と一つ咳払い。


「まぁ、好きになっちゃったものは仕方ない。こういうのは、理屈でどうこうなるモンじゃないんだ」

「いや、だからあたしは……」

「……レン。あんた、今までちゃんとした恋愛したことないだろ」


 ぎくぅっ。

 ……………………


「ま、まさか……あたしだって、恋愛の一つや二つ…」

「図星か」

「…………ふぇーん!だってだってぇ!!」


 薄っぺらい虚勢をまんまと見抜かれ、泣く。


 散々偉そうなことを言ってきたが、彼女の言う通り、あたしはまともな恋愛をしたことがない。

 近所のお兄ちゃんに憧れ…とか、そういう可愛らしいレベルのものならあるのだが……

 がっつりと、恋愛!みたいなのは、生まれてこの方したことがないのだ。


 というか、人を恋愛的な意味で好きになるという感覚が、よくわからない。

 だから男だらけのあの隊でも、変に意識することなく過ごせたんだけど……


 はぁ、とローザさんはまたため息をつき、


「今は自覚がなくても、その内わかるだろ。それが、人を好きになるって感覚だって」

「そ、そうなの…?」

「そうなの。まぁそれはおいおい話していくとして」


 お気に入りのお酒が入ったグラスを傾けると、彼女は少し神妙な顔になって、


「こっからが肝心だ。昨日のその話について、あんたに伝えなきゃいけないことがある」

「え?」

「……あたしが昨日、店の中にいたのは知っているだろ?実はあのがきんちょが来た時、あたし対応したんだよ。案の定レンを指名してきたから、今日は休みだって伝えたら、今度はオーナーはいないかって聞いてきたんだ。ここまでは、あんたの話と一致してるな?」

「う、うん」

「で、ここからなんだけど……オーナーは別に経営してる店舗に行ってるから、今日はこっちに帰ってこないぞって、あたしは確かに伝えたんだよ。なのに………」


 え……?

 じゃあ、彼はなんで昨日、あそこに……


「……つまりさ」


 ローザさんは、意味ありげに苦笑いすると、


「あいつ本当は、あんたのこと待っていたのかもしれないんだよ……オーナーを口実にしていたのは、向こうの方かもしれない」

「……なんでそんなこと…」

「ばーか。まだわかんないの?」


 首を傾げるあたしの目を、彼女は真っ直ぐに見据えて、


「あいつの方が、レンに本気で惚れてるかも、ってことだよ」


 え………………………


「ええぇぇぇぇええええ?!」


 思わず立ち上がって、お客さんの目も憚らずにあたしは叫んだ。


「うそ……ありえない。だってあんなにいじわるされて……」

「案外それも愛情表現だったりしてな。Sなりの」

「だ……だって、まだ逢って三日よ?!なんでそんな……」

「一目惚れ、なんじゃない?レンのこと、相当気に入っているみたいだし」


 そ、そんな………

 クロさんが、あたしを………?

 完全にからかわれてるだけだと思っていたけど……そんなことって…


 ……いやぁ、ないない。



「──それか」


 にやっ。と、ローザさんは人の悪い笑みを浮かべて、


「Sには自分好みのMっ娘を嗅ぎ分ける能力があるのかもな。良かったじゃん、お眼鏡に適って」

「あ、あたしMなんかじゃない!!」

「馬鹿、声がでかいよ」


 ………と。



 ──カランコロン。



 時刻は午後十時。

 店に響く、来客を知らせるベルの音。

 ………もう、見なくてもわかっている。


「おっ、噂をすればなんとやら、だな。いらっしゃい」


 ローザさんがカウンター席から体を傾けてそう言うと、


「──こんばんは。今日はレンちゃん、いる?」


 そのお客さんは、天使のように無邪気な笑顔でそう言った。



  * * * * * *




 ──そうして、あたしの日常は目まぐるしく過ぎていった。

 さいわいなことに、このベラムーンの街は戦火を免れていたが。

 イストラーダ王国の戦況はますます悪化しているとの噂を、これまでにも増して頻繁に耳にするようになった。

 早く終わればいいのに、こんな戦争。

 そう思う度に、あたしはルイス隊長とあの隊のみんなの顔を思い浮かべていた。

 みんな、元気でやっているかな。


 クロさんはと言えば、毎日ではないものの二、三日に一回のペースで店を訪れた。

 必ず午後十時に現れ、たった一時間で帰って行き、いつしかそれが当たり前になっていた。

 そして、いつもいつもいつも(中略)、クロさんはあの調子であたしを振り回して、からかって、辱めてはその反応を楽しんで……

 可愛い顔して、笑っていた。


 あたしは、そんな彼のいじわるに、危うさに、笑顔に。

 ……どんどん、ハマっていった。


 これを恋と呼ぶのであれば、もう否定ができないところにまできている。

 その自覚はあった。

 そうなっては駄目だと、わかっていた。


 けど。

 頭ではわかっていても、心が。

 胸の奥にある、目には見えない器官が、騒ぐのだ。


 彼に会いたい。

 彼の声が聞きたい。

 彼に触れたい。

 彼の……笑顔が見たい。




 ああ、そうだ。わかっている。

 この勝負、もうとっくに。


 あたしの、負けなんだ。

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