第12話黒猫、現る II


「君、名前は?」


 席に案内してお酒をオーダーすると。

 およそ成人男性には見えないそのお客さんは、そう尋ねてきた。


「レン、です」

「レンかぁ。いい名前だね」

「お客様のお名前は?」

「ん?僕はね~」


 そしてさらに、幼い顔立ちに激しく似合わず。

 彼は黒いスーツのポケットからたばこを取り出し、慣れた手つきで口に咥えると、


「火、点けてくれたりする?」

「あっ…はい」


 そう言って銀色のライターを差し出してくる。

 ぎこちなくも、ローザさんに教わった通りにあたしはたばこに火を灯し……


 ていうか、近くで見ると…

 …まつ毛長いなぁ…黒目デカ……


 と、思わず見惚れていると、彼は咥えたそれを一度ゆっくりと吸い込み…

 ふぅー…と、落ち着いた様子で煙を吐いた。


「クローディア・クローネル」

「え?」

「僕の名前。好きに呼んでいいよ」


 あぁ、そうか。あたし名前を聞いていたんだった。

 クローディアさん、かぁ……


「じゃあ……クロさん、ってお呼びしてもいいですか?」


 あたしの言葉に、彼はがっかりしたような表情をする。


「……なぁんでみんな僕のこと〝クロ〟って呼ぶのかなぁ…犬猫じゃあるまいし」

「あっ、すみません。じゃあ…」

「いいよいいよ。もう慣れてるもん」


 …いや、あんたが好きに呼んでいいって言うから。

 それに、なんかクロばっかりが聞こえる名前なんだもの。


「いいじゃないですか。可愛らしくって」

「男が可愛いって言われてもねぇ…だってクローディアだよ?普通〝クロード〟じゃん」

「あたしは〝クロ〟っていう愛称、好きですよ。黒い色も好きですし」

「……あっそ」


 とだけ言って、子供のように口を尖らせる。

 ぬぅ……散々特訓した営業スマイルが通用しない、だと……?


「お待たせしやした~」


 そんな声がしたかと思うと、ローザさんが注文した品をお盆に乗せて持ってきてくれていた。


「ほい。まずお酒、っと」


 彼女はグラスを手際良くテーブルに乗せると、気まずそうに視線を逸らして、


「……さっきは悪かったよ、お客さん。お詫びと言っちゃなんだがこれ、店からのサービスだから」


 と言って、フルーツがたくさん入った籠をお酒の横に置く。

 ……さっきの、いちおう気にしていたんだ。彼女も。

 それにクロさんはにっこり笑うと、


「全然。気にしていないよ。僕、気の強い女性の方が好きだから」


 なんて、口説き文句とも取れることをさらっと言う。

 ローザさんはそれに「けっ」と小さく呟き、去って行った。

 うーん……ローザさん、こういう掴み所がないタイプ、苦手なんだろうな…


「あっ、リンゴ」


 ローザさんの呟きが聞えなかったのか、彼は嬉しそうに籠の中のリンゴに手を伸ばす。


「お好きなんですか?」

「うん」

「……剥きましょうか?」

「いいの?じゃあ、お願い」


 と、素直にお願いされる。

 よかった…とりあえず呼び名の件で拗ねていたのは直ったみたいだ。

 ここでまた機嫌悪くなることがないようにしないと……


 籠と一緒に付いていた果物ナイフを手に取ると。

 あたしはリンゴの皮を剥き始める。



 しゃりしゃり。しゃりしゃり。

 しゃりしゃり。しゃりしゃり。



 ……しまった。非常に、喋りにくい。

 刃物を手にしたまま気の利いたトークが出来るほど、あたしは器用ではなかった。

 でも、さすがにこのまま無言はまずい。

 お客さんが……クロさんが手持ち無沙汰になってしまう。


「あ…あはは。リンゴの皮をこうやって、途中で切れないように剥くの、結構難しいですよねー」


 って、苦し紛れに現状を述べただけになってしまったが。

 しかし、それに対する返答はない。

 え?まさかの、無視?

 眉をひそめながら、ちらっと彼を横目で伺う……と。


「……………」


 彼は、リンゴを剥くあたしを。

 真剣な目で、じっと見つめていた。


 思わず、心臓が跳ね上がる。

 その表情は……

 童顔なくせに、女の子みたいに可愛いくせに。


 完全に、大人の男性のものだったのだ。



 ぱっと視線を戻す。


 ちょっと待って。

 なんでそんなに見ているの。

 あたしの顔に、何かついていますか?


 動揺から、リンゴを剥く手まで遅くなる。

 何か話したいのに、余計に黙りこくってしまう。


 あう…どうしよう……沈黙が辛い……


 ……などと、一人混乱していると、




「ヘタ」

「………は?」

「だから、ヘタ。皮剥くの」



 え……な………

 彼が言い放った言葉を理解するのに、少し時間がかかった。

 そんなじっと見つめて、何を言うかと思えば……

 『ヘタ』、ですってぇ?!


「ほら、貸して」

「え?」

「ナイフ。僕のほうが上手いよ」


 そう言うなり、あたしの手から瞬時にナイフを奪い取る。

 ……なにこの人。本当に読めない…ていうか。

 めんどくさい。

 気づかれないようにため息を吐くその横で、彼はたばこを灰皿に押し付けてからリンゴを剥き始める。

 すると、


「………………………」


 その手つきは。

 「僕のほうが上手い」と豪語するだけのことはあった。

 くるくると螺旋を描きながら、しなやかに伸びてゆく赤い帯。

 果肉と表皮のはざまを、絶妙な加減で剥いていくその横顔は。


「……………」


 悔しい程に、様になっていた。

 ……くそっ、この美少年顔が!何をやっても絵になるのか!!

 リンゴの皮を見事に剥き終えると、彼は手のひらに乗せたままカットしようとナイフを入れる。

 ……が。


「あ、いた」


 クロさんは手を止め、声をあげた。どうやら指を切ったらしい。

 ええ…なんでそこでそうなるの?今までの手際の良さは一体……


「あーもう……大丈夫ですか?」

「いったーい。けっこう深くいっちゃったかも」


 見ると、彼の親指から血が滴り落ちていた。

  ……本当に、めんどくさい人だ。


 仕方ない。ここいらでちょいと驚かせてやるか。



「傷、見せて下さい」


 あたしは彼の手をぐいっと引っ張り、膝に乗せ。

 そして、宙に『署名』をする。


「──我が名はフェレンティーナ。精霊よ。契約に従い、姿を示せ」


 ぽぅ──


 手のひらから熱を帯びた光が生まれ、彼の親指を包み込む。

 すると傷が……みるみる塞がってゆく。



 ……どう?びっくりした?

 いくらお客さんだからって、あまり好き勝手されちゃ困るのよ。

 これで少しはおとなしく…


 なんてことを考えながら、勝ち誇った笑みを浮かべて彼を見る。

 …しかし彼は、驚くでもなく、怖がるでもなく。

 ただただ真っ直ぐに、傷が塞がっていくのを見つめていた。


 ……あれ?これも、反応なし?


 と、あたしが肩透かしを食らっていると、



「──すごいね」



 視線をそのままに。

 低い声で、そう言った。


「まるで、傷ができる前に時間を巻き戻しているみたいだ。実際は、その逆なんだろうけど……早い上に、痛みもない」

「え?」


 クロさんがブツブツと何かを呟くが、よく聞き取れない。


「……君、こんな力持っているのに、なんでこんなところで働いているの?」


 そこでようやくあたしの顔を見て、彼が尋ねる。

 ……え?そう来る?

 「わー手品みたーい!」とか、「ありがとう、見直したよ」みたいな反応が来ることを期待していたのだが……

 

「い、いや、あたしのことより、クロさんの話を……」


 と、はぐらかそうとするが。

 その目は、有無を言わさないオーラ全開で……


 はぁ。


「…………いないんです、両親とも。戦争で、亡くしました」


 あたしはおとなしく、自分の話をすることにした。

 しかしそれは半分嘘で、半分は本当。両親はいない、けど、戦争で亡くしたわけではない。


 この店で働くまでの経緯を詳しく語ろうとすれば、ルイス隊長たちの……敵国であるロガンス帝国のお世話になっていたことまで明かさなければならなくなる。

 この人が何者なのかわからない限り、こう言っておくのが無難だろう。


「こんなご時世ですから、頼るあてもなくて……困り果てていたところを、オーナーのヴァネッサさんに拾っていただいたんです」

「ふーん」


 いや、ふーんて……あんたが聞いたんだろうが。


「楽しい?」

「へ?」

「この仕事。楽しい?」

「…………」


 この人は…さっきから一体、なにを聞きたいんだ?

 話がふらふらと、あちこちへ飛んでいく。いい加減、こちらのペースに持っていきたいものだ。


 ……ならば、仕掛けるのみ。


「……楽しいですよ。だって」


 傷が完全に塞がったその手を、あたしはきゅっと握って、


「クロさんみたいな人に、出会えましたから。あたし、この髪の色がコンプレックスだったんです。それをさっき、好きって言ってもらえて……本当に、嬉しかったです」


 と、ここで上目遣い。

 きた。完璧だ。

 完璧な流れで、殺し文句に持っていけた。


 さぁ、どうだ?どう反応する?

 暫しそのまま、彼の瞳をじっと見つめる。


 しかし、彼は、



「………それで?」



 ツン、とした態度で、言い放った。


 それで?じゃねぇぇええこの精一杯の上目遣いが目に入らんのかゴルァア!!


 脳内で絶叫しながらブチ切れていると、



「──君さぁ」



 突然。

 彼は、あたしの瞳を覗き込むように。

 その綺麗な顔を、ぐっと近付けてきて。



「……誰にでもそういうカオして、そういうこと言うの?」

「…え……?」

「誰に教わったか知らないけど、やめたほうがいいよ?まるで………淫売婦みたい」

「……………っ」



 ぱんッ!



 気がついたら、あたしは。

 彼の頬を、思いっきり叩いていた。


 侮辱された。あたしだけでなく…ローザさんや、ヴァネッサさんごと。

 そんな気がして、考えるより早く手が出てしまっていた。


 叩かれた方の頬を押さえながら……彼は、舌舐めずりをして、


「いいねぇ……僕は君の、そういうカオが見たかったんだ」


 と、笑みを浮かべながら言ってきた。

 ……かと思うと。


「きゃっ」


 間髪入れずに、再びあたしに近づいてきて。

 抵抗する間もなく、壁際へと追い込んで。

 一方の手を壁に、そしてもう一方の手で、あたしの顎をぐいっと掴み持ち上げた。

 そして……今にも唇が触れてしまいそうな距離で、



「……さっきの言葉には、語弊があったね」



 囁く。

 黒ぶちメガネの奥の、まるで底のない闇のような瞳に射抜かれて、逃げられない。瞬きすら、できなくなる。



「僕はね……、本当は気が強い、そんな女の子が好きなんだ。そのほうが………」



 脳髄にまで響くような囁きが、あたしを支配する。


 ああ、なんで……抵抗したいはずなのに。


 さっきから背筋を走る感覚の正体は、何……?




「……そのほうが、いじめがいがあるでしょう?」




 ──ばっ。


 その言葉と同時に。

 あたしは我に返り、彼から離れた。

 睨みつけるあたしの視線を、彼はにこっと笑って受け止める。


「ふふ。やっぱりいいね、君」

「………」

「これでお互い、腹を割って話せるね。明日から」

「は……はぁ?あんた、なに言って……」

「おーいヴァネッサぁ」


 意味不明なことを一方的に話すと、彼は何故かヴァネッサさんを呼ぶ。

 …そういえばこいつ、ヴァネッサさんの知り合いなんだっけ。


「なぁにークロちゃ…あらやだあんた、どうしたの?ほっぺた腫れてるわよ?」


 呼ばれて店のカウンターから出てきたヴァネッサさんは、驚いた様子で彼に近付く。

 しかし彼はその質問を無視して、


「僕、レンちゃんのこと気に入っちゃったからさ。これ、二ヶ月分の指名料。先払いしとくね」


 なんて、とんでもないことをさらっと言ってのけて。

 懐から大量の紙幣を取り出すと、テーブルにドンッと置いた。

 こ…こんなご時世に、どっからそんな大金を……


「てゆうかあたし、二ヶ月も……」

「あら。いーわよクロちゃん。先払いなんかしなくても」


 あたしの言葉を遮って、申し訳なさそうに言うヴァネッサさん。

 お…お願いヴァネッサさん!断って!こいつほんっとに危ないから!!

 それに……先払いなんかされたら、嫌でも指名を断れなくなる。


 しかしあたしの思いとは裏腹に、彼はまるで無害そうな笑みを浮かべて、


「いいのいいの。どうせ後から払うんなら、まとまったお金がある内に払っておきたいだけだから。ね?」

「…………そういうことなら……」


 だめぇぇぇえ!ヴァネッサさんだめぇ!!


「わかったわ。じゃあこれ、受け取っていいのね?」

「もちろん♪」

「い……」


 いやぁぁぁああああ!!


「じゃ、そういうことだから」


 あたしの心の叫びも虚しく。

 交渉は、あっさり成立した。

 彼はまだ一口も飲んでいなかったレッドアイを一気に飲み干すと、


「あ、そうだ」


 突然、なにか思い出したかのように、くるっとこちらを向いて。

 あたしの右手を、強引に引き寄せた。


 少し痛くて、反射的に目をつぶる。と、彼はそのまま耳元に唇を寄せ、



「……あの魔法、僕以外の人間に使っちゃ、ダメだからね?」



 そう、囁いた。


 ま、魔法?

 なんで今さら、魔法のことなんか……


 その答えを探る前に。



「じゃあね、レンちゃん。また明日」



 彼は、ぱっと離れると。

 にっこり笑って、店を出て行った。



 また、明日……



  …………………え?

 また明日も、来るの……?




 ………………えええぇぇ………

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