第11話黒猫、現る I
「レンちゃんは今日も優しいなぁー」
「いえ、そんなこと……ジェイドさんがすてきだからですよ」
時刻は午後十時。
仕切られた二人がけのソファの一つに座り。
すっかりお得意さんになったジェイドさんと、今日も談笑する。
彼はどうやら、イストラーダ軍からの脱走兵なようだった。
もちろん直接聞いたことはないが、見たところ三十歳前後なので徴兵されないわけがない。顔に傷もあるし。
こういう裏事情がありそうなお客さんが、この店にはたくさん来る。
けど、この店はそんな事情を抱えた人たちを、何も聞かずに癒してあげる場所だ。
…と、ヴァネッサさんはいつも言っていた。
実際、おばちゃんホステスの人気もかなりある。
男性の愚痴を聞いてあげるには、やはりそれなりの経験と余裕があったほうがいいということなのだろう。
この店が、この街にとってどんな場所なのか。
二週間経った今、それがだんだんと分かり始めていた。
「レンちゃんはまだ若いのにしっかりしているよねぇ。いつお嫁に行っても恥ずかしくないよ」
「私なんて、まだまだ未熟者です。お店のみなさんみたいに良妻賢母な女性になるには、もっといろいろ修行しなくちゃ」
「いやいや。君もその歳でいろいろ苦労してきたんだろ?おじさんにはわかるよ、こんなご時世だし、こういうところで働いているのも……なにか事情があるんだろう?」
「それは………」
ジェイドさんの言葉に、少し考える。
ここで、同情を買うようなことを決して言ってはいけない。
ここはあたしじゃなくて、お客さんが重荷を下ろす場所なのだから。
………とも、ヴァネッサさんはよく言っているので。
あたしは、彼の目を見つめて、
「それはみんな同じことです。苦労してない人なんていませんよ。それに、私は…とっても恵まれているんです。このお店のみなさんは親切だし、ここに来る前も、ある人にすごくお世話になって……その人には、感謝してもしきれません。そのおかげで……」
そのまま目を細めて、口角上げて。
「こうしてジェイドさんみたいに、すてきな人に出会えたんですもの。私は、幸せ者ですよ」
そう、穏やかに笑ってみせる。
「れ、レンちゃん……!」
頬を赤らめて目を見開くジェイドさん。
ふふ……完璧だ。
キラースマイル。
マスターしましたよ、ローザさん……
と、この二週間の厳しい指導を思い出し、思わず目頭が熱くなりかけた──
その時。
──カランコロン。
来客を知らせるベルが鳴るのを、あたしは何気なく聞いていた。
「いらっしゃーぁ……い?」
ちょうど手が空いていたローザさんが出迎える声がした…
が、最後に疑問符がついたように聞こえた。
ちらっ、と目だけで店の入り口の方を見てみる、と。
そこに立っていたのは……
…見たこともないタイプのお客さんだった。
「──こんばんは」
にっこりと笑って首を傾げたのは……
女の子と見間違えるくらいに綺麗で、可愛らしい顔立ち。
猫のようなつり目気味の黒い瞳に、黒ぶちメガネ。
同じく真っ黒な短髪は、つやつやのさらさら。
あたしと変わらない背丈。
その身体を、黒いスーツに包んでいる。
歳もおそらく、あたしと同じくらい……
…という、色酒場にはまるで不相応な……
男の子、だった。
「おいおい…ここぁお子様の来るところじゃねーぞ」
ローザさん眉間に皺を寄せ、めんどくさそうに言った。
「おーい。聞こえてんのか?ここは子供が入っちゃだめなお店なの。帰った帰った」
と、さらに言い聞かせるように言う……が。
しかしその男の子はきょとんと見上げるだけで、一向に動こうとしない。
ぴくぴく、とローザさんの額がヒクつくのが見える。
「…おい、がきんちょ。あんまり大人をからかうと痛い目に……」
しびれを切らしたローザさんが男の子の胸ぐらを掴もうとした……その瞬間!
「ロォォザァァァアア!!」
ドガァアアッッ!!
と、勢いよく吹っ飛ぶローザさん……グラスがいくつか割れる音が聞こえる。
ヴァネッサさんが放った飛び蹴りが、ローザさんにクリーンヒットしたのだ。
「えっ?なにごと?!」
隣にいたジェイドさんも、思わず身を乗り出してそちらを見る。
「い……いってーなクソジジィ!あにすんだ、いきなり!!」
「ジジィじゃないっ、クソババァです!あ、違った。いいかいあんた!!」
ヴァネッサさんはビシィッ!と、例の男の子を指差すと、
「この方はアタシのお知り合い!そして、歴とした成人男性よ!ちゃんとお迎えして!!」
え……
『どぅえぇぇぇぇええ?!』
気がつけばあたしは、ローザさんと一緒に声を上げていた。
嘘だ……だって、どっからどう見ても十代の、少年…しかも、美少年……
「あのー…俺、今日はもう帰るわ」
「えっ。あっ、ジェイドさん!」
ヴァネッサさんの飛び蹴りと、それにまだ文句を言っているローザさんのものすごい形相にびびったのか、ジェイドさんはお金だけ置いてそそくさと帰って行った。
なんか……悪いことしたな。
しかし、人の心配をしている暇はなさそうだ。
ローザさんとヴァネッサさんは相変わらず口論しているし、他のみんなもびっくりしたまま固まっている。
……あたしが行くしか、ないでしょ。
「も、申し訳ありませんでしたお客様。店の者がとんだ御無礼を……」
とりあえずあたしがなんとかするから、あとでなんか奢ってよね、ローザさんっ。
そんなことを思いつつ、美少年なお客さんに深々と頭を下げる。
するとそのお客さんは、にこにこと可愛らしい笑顔を浮かべたまま、
「ああいいよ、別に。よくあることだから」
と、見た目通りの中性的な声で言ってくる。
そして、その猫のようなくりくりの瞳でこちらを見つめ、
「それより、ここは指名制なの?」
「あ、はい。いちおう」
「そっか。じゃあ、君」
「へっ?」
いきなりの指名に、あたしは素っ頓狂な声を上げてしまう。
それを見て。
──くすり、と。
彼は、笑う。
そこで急に、雰囲気が変わる。
どこか妖しげで、貫くような目であたしを見つめ、
「この、真っ赤な色」
射抜かれたように動けなくなったあたしの髪を、すっと手に取り、
「……僕、好きなんだよね」
そのまま、あたしの赤い髪に口づけをし…
口の端を吊り上げ、微笑んだ。
──ぞくぞく…ッ
何かが、背筋を駆け抜けた。
しかしそれは、悪寒と呼ぶにはあまりにも……
あまりにも、甘美な感覚で……
……え。なに、今の。
ひょっとして、あたし……
こんな見た目お子様なやつの色気に、あてられたっていうの…?
こいつ……何者…?
「……ねぇ」
はっ。
彼の声に、現実に引き戻される。
「僕、こういうお店初めてだからよくわかんないの。案内してくれる?」
そう言ってくる彼の表情は、またあの美少年然たるものに戻っていて。
……なんだったの、さっきの変わりようは。
なんか…変なヤツと関わっちゃったかも……
「はい、ごめんなさい。お席までご案内しますね」
とりあえずあたしも、なんでもなかったように。
笑顔を取り繕った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます