第10話ガールズナイトパーティー
『ありがとうございましたー』
その日、最後のお客さんをお見送りして。
色酒場【禁断の果実】は、看板の明かりを消した。
時刻は、午前一時。
「……ふぁ…」
あくびを噛み殺す。
今まで軍隊の中で規則正しい生活を送っていたあたしにとっては、正直かなり眠い時間帯だ。
「おつかれさま、レンちゃん。初日、どうだった?」
店の戸締りをしながらヴァネッサさんが尋ねてくる。
今日は一日、ヴァネッサさんと一緒にお客さんへの顔見せに回った。
なので、接客らしいことはなんにもしていないのだが…
「ちょっと……疲れました」
と正直に言うあたしに、ヴァネッサさんは笑って、
「無理もないわ。今日いきなりだもんねぇ。でもレンちゃん、愛想もいいし気が利くから、すぐに慣れると思うわ」
「……ほんとですか?」
「ほんとよぉ。あなたの笑顔、すてきだもの」
この人は、相手を素直に褒めることが出来る人だ。
だからかな、なんだかあたしまで、
「ありがとうございます」
素直に、笑顔を返せるのだと思う。
「うふ。今日はもうお部屋に戻って休むといいわ。片付けはしておくから。明日もよろしくね」
その言葉に甘えて、お礼と、おやすみなさいを伝えると。
あたしは店を出て、螺旋階段を登り二階へと向かった。
それにしても……ホステスの年齢層もちょっと高めだが、お客さんもまた変わっていた。
もちろん客は男性なのだが、ほとんどがおじいちゃんと呼べるくらいの年代の人で、後は軍人さんらしき人がちらほら。
こんなご時世だから、その理由はなんとなくわかるけど……
そんなことを考えながら、鍵を開けて自分の部屋に入る。
と言っても、まだ全然自分の部屋な気がしないのだが。
「ふぅー」
ばふん、とベッドに飛び乗る。
嗚呼……ふかふかのベッドなんていつぶりだろう。
昨日までは……
……昨日までは、ていうか今朝までは、あの隊にいたんだもの。
それが、急にこんなことになるなんて…思ってもみなかった。
だから、未だに自分がここでこうしていることに対する実感が、ない。
隊長…みんな……
「…………」
いろいろなことが頭の中を駆け巡り、ぼうっと天井を見つめている──と。
コンコン。
「……?」
ドアをノックされる音がし、起き上がってドアの方へと向かう。
誰だろ。ヴァネッサさんかな?まだ何か用事があったのだろうか。
「は、はーい」
そろ…っと開けてみる…すると。
「よっ。おつかれ」
「あ……」
そこにいたのは……
あの金髪美女の、ローザさんであった。
「急に悪いね。ちょっと付き合ってほしくてさ」
「な、なににですか?」
「じゃーん☆」
すると彼女は背中に隠していた一升瓶を嬉しそうに見せてきて、
「こーれ♪あんたの入店祝い、しようぜ」
上がらせてもらうよー、と言って勝手に部屋に入るローザさん。
「…………」
……どうやら、まだまだ眠れなさそうである。
* * * * * *
「どう?この仕事」
グラスにお酒を注ぎながら、ローザさんがそう尋ねてくる。
「なんか……想像とだいぶ違っていました。色酒場って、もっといやらしいかんじのお店なんだと思っていたので…」
「ははっ。ここは色酒場とは名ばかりの、年寄りの社交場みたいなとこだかんな。おさわり禁止、お持ち帰り禁止。ただ飲んで、喋るだけ」
瓶を置くと、彼女はたばこを口にくわえて火をつけた。
「あ、ごめん。たばこ大丈夫だった?」
「はい。平気です」
使用人をしていた屋敷の領主がヘビースモーカーだったから、慣れっこなのだ。
「……時におまえさん、歳はいくつなんだい?」
たばこをふかしながら、彼女がなにげなくそう聞いてくる。
言われて気がつく。
……今さらだけど、あたしってこんなところで働いていい年齢なのか…?
ヴァネッサさんには何も聞かれなかったけど…いくつに見られてるのだろう?
実年齢言ったら、まずいかな?
……でも、
「………十六、です」
本当のことを言ってみる。
嘘をついて後からバレた時のほうが、なんかやばそうだと思ったのだ。
あたしの言葉を聞くと、ローザさんは傾けていたグラスをドンっと置いて、
「じゅうろくぅ?!はぁ~見えないねぇ。あたしゃてっきり同い年くらいかと…」
え?あたしって、そんなに老け顔か…?
「じゃあ、これはダメだな。撤収撤収」
ローザさんはお酒の注がれたグラスを引っ込めると、「お子様はこっち」とオレンジジュースを差し出してきた。
あたしが未成年、もしくは下戸だった時のために用意してくれていたのだろうか。
だとしたら、相当に気の利くお人だが……
……いや、単純にお酒を割るためにもってきていたのか?
「ローザさんは、おいくつなんですか?」
と、同じ質問をこちらも聞き返してみる。
すると彼女は、たばこをふぅ…とふかしてから、
「ハタチ、ということにしておいて」
「………………」
それは、上と下、どちらのベクトルに対する詐称なのか…
しかし、同じ十代なのだとしたら……この色気と貫録は、恐ろしい。
……上だ。ハタチ以上、ということにしておこう。
と、ローザさんをまじまじ見つめていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「んま、とりあえず若者同士ってことで」
「あ、はい……」
「だから、んな堅っ苦しいかんじよせって。タメ口でいいよ、タメ口で」
「はい……じゃなかった、うん」
あはは、と綺麗な顔で笑ってから。
彼女は急に、神妙な面持ちになる。
「……おばさんばっかだろ」
「え?」
「この店のスタッフ。なんでだか、わかるか?」
……なんとなくわかってはいたが、あえて首を横に振る。
ローザさんはグラスの中の氷に目を落として、落ち着いた声で話し出した。
「……みんな死んじまったんだ、あの人たちの旦那。この戦争で」
…やっぱり……そうだったか。
「もう、この街には女子供と年寄りしかいない。働き盛りの男たちは皆、戦争に駆り出されて……帰ってこなかった。客もそうだったろ?じーさんばっかり。たまに脱走兵らしい、若い男も来るが…」
「……あたしのいた街も、そうでした」
「あんたのとこも…?」
「はい。権力のある者以外はみんな兵として駆り出されましたから、突然の襲撃に対応できず……あの街で生き残ったのは、あたしだけでした」
「……そうか」
そう呟いて、彼女は沈黙した。
これで確信した。この街の被害を。
目には見えないけれど、あんなおばちゃんたちが酒場で働いているくらいだ。子供を養うにも、経済的にかなり厳しいのだろう。
……あれ?それじゃあ…
「……なんでヴァネッサさんは、ここに残っているの…?」
ぱっと浮かんだ疑問をぶつけてみる。
ヴァネッサさんだって、身体は男性である。しかも健康そうな、かなりいい体格をお持ちの…
兵として駆り出されたって、おかしくない。
そんな質問に、ローザさんは軽い口調で、
「ああ、オーナー?あれは、ああ見えてここいらじゃ有名な良家のおぼっちゃんだったんだよ。だから徴兵を免れた」
「へ?」
「その一家も、この戦争で滅んじまったけどな。それで莫大な財産が、あのオカマ一人に残された。それを街の人たちのために使おうと、この店を作ったってわけ。ここ以外にも、いくつか店やってるんだよ。あの人」
そ、そうだったのか……
いや、待てよ。
「……遺産、なんで自分のために使わなかったんだろ?お金持ちはみんなケチなんだと思っていたけど…」
と、あたしは自分が仕えていた領主の姿を思い出す。
それにローザさんは苦笑いを浮かべて、
「あんなカンジだから、一族から腫れもの扱いされてたらしいよ。それで本人も貴族の暮らしが嫌いになったみたい。平民みたいな生活のほうが、好き勝手やれるからね」
なるほど。
それにしたって【禁断の果実】というネーミングセンスはどうかと思うが……
「…あんなオカマだけど、面倒見のいい人だよ。あたしも戦争で親兄弟亡くしてさ、身寄りがなくて隣町からここに来たばかりの時、この部屋を借りていたんだ」
「この部屋を…?」
「そ。あたしだけじゃない。いろんな人を匿っては、自立するまで面倒見ているんだ」
ふぅ…と吐き出されたたばこの煙が、しばらく宙を漂う。
「あんたもいろいろ苦労してきたみたいだけど、ここにいるとけっこう毎日楽しいぞ?少なくとも、あたしはな」
たばこの火をじゅっと消し、よっこらせっと立ち上がって、
「ま、若いもん同士がんばっていこーや。なにか困ったことがあったら、すぐに言うんだぞ?」
「う…うんっ。ありがとう……ローザさん」
それに彼女は微笑むと、軽く手を上げて
「それじゃ、おやすみー」
と、部屋から出て行った──
それからの一週間は、本当にあっという間だった。
お酒の種類やら常連客の顔と名前やら、覚えることは山のようにあるし。
………なによりも、
「違う!首の角度はこう!!」
「こ、こう?」
お得意さんを作るためのキラースマイルなるものの習得に、あたしは苦戦していた。
「そう!そのまま目を細めて!口角上げて!!」
「うぅ……」
鬼コーチのような形相で指導するのは、初日の晩に盃を交わしたローザさんだ。
あの二人きりの入店祝い以来、ローザさんはなにかとあたしを気にかけてくれていた。
……ちょっと、厳しめだけど。
「ちょっとローザぁ。レンの良さは初々しくて愛嬌のあるところなんだから、そんな無理に教えなくたっていいんじゃないのぉ?」
腕を組みながら、ヴァネッサさんが言う。
閉店後に行なわれるローザさんの特訓が行き過ぎないよう、いつも横で見ていてくれるのだ。
そんなヴァネッサさんの言葉に、ローザさんは目尻を吊り上げて、
「あに言ってんだ!女は必殺技の一つや二つ持ってなきゃ生きていけねんだよ!さぁレン、そのままの姿勢で、例のセリフを!!」
「お……」
言われるがままに、小首を傾げ、目を柔らかく細め、口角を上げたまま。
言う。
「お客さんみたいなすてきな人に出会えるなんて……今日はいい夢が見られそうです」
『おおぉっ!』
あたしが言うなり、声を上げるお二人。
「レン、おまえ……いいよ。これで落とせない客はいないぞ!」
「思わずキュンときてしまったわ……どんどん綺麗になっていくのね、レン」
鼻息を荒げるローザさんと、なぜか涙を拭うヴァネッサさん。
…嬉しいけど……なんだこれ。おもちゃにされているのか……?
──でも。
こんな馬鹿なノリが、本当に楽しかった。
この二人だけじゃない。他のおばちゃんたちもそう。
今までは男だらけだったけど、やっぱり女同士っていいな。
隊長もそんなことを考えて、ここを選んでくれたんだろうか?
ただお荷物になったから切り離されたわけじゃないよね。
きっとあたしのこと、考えていてくれたよね。
知り合いだというヴァネッサさんに聞けば、なにかわかるのかも知れないけど…
怖くて、聞けずにいる。
だから、信じることしかできないけれど……
隊長には、本当に感謝していた。こんな。
こんなすてきな場所を、用意していてくれて……
そうして、楽しくも騒がしい日々が過ぎてゆき……
それが起こったのは、【禁断の果実】で働き始めて二週間が経った…
ある、満月の夜のことだった。
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