第2章

第8話名は体を表す


【禁断の果実】。



「…………」


 そう掲げられた看板を見て、あたしは表情を失う。


「さっ、ここが今日からあなたの仕事場よ♪」

「……………」


 相変わらず、強烈な存在感を放つ彼(あるいは彼女)を見つめ。


「……………………」



 え、あなたのこと?この店名、あなたのことですか?


 ………とは、口が裂けても言えないが。


「そういえば自己紹介がまだだったわね。アタシ、ヴァネッサ。ここのオーナーよ。よろしくね☆」

「ふぇ、フェレンティーナです…よろしく」


 ……まぁ、悪い人じゃあなさそうだけど…

 この人が、本当にルイス隊長の知り合いなのか…?

 そんなことを思いながら、あらためてこの店、【禁断の果実】を見上げる。


 三階建ての一階部分が酒場に、上二つは住まいになっているようだ。

 酒場自体は、なんというか……寂れた街にありそうな、こぢんまりとした佇まいで、決して派手ではない。

 なんだか拍子抜けだ。色酒場なんて言うから、てっきりゴテゴテした、いかにもいかがわしいかんじを想像していたが。


「どう?素敵なお店でしょう?」

「はぁ……」


 いや、しかしだ。

 何故、オカマなんだ。

 オカマを否定しているわけではない。卑下しているわけでもない。

 ただ、いきなりにしては情報量が多すぎるだろう。処理しきれないぞ。


「とりあえず先に、あなたの部屋へ案内するわ。荷物も置きたいだろうしね」

「あっ、はい」


 一抹の不安を残したまま、オカマさん…ヴァネッサさんについて行く。

 建物の脇にある螺旋階段を上り、一つ上の階へ。


「この二階をあなたに使ってもらおうと思って。あたしはその上に住んでるから、なにか困ったことがあったらすぐに言ってちょうだいね♪」


 …真上に住んでいらっしゃるのか。そうか、オーナーだものな。


「さ、入って。あまり広くはないけど」


 扉の前まで来ると、銀色の鍵を渡された。

 少し見つめてから、言われるがままに鍵を挿し、回す。

 がちゃっ、と小気味のいい音。

 そして。


「……おぉ」


 そこは、さっぱりとしたきれいな部屋だった。

 丸いテーブルと、シングルベッドと、小さなタンスのある……まごう事無き、『部屋』だった。

 ……少なくともこの三ヶ月間、テント生活だったあたしにとっては。

 部屋の突き当たりにある窓からの眺めも良さそうだ。これはなかなか……


「……すてき…」

「あらほんと?気に入ってくれてよかった。ここは今日からあなたの部屋よ。自由に使ってね。まだ何もないけど、必要なものはちょっとずつ揃えていきましょ。欲しいものがあったら、いつでも言ってね」


 ヴァ……


「ヴァネッサさん………ありがとうございます」



 やだ、泣きそう。

 すっごく………いい人じゃない…

 突然、色酒場で働くことになった上に濃すぎるキャラが登場したから、不安だらけだったけれど…

 人を見かけで判断するなんて、あたしが一番嫌いなことじゃないか。間違っていた。

 失礼なこと考えてごめんなさい。ヴァネッサさん。


 と、心の中での謝罪を唱えると、



「こんなご時世だもの。困ったときはお・た・が・い・さ・ま♪」



 ウインクで返された。

 ……ごめんなさいヴァネッサさん。やっぱり反射的に「おぇ」って思っちゃいました。


「さ、上がって上がって♪」


 そう促され、あたしは、『あたしの部屋』に足を踏み入れた。

 荷物を置くとすぐに、ヴァネッサさんは一通り部屋の案内をはじめ……

 案内、と言ってもワンルームなので一階にキッチンとお風呂があるとか、そういう説明だけなのだが。

 その後に、


「そういえば、あなたの名前を決めなくちゃねぇ」


 唐突に、ヴァネッサさんがそう言ってきた。


「名前、ですか?」

「そ。仮にもホステスなんだから、本名名乗るわけにはいかないでしょ?」


 なるほど、源氏名というやつか。

 いかにも、っぽいな。


「厄介なお客もいるのよぉ。ストーカー化するやつとか……」

「す、ストーカー?!」

「あぁ、大丈夫よ。もし現れても、アタシがとっつかまえるから。でも念のため、本名は知られないほうがいいじゃない?」

「たしかに…」


 にしても、とっつかまえるって…なんて説得力のある頼もしいお言葉……


「まぁ、ニックネームだと思えばいいわ。なにか希望はあるかしら?」


 ふむ、ニックネーム。

 と言われても、そんなの普段自分で考えたこともないから、


「…………ない、ですねぇ」


 と、身も蓋もない答えを返してしまう。

 するとヴァネッサさんは、反論もせずに考え込み……


 ……しばらくして、


「──決めたわ」

「?」


 ヴァネッサさんは、ぽんと手を叩いて、


「〝レン〟。フェレンティーナの〝レン〟よ。どう?なかなか可愛らしいと思うんだけど」


 そう、言った。



 〝レン〟。



 …………んん。


「いい、ですね……」

「でしょー!?」


 あたしは思わず拳を握る。

 なんか新鮮。いつでもどこ行ってもフェルだったから。

 うん、レンか。うんうん、いいじゃないか。


「それじゃ、ここではあなたはレンちゃんよ。あらためて、よろしく」

「はい。可愛い名前を付けてくれて、ありがとうございます」


 ヴァネッサさんは満足げに笑うと、部屋の隅にあるタンスに向かい、


「名前が決まったところで、次はドレスね。どんなのが似合うかしら?」


 むむっ、ドレス。と、思わず目が輝く。

 あたしだって一応、年頃の女の子である。

 思えばこの三ヶ月間、女の子らしいオシャレなど全くできなかった。

 なんせ軍隊と一緒に行動していたのだ。そんな浮かれたこと、できるはずがない。

 ……まぁ、隊のみんなは違う意味でだいぶ浮かれた連中だったけれど。


「あ、これなんてどう?」


 そう言ってヴァネッサさんが広げて見せたのは、ピンク色のドレスだった。

 大人っぽすぎず、あたしぐらいの年頃でも着れそうなデザインである。


「わぁ…可愛いですね」

「ね。あなたの赤い髪に、よく合うと思うのよ~」


 あ……

 そうか。


 あたしは自分の赤い髪が嫌いで。

 この色のせいで、「この服はダメ」「こういうのは似合わない」と諦めることが多かったんだけど……

 そんなふうに言われて、ちょっと。


「着てみたい、です……それ」


 と、素直にそう思った。

 ヴァネッサさんは大いに頷いて、


「着てみなさい!外で待っててあげるから!」


 そう言って足早に部屋を出て行った。

  ……いい人。いい人だ。

  などと、しみじみ感じてから。



 あたしは、服を脱ぐ。

 あの隊でもらった、男物のシャツ。汗や泥で汚れた、色気のないシャツ。

 それを脱いで。

 ピンク色のドレスに、着替えた。



 ───うぅむ。


 けっこう、背中開いているんだな、これ。

 でも、なんかいい。

 久しぶりに、『女子』ってかんじだ。


「ヴァネッサさーん、着れましたー」


 少し声を張って呼ぶと、すぐにドアが開き、


「んまぁぁあああ!」


 どたどたと、ものすごい速さで駆け寄ってくるヴァネッサさん。

 そして、あたしの姿をまじまじと見つめると、


「いい……とってもいいわ!アタシが思った通りね!あとは……」


 どこから持ってきたのか、ヴァネッサさんはメイク道具を取り出すと手早くあたしをメイクアップし、長い赤髪を結う。

 しばらくされるがままにおとなしくしている……と。


「ほら、できたわよ。見てごらんなさい!」


 そのままぽんと背中を押され、洗面所の鏡の前に立たされる。

 するとそこには……


「わぁ……」


 ハーフツインに結われた赤い髪。

 暖色を基調にした、派手すぎないメイク。

 実年齢よりもちょっとだけ背伸びをした、ピンク色のドレス。

 急ごしらえなのに、こんなにも変わるのかというくらい、見違えた。まるで、


「……あたしじゃ、ないみたい…」

「すっごくキレイ。すっごくいいわよレン!」


 レン……ああ、あたしのことか。やっぱりすぐには慣れないな。


「これであなたも立派な夜の蝶よ!これから一緒にがんばっていきましょうね♪」

「は、はい」


 夜の蝶……可愛い格好に浮かれてたけど。

 そうか。あたし、ホステスになるんだ。

 そう思い直し、あらためて自分の姿を見つめる。


 鏡に映った、ドレス姿の少女。

 童顔ではないと思っているが、果たして『夜の蝶』とやらに見えるだろうか?

 それに、一緒に働く人はどんな人たちなんだろ。

 いかにもなかんじのおねぇさまばっかりだったら……

 ちょっと、怖いな。



「さ、ドレスアップもできたことだし。下のお店でみんなが待ってるわ。あいさつしに行きましょ☆」

「え。い、今からですか?なんか…緊張する……」

「だぁいじょうぶよ!みんないいコだから!」


 仲良くできそうな人たちだといいけれど……

 ヴァネッサさんに連れられ、あたしは不安を抱きながら下の階に向かう。

 ギラギラのホステスたちか、あるいは。

 ヴァネッサさんみたいな、オカマさん……?

 はてさて、どちらが待ち受けているのやら。


 不安八割、期待二割くらいの気持ちで。

 あたしはドレスの裾をちょんと摘みながら、螺旋階段を下りた。

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