第7話そして、乖離
あの襲撃から二日経つが、心配したような事態は何も起きずにいた。
しかし例の二人組を追跡した兵の合流を待つため、ロガンスを目の前にして未だイストラーダに踏み留まっている状況の中。
それは、突然訪れた。
襲撃から三日後の、朝の出来事だった。
「い……い……」
あたしは、驚きのあまり必要以上に息を吸い込み…
「色酒場ですってぇぇぇええ!?」
そして、必要以上の大声を上げた。
目の前の隊長が迷惑そうに、長い耳に指を突っ込む。
「るっせーな、声がでけぇよ」
「出したくもなりますよ!そんな…」
あたしはすがるように彼を見つめて、
「…今日から、色酒場で働けなんて……」
『おまえの引き取り先が見つかった』。
起き抜けに、彼はそう言ってきた。
最初、何のことだか理解できなかった。だって、すっかり忘れていたから。
この隊での生活が、引き取り先が見つかるまでの一時的なものだってことを…
隊長は「はぁ」とため息をつくと、
「思ったんだよ。おまえはこの三ヶ月ちょっと、ずーっと野郎の中で暮らしてきただろう?男の話に対して聞き上手・返し上手になったと思うんだよね。だからそれを生かすには、色酒場がいいかなぁと」
「そ、そんな理由で…?」
いつものようにかるーく言う隊長が、果たして本気で言っているのか冗談で言っているのか、わからない。
だって、よりにもよって、『色酒場』である。
若い女の子が、男性客をもてなしながら、お酒を提供する店。
お酒を注ぐだけでなく、お金と引き換えにあんなことやこんなことをまでするという噂も聞く…あの……
要するに、世間一般のイメージとしては『いかがわしい』の一言に尽きる店なのだ。
「どうして急に、そんなこと……」
そうだ。あまりにも急すぎる。
せっかくここまで来たんだ。
あたしも……一緒に、ロガンスに連れて行ってくれると思っていた。
ずっと、行ってみたかったのだ。
隊長やみんなみたいな、素敵な人たちの住まう国……
なのに……
詰め寄るあたしから視線を逸らし、彼は言う。
「……急じゃねぇよ。おまえが知らなかっただけで、俺はずっとおまえを引き取ってくれる場所を探していたんだ」
ズキン。
と、胸のあたりが痛む。
ショックだった。だって、隊長もあたしといたいって思ってくれてると思っていたから。
妹のように、娘のように…家族のように思ってくれていると、信じていたから。
それが、あたしの知らないところで、ずっと離れる準備をしていたなんて…
しかも……
「…なんで……色酒場なんか……」
震えるあたしの声に、彼は眉をひそめて、
「……こんなご時世だ。女が一人で食っていけるような職業と言ったら……他に無いだろう。大丈夫。店のオーナーは俺の知り合いだから、変な真似はさせねぇよ」
「そ…そんな…」
本気なの……?
隊長は、自分の家族を……
夜の店で働かせて、平気なの?
「…………正直な」
そこで初めて、彼はあたしの目を見る。
しかしその色は……
凍りつくように、あまりにも冷たく……
「こないだの襲撃で、思い知ったんだよ。おまえを庇いながら進むのは難しいってな。追跡させた仲間も帰ってこねぇし…あの時、やつらを確実に捕えておければ……」
「……それって、つまり…」
聞きたくない。
聞くまでもないはずだもん、本当なら。
そんなはずない。だって…
「…あたしが、足手纏いって…ことですか…?」
「………」
「……ねぇ、なんとか言ってくださいよ!」
「………」
そんなわけねぇだろ、って。
すぐに言ってくれると、思っていた。
なのに彼は、また目を逸らす。
そして、逸らしただけで。
なにも、言ってはくれなかった。
「……そっか」
あたしが言う。
「もう、ロガンスも近いし……傷の手当てをする必要も、ないですもんね。使い道のない人間なんて、ただのお荷物だもの」
「………………」
否定してくれるかな、と少し期待したのだが。
どうやら、彼は本気らしい。
なにも言わずに、まったく、目を合わせようともしない。
……そうか。
そういうことなら。
「……わかりました、隊長。あたしも、馬鹿じゃありません」
「……?」
驚いたようにこちらを向く彼に。
あたしは、にこっと笑って。
「今まで、本当にありがとうございました。隊長やみなさんに助けられた御恩は、一生忘れません」
「……おう…」
「どこですか?」
「え?」
「あたしの引き取り先。どこですか?」
その言葉に。
彼はほんの少しだけ、悲しげな表情を浮かべると。
部下に、馬の準備を促した。
* * * * * *
「それじゃあこれ、君の荷物」
「うん。いろいろありがとう」
その日の午後。
あたしは、隊から離脱した。
引き取り先への案内役として一人来てくれたのは、あの涙もろい兵士Aだ。
「それにしても…イストラーダにまだこんな街が残っていたなんてね」
「ここはロガンスと隣接しているから、フォルタニカもあまり手が出せなかったんだよ。もっとも、暮らしてみないとその被害はわからないけどね…」
「……そうね」
そう言って、あたしはこのベラムーンという商業都市を見回す。
ここはまだ街の入り口だが、見たところ戦争の直接的な被害は受けていないようだ。
「今まで、ありがとうね」
そう言って笑顔を見せると、兵士Aはぶわっと目から涙を吹き出した。
「フェルちゃん……強く生きるんだよ。僕、君のこと応援してるから」
「うん。ありがとう。あなたも元気でね、兵士Aさん」
「あれ?僕らけっこう長いこと一緒にいたよね?名前……」
という呟きを無視して、あたしは背を向ける。
「ここで待っていれば、迎えに来てくれるんでしょ?その引き取り先の、お店の人。あたしはもう平気だから、あなたはもう隊に戻って。ロガンスの兵がいるのが見つかったら、この街の人たちパニックになっちゃうかもしれないし」
「…そ、それはそうだけど…でも……」
「大丈夫」
あたしはやはりにっこりと笑って、
「あたしはもう大丈夫。だから、なにも心配しないで」
そう言ってみせた。
しかしそれは、決して虚勢などではない。
わかっている。というより、そう信じたいのかもしれないが……
隊長にはきっと、なにか考えがあるのだ。
ああして冷たく突き放してまで、突然離脱させたのには、なにか理由があるのだ。
きっとそう。じゃないと、説明がつかない。どう考えても不自然だったもの。
それにそんなこと……仲間を急に切り捨てるようなこと、できる人じゃない。
こんなあたしに向き合って、変えてくれた人。
だから。
お荷物なのはわかっていたことだし。もとはと言えばこうなることを望んでいたんだし。
今まで散々お世話になったんだもの。駄々こねて迷惑かけるくらいなら、最後くらいは。
迷惑掛けずに出て行くのが、一番いい。
「………」
兵士Aは涙をごしごしっと拭くと、
「わかったよフェルちゃん。僕、戻るよ」
「うん。それがいいよ」
すると、街のほうからかすかに「フェルちゃーん」という声がして、あたしは振り返る。
「あっ、ほら。もう迎えの人が来たみた……」
「あぁほんとうだ。よかったねフェルちゃん……それじゃあ!」
「ちょ、待って兵士A……あれ………」
あたしの名を呼びながら駆けてくる、迎えの人らしきその姿を見て……言葉を失う。
だってあれ、どう見ても……
「フェルちゃーん!おまたせぇ~ん!!」
野太い声。
異様に濃い髭。
ゴツイ身体。なのに。
なぜか…………女装。
「ちょ…あれって、あれよね?俗に言う……オカマよね?どっからどう見ても、混じりっ気なしの…いや、ある意味混じっているけれど……」
「そうだね!じゃあフェルちゃんさようなら!僕、君のこと忘れないよ!」
「そうだね、じゃねーよ!待って兵士A!!お願い待っ……」
うろたえるあたしを無視して、馬を走らせ去っていく兵士A。その後には、きらきらと涙がなびいている。
「ね、ねぇ!あれが隊長の知り合いなの!?あたしが働く店って、一体…」
しかし、時すでに遅し。
脅威はもう、そこに迫っていたのだ。
「フェルちゃん…!ぜぇ…待たせちゃって!ぜぇ…ごめんなさぁい!はぁ、はぁ…」
例のオカマが、後ろからあたしの肩を掴む。
ビクッ!と震えてから、そぉ…っと振り返ってみる。
……が、すぐに後悔した。
近くで見ると、想像を絶する迫力がある。
まず、でかい。そして、怖い。
特に顔。ただでさえ濃ゆいのに、その上に化粧まで濃ゆいのだ。
そんなオカマ百パーセントな彼(彼女?)は、金歯を光らせながらにっこりと笑って、
「さぁ、もう心配いらないわ。アタシたちのお店に行きましょ♪」
半ば強引に、ぐいぐい手を引っ張ってきて…
い………
「いやぁぁぁああああ!!」
叫びも空しく、あたしはずるずると謎のオカマに引きずられていったのだった…
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