第5話邂逅


「………ん……っ、ぅ………」



 夢を、見ていた。

 誰かが、あたしの髪をそっと撫でる。

 慈しむように、壊れ物を扱うかのように。


 そして、その後に……

 全身を、何かが這うような……

 舐めまわされるような感覚。

 くすぐったい、けど、少し……

 気持ちいいような、感覚。


 それから最後に、その誰かは。

 いつも決まって、耳元でこう囁くのだ。

 吐息を感じるくらいの距離で。


 甘く、甘く。



「……もうすぐだよ。もうすぐで


 君は全部、僕のものだ」





「──?!」



 がばぁっっ!!


 ベッドから飛び起き、ばっ!ばっ!ばっ!!と前後左右を確認する。

 が、すっかり見慣れたテントの中には、あたしの他には誰もいない。


 …………夢か。また、あの夢だ。

 ちょっともう、ほんと……どうしちゃったのあたし……

 ……ひょっとして、欲求不満ってやつなのか?

 寝ながら変な声とか出していないでしょうね?

 バクバクと暴れる心臓を鎮めるように、あたしは一人胸を押さえた。


 これが初めてではなかった。

 ここ一ヶ月程、毎日ではないものの、頻繁にこの夢を見る。

 知らない、顔も見えない男の人に頭を撫でられ。

 全身にくすぐったさが走って。

 最後に、耳元で囁きを……


 と、そこまで思い出して、頭をぶんぶん振る。

 だめだめ。シャキッとしなさいフェレンティーナ。やっとここまで来れたのよ。夢見心地ではいられないわ。

 ぺちっ、と両の頬に手のひらを当て、気合いを入れる。ちょうど、その時、



「フェル、俺だ。起きているか?」



 テントの外から呼びかけられ、あたしは「は、はぁい!」と少し上ずった声で返事をした。

「入るぞ」と断った後に入り口を開けたのは、


「ルイス隊長、おはようございます」

「おう、朝から気合い入ってんな」

「もちろんです!もうすぐイストラーダとロガンスとの国境ですから。なにかあたしにできることがあれば、言ってくださいね!」


 ……いやいや、あたしのセリフよ?

 彼の部隊に同行して三ヶ月。

 あたしは、この人のことを『隊長』と呼び、いつの間にか敬語で話すようになっていた。

 彼の人となりを知れば知るほど、生意気な口を利くことが憚られるのだ。

 まぁ、周りのみんなのが移ったっていうのもあるけど。


「ありがとうな。だが、問題ねぇ。間諜にも、もう間も無く帰還する旨を伝えたところだ」


 隊長は明るい口調でそう答える。



 イストラーダ王国と、隊長たちの所属する国……ロガンス帝国の国境付近に位置する森の中。

 昨日はそこに荷を下ろし、一夜を明かした。

 あたしが隊長に助けられたあの街は、イストラーダ王国の中心に位置していたのだが、そこから三ヶ月かけて、ようやく国境付近まで来たのだ。

 その間、ほとんどの時間を移動に割いてきたが、時折、破壊された街を見つけては生き残った者がいないかを探した。あたしが助けられた時みたいに。

 しかし、見つからなかった。


 いや、正確に言おう。

 、一人もいなかった。

 そこにあったのは、『人間だったもの』。


 進めば進むほど、この国がどんなにひどい状況なのかが露わになっていく。

 行き当たる街は、ほとんど壊滅状態。

 抱いたってどうしようもない悔しさやもどかしさ、同情心、そして。

 自分が生き残ったのは、本当に奇跡だったのだということを、痛いほど思い知らされた。

 こんな状態になってもまだ降伏宣言を出していないなんて、この国の王様はどうかしているんじゃないだろうか。我が国ながら情けない。



「あと一時間ほどで出発するぞ。それまでに飯と、準備を済ませろ」

「はい!」


 いかがわしい夢を見ていたことを悟られぬよう、背筋を伸ばして返事をする。

 隊長はにこっと笑うと、静かにテントを後にした。


 ………はぁぁ。

 

 とりあえず、顔を洗おう。

 今だ纏わりつくこの甘ったるい余韻を、綺麗さっぱり洗い流さなければ。



 * * * * * *



 その日の午後。

 

「あとどれくらいだ?」

「はっ。このまま順調に進めば、七日ほどでロガンス領内に無事入れるかと」


 ルイス隊長の問いかけに、隊員の一人が答える。

 木々が鬱蒼と生い茂る森の中を、国境を目指し馬で進んでいた。

 昼間なので日は高いはずなのだが、葉が影を作っているせいでほんのり薄暗い。苔の香りのする湿った空気が、辺り一面に漂っていた。


「そうか。まあ、焦って進むこともねぇしな。もう少し行ったところに小さな湖がある。今日はそこにテントを張ろう」

『はっ』


 隊長の後を進む兵たちが、声を揃えて返事をする。

 が、その直後には皆一斉に緊張感を解き、口々に話し出していた。


「湖かぁー、久しぶりにちゃんとした水浴びができる……」

「だなー。水系の魔法使っても、やっぱ限界あるからなー」

「フェルちゃん、俺の背中流してよ♪」

「あっ、俺も俺も!」

「イヤ。自分でやって」


 などというノリが、この隊では日常茶飯事だ。

 やる時はやるのだが……基本、ゆるゆるである。

 みんなとあたしが、「お願い♪」「イヤ」というやりとりを何度か繰り返した───その時だった。



「………止まれ」



 突然、隊長が手を上げて進行を制する。

 急な指示に、あたしの乗っている馬が脚を上げていなないた。


「ど、どうしたんですか?急に……」

「静かに」


 あたしの声を遮り、隊長は全身を緊張させて辺りを見回す。

 それはまるで、天敵を探す獣のように研ぎ澄まされた目で……

 他の兵たちもなにかを感じ取っているのか、押し黙って隊長の指示を待っている。

 ぴりぴりと、肌に刺さるような緊張感……それを、切り裂くように、



「──後ろだ!迎撃しろ!!」



 隊長が、勢いよく振り返り叫んだ。

 兵たちも一斉に振り返り、構える。

 直後、複数の光の球が、森の木々を燃やしながらとんでもない速さで飛んできた。

 これは……火球?つまり、攻撃魔法?!

 でも、一体誰が……


「フェル!こっちに飛び移れ!!」


 そう言って隊長は自分の馬をあたしに近づける。

 考えている暇はない。言われるがままに、あたしは急いでその後ろに飛び乗る。

 それを確認すると、彼は再び振り返り、


「おめぇら!伏せろ!!」


 空気を震わすような大声で、言う。

 それに応えるように、絶え間なく飛んでくる火の球を盾や魔法で弾いていた兵たちが、一斉に頭を低くした。

 そして……



「──風刃フウジン雷刃ライジン!!」



 隊長が信じられないスピードで宙に『署名』をし、そのままその手を勢いよく振るう。

 刹那。


 ──ぶわぁっっ!! 


 肉眼で見えるほどの猛烈な風が生まれ、飛来していた火の球を、文字通り一瞬で薙ぎ払う。

 さらに、


 ──バリバリバリィイ!!


 その風の刃のすぐ後を、今度は眩い光の帯が、空間を裂くような音を立てながら進んでゆき……

 後方に密生していた木々を、巨大な鎌でも振るったかのように一気に斬り倒した。その数、三十本ほどか。重々しい音と共に木々が倒れ、鳥たちの騒めきと共に、陽の光が差し込んできた。


「す、すごい……」


 あまりの速さ、そして魔力の強大さに、思わず声を上げる。

 これが…訓練を受けた者の、魔法の力……


 しかし隊長は、今だ臨戦態勢を取りその手を構えている。そして、その鋭い視線の先を見ると……

 森という隠れ蓑を失い、露わになったのはお天道様だけではなかったようだ。

 二人組だった。こちらと同じく馬に乗っている。どちらも顔を布で覆っているので定かではないが、体格からして男か。


  こいつらが、先ほどの攻撃を仕掛けてきたのだろうか?

 隊長の放った魔法をどう避けたのか、馬ごと無傷な状態でこちらを向いていた。


「いきなり火の球ぶつけてくるとは、ずいぶんご挨拶なこった……どこのモンだ?大体の察しはつくが……」


 隊長が、聞いたこともないような低い声音で言う。そして、


 シュッ!


 あたしには、隊長が少し手を動かしたようにしか見えなかったが……

 その直後、二人組の内の一人の顔布が裂けて、はらりと落ちる。


「……引け。次は、首を狙うぞ」


 ぞく……っ。

 あたしでもわかるくらいの殺気を、隊長が放つ。

 いつもはお気楽な兵たちも、恐ろしい形相で構えている。


 これが、軍隊。

 これが、戦場………



「………」


 二人組は何も答えない。

 張りつめた空気が、森の中を支配する────と。



 カッッ!!



 いきなり、猛烈な光が視界に広がる。


「………っ!」

「目を閉じろ!」


 隊長があたしに覆いかぶさる。

 瞼の裏からでもわかるくらいの強い光は、しばらく続き……


「………閃光玉とは、ずいぶんと古風なやり方をしてくれるな……」



 隊長がそう呟いた頃にはもう、光も二人組も消えてしまっていた。

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