第2話光になる色


 あたしの髪は、赤い。


 いわゆる赤毛ではなく、本当に、葡萄酒みたいに真っ赤なのだ。

 両の瞳も、同じ色。

 そのせいで、幼い頃はよくいじめられた。

 みんな、赤い色は血の色だって、気味悪がったのだ。


 いじめられて泣きながら家に帰ると、女手一つで育ててくれた母は決まってこの話をしてくれた。

 光の三原色の話だ。



『──この世界にはたくさんの色があるけれど、

 中でも不思議な色があるの。

 一つは青。一つは緑。

 そしてもう一つは……

 フェレンティーナ。あなたの、赤い色。

 その三つが重なると、どうなると思う?

 明るく輝く、光になるの。

 隣の家のベスの眼は青いでしょう?

 向かいのキャロルは緑色ね。

 この世界にはいろんな色を持った人がいるわ。

 みんなが青でも、みんなが緑でも

 光は生まれない。


 だからね、フェレンティーナ。

 あなたの赤い色はとっても大事で、

 とってもすてきな色なのよ。

 だからもう、泣かないで──』


 泣かないで、フェレンティーナ……




 * * * * * *



「……ぅ…」


 意識が戻る。

 ゆっくりと目を開けると、薄汚れた布のような天井が視界に広がっていた。

 ……どうやら自分は、テントらしき場所で寝かされているらしい。



「お、気がついたか」


 びくっ。

 横から聞こえた声に飛び起きる。

 途端に、後頭部を鈍い痛みが襲った。


「いっ、つぅ…」

「あーまだしばらくは安静にしていろ。手当てと言っても、応急処置程度だからな」


 後頭部をさすりながら、こちらに近づいてくる声の主を見上げる。

 そこにいたのは……先ほどの、あの銀髪男であった。


 あらためて見るその顔立ちは……彫刻のように美しかった。

 高い鼻。切れ長の、銀色の瞳。この美しさも、やはりエルフの特徴なのだろうか。

 歳はおそらく二十代半ばほど。長身の身体はよく引き締まっており、まさに軍人らしい……


 軍人…敵国の………


 ばっ!と、あたしは自分のふとももをきゅっと閉じ、手で押さえて、


「……最っ低……人が気絶してる隙に………この鬼畜!ド変態!死んでやる!!」

「……おまえさんはそれしか考えられんのか」


 目に涙を浮かべて言うあたしに、男は苦い顔で息を吐いた。


「そんなつもりはねぇって何度言ったらわかるんだよ……てか、そんなにスケベなツラしてんのか俺……逆に不安になってくるわ」


 男はやれやれといった表情を残してこちらに背を向け、そのまま少し離れたテーブルの方へ歩いて行ってしまう。


 ……どうやら本当になにもされていないらしい。自分の身体だ、それくらいわかる。

 それどころか……頭には包帯が巻かれ、体中にある擦り傷も丁寧に手当てされている。

 彼の言葉通り、ちゃんと治療を受けたようだった。


 …こいつ……本気で、あたしを助けるつもり……?


 と、自分が今いる場所をぐるっと見回してみる。

 思った通り、仮設テントのようだった。床は茶色い地面だし、男が今向かったテーブルも、あたしがいるベッドも、本当に簡易的な折りたたみ式のものだ。

 ということは、やはりこいつは駐屯している……敵国の、兵。


 それがなんだって、あたしなんかを助けるんだろうか……?


「ほれ」


 男がテーブルから持ってきたグラスを差し出す。水、と思しき透明な液体が入っている。


「安心しろ。ただの水だ」

「………………」


 こちらの考えを察したのか、男は苦笑いしながらそう言った。

 少し戸惑いながらも、あたしはそれに口をつける。

 ……本当に、ただの水だ。

 黙って飲むあたしを見て、男は優しげに笑うと、


「おまえさん、名前は?」

「……月並みなことを言うようだけど、人に名前を尋ねるときはまず自分からでしょ?」


 水を飲みながら、目も合わせずに答えるあたし。

 敵国のやつに、易々と名を明かすものか。それに、いろいろ聞きたいのはこっちのほうなのだ。


「あぁ、そりゃあ悪かった。俺は」


 あたしの生意気な口に嫌な顔も見せずに。

 男は言った。


「ルイス・シルフィ・ラザフォード。御察しの通り、ロガンス帝国の軍人だ」


 ロガンス帝国……軍服の紋章から予想はしていたが、やはりそうか。敵国であるフォルタニカ側の同盟国である。

 あたしは銀髪男…ルイスを、出来る限りの厳しい表情で睨みつけ、


「なんでロガンスの兵があたしを…イストラーダの人間を助けるわけ?何考えてんの?」


 語気を強めて、そう尋ねる。

 すると彼は、きょとんとした顔をして、言い放った。


「なんでって……怪我していたから」

「は…はぁ?怪我するようなことしてきたのはそっちでしょ?それに……こんなことしたら同盟違反で、フォルタニカのやつらに怒られるんじゃない?」

「はは、怒られるっていうか、殺されるだろうなぁ。ま、バレたとしても……殺されるのは隊長である俺だけにしてもらいたいところだが」

「……どういうこと…?」

「んー……簡単に言うとだな。俺たちロガンス軍は無駄な殺し合いをしたくないんだよ。表向きはフォルタニカの軍事支援ということになってるし、実際に前線で戦ったりもしているんだが……」


 その言葉と共に、彼は右腕にある傷をさする。

 その傷は、まだ新しいもののようだった。


「こうやって俺らみたいに裏では救援活動している部隊がいくつかあって、生き残った民間人をバレねぇように保護してるんだ。ロガンス王の命令でな。内緒だぞ?」


 と、いたずらっぽい笑顔で言ってくる。

 ……それ、本当なのか?

 なら、ロガンス軍は……


「……なんのために、そんなこと……」

「決まってんだろ、王も俺たちも、人が死ぬのが嫌いだからだ」

「じゃあ、なんで戦争になんか参加しているのよ」

「参加することで救える命もある。被害を最小限に抑えて、無為な戦いを終わらせることもできる。俺たちは、そのためにここへ来た」

「………」


 あたしは、言葉を失う。そんなことを本気でやろうとしているのなら、こいつらは馬鹿だ。


 敵国を蹂躙し、搾取し、国土を乗っ取ったほうがメリットが大きいに決まっているのに。

 『人死にが嫌いだから』というだけで自らを不利な立場に置いているのなら、こいつらはお人好しを通り越した馬鹿の集まりだ。


「……なんて偉そうに言いながら、おまえさんのいた街をフォルタニカ軍の攻撃から守れなかったんだがな。いくら謝ったって済む問題じゃねぇが……敵国の人間の代表として謝らせてくれ。こんなくだらない、国同士の諍いに巻き込んで……本当にすまない。なるべく最小限の被害で終えられるよう、尽力する。だからもう少しだけ、待っていてくれ」


 そう言って、ルイスは真剣な表情で頭を下げた。


 ……ていうか、待って。今こいつ、ものすごく重大なことをさらっと言ったんじゃないの?

 要するに軍事機密でしょ?それって。

 それを敵国の人間に……なに話しちゃってるわけ?あたしがもし密告したら、こいつ殺されちゃうのよ?


 なんなの……ロガンス帝国って、一体……


「と、俺の素性はこんなところだ。で、お前は?」

「へ?」


 彼の声に思考を遮られ、思わず素っ頓狂な声をあげる。


「よかったら、教えてくれないか?名前。じゃないと、いつまでたっても『おまえさん』のままだぞ?」


 言って、にこっと笑うルイス。


 ……なんか、わかんないことだらけだけど。

 とにかくこいつは本当に、敵国の人間であるあたしを助けようとしているらしい。

 それに、この人の良さそうな顔……さっきからあたしが胸の内で馬鹿だなんだと貶しているなどとは、一ミリも考えていなさそうな顔……

 これが演技だと言うのなら、騙されても仕方がないかな、とすら思えてくる。

 それくらい、彼の瞳は真っ直ぐで──


「……フェレンティーナ、よ」


 包帯が巻かれた手を差し出して。まっすぐに、彼の銀色の目を見つめて。

 あたしは言った。


「フェレンティーナ・キャラメラート。長いから、フェルでいいわ」

「そうか……いい名だ。よろしくな、フェル」


 差し出した手に自分のを重ね、彼はそう言って。

 あたしが初めて笑顔を見せると、ルイスも嬉しそうに微笑んだ。


「…………」


 しかし。

 その友好的な雰囲気を先に打ち破ったのは、他でもないあたしだった。

 握手したままの彼の右腕をグイッ、と引き寄せ、


「いてててて!なにすんだよいきなり!」


 声を上げるルイスを無視して、その腕を自分の膝に置く。


「この傷、あたしが治してあげる。さっきから気になっていたのよ」


 先ほど彼がさすっていた腕の傷である。近くで見ると、それはかなり深い刀傷のようであった。

 こんな腕であたしを運び、自分の治療を後回しにするなんて……ほんと、馬鹿なんだろうな、こいつ。


「あぁ、その傷なら、さっき救護係のやつに…」

「その救護係だけど、どんな腕してんの?あたしの頭もまだ痛むし……こんなのも一発で治せないなんて、軍の人間もたいしたことないわね。とんだ藪医者だわ」


 ……お察しの通り、あたしは気が強い。そして、口が悪い。

 と言うより、癖なのだ。一人で生きてきたせいか、いらぬ虚勢を張ってしまう。


 ……それはともかく。


 戸惑うルイスを尻目に。

 あたしは少し居直ると、人差し指を立てる。

 そして……空中に、描く。

 自らの、名前を。



「──我が名はフェレンティーナ。精霊よ。契約に従い、姿を示せ」



 呪文を唱えると、宙に描いた『署名』が光りだす。

 同時に、右手に温かい光が灯り……

 それを、負傷したルイスの腕に当てる。


 ──と。

 細胞が、組織が、皮膚が。

 裂傷した箇所が、みるみる再生してゆき……

 あっという間に、跡形もなく消えた。どこに傷があったのかわからないほど、綺麗に。


「おまえ……その力…」


 ルイスが、あっけにとられた表情でこちらを見てくる。

 あたしは少しだけ得意げに、


「あたしの魔法は治癒系なの。ここまで完璧に治せるのは珍しいみたいだけどね……それにしたってここの救護係、腕なさすぎるんじゃない?ちゃんと魔法の訓練受けてるくせに、一般人のあたしより能力が低いなんて。あたしが自分で自分を治癒できたら、こんなのすぐ治せるのに」


 やはりまだ痛む頭を押さえて、そう言った。




 魔法というのは、一種の≪個性≫である。


 あたしが使う治癒系の魔法も、似た能力はあっても、全く同じものを持つ者は絶対に存在しない。

 例えば、あたしは自分以外の人間の傷しか治せないが、自分の傷も治癒できる人もいる。

 逆に、自分の傷しか治せない人もいるだろう。


 魔法が使えるようになるのは、十四歳になってから。

 十四歳の誕生日を迎えると、その者を守る精霊がやってくる。そして、契約を結ぶのだ。


 その者の命が尽きるまで、生を共にし、助けるという契約を。


 契約者は自らの血を以て署名をし、契約文を唱える。

 すると、魔法が発動する。普段は目に見えない精霊が、魔法となって具現化するのだ。

 そこで初めて、自分にはどのような精霊がやってきたのか、どんな魔法を使えるのかを知ることになる。


 契約以降は自らの名前を宙に記し、呪文を唱えればいつでも魔法が使える。

 しかし魔法は、ちゃんとした訓練を受け経験を積まなければほとんど実用性がなく、百パーセントの力が発揮されることはないらしい。スポーツ競技しかり、勉学しかりである。

 なので、専門の学校など訓練をしてもらえる機関はあるのだが、魔法を個人的に乱用する人間が増えることを避けるため、入るには相当厳しい審査がいる。

 当然、あたしなんかは平凡な、むしろ貧しい家の出なので、魔法に関する専門教育を受けたことは一切ない。


 以上を踏まえた上で、考えていただこう。

 あたしの使う魔法は、人間が元来持つ再生能力を刺激し、急速に治癒を促すというものなのだが……

 訓練を受けていない状態でさえ、軍の救護係を凌ぐほどに強力な、ほぼ完治できるくらいの力を持っているのだ。


 つまりは、天才なのである。




「ここまで潜在能力の高い人間は……見たことがねぇ」


 さっきまであった傷を探すように腕をさするルイスに、あたしは肩をすくめる。


「ま、この能力を買われたせいで、あんな中央の街まで連れてこられちゃったんだけどね」

「どういうことだ?」

「あたし、孤児なのよ。父も母も他界して、いないの。本当なら故郷の村にある孤児院で暮らしていたはずだったんだけど……あの街の領主があたしの治癒能力を見込んで、引き抜いてきたってわけ。何かあった時のためにね。……でも」


 あたしは口元に笑みを浮かべ、先ほどの光景を思い出す。

 血を流し、力なく横たわる、彼らの真っ赤な姿を……


「………皮肉よね。あたし以外みんな、先に死んじゃった。あたしがいたって、癒す前に死なれちゃったら、いる意味なんてないのに」

「おまえ……」


 ルイスの手が、あたしに向けられる。

 言ったことに対する罪悪感からなのか。なんとなく、叩かれる気がした。

 反射的に、ぎゅっと目を瞑る。


 ……しかし。

 その手は優しく、両肩に置かれただけだった。


「え……?」


 面喰ったあたしの目の前に、ルイスの銀色の瞳があった。

 そのガラス玉のような両目が、あたしの目をまっすぐに見つめている。

 そしてそれが、少しだけ悲しげに歪んだ。


「……強がらなくていい」

「は……はぁ?いきなりなにを……」

「あんな目にあったんだ。本当は、怖くて怖くてたまらなかっただろう。今だって、敵国の人間を前にして……死ぬほど緊張しているはずだ」

「な………」

「もう、大丈夫だ」

「………」

「もう、安心していいんだ。お前は、助かった。生きている。それだけで、今は充分だろう。だから……そんな辛そうな顔して笑うな」



 その、たった一言で。


 一瞬だった。

 気がついたら、涙が溢れていて、止まらなくなっていた。



「………え……なに、これ……」


 一体どうしたというのだろう。

 死体を目にした時も、自ら死を覚悟した時でさえ、一滴も流れなかった涙が。

 今になって、後から後から零れてくる。

 そんなあたしの姿を見て、ルイスは笑う。


「そうそう。泣きたきゃ泣け。無理して笑われるよりは、そっちの方がずっといい」

「…ば……ばっかじゃないの……っ」


 泣き顔を見られないように、あたしはルイスから顔を背ける。



 ……悔しいけど、こいつの言う通り…

 本当は、すごく怖かった。悲しかった。絶望した。

 知っている人間の死。肉親を二人亡くしていたって、人の死は、慣れるはずもなくて。


 けど。

 あたしは、生き残った。助かった。助けられた。


 そのことに安心してしまう自分と、死んでいった人たちへの罪悪感や無力感が混じり合って。

 ぐちゃぐちゃな感情が、涙となって溢れ出した。



「…………っ」


 どうしよう。泣きたくないのに、泣いたって意味なんかないのに、涙が止まらない。

 すると──


 ぽん。


 ルイスが、あたしの赤い髪に手のひらを乗せて、



「おまえさんが生きていてくれて、よかった。ありがとう」



 なんて、心の底から思っているような声で言ってくるから。


 あたしはもう、強がりも言えずに。

 嗚咽を漏らしながら、彼の前で、思いっきり泣いた──




 これが、あたしとルイス隊長の出会い。

 この出会いから。

 あたしの人生は、まったく違う色に染まってゆくことになる──

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