黒猫王子は月夜に笑う

河津田 眞紀

第1章

第1話キレイナセカイ


 嗚呼、世界って、本当に綺麗。

 いろんな色で溢れている。


 お空は青。

 葉っぱは緑。

 目玉焼きは黄色。

 お花はピンク。


 白。オレンジ。むらさき。

 水色。黄緑。

 灰色も、茶色も。

 だけど、ごめんね。やっぱり、あたし



「…赤だけは……だいっきらい」



 一面に広がる、赤、赫、アカ。

 それを、瞳に映し。

 黒い煙が立ち昇る青い空に向かって、語りかける。


「……やっぱり、血の赤だよ………母さん」


 目の前で力なく横たわる、

 その、金や白や亜麻色の髪が。

 今はあたしの髪よりもずっと、赤くなっていた。



 イストラーダ王国。

 あたしが生まれ育った、この国の名前だ。


 隣国・ルイアブック民国と同盟を結んでいたのだが、そのルイアブックが二年前、西の大国・フォルタニカ共和国と戦争を始めた。

 圧倒的な力の差で、最初の一年でルイアブックは壊滅。残された小さな同盟国である我が国は、なす術もなく侵略・蹂躙されていった。


 ……ちょうど、こんな風に。


 隣の村も、町も、そうやって消えていった。若い男たちはみんな徴兵され出払っているので、いくらそこそこ栄えたこの街だって、ひとたまりもなかった。

 あたしが雇われている領主のこの屋敷も例に漏れず襲撃され、屋根には大穴、壁も崩れていて外が丸見え。骨組みとなっている太い柱だけが残され、辛うじて建物の形を保っているという状態。

 そしてそこに住まう人々も、あっという間に皆殺しにされてしまった……らしい。


 というのも、あたしも先ほど意識を取り戻したばかりで、なにが起こって、なぜ自分だけが生き残っているのかわからないのだ。


 ただ、気がついた時には……

 目の前には、真っ赤な世界が広がっていて……



「………………」


 血液と、人間が焼けたのが混じった、なんとも生々しい臭い。

 ここは領主とその家族が食事をするのに使っていた広間で、襲撃を受けた時、ちょうど昼食の時間で全員ここへ来ていた。

 綺麗だったはずの絨毯も、今は血の赤一色……


「…いた……っ」


 突如、ズキンという鈍い痛みが後頭部を刺す。

 そこで初めて、自分の後頭部から血が流れていることに気がつく。


 ……そうか。敵国が放った攻撃魔法で家屋が崩れ、その破片で頭を打ったのだ。それでそのまま気絶して……

 本当に突然のことだったから、よく覚えていないが……


 頭を押さえながら、周囲の様子を伺う。

 辺りに人の気配はなく、足音一つ聞こえない。ただ木造の家屋が燃えるパチパチという音だけが耳に響く。


 ……本当にみんな、死んでしまったのだろうか。敵は?もう去ったのだろうか。

 現実味のない光景を眺めながら、自分の手を目の前へ持ってくる。

 べったりとこびり付いた……赤い、血液。


 ……嫌な色。やっぱり母さんは、嘘つきだ。

 痛みに揺れる脳で、そんなことをぼんやりと考えていた……その時。



 ──ザッ、ザッ、ザッ……



 遠くから、かすかに足音。それから、男の声が聞こえる。

 誰か、街の人間が生きていたのだろうか?…いや、それはない。仮に運よく生きていたとしても、あたしのようにどこかしら負傷して、すぐには歩き回れないはずだ。


 なら、足音の主は決まっている。

 ……ここを襲ったやつらだ。


「………………ッ」


 体がこわばる。

 身に迫る脅威を察知した途端に、目の前の景色が、一気にリアルに色づき始める。


 ああ、そうだ。ここは襲われたんだ。あいつらに。

 もう、幾度となく耳にしていた噂があった。

 血も涙もないフォルタニカ共和国の兵たちは、死に切れなかった女を……


 無残に犯し、散々弄んだ揚句、ムシケラのように殺すのだと………


「………ぅ……」


 吐き気がする。

 そんな死に方だけは嫌だ。絶対に、嫌だ!

 それなのに…


 ──ザッ、ザッ、ザッ……


 こうしている間にも、足音はどんどん近付いてくる。

 逃げなきゃ…早く、ここから。

 でも、何処に?もう敵に囲まれているかもしれない。

 それに、だめだ。腰が抜けてしまって完全に使い物にならない。


 ああ、どうしよう。震えが止まらない。

 どうしてこんな……こんなひどい死に方しなきゃならないの?

 それなら……

 いっそ、自分で………




 ──その時。

 あたしの体を黒い影が包んだ。足音は、すぐそこまで迫っていたのだ。


  その人影を見上げる。軍服に身を包んだ一人の男が、こちらを見下ろしていた。

  銀髪だ。逆光で顔はよく見えないが、思ったよりも若いようだった。

 そして……その銀髪から覗く、長い耳。

 エルフの血が濃いのか。なら、こいつはやはり敵だ。

 フォルタニカの同盟国で、やつらの支援としてこの戦争に参加している、ロガンス帝国の人間……

 大昔にエルフ族が住んでいたと云われているその国には、エルフの特徴である長い耳を持つ者が多いそうだ。


 嗚呼、やっぱりだ。

 もう、どうにもならないのだ。

 この先には、どう転んでも〝死〟しかない。

 だったら、死に方を選ぶしかない。

 それが、残された最後の自由。


 汚される前に、あたしが。

 あたしを、殺してあげる。

 舌を、噛もう。

 母さん。ちょっと早いけど、もうそっちに行くね。


 先に死んでいった者たちの血で染まった、赤いセカイ。

 そんな最期の光景を瞳に焼き付け、あたしは目を瞑る。

 そして、舌を思いっきり……





 ………が、その直後。



「お……おい嬢ちゃん!大丈夫か!?おめぇら、救護係を呼んで来い!人が生きてる!」



 ……なんて声が聞こえて。

 あたしは思わず、



「…………………………はぁ?」


 そう言って、顔を上げた。

 噛みかけた舌がぴりっと痛む。


 呆けているあたしをよそに、目の前の銀髪男は、あろうことか自分が着ている軍服を…敵国の紋章が縫い付けられた軍服を脱いで、あたしの肩にそっとかけ。

 そしてひどく焦った様子で顔を覗き込んできて、


「しっかし、よく生きてたなぁ…フォルタニカの連中、ずいぶん派手にやらかしやがって…あーあー頭から血が出てら。もう大丈夫だぞ。すぐに治してやるからな」


 なんてことを言ってくる。

 ……え?こいつ、今なんて……?

 と、一瞬考えそうになったが、あたしは肩にかけられた手を急いで振り払い、


「さ……触らないで!死んでやる……死んでやるんだから!!」

「おいおい。せっかく助けようとしてるってぇのに、死ぬなんて言うなよ」


 あたしの言葉に、男は困ったように頭を掻く。

 それに、あたしはいよいよ考え込む。


 こいつ……今、助けようと、って言った……?

 敵国の人間のくせに、犯すどころか……あたしを、助けようとしているってこと…?


 ……いや、そんなはずはない。

 きっとこちらを油断させるための罠だ。


「ぅ…うるさい!そんなこと言って好きにできると思ったら、大間違いなんだから!!」


 震えながらも、精一杯大きな声で言ってやる。それに男はやはり困った顔をして、


「……まぁ、そうだよな。安心しろって方が無理だ。フォルタニカの攻撃を止められなかったくせに『大丈夫だ』なんて……無神経だったな。悪かった」

「……油断させようったって、そうは…」

「ああもう、わかったから。騒ぐと余計に傷口が開くだろ。頼むから大人しくしててくれ。文句なら傷を治した後にいくらでも聞くから」

「…………」


 申し訳なさそうに長い耳を垂らすその男の表情は。

 真剣そのものであった。

 その顔を、あたしは訝しげに覗き込み、


「…お前……」

「ん?」

「…あたしを………犯さない、のか……?」

「………は?」


 銀髪男は文字通り目を丸くした。

 あたしはじっと身を固くして、反応を待つ。

 ……しばらくの沈黙の後、


「…なにを言ってるのかさっぱりわからねぇが……そういうことが気になる年頃なのか?悪ぃな。俺、子供には興味ねぇんだわ。それに、そういうことはまず怪我を治して元気になってから……」


 よし、今だ。

 男がまだなにやら喋っている隙にもう一度、立ちあがって逃げようと試みる……


 ……が。

 突然、ぐにゃりと視界が歪む。

 身体が浮くような感覚に襲われ、意識がフェードアウトしていく──



 ぽすっ。



 ……気がつくとあたしは、この男の腕に抱きとめられていた。


「ほら、言わんこっちゃない。そんなに血ィ流してんだから、急に立ったりしたら倒れるに決まってんだろ」

「う………」


 しまった……早く逃げなきゃ。敵国のやつの腕の中にいるなんて、危険すぎる…

 朦朧とする意識の中でそんなことを考えるが、体が言うことを聞かない。どうやら本当に血が足りないようだ。


「そうそう。少し大人しくしてな。このまま運んでってやっから。って、あいつら遅ぇな。おい救護係!なにしてんだ早く来い!!」


 そう、叫ぶ男。

 それを聞きながらも、どんどん意識は遠のいてゆく。


 本当に助けるつもりなのか…?いや、敵国の人間なのに、そんなはず……


 ……でも…

 この男の体温が、なんだか心地いいような、そんな気がして……



 あたしの意識は、そこで途絶えた──

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