第52話レッツティスティング! 甲州ワイン!!

「じゃあ私が甲州ブドウについて調べるから、寧子ちゃんは甲州ワインの方をお願いね!」

「アイアイなのです!」


 寧子と沙都子は分担を決め、バイト先で別れた。

そしてそれぞれの道を歩み出す。


 寧子は愛車の真っ赤なベスパに跨って、頭の中でぐるぐると甲州ワインという名詞を回し始めた。

 ふと、運転中に馴染みの酒屋の看板が目に止まった。


(OSIROならきっと色んな甲州ワインがあるはずですね!)


 調べる前に、実物をこの目で見ておこう。

そうすればきっと記憶に残りやすいはず。

そう思った寧子は、この界隈でも専門性が高く、更に馴染み深いリカーショップOSIRO中央店の前へ、ベスパを停めるのだった。


「しゃせー……おっ?」


 寧子に気のあるアルバイト店員の佐藤は、声を弾ませた。

 しかし寧子はそんな佐藤を超絶ガン無視して、日本ワインの棚へ駆け込んでゆく。


 日本ワインとは、その名の通り『日本で作られたワイン』のことだった。

 かつては輸入原料を使っても、国内で醸造さえすれば、国産ワインと表記することができた。

しかし近年、海外での日本のワインの大躍進もあり、国が重い腰を上げたのである。

故に国内原料100%使い、国内で醸造されたワインが『日本ワイン』

今や日本は、海外からも注目をされる一大ワイン産地なのだ!

そしてその中核を担っているブドウ品種こそ……


(こ、甲州ワインってこんなにあるですかぁー!?)


 寧子は甲州ワインの圧倒的な物量に、心の中で大声をあげる。

 山梨県産が中心だが、長野や、山形、果ては島根産の甲州ワインもあった。

味わいも様々、甘口、中甘口、辛口、中辛口、スパークリングなんかも存在するらしい。

更にシュール・リーやら、樽発酵やら、醸しやら、なんやかんや……もはやこの時点で、寧子さんの頭はパンク寸前である。


「もしかして……甲州でなんか探してる……?」


 と、傍から表れたるは、寧子に気があるくせに、なかなか想いを伝えられない佐藤=チキン=陽太。

醸造学科であること良いことに、またワインネタで寧子とお話ししようという姑息な作戦か!?


「シャラップ!!」


 間髪入れずに、親友クロエ仕込みのセリフが炸裂!

 怯んだ佐藤は動くことができない!!


「今日は佐藤さんの手を借りませんなのです! これは私自身の戦いなのです! 手助けのお声がけには感謝! しかし今の私に佐藤さんの優しさは無用なのです!」

「お、おう、そっか……」


 寧子はフンスと鼻息荒く、再び日本ワインコーナー、甲州ワインの一画を見上げた。

 さてどれを選択するか……と思った途端、致命的なことに気がついた。


 そういえば今日は給料日前。

 お財布の中身はとても寂しかったのである。

 僅か3000うん百円で、残り三日間を生き伸びねばならない。

 故に1000円以上ワインの購入、それすなわち過酷な極貧生活の入り口ともなりうる。


「ああ、ううー! お金ぇ……お金さえあればぁなのですぅ……!!」


 さすがの佐藤も、頭を抱え、奇妙な唸りをあげる寧子にドン引きであった。

 そんな彼の目の前で、寧子は覚悟を決めた。

膝を深く折り曲げ、久方ぶりの飛翔準備体制へと移る。


大丈夫、まだ自分は跳べるはず!


 寧子はちびっ子ながらも、とあるスポーツマンガに影響されて、中学から高校の青春を籠球、すなはちバスケットボールに注いでいた。

 低身長を生かして相手をすり抜け、ボールを掠め取るその姿から、皆は寧子のこと、あるいは尊敬し、またあるいは恐怖しこう呼んだ――



【黒子の寧子】と!



「だぁぁぁぁー!」

「と、飛んだぁ!?」


 寧子はぴーんと背筋を伸ばして、大きく飛んだ。

 そして背伸びしても絶対に届かない、最上段のハーフボトルワインを見事にキャッチ!

黒子の寧子は、まるで猫のように足音少なく、着地する。


「これ、くださいなのです! 今日はポイントいらないのです!」


 寧子が手に取ったもの、それは――大手メーカー製造の「山梨甲州」と書かれたハーフボトルの白ワイン。

税込998円。OSIROのポイントカードは税込1100円で1ポイントである。

しかし1ポイントか、102円の現金か……選ぶまでもなかった。明日から暫くもやし生活確定である!!



⚫️⚫️⚫️



「ワイン、ワイン〜ふっふ〜」


 アパートへ戻った寧子は上機嫌な様子で、ソムリエナイフを使って、キャップシールを剥いた。

 瓶口にぴったりハマったコルクへ、スクリューをぶっ刺して、あっさり抜いてみせる。


 そしてラフィさんから譲ってもらった、ティスティング用のグラスへ、ワインを指2本分ほどの量で注いだ。

これで大体70ml。ティスティングには最適の液量である。


「ふむ……結構色が薄いですね。イッツ、クリスタルイエロー」


 水や日本酒を感じさせる透明感のある外観だった。

 グラスを回しても、縁から垂れ下がる液体はさらりとしている。

 全体的に、ライトな印象を外観から感じ取る。


「……柑橘系? シトラス?」


 グラスを持って、匂いを取り、ポツリとそう一言。

 沙都子曰く、一言に柑橘系と言っても様々な表現方法があるらしい。


 レモン、グレープフルーツ、オレンジといった具合に香りの強さを表現して行くのだとか。


「こいつはレモンですなぁ……涼やかな風に揺られ、鮮烈な香りを放つ、これぞレモン! ああレモン! 地中海のレモーン!」


 なんかちょっと、ソムリエっぽいことが言えて大満足な寧子さんだった。

 馬鹿な一人遊びはこの辺にして、一口ワインを含んだ。


 舌先で感じる甘味は無し。酸はやや強めで爽やかな印象を抱かせる。

 特徴的なのが、グレープフルーツを食べた時のような、ほんのちょっと感じる美味しい苦味だった。

 飲み込んだ後の余韻も短く、ワインの存在が舌の上からサッと姿を消す。


「なるほど……うーん……」


 正直、よく分かんなかったのが本音だった。

 すっきりしていて、好みではあるのだが、それ以上の何かが得られた訳ではない。


(そろそろググるですかね)


 甲州ワインを体感し、感覚を染み込ませた寧子はスマホを手に取った。

 そして音もなくぴょんと飛び、ベッドへダイブ。


 その時、ガシャん!と大きな音が響き渡った。


「なんですか……こんな真夜中に……」


 なんだか窓の外からギャアギャアとうるさい声が聞こえてきている。

 寧子はそっとカーテンを開けて、外を覗き見てみた。


「ストーカーダメネ! さっさと失せるね、おとといきやがれネ!」

「あ、あ、いや、俺は……」


 道端で見知った金髪が、自転車を転倒させた男性へギャアギャア喚きわてている。


 友達が二人、自分のアパートのそばで、ご迷惑にも大騒ぎしている。

 これは流石に見過ごせないと、寧子はアドレス帳を開いた。


「あー、もしもし、クロエ?」

『WOWOW! ネコちゃん! どしたネ?』


 スマホの向こうから、嬉々とした金髪の声ーー親友のクロエの声が聞こえてくる。


「真夜中にお前のうっさい声が聞こえたから敢えて言ってやるです……シャラップっ!」

『な、なんネ!? 冷たいネ! ワタシ、ネコちゃんを狙うストーカーを撃退しただけネ!』

「あーはいはい……とりあえず佐藤さんに代わって欲しいです。代わんなきゃ、月曜からクロエは便所ボッチランチです」


 外のクロエは渋々と言った様子で、佐藤へスマホを渡した。


「あーもしもし佐藤さん? クロエのバカがとんでもないことをして悪かったです。大丈夫ですか?」

『お、おう……』

「もしかしてなにか用事ですか?」

『あーいや、その……たまたま、本当にたまたま、なんだけど! 閉店後に社長と本部長がいらしゃって、石黒さんと甲州ワインの話をしたら、サンプル持たせてくれて! 石黒さんに渡してくれって」

「マジでぇすかぁ!?」


 さすがは気前の良い、リカーショップOSIROの親会社、御城酒販社長の御城 洋子と営業本部長の梶原 芽衣である。感謝感激である。


「どうぞ上がってくださいなのです! クロエは、って? 来たきゃ来るが良いと伝えて欲しいです!」


 そう寧子は一方的に捲し立て、沙都子のアドレスを呼び出した。


「沙都子ちゃん、今から家に来れそうですか? たくさん甲州ワインが手に入ったのです!!」

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