チャプター6:ようじょ、甲州のことやら、ブドウのことやらを知る

第51話甲州ワインの赤をください



「甲州ワインの赤を、できるだけ重たーいのを貰えます?」

「はぇっ!?」


 お客さんへ、お返事の代わりに、間抜けな奇声を返したアルバイト中の寧子さん。


「ど、どうかしましたか?」


 お客さんにも心配されてしまった。

彼の前に座っている恋人さんも、微妙な笑みを浮かべている。

これはアルバイト店員といえど、ワインバーでの接客係としてあるまじき行為だ!


「ねぇねぇ、甲州ワインってなぁに?」

「いやぁ、この間ネットで見てさ! なんか日本の甲州ワインってのが世界的で有名になっててすごいんだって!」

「そうなんだぁ! たっ君物知りぃ! 楽しみだなぁ〜」


 頭を抱える寧子を放っておいて、目の前のカップルは楽しげだった。 


(お、落ち着くです……えっと、甲州ワインの赤で重たいのって……)


 甲州は葡萄品種の名前だ。

 そしてかつて寧子が口にしたのは、甲州で醸された白ワインである。

 まさかこの甲州で赤ワインができるのか?

もしかすると、このお客さんは、日本を代表する赤ワイン用品種のマスカット・ベーリーAのことを言っているのか?


 色々な情報が錯綜し、迷走を極め、そして――


「あ、あ、す、すみませんですぅ〜もっと詳しい人間に聞いてきますですぅ〜」


 脱兎のごとく駆け出した寧子は、ワインセラーへと飛び込んだ。


「沙都子ちゃん、ヘルプミーです! ギブミーワインアイディアですっ!」

「ど、どうしたの? そんなに慌てて……?」


 セラーの中でワインの整理をしていた同僚の森 沙都子が首を傾げる。

 ソムリエ資格取得志望で、寧子のワインの師匠でもある沙都子ならば、なにか知っているはず!


「甲州ワインの赤、できるだけ重たーいの、くださいです!」

「ええっ!? 甲州の赤で重たいの!? そんなの無いよ!?」

「マジですか!?」

「マジマジ!! 甲州は薄い赤紫色をしているけど、白ワイン用の品種だよ……」

「じゃあ、お客さんが間違ってるですかぁ!?」

「う、うん……たぶん……あっ、でも……MBAのことだったり……?」


 ちなみにMBAとは、そのまんま、マスカット・ベーリーAの略称である。


「じゃあMBAの重たーいのくださいです!」

「うちの在庫じゃ、華やかでライトなものばっかりだよ! お客さんきっと喜ばないよ!!」

「じゃあどうするですか!?」

「ここはやっぱりガツンと違いますって言うしか……」


 沙都子の提案は最もだった。だけど、ものすごく気が引けた。

 爆弾発言もいいところだ。きっと彼氏さんは大恥をかいて、楽しいデートは寧子によって大崩壊である。

そんなことできやしない。


「どうするですか、どうするですか!?」

「どうしよう、どうしょう、どうしよう!?」

「二人とも、仕事放っておいて何遊んでるのかなぁ?」

「「はひぃっ!!」」


 寧子と沙都子は揃って背筋を伸ばして、セラーの入り口へ視線をやった。

そこにはワインバーテロワールの店主さん、愛くるしい見た目に反して、仕事にはすっごく厳しいラフィさんがいた。

たぶん、怒ってる。目が笑っていない。だけど、今はそんなことよりも!


「ラフィさん、ヘルプミー! ギブミーワインアイディアですっ!」


 寧子はラフィさんへこれまでのことを洗いざらい話した。

するとラフィさんは真剣な様子で話を聞いてくれる。


「なるほど……OK! んじゃ、私が対応してくるねー」


 ラフィさんは表情を、爽やかな営業スマイルに切り替える。

颯爽と踵を返し、大きな胸を強く張り出して、例のカップルの席へ向かってゆく。


 寧子と沙都子は、セラーからちょこっと顔を出し、外の様子を覗き始めるのだった。


「こんばんは! 店長のラフィと申します。この度は、スタッフの不手際をお詫びします。申し訳ございませんでした」


 カップルのお客さんは、ラフィさんの丁寧な謝罪に面を食らった様子をみせる。


「それでお客様のオーダーについてですが、山梨県甲州市勝沼町で産出されたメルロを使った赤ワインなどいかがでしょうか? まろやかな口当たりと心地よい酸がとっても素敵で、本日のおすすめメニューの牛のたたきとのペアリングが最高ですよ!」


「へぇ、そうなんだ。じゃあ、それを!」


 あっさり解決。

寧子と沙都子が騒いでいたのはなんだったのか。


「ありがとうございます! あとこちらはご提案ですが、乾杯用に甲州ブドウを使った白ワインはいかがでしょうか?」

「えっ?」


 ラフィさんの提案に、彼氏さんの頬が僅かに引きつった。

しかしラフィさんは気にせず、にっこりスマイルで営業トークを続ける。


「少し甘さのあるタイプをご用意しますので、食前酒に最適だと思います。いかがでしょう?」

「へ、へぇ……甲州の白ワイン……じゃあ、それも……」

「ありがとうございます。当店では他にもたくさんの甲州ワインを取り扱っています! お気軽にお声がけくださいね!」


 最後にラフィさんはペコリと頭を下げて、その場から立ち去った。

 彼氏さんはそしらぬ振りをしてメニューを眺めだす。

そして彼女さんにわからないよう驚いた顔をしていた。

 おそらく自分の間違いに気がついたらしい。

しかし彼女さんはそんな彼氏さんの様子に全く気づかず「実は最近白ワインにも興味があるんだよねぇ。楽しみー!」なんて言って、楽しげだった。

 

 どうやら、お熱いカップルのデート大崩壊は、ラフィさんによって防がれたらしい……。



⚫️⚫️⚫️



「二人とも、あんまりこういうことは言いたく無いんだけど……もうちょっとワインの勉強をしてくれると嬉しいかな? 特に沙都子ちゃんはソムリエ志望なんだから、あの程度で慌てちゃだめだよ?」


 閉店後、ラフィさんの鋭い言葉の鞭が寧子と沙都子を打ち据えた。


「すみませんなのです……」

「すみません……」


 寧子と沙都子の謝罪が、静かな店内へ溶けて消えた。


「でもね、二人とも、お客様の気持ちを考えて、「それは違います。間違ってます」と言わなかったことは偉いよ。これはなかなか真似できることじゃないと思うよ。 その気持ちはこれからも忘れないでね! 私、そんな二人がここで働いててくれてとっても嬉しいよ!」 


 そして今度は甘い言葉の飴である。ラフィの愛情が、とっても良く伝わり、胸にじんわりと熱を感じる寧子なのだった。


「ちなみに甲州ワインの定義は、甲州市のワインってことじゃなくて、【甲州種を使った白ワイン】のことを指すんだからね、ちゃんと覚えておいてね」


 なんだかとってもややこしいと、寧子は思うのだった。


「と、言うわけで、二人とも! 今後、こういうことにならないよう、甲州ブドウと甲州ワインのことをきちんと調べておいてね!」

「はいです!」

「はい! 頑張ります!」


 かくして寧子と沙都子の甲州ブドウと甲州ワインに関する長い旅路が始まったのである!!

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