第15話いまのわたしにぴったりな赤ワイン


 アパートに帰るなり、うがい手洗いを済ませて、さっそくビニール袋から2本のハーフワインボトルを取り出した。


 いかり肩のボトルには【カベルネソーヴィニョン】と、なで肩のボトルには【ピノノワール】と記載されている。


 寧子はなんとなく直感でピノノワールのスクリューキャップを開けて、グラスに注いだ。

 透明なグラスが鮮やかなルビー色のワインで満たされてゆく。


(色合いはちょっと薄い? でも宝石みたいで綺麗ですね! グラデーションもなさそう……粘性はそこそこ)


 教えて貰ったティスティングの要領で、外観を確認し、今度は鼻を近づけて香りへ。


(香りは……ちょっと、弱い? 華やかな雰囲気はしますけど……)


 例えるなら、チェリーとかそんな雰囲気はある。

が、ほんの少し残念であった。

 車ほどの値段のする「ロマネコンティ」に使われているブドウ品種と知って、ハードルが上がってしまっただけなのだろうかと寧子は思った。


(味も、ちょっと酸味が強いですね。ちょっと口の中が”くしゃ”ってするのが渋みですか?)


 総じて軽くて、あっさりとした印象だった。

イメージ的にはこれまで飲んできた白ワインに近いような気がする。


 寧子はピノノワールを飲み干し、今度はグラスへカベルネソーヴィニョンを注ぐ。


「おおー!」


 想像通りの色がグラスを満たして、感嘆する。

 黒々とした赤の液体が、天井からのLEDの光を浴びて、グラスの中で煌めきを放っていた。


(色合いは黒っぽい赤ですね。中心からグラスのふちまで真っ黒が続いてるのです。粘性もそこそこ。ピノノワールよりも濃そうですね)


 グラスへ鼻を近づけると、はっきりと感じられる果実の香り。

ブルーベリーと云うべきか、もっと良さそうな表現もありそうだが、語彙が不足していてうまく浮かばない。

そんなフルーツの香りに、少しピーマンのような青っぽい香りが混じっている。

 香りの印象も、やはり濃い。


 グラスを口に付け、ワインを注いでゆく。

途端、ピノノワールの時以上に、口の中が”くしゃ”っとする感覚を得た。

酸味も柔らかい。


「渋いですねぇ……」


 飲みこんだ後に、そんな感想が漏れた。

 ピノノワールよりも、カベルネソーヴィニョンの方が力強い。

そんな印象だった。


 決してまずい訳ではない。だけどなんとなく”こんなものなのか”という意見が頭に浮かぶ。


(みんなワインって言えばは”赤ワイン”って言いますけど、本当に美味しいって思って飲んでるですかね?)


 まだ赤ワインのことが良くわからない。

寧子はそう思いつつ、買ったワインを飲んでゆく。

なんとなく赤ワインは白ワインよりも複雑で、難しいように感じる。

だからこそ未だ自分には”似合わないんじゃないか”と思うのだった。



●●●



それからの寧子の一週間は結構忙しかった。


 バイトはバタバタしていたし、大学でも珍しく宿題が続いていたのだった。

 

 予想外に、自分に”似合わなかった”赤ワインの消費は遅々として進んではおらず、連日の疲れもあってか、毎日グラス一杯を飲めばそのまま就寝。

 そんな生活を続けて、ようやくカベルネソーヴィニョンを飲み終える頃には一週間が経っていた。


 11月15日。今年の十一月の第三木曜日。


「よし!」


 姿見鏡で衣装をチェックする。

シャツの上から羽織った青いジャケットは皺ひとつなく、同系色でそろえたミニスカートと黒いレギンスの相性はまぁまぁ。

本当はもっと大人っぽい格好が良かったが、子供服売り場ではこれが限界。

 あいかわらず「ようじょ」な自分にため息を履きつつも、そんな自分も今日からパーティデビューと気持ちを煽って、アパートから出た。


「お待たせなのです!」


 アパートの下こっくりとした赤のワンピースにカーディガンを羽織った沙都子が待っていた。


「今、来たところだから大丈夫」

「そのワンピース凄くに当てってるですね。さすが沙都子ちゃんです!」

「ありがとう。この色、ボルドーって言うんだ」

「わぁ! 何から何まで沙都子ちゃんはワイン一色なんですね!」


 沙都子は嬉し、恥ずかしと言った具合に頬を少し赤く染めて、小さくうなずく。

 まるで歳の離れた姉妹のように見える寧子と沙都子は、仲良く肩を並べて、駅前を目指して歩き始めた。


「ワインの新酒ってどんなのですかね?」


 道すがら、寧子は期待を口にする。


「ワインに年号ヴィンテージ書いてあるでしょ? あれは原料ブドウの収穫年なの。ワインは出来立てだと、酸っぱくて飲めない。だから普通は醸造してから一年は樽やタンクで落ち着けてから出荷されるの」

「? じゃあ、新酒ってなんなんですか?」

「新酒はその年のブドウを、特殊な製法で醸造して、飲めるように仕上げてるの。その年の恵みに感謝して味わう……それが新酒ヌーボー

「へぇ! その特殊な製法って気になりますですね?」

「うん。でもごめん。私も勉強不足で、良くわかってないの……」


 そういえば佐藤は”醸造学科”だったと思い出す。


(今度佐藤さんに聞いてみるのです)


 寧子は沙都子から実は結構同じ講義を取っていたりなど、他愛もない会話を交えつつ、駅前にある雑居ビルの地下へと潜ってゆく。


 すっかり寧子の日常の一部となったダンジョンのような地下通路。

 店の前にはいつもの黒板が掲げられ”本日貸切、ごめんなさい!”とラフィさんの丸文字で記載されている。


「いらっしゃ……石黒さん!?」

「佐藤さん!? なんでここにいるですか!?


 扉を開けたら、さっきまで考えていた佐藤が目の前にいたのだった。

 

「いや、社長がワインのイベントやるから手伝えって言われて……」

「あれれ? もしかして陽太君、寧子ちゃんとお知り合いだった?」


 何故かいつも以上にニコニコ顔のラフィさんが現われて首を傾げる。

いつもよりもふんわりとした気合の入っている衣装で、可愛らしいラフィさんにはよく似合っていた。


「お母さん、この人子供だけどいいの?」


 ラフィさんのロングスカートにぴったりとくっついた黒髪の少年が、寧子を僅かに見上げていた。


「こら拳一! 失礼なこと言わないの! 寧子ちゃんはちゃんとした大人なんだから!」

「うっそだー! こんなちっちゃい大人がいるもんか!」


 子供は時として残酷。

 だけどここで大騒ぎしては大人げない。

そうは思うもやっぱり少し悔しくて寧子は苦笑いを禁じ得なかった。


「ごめね、うちの拳一が失礼で……」

「あ、いえ、大丈夫なのです! はい! 男の子はこれぐらい元気な方が良いと思いますです!」


 そんなやりとりをしている間にワインバー:テロワールへは、バイト中によく見るお客さんがぞろぞろと入ってきていた。

佐藤は入り口近くのテーブルについて、慌ただしく受付を開始する。


「て、手伝います!」

「ありがとう。じゃあ、このリストとお客さんの名前を照合してもらえるか?」


 沙都子は佐藤のところへ駆けて行き、手伝いを始めた。


「今日は楽しんでくださいね!」


みんなは口々に店主のラフィさんへ招待の御礼と挨拶を交わしている。


「た、楽しんでくださいなのです!」


 寧子も沙都子に影響されて、自分も招待客の筈なのに、ラフィさんの横で挨拶をし始めるのだった。

 

「おっ? もう結構集まってるね」


 暫くして、スーツ姿の羊子さんも姿を見せた。


「もう、ムーさん遅いですよ。こんな時まで社長出社ですか?」

「あはは、ごめんごめん。おっと……」


 拳一は突然、羊子さんの脚に飛びついた。

すると羊子さんは優し笑みを浮かべて、拳一の黒髪をくしゃりと撫でる。


「久しぶりだね、拳一。またおっきくなってね」

「こんばんわ、ムー姉ちゃん! 姉ちゃんこそあいかわらずおっぱい大きいね!」

「こら、拳一!」

「あ、いたー!」


 拳一君はラフィさんのゲンコツを喰らって、羊子さんは乾いた笑いを上げていた。


 パーティー開始時間の18:00を迎えると、寧子達へ赤ワインの入ったグラスが配られた。


 少し薄暗い店内でもはっきりとわかるルビー色の外観。

 淵の部分には明らかな紫の色合いが見えて、綺麗だった。

そして店中に広がる、イチゴやチェリーのような甘くて爽やかな香り。


(良い匂い……なのです)


 香りだけでうっとりしている寧子の前で、羊子さんが店の奥に設けられたステージに立った。


「皆さん、いつもワインバー:テロワールをごひいきにしてくださってありがとうございます。今日は日頃のご愛顧に感謝して、ボージョレヌーヴォーの解禁を一緒に祝いたいと思い、集まって頂きました。時差や緯度の関係で、この日本がボージョレヌーヴォーを世界でいち早く飲むことができます」


 世界で初めて。一番最初。

 魅惑的なキーワードが寧子の胸を躍らせる。


「今宵は大いに飲んで、騒ぎましょう! それではかんぱーい!」


 羊子さんの発声で、店中に乾杯の大音声が響き渡った。

 

 寧子は、みんなはそれぞれ、出来立ての新酒:ボージョレヌーヴォーを口へ運ぶ。


「ッ!!」


 鮮烈で溌剌とした味わいが、寧子の口の中に広がった。

 口いっぱいに広がる、イチゴのような、キャンディーのような香り。

爽やかな酸味と、するりとしたのど越しが心地よい。


「美味しい……」

「うん。フレッシュで、フルーティーな、いいワインだね」


 寧子のつぶやきに、沙都子は笑顔で答える。

 

 沙都子の同意があったというのもあるだろう。

 世界で一番最初に日本人が飲めるとか、生まれて初めて大きなパーティーに参加しているとのもきっとある。

 

 それでも寧子は思う。


(ボージョレヌーヴォーは、今のわたしのぴったりの赤ワインです! あいつにも飲ませてやりたかったですねぇ……)


 なんでこう、美味しいものに感動したとき、どうしてクロエのことを考えてしまうのか分からない寧子なのだった。


 そんな時、店内にざわめきが起こった。

さっきまで羊子さんが立っていたステージにスポットライトが当てられる。


 カウンターの奥にあるキッチンの扉が開いて、 黒くて長細いヴァイオリンケースを持った楽団の様な女の人たちがぞろぞろと現れる。


「あっ……!」


 寧子の小さなが胸が華やいで、思わず声が出た。

現われた一団の中に、少し緊張気味のクロエの姿があったからだ。


 クロエは寧子に全く気付かず、ステージに昇って、ヴァイオリンを構える。

明らかに緊張はしているが、人形のように綺麗なクロエの立ち姿は、凄く格好が良かった。


「こんばんわ、皆さん。私たちは「英華大学ヨーロッパ文化研究会」です。本日は御集り頂きありがとうございます。フランスではボージョレヌーヴォーを飲むとき、音楽に合わせて歌ったり、踊ったりしていると聞きます。ですので、今宵は私達の演奏を聞きながら、出来立ての新酒をいっぱい味わってください!」


 万雷の拍手が沸き起こり、弦楽器の綺麗で、かろやかな演奏が始まった。

 いつもは何かとふざけているクロエも、真剣な表情で弓を引き、弦から美しく、そして激しい音色を奏でる。


(クロエ、こういうカッコいいところもあるのですね。最近忙しいって言って他のはこういうことですか)


 音楽に合わせて寧子も、店中のみんなも笑顔を浮かべて、新酒の味わいに酔いしれる。

 

 美しい弦楽器の調べが店内に溶けて消え、ステージ上のクロエはやっと緊張を解いて、一息を突く。


「お疲れです、クロエ。とっても素敵な演奏でしたよ?」

「ネコちゃん!? な、なんでここにいるネー!?」


 クロエは鳩が豆鉄砲を喰らったかのようにきょとんとし、素っ頓狂な声を上げた。


「クロエのいるところにだったらどこにでもわたしは現れるですよ?」


 クロエの様子が面白いのもあったが、少しワインで酔っている寧子はそんなことを口走る。

するとクロエの青い瞳にじわっと涙が浮かんだ。


「ク、クロエ?」

「ネコちゃーん! アモーレ! いっひりーべんりっひぃー!」

「うわわ!? 急に抱きつくなです! ワインがこぼれたらどうする気ですか!?」

「すーはー……すーはー……くんか、くんか…! ネコちゃんの匂い、最高ネー!」

「や、やめるです! こんなところで恥ずかしいです!! お前も一緒に飲むです!」


 寧子は無理やりクロエを引きはがして、ルビー色のワインが入ったグラスを突きつける。クロエは顔を真っ赤に染めて、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、グラスを受け取った。


「じゃあ……」

「うん!」

「「乾杯!」」


 チン、とグラスを打ち鳴らし、寧子とクロエはグビッとワインを飲み干す。

そうしてステージの上から店を見渡せば、つい数か月前の自分には、想像もできなかった楽しい世界が広がっていた。


「ブドウをタンクへぎゅうぎゅうにつめると自重でつぶれて、果汁が出て、発酵が開始されて炭酸ガスが出る。するとブドウの細胞内の酵素でリンゴ酸が分解されて、アルコールとかになって、ボージョレヌーヴォーのような色が良くて、華やかで飲みやすいワインがすぐに仕上がる。これを炭酸ガス浸潤法、マセラシオンカルボニックっていうんだ」

「そ、そうなんだ! 佐藤君、凄い……!」


 仲良くなったのか佐藤は、沙都子へ何かを説明していた。


「うわぁ~ん! あの男めぇ~! うわぁぁぁ~ん!」

「し、仕方ないじゃないか! 拳さんの乗る予定の飛行機が悪天候で飛ばなかったんだから! 来られないのは仕方ないって!」

「お母さん、よしよし。なかない、なかない。おれが傍に居るから!」

「うわぁぁぁ~ん! もう別れてやるぅ~~~!! ムーさん、わたしと拳一をあなたの扶養家族にしてぇぇぇー!!」


 カウンターでヤケ酒気味にラフィさんがワインを煽って、洋子さんと息子の健一くんが慰めている。


 お店の常連さんたちも、ボージョレのフレッシュで、フルーティーな味わいを思い思いの形で楽しんでいた。


 きっかけはたまたま、棚の下で埃をかぶっていたワインを買ったから。


 そこからお酒、というかワインに興味を持って、色々動いて。

そうしたらきっと前のままだったら出会うはずもなかった人たちと出会って、更にワインに興味を持って。


 みんな立場も世代も性別も違うけど、お酒やワインっていう共通のものがあったからこそ、出会うことができた。

 今は、この出会いとお酒に感謝を捧げたい。


「ネコちゃん、チーズでマリア―ジュするネ! ボージョレヌーヴォーは、カマンベールチーズとの相性がいいって、マンマが言ってたネ!」

「そうなのですか! 早速試すのです!!」


 寧子とクロエは美酒に湧く人込みの中へ入ってゆく。


 十一月の第三木曜日――今年のボージョレヌーヴォーの解禁の夜は楽しく更けて行く。


 まだお酒というワインの一端をかじっただけだし、赤ワインのおいしさはわからない。

だけどきっと、ボージョレヌーヴォーのように自分にぴったりなものが見つかる筈。

その過程でまた新しいことを知って、新しい出会いがあるだろう。

 寧子はそんな期待を胸に、思う存分、年に一度のワインを存分に味わうのだった。


「出たネ、佐藤陽太くん! ワタシのアモーレ、ネコちゃんは渡さないネ!」

「い、いや、だから! 俺は別に石黒さんとは!!」

「えっ……? 佐藤くん、寧子ちゃんと……?」

「ち、違うのです! クロエも変なこと言わないのです! 沙都子ちゃんが誤解するじゃないですか!!」

「あはは……はぁー……」

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