第16話沙都子ちゃん、素敵な出会いに恵まれ、更にボージョレを知る
「こちらで招待状との確認をお願いします」
「こ、こちらです!」
11月15日。第三木曜日。本年のボージョレヌーヴォーの解禁日。
本当はバイト先のボージョレヌーヴォ―パーティーの出席者である森 沙都子は、何故か仕事のように受付業務に従事していた。
彼女の隣では、いつもお世話にリカーショップで、結構な頻度で合う同い年くらいの男のアルバイト店員が会の案内をする。
そして彼が流してきたお客へ招待状と招待客の名前をリストで照合するのが沙都子の役目になっていた。
勿論、志願したので不満はない。
むしろ、さっきまで一人であくせくしていた気の毒な彼の力になれてよかったと沙都子は思っていた。
「お疲れー。いや、マジ助かったよ」
「いえ……」
「招待された側なのに、なんか悪かったね」
黒髪で、逞しい体つきの、少し怖そうだけどまだ少し少年っぽさが残る彼は、笑顔だが凄く申し訳なさそうに言う。
「い、いえ別に……」
何故か沙都子は胸につっかえを覚え、上手く言葉が出なかった
特に沙都子は男性恐怖症だとかそういうわけでない。
大学に入るまでずっと地元の女子校に通っていたから男性に免疫がないためだ。
そもそも少し恥ずかしがり屋で、少し引っ込み思案な彼女は、誰に話しかけるにも必ずドキドキしてしまう。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! と、友達待たせてますから、失礼します!」
沙都子はまくし立てるようにそう言って、足早にその場を跡にする。
そうして寧子の並んで、ボージョレヌーヴォーで乾杯をし、口の中瑞々しいワインで満たす。アルコールが入ったためか、ようやく気持ちが落ち着いて、ほっと胸を撫で降ろすと、綺麗で激しいバイオリンの音色が耳を打つ。
店に設けられたステージでは、自分と同い年くらいの綺麗な格好をした女の子たちが、弦楽器から美しい音楽を奏で始めていた。
寧子も含めて、殆どのお客さんが、音楽に聞き入っている今がチャンス。
そう思った沙都子は店のカウンターからティスティンググラスを取り出した。
はやる気持ちを堪えつつ、テーブルに並べられた【ボージョレヴィラージュヌーヴォー】を少しグラスへ注いだ。
(ボージョレヌーヴォーには二種類ある。一つはボージョレ地方全域のガメイ種を使ったボージョレヌーヴォー。そして【ボージョレヴィラージュヌーヴォー】とは、ボージョレ地方の北部の38の地域が名乗ることのできるワンランク上のアイテム)
ソムリエ試験対策のために覚えた知識を思い出し、しっかりと覚えていることを確認。
「よし!」
きちんと覚えている自分への賞賛と集中スイッチの意味を込めた声を上げ、沙都子はボージョレヴィラージュヌーヴォーへ真摯に向かう逢う。
(外観の中心部の黒さがボージョレよりもある。だけど色合いは鮮やかなパープル。粘性もさらりとしているけどある。全体的に軽やかで若さを感じさせる印象)
続いて鼻を近づけ、香りに。
第一印象は、はっきりとしていたのだが、
(イチゴのアロマはあるけど、もう少しチェリーのニュアンス寄り。鮮烈なボージョレよりも落ち着いた香りで、少し複雑みを感じる。このキャンディーみたいな香りは、ガメイ由来のものなのかな……?)
味わいもやはり香りから感じるように、ボージョレよりも複雑に感じられた。
(甘み、酸味、タンニンのバランスはほぼ同じ。だけど、やっぱりヴィラージュの方がやや濃い印象なんだね)
総じてヴィラージュは通常のボージョレに対して味わいのバランスはほぼ一緒。
しかし濃さと複雑な雰囲気がやや感じられる。
(フレッシュさと華やかなインパクトはボージョレ、もう少し落ち着いた複雑みを感じたいならヴィラージュ。なるほど、こういう違いが……)
「ヴィラージュの味はどうだった?」
「ひゃっ!?」
突然脇から男の声が聞こえて、すっかり集中モードになっていた沙都子は素っ頓狂な声を上げる。
「あ、わ、悪い! 邪魔したな。すまん」
「い、いえ! 今、丁度終わったとこ、ですから……」
別に邪魔をされたわけではないので沙都子は、凄く申し訳なさそうにしているOSIROのアルバイト店員の男へ、か細い声で答える。
「あの、私に何か御用……?」
「いや、もしよかったら君にこれ飲んでもらいたいって思って。受付を手伝ってくれたお礼ってことで」
そう彼が差し出してきたのは重厚な印象のなで肩ボトル。
「クリュ・デュ・ボージョレ!? しかも、モルゴン!?」
「おっ? 分かってくれるんだ。嬉しいな! 前に先輩に貰ってね。今日開けてみんなでシェアしようと思って」
彼は満足そうに微笑む。
青年だけど、やっぱりどこか少年のようなあどけなさの残る彼。
そんな彼の笑顔を見ていると、何故か沙都子の胸が激しく鼓動を始める。
(クリュボージョレとはボージョレ地区でも特に良いテロワールの10個の村より産出される偉大なボージョレの赤ワイン! 特に傑出されたワインが産出されるのが複雑みで定評のあるムーラナヴァンと、力強く肉付きの良いワインを生み出す【モルゴン】!!)
沙都子は胸のドキドキを抑えるために、必死にワインの知識を反芻させて、努めて冷静さを取り戻そうとする。
「ええっと、ソムリエナイフは……」
「か、貸して!」
きょろきょろとナイフを探していた彼から、沙都子はボトルを奪い取る。
わざわざ購入したポケット付きのワンピースから、いつもお守りのように持ち歩いているソムリエナイフを取り出す。
そうして彼から奪い取ったモルゴンのボトルをテーブルに置き、ソムリエナイフの三日月のような刃を立てると、スッと緊張が収まった。
いつものように鮮やかな手つきでキャップシールをはがし、スクリューをコルクへ突き立てる。
音を立てずにコルクを抜き、近くにあった紙ナプキンで瓶口を綺麗に拭いた。
「おー、上手い!」
彼は感心したように声を上げて、
「し、試験受けるつもりだから……ここでバイトしてるし……」
沙都子は彼の声にまた胸の奥を鳴らして、更に頬に熱を感じつつ、おずおずと彼と自分のグラスにモルゴンを満たしてゆく。
ボージョレヌーヴォーや、ヴィラージュヌーヴォーとは比較にならない、濃い色彩。外観からでも濃厚さが容易に伺えた。
「い、頂きます……」
小さな声でそう云って、沙都子はワインを口へ運ぶ。
途端、頬の熱が、胸のドキドキが更に高まった。
「これってピノノワール……?」
「これピノじゃん!」
何故か、沙都子と彼の声が重なった。
一瞬沙都子も、彼もキョトンとお互いを見つめ合う。
次いで出たのは、お互いの満面の笑顔。
「でもこれガメイなんですよね?」
「ああ、ガメイだ。しっかし驚いたな。まさか同じボージョレ地方のワインなのに、こんなに味わいに違いがあるだなんてな」
「このクオリティーが出せるのにガメイから凡庸なワインしか生まれないからって、殆ど抜かれちゃってピノノワールに改植されたなんて、信じられない……」
「へぇ! そうなんだ! 知らなかった!」
沙都子のつぶやきを、彼は拾って感心した様子を見せる。
なんだか彼が嬉しそうで、沙都子はほっこりとした気持ちを胸に感じる。
「そうなんだ。これにはないけど、やっぱりガメイの普通のワインにはイチゴキャンディーみたいな香りがあるから、ダメだって言われたのかな……?」
「あー、それはマセラシオンカルボニックをすると出て来る香りらしいよ」
「マセラシオン……?」
「ええっと、ボージョレヌーヴォーを造る時の製法って言うか……って、こんな話聞きたい?」
「聞きたい!」
沙都子の即答に、彼は笑顔で答える。
不思議と沙都子は満ち足りた気分になっていた。
これまでずっと一人でワインに向き合っていて、しかも引っ込み思案な沙都子。
だけど今はラフィさんに羊子さん、同い年の寧子に、そして目の前の彼がいる。
「あの!」
「ん?」
「も、森 沙都子です。ここでバイトしてて、英華大の二年、です……」
「ありがとう。俺は、佐藤 陽太。太陽を反対に書く。梨東大の二年で、一応醸造学科。よろしく、森さん!」
「うん! こちらこそ……さ、佐藤くん……」
名字を、しかも割とありふれたものな筈なのに、不思議と言葉に詰まり、胸の奥が激しく鼓動する。
そもそもどうして自分から名乗ったのか。
なんでこんなにまで、胸がドキドキするのか。
沙都子は戸惑うも、別に悪い感じはしなかったので、ひとまず考えないことにする。
何よりも、彼からワインの話を聞けることが楽しい。
これまで男性との接点が全くなかった沙都子は、自分の気持ちに少し首を傾げながらも、妙に響きの良いように感じる佐藤の声に乗ったワインの話に耳を傾け続けるのだった。
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