第11話ようじょ、ブラインドティスティングに挑戦する【教習編】

 

 寧子は少しドキドキしながら店のボックス席に座っていた。

初めて”ブラインドティスティング”というものに挑戦することも一因だが、一番の原因は彼女の前に座る沙都子の様子だった。


 クールで落ち着いた見た目は変わらない。

しかし目には見えない、やる気のような、闘志に近いような雰囲気が沙都子から放たれている。


 真剣な沙都子の態度に寧子は若干気おされ気味なのだった。


「お待たせー」


 そんな緊張感をラフィさんの声が揉み解した。

寧子と沙都子の前に黄色いワインの入ったグラスがそれぞれ二脚供出される。


 全高は16センチ程度。

寧子がいつも家で使っているワイングラスとは違い、レッグが短く、ボウルは卵のような流線型を描き、先端がややすぼまっている。


「国際規格のティスティンググラスだよ。日本酒でもなんでも、このグラスでティスティングできるんだ」


 店のオーナーである羊子さんが、目を丸くしている寧子へ丁寧に説明してくれた。


「じゃあ、沙都子ちゃん、はじめて! 寧子ちゃんは私と一緒にやってみようか」

「あの……そもそも”ブラインドティスティング”ってなんのことなんですか……?」


 たぶんこの場にいる三人は意味が分かっている。

寧子は恥ずかしさを覚えながら正直に聞く。


「あっ……ご、ごめんね。分からなかったよね……。”ブラインドティスティング”ってのは銘柄の情報を隠して、グラスに注がれたお酒を分析したり、表現したりして、具体的な銘柄を当てることなんだ」


 あまりに申し訳なさそうに羊子さんが言うものだから、逆に寧子自身が申し訳ない気持ちになってしまった。


「あ、いえ! 教えてくれてありがとうなのです。情報を隠す……だから、ブラインドなのですか?」

「そうそう! そういうこと! 先入観にとらわれず、感じたことを自分の知識と照合して、銘柄を言葉で表現して、お酒のことを正確に人へ伝えることための訓練なんだよ」


 羊子さんは椅子を引き寄せて、寧子の真横に座り込んだ。


「で、お酒のティスティングはね、外観から始まって、香り、味わいと進めてく。で、その三つの要素から感じ取って表現したことを足し算していって、原料とか、酒質を見極めて行くんだ」


 羊子さんの声は穏やかだし、素人の寧子にもわかるように、ティスティングというものに関して分かりやすく教えてくれている。

しかしどうにも緊張が拭い去れない。

そもそも、寧子には自慢できるような知識もないし、特別表現力が豊かというわけではない。


「わ、わたしなんかにできるですかね……?」


 寧子が不安げにそういうと、羊子さんは優しい笑顔を浮かべた。


「大丈夫、できるよ。お酒が好きって、気持ちがあればね」

「お酒が好き……」


 その言葉が妙に胸に響いた。字面だけではあまり宜しくないように思える。

でも寧子の好きはもっと別で、温かい何かを感じられる好き。

それだけははっきりと認識できた。


「分かったです、羊子さん! ブラインドティスティングやってみるです!」

「よし、その意気だ。じゃあ、左側のワインからティスティングしてみようか。まずはグラスに入っているワインが何色か私に教えて?」


 羊子さんに従って寧子はグラスに入ったワインを見つめる。

 店の控えめな照明に照らされたワインは、黄色く淡い輝きを放っている。


「黄色、ですか?」

「どんな黄色?」

「えっ、それは……」

「じゃあこうしよう。レモンイエロー、イエロー、ゴールド。これ先に行くに従って、黄色が濃いって表現になるんだけど、どのイエローかな?」


 もう一度、ワインへ向かってみる。

ゴールドとはちょっと違う。ではイエローかというと、それもまた少しちがうような。

だからといってレモンイエローよりもやや濃いような。


「やや濃い、レモンイエローですか?」


 カッコつけてもしょうがないと寧子は正直に回答する。


「おっ? 良い表現するね! うん、私もこれはレモンイエローでもイエローでもなくて、やや濃いレモンイエローだと思ったよ」


 ワインに詳しそうな羊子と一緒な意見で、寧子の胸が高鳴る。

まだ緊張はしているけれど、少し楽しさを感じた。


「今度はグラスを持って傾けて、色にグラデーションがあるか見て。そしたグラスの中で液体を回してグラスの淵に付けるんだ。そうして液体がどんな風にグラスの内側を伝て行くか教えて」


 言われた通りグラスの脚を持って手に取り、僅かに傾ける。

 色は中心にしっかり黄色があって、外に行くに従って淡くなってゆく。


 これはグラデーションがあるとみて良いのだろうか。


 とりあえずもう一つの指示の通り、グラスの中でワインを回して、淵にまんべんなく付けた。

 淵に着いた液体が、まるで涙のようにトロッと、軌跡を描きながら押してゆく。


「中心の黄色から外に行くに従って色が薄くなってますです。グラデ―ションはあるですかね? で、落ちる液体はちょとトロッとしています」

「うんうん、良いよ、良い感じ。じゃあいままでの情報を足し算して、このワインが”濃い印象”なのか”薄い印象”なのかと言われたらどっち?」

「濃い、ですね」

「オッケー。寧子ちゃんは外見からこのワインの濃さをしっかりと感じたってことだよ。この場合の濃いってのは、健全で成熟度が高い、良いブドウをつかってる元気なワインって判断ができるよ」

「なるほど!」

「じゃあ、次は香りに移ろうか。その前に一つ!」


 早速香りを嗅ごうとしていた寧子を羊子の声が遮る。


「第一印象を大事にしてね」

「第一印象?」

「匂いを最初に嗅いだ時のね。かっこつける必要はないよ。甘そうだとか、すっぱそうだとか、そういうので良いの。でもきちんと第一印象をしっかり持つことだけは忘れないでね」


 改めて寧子はグラスに鼻を近づけた。


「ッ!!」


 途端、これまで感じたことの無い、しかし幸福感を抱かせる良い匂いを感じた。


 良い匂い――もう少し突っ込めば、熟したフルーツのような、甘みのある香り。


(第一印象をしっかり。第一印象をしっかり!)


 そう念じつつ改めて匂いを嗅ぐ。

 

 熟したフルーツ、ちょっとグレープフルーツに近い。しかしそれだけは無い。

少しココナッツミルクのようなあまやかな香りも存在している。

だけども、それだけでは何となくもう一つ何かが足りない。


「グラスを回してみて。そうすると隠れた香りが出て来るよ」


 羊子のアドバイス通りにグラスの中でワインを回し、再びスンスン匂いを嗅ぐ。


「あっ……ハーブなのです」


 自然とそんな言葉が湧き出てた。

羊子さんは笑顔で頷く。


「凄いね。うん、その通り。ハーブみたいな匂いがするね。他にの新芽とか、セルフィーユなんて具体的に表現しても良いよ」


 セルフィーユとはフランス料理によく使われるセリ科のパセリに似た香草の一種。

そんなことを前にクロエが言っていたような気がする。

しかし香りを嗅いだことがないので、表現として思い浮かばなかった。


(今度、クロエに用意してもらうですかね。あいつ張り切りそうなのです)


なんとなく嬉しそうに用意してくれそうなクロエが頭に浮かんで、寧子はほっこり温かい気持ちを得た。


「よし、じゃあ寧子ちゃん、味わいに移ってみようか」

「はいです。何か、注意点ありますか?」

「ワインで一番重要な味覚は”酸味”なんだ。白ワインの場合は、酸味と同時に甘みの強弱をとって、バランスを見て行くんだ。赤ワインの場合はここにタンニン分……渋さと苦みを加えて考えるんだよ」


 羊子さんは人差し指と親指でUの字を形作る。


「この指を人間の舌って考えるとね、先端は甘味を感じて、側面の左右は酸味を感じやすいんだ。それで舌の中央からやや奥は苦みピンポイントで取ることができる。ちなみに渋さは頬の裏側や、歯茎で取ると分かりやすい。こうして口の中で液体を回して、何を感じ取るかが重要だよ」

「わかったです」

「順番としては、香りと一緒で”第一印象”をしっかり。これをアタックっていうよ。このアタックから、舌先の甘み、液体を左右に分けて酸味を取って、もう一度舌の中心からやや後ろに回して苦み。飲み込んだあとに、口の中に残る”余韻”の長さを取る。これが味わいの取り方の基本だよ」


 ちょっと難しそうだがやってみるしかない。

寧子は再びグラスを手に取った。

淡い桜の花びらのような唇をグラスに付け、煌めきを放つレモンイエローのワインを口へ含む。


 第一印象――アタック、それは寧子の少ない語彙で表すなら”強い”だった。

 甘やかなココナッツミルク、熟したフルーツ、そしてハーブの香りがぶわっと口の中に広がり、インパクト感じさせる。

甘みはシュヴァルツカッツなどに比べて、明らかに無い。しかし全くないとも言い切れない。微妙というよりは絶妙と表現すべきか。

しかしここで立ち止まっても先は長いので、口の中で液体を二つに割った。


 舌の左右の側面に当て、酸味を感じる。

そうして今、口に含んでいるワインが意外なことに、シュバルツカッツよりも酸味が弱いということに気が付く。

酸味はあるがカッツのソレに比べるといくらか柔らかく、心地よい印象。

形容詞をつけるなら”なめらかな”が妥当なような気がする。


 再び液体を一つに合わせて、舌の中心からやや奥へ置く。

ほんのりと、しかししっかりと存在感を現す苦み。

苦いといっても、今すぐ吐き出すようなものではなく、どことなく旨みのようなものを感じて不快感はない。


 そうして口の中を一周回したワインを飲み込んだ。

残り香がいつまでも口の中に滞在し、甘み・酸味・苦みが時間を追うごとに、舌の上に集まって存在を少しずつ消して行くのが分かった。


「どう?」

「すごく、その、良いですね。コレ」


 思わず突き出た言葉に、羊子さんはにっこり微笑んだ。


「じゃあ、味わいの表現聞かせて」

「はいです。甘みは全くないわけじゃなくて、それでもちょっとあって、”絶妙”です。酸味は”まろやかで気持ちよかった”です。苦みなんですが、ちょっとあって……」

「おっ? 感じたの?」


 少し羊子さんはびっくりした様子を見せる。


「は、はい。ほんの少しだけ。嫌な苦みじゃなくて、美味しい苦みって言いますですか。変な言い方ですけど……」

「寧子ちゃん、ホント凄いね。良い感性持ってるよ! 余韻はどうだった?」

「余韻は、長いって言えば良いですかね? さっきまで香りと味が口の中に残ってましたですから」

「ねぇ、寧子ちゃんって、ご家族の誰かが有名なソムリエさんだったりとかする?」

「そ、そんなことないです。普通のサラリーマン家系ですよ。お父さんも、お母さんもお酒は強いみたいですけど……」


 父親がちょっと変わり者、とう点だけは隠しておいた。


「寧子ちゃん、感性は鋭いし、表現も適格だしホント凄いよ。わたしなんて最初の頃、ティスティングをしてもチンプンカンプンだったからね」

「そうなんですか?」

「このままきちんと訓練を積んでゆけば、寧子ちゃんは良いソムリエかテイスターになれるかもね。じゃあ、いままで感じたことを足し算して、このワインが”どんなブドウ品種”を使っていて、どこの国で作られて、どれぐらい年月が経っているか分かるかな?」


 ここに来て羊子さんはちょっと意地悪な質問を投げかけてきた。

だからこそ寧子は、


「それは……わかんないです」


 嘘は良くない。知らないものは知らないとキチンというべき。知ったかぶりなんて一番恥ずかしいこと。

分からないことは、自分で調べるべきだし、必要あらば教えを請うべし。

ずっとそう両親に教えられてきた寧子は正直に答えたのだった。


「潔いね」

「嘘は良くないのです。カッコつけて嘘を付くよりも、分を弁えて正直にあるべきなのです」

「寧子ちゃんって可愛い雰囲気なのに男前だね……まるで拳さんみたいだ……」


 羊子さんは綺麗な顔に少し朱を差して、寧子以外の誰かを思い浮かべている様子だった。


「羊子さん? どうしたですか?」

「あ、ひゃあ! な、何でもないから! ええっと、それじゃ、これでティスティングのレクチャーはお終い! もう一つ方は自分でやっみてごらん!」


 羊子さんに促され、寧子はもう一杯のワインに向き合う。


(やってみるです!)


 寧子はグラスを手に取り、そして一人でティスティングを始めるのだった。

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