第10話ようじょ、ワインの抜栓に感動し、そして奔走する


【ワインバー:テロワール】の営業時間は17:00~23:00

特別なイベントが無い限り、木曜・日曜日はお休み、ということらしい。


 自慢は日替わりのおすすめグラスワインと、それに合わせたラフィさんのお手製のおつまみ。


 今日の日替わりはワインは”カリフォルニアのシャルドネ”と”特製マヨネーズのポテトサラダ”とのこと。


 そんな内容が可愛らしい字体で書かれた黒板を寧子はダンジョンのような店先に出す。

そして彼女にとって人生初のアルバイト勤務が始まったのだった。


筆記体で”テロワール”と書かれた黒いエプロンを身に付けて、お客を待つ。

開店してから三十分ほどして、ようやく二名の男性サラリーマンが入店して来た。


 どうやら常連なのか、ラフィさんとの親しい間柄なのか、フランクな挨拶を交わして席へ着く。

 するといつの間にか銀のお盆にボウルが少し大きめな二脚のワイングラスと、なで肩のワインボトルを乗せた沙都子が颯爽と席の脇に立った。


「こんばんは。本日最初のお客様ですので、ホストティスティングお願いできますか?」


 サラリーマンは慣れているのか「良いよ」と、軽く応答する。

 沙都子の背中に、俄かに緊張が走ったようにみえた。

それでも彼女は手慣れた手つきでグラスを起き、ボトルのラベルを見せる。


 2016年のアメリカ カリフォルニア州のシャルドネを使った白ワイン。


沙都子は”ロバートなんちゃら”とか人の名前っぽいものを言ったり、、カリフォルニアの太陽の恵みとか、色々言ってはいた。

しかし初めてのアルバイトで緊張しっぱなしの寧子は上手く聞き取れていなかった。


 沙都子は腰に付けた長細い皮のケースから、十数センチ程度のナイフのようなものを取り出す。


「ラフィさん、あれなんですか?」

「ソムリエナイフだよ。あれが一番開けやすいの」


 寧子の問いにラフィさんは少し控えめな声で答えてくれた。


 沙都子はソムリエナイフから三日月のような刃を展開し、ワインのキャップシールに添える。

慣れた手つきで刃を何回か過らせれば、キャップシールに綺麗な切れ目が刻まれる。

そして垂直に切り込みを入れ、その間に刃をぐりぐりと潜り込ませる。

ワインの頭を覆っていたキャップシールが綺麗に取り除かれた。


(なんか、凄くかっこ良いのです……!)


 ただ刃でキャップシールを切って、剥がしただけ。

だけども、沙都子の手際があまりにも鮮やかで、迷いが無く、その姿が寧子にはカッコよく見えたのだった。


 

 次に沙都子は刃をしまってソムリエナイフの中ほどから”先のとがったらせん状のスクリュー”を立てた。丁度Tの字のように変形したソムリエナイフ。

沙都子はナイフの本体をそっと握り、螺旋状のスクリューをボトルのてっぺんに押し当て、時計回りに回し始めた。。

 キュッキュと、軽快な摩擦音を響かせながら、スクリューがねじのようにボトルの中へと沈み始める。


 沙都子はスクリューの殆どが沈み込んだことに安堵し、今度は刃とは反対側に付いている”先端に段差のある長い金具”を開いた。


 本体とは丁度90度の角度。

長い金具の段差をワインボトルのてっぺんにひっかける。

そして沙都子はソムリエナイフの本体へ上向きの力をかけ始めた。

 

「ほぉ……!」


 思わず寧子は関心の声を漏らした。

ワインボトルから、まるで生えるようにコルクが持ち上がり始めたのだ。


(梃子ですか。ボトルのてっぺんにひっかけた金具が支点になってるのですね)


 ”ポン”とスパークリングの時ほどではないが、軽快な音を響かせながら、ワインからコルクが抜けた。


 思わず寧子は拍手を送ろうとするも、場の雰囲気はまだそんな感じではなかった。

 沙都子はスクリューに突き刺さったコルクを手早く、何回も捻って抜き、男性客のワイングラスへ少し注ぐ。

 男性客はグラスを手に取り、少し注がれたワインを鼻へと近づける。

香りを嗅いだ彼は、満足そうに微笑んだ。


「良い味です。大丈夫です」

「ありがとうございます」


 沙都子は丁寧に礼を言い、もう一人の男性客へワインを注ぐ。

そして最後にティスティングをお願いした男性客のグラスを黄金色のワインで満たしてゆく。


「い、以上です。ご協力、ありがとうございました……」


 ようやく沙都子は緊張を時、緩い声を吐く。

すると男性客は拍手を送り、それぞれ労いの言葉をかけていた。


 そして寧子は、もはや神をみるような視線を沙都子へ送っていた。


(ソムリエなのです! 本物のソムリエなのです! カッコいいのです!!)


「ラフィさん、どうでしたか……?」


 沙都子は少し不安げに、寧子の後ろのカウンターにいるラフィへ聞く。

彼女はニコニコと笑顔を浮かべているが、男性客のように拍手を送ってはいなかった。


「んーと、60点。まずコルクを抜いたとき、音を立てたのが凄くマイナスかな。あと、ソムリエ側もお客さんに提供する前にちゃんとティスティグしようね。酸化はまぁ可能性少ないだろうけど、ブショネは1%の確率であるからね。あっ、キャップシールとを切った後に拭かなかったのもダメかな。キャップシールの屑がワインに入ったらどうするの?」


 寧子はラフィさんが何を指摘しているのは半部以上分からない。

しかし、あれだけ鮮やかな手際だった沙都子が、叱られているのだけはなんとなく理解できた。


「す、すみません……」

「試験だと絶対に不合格になっちゃうから気を付けようね。っていうか、それじゃお客さんに失礼だよ。今日は何事もなかたからよかったけど」

「はい。気を付けます……」


 あんな綺麗な動作で60点。

ソムリエの世界は厳しいのだろうし、ラフィさんは見た目とは相反して、仕事にはとても厳しい人だと感じる。

きちんと仕事をしないと、と背筋を伸ばす寧子なのだった。


「ほら寧子ちゃん、ワイン注ぎ終わったよ。サラダ出して出して!」

「は、はいなのです!!」


 ちょっとラフィさんに恐れを感じた寧子は、飛び出す様にポテトサラダの入ったキャセロールを盆に乗せて運ぶ。

よたよたと危なっかしく歩き、何とか席に到着して、ポテトサラダを配膳する。


「ポ、ポテトサラダになりますなのです!」

「えっ? 君って……ラフィさーん、この子がお子さんですかぁ?」


 おそらく子供のような寧子の風貌に、男性客がふざけたように叫ぶ。


「うちはの拳一(けんいち)は男のですよ! それにここまで大きな子供がいるほどおばちゃんじゃないですから! その子は今日からうちで働いてくれてる新人の子です!」

「い、石黒 寧子と申しますです! 不束者ですが宜しくお願いしますのです、はい!」


 寧子は無我夢中で叫ぶように名乗り、腰を45度以上に折って、ペコリとお辞儀。

 すると男性客は「初々しくていいね」とか「頑張って」とか、暖かい声を掛けてくれた。


「いらっしゃいませ!」


 そんな中、まっさきに沙都子が声を上げた。

シックな木製の扉が開いて、新しいお客が入店してくる。


「さぁ、沙都子ちゃん、寧子ちゃんこっからが本番だよ! 今夜も気合入れてこー!」

「はい!」

「は、はいなのです!」


 ラフィさんの宣言は戦国時代あたりの合戦の開始を告げるほら貝の音だった。


「寧子ちゃん、チーズプレートあがったよ! 三番さんと五番さんのお皿を下げて!」

「はいなのです!」

「カウンターの五番さん、呼んでるよ! はい、ポテトサラダとレバーパテのピンチョスお待たせ! ああ、あとそれが終ったら新しいグラス用意して! ちゃんと磨いてね!」

「ほらさーなのです!」

「お会計入るよ! ちょっとお鍋見てて! 三十秒で戻るから、そのまえに煮立ったら火を止めて! で、冷蔵庫からポテトサラダも出しといて、盛りつけておいて! ブラックオリーブを添えるの忘れないでね!」

「あ、あいあいなのです!」

「寧子ちゃーん!」

「いえっす、まむ!」


 ラフィさんは押し寄せる料理のオーダーをてきぱきとこなし、会計には飛び出して、更には寧子や沙都子へ的確な指示を送る。

沙都子はドリンクのオーダーとおもてなしで手いっぱい。


 今日入店したての何のスキルも無い寧子は、配膳から片付け、洗い物から新しいグラスの準備にとあらゆる雑用に奔走する。

 小さく凹凸の少ない寧子の身体は通路幅の狭い店内に、悔しいことながらマッチしていた。

 寧子は身軽にテーブルの間をすり抜けて、てきぱきと仕事をこなしてゆく。

ラフィさんの指示にも迷わず即応答。

 高校時代、がっちがちの体育会系で良かったと、今日ほど思う日は無かった。


 客入りは上々で片付けが終れば、また新しい客がやってきて、席があっという間に埋まってしまう。

辺鄙へんぴな地下にあるワインバーは、意外と盛況なようだった。


「あっ……」

「セラールームにまだワインあるよ! たぶんあと三本くらいは空きそうだから出しといて!」


 中途半端な量しかワインを注げなかった沙都子へ、ラフィさんは包丁でパセリを刻みながら叫ぶ。

 まるで頭の上に目があるのか、それともこの店全体がラフィさんの目なのか。もしくは固有な結界の何がしなのか。

そんなことを思いつつ、寧子は初めてのアルバイトにひた走る。


「ラフィさん、ラーメン食べたい!」

「はいよ! じゃあ今日は味噌ね! チャーシューもおまけしちゃうよ!」


 食堂のようなオーダーにもラフィさんは受け答える始末。


(このお店ホントにワインバーですか!?)


 そんな突っ込みを心の中で入れつつ、寧子はほぼ閉店まで店の中を駆けまわるのだった。


「たはぁ~……」


 店がクローズして五分後。寧子はすっかり片付けが終り、落ち着きを取り戻した店内を帚かけしながら安堵の息を着く。

疲労感はあるも、どこか清々しい気分を感じる。

これが労働。

 大変だけど嫌な気分じゃない。寧子はそう思うのだった。


 そんなことを思っている時、目の前の入り口の扉が開く。

 そこには沙都子よりも更に大人な、立派過ぎる胸をスーツの裏に隠した綺麗な女性が佇んでいた。


「お客様、当店は既に閉店しておりまーす。お引き取りくださーい」


 カウンターでグラスを磨いていたラフィさんは、少しふざけた口調を響かせる。

すると彼女はポニーテールの頭を掻き、苦笑いを浮かべて、


「ごめんごめん、仕事が長引いちゃって。オーナー権限で、一杯お願いできるかな、店主さん?」

「もう、ムーさんったら、そういうときばっかり……寧子ちゃん、その職権乱用のお客様、ご案内して差し上げて!」

「おや、君は?」

「い、石黒 寧子と申します! 今日からここでアルバイトしてますです!」


 たぶんラフィさんとは凄く親しい仲だと思って、”ムーさん”という人に挨拶をした。


「そうなんだ。入店してくれてありがとね。もしよかったらこれからもラフィを手伝ってくれたら嬉しいな。私は御城おしろ羊子ようこ。宜しくね、石黒さん」

「御城って、もしかして……?」

「社長さんだよ。酒屋でOSIROってあるでしょ? あそこの。あと、ここのオーナー」


 寧子の疑問にラフィさんが応えてくれる。

 

 オーナーということはこの店でラフィさんよりも偉い人で、しかもここ最近よくお世話になっているOSIROの経営者。

そんな人にまさか出会うとは思っていなかった寧子は、背筋が伸びる感覚を得た。


「羊子さん、お久しぶりです!」


 店の奥でワインの在庫をチェックしていた沙都子が、パタパタと駆け寄ってくる。

少し興奮しているのか、顔が僅かに赤みがかっていた。


「やっ、沙都子ちゃん。元気でやってる? ワインの抜栓は上手にできるようになった?」

「はい! いつもラフィさんに指導して頂いてます!」

「そっか、それは良かった」

「ムーさん、座るなら早く座ってくださいよ!」


 ラフィさんが少し不満げな声を上げると羊子さんは「ごめんごめん」と云いながら、カウンター席に付いた。


「お疲れ様ですムーさん。今日はどうしますか?」

「そうだね……」


 羊子さんは少し考え、カウンターを丸椅子をくるりと回して、寧子を見た。


「ねぇ、寧子ちゃんはお酒飲める人?」

「は、はいなのです!」


 寧子が応えると、羊子さんはにっこり笑顔を浮かべた。


「じゃあ、今日は寧子ちゃんの入店祝いってことでアレ、開けちゃおうか」

「おおーふとっぱら!」

「こういう時にワインはあるからね。みんなで飲もうよ。あと、沙都子ちゃん用のアレも抜栓して」

「ひさびさにやるんですか?」

「うん。沙都子ちゃんの成長度合いもみたいしね」

「わかりました!」


 ラフィさんは納得したように笑顔を浮かべて、店の奥にあるセラールームへ入ってゆく。

そして羊子さんは沙都子をみながら、、


「沙都子ちゃん、久々にブラインドティスティングやろうか! もしよかったら寧子ちゃんも一緒に!」



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