第12話ようじょ、ブラインドティスティングに挑戦する【実践&解答編】


  羊子からブラインドティスティングの指導を受け、自信を付けた寧子は一人、もう一杯のワインに向き合っていた。


 まずは外観のチェック。


 レモンイエロー、イエロー、ゴールドで考えると目の前のワインは”イエロー”と表現できた。

ティスティンググラスの脚を持ち、少し傾けてグラデーションのチェック。

 指導を受けながらティスティングした最初のものよりも、黄色味ははっきりとしていたが、色合いが均一でグラデーションは無いように感じられる。


 液体をグラスのなかで回して内側に滴を垂らす。

一杯目よりも遥かに粘度があるようにみえた。


(これも成熟度が高いブドウを使った元気なワイン、っていうことですね)


 次いで寧子は”第一印象をしっかり”と何度も念じながら、グラスを鼻に近づける。


「ッ!!」


 香りが電流のような衝撃を感じさせ、身体が震えた。

 香りが記憶を掘り起こし、結びつける。


(ライチなのです!)


 一番強く感じるのはライチのような甘やかでスパイシーな香り。

もはやそう思いこんでしまうと、それ以外の匂いがしないような気がする。

それでももう一度匂いを確認してみようとグラスを回して、再び鼻を近づけた。


 相変わらずライチの香りが支配的。

しかしどこか別の匂いも感じる。爽やかで、酸味を感じさせる印象から、寧子は大好きな柑橘系のフルーツを連想する。


(ライチやグレープフルーツが一緒に盛られたお皿とか、そんな感じですかね? 良く嗅ぐとちょっとお花のような香りもあるのです)


 ワインを口へ注げば、舌先が僅かに甘みを感知する。

今度は液体を左右に分けて酸味を取る。一杯目よりも少し強めに感じるも、やはりシュヴァルツカッツ程ではない。

”さわやか”が適当だと思った。


 液体を再びまとめて舌の中心からやや奥へ置く。

 ライチの豊潤な香りと共に、果皮のような苦みを感じた。

僅かに頬の裏側の粘膜が引き締まるようか感覚があって、コレに寧子は香りと同時に覚えがあった。


 飲み込むと豊潤な香りと味がすっと抜けて行く。

一杯目よりも明らかに余韻が短かかった。


(このワインってもしかして……?)


 寧子がかつて口にしたワインとは少し違う。

しかし共通項は幾つもある。これは一杯目のように明らかに分からないものではないように思えた。


「終わりました」


 その時、正面でずっと真剣にブラインドティスティングに挑んでいた沙都子の、凛とした声が響くいた。


「寧子ちゃんはどう?」


 見守っていたラフィさんへ寧子も「大丈夫です」と、告げる。


「じゃあ、沙都子ちゃん、一杯目と二杯目、簡単に所見を言いながらブドウ品種、生産国、ヴィンテージを教えて」


 ラフィさんに促され、沙都子は一息ついて艶やかな唇を揺らし始めた。


「やや濃い目のイエローの外観。粘性もあり非常に成熟度の高いブドウを使っています。香りではっきり感じる、樽由来のココナッツミルクと、熟したグレープフルーツ、ハーブやセルフィーユを思わせる爽やかさ。味わいのアタックははっきりとしていて、酸もきちんとあり、コクのある苦みも存在します。余韻は長く、リッチ。温度はやや低めの11℃~14℃程の方が、香りと味わいのバランスが良いような気がします。グラスは小ぶりのもので良いですけど、ちょっと大きめの香りが立ちやすい物もいいかもしれません」


 沙都子の流暢な表現に寧子は鳥肌を感じ、ラフィさんと羊子さんは満足げにうなずいている。


「じゃあ、一杯目のワインは何?」

「ブドウ品種は【ソーヴィニョンブラン】生産国は【アメリカ】ヴィンテージは【2015年】 以上です。

「りょーかい。じゃあ、二杯目行こうか?」


 ラフィさんがそう促すと、さっきまで自信満々だった沙都子の表情が僅かに歪んだ。


「えっと……外観はイエローです。グラデーションはあまりなく、粘性はしっかりと、成熟度が高い。香りは、レモン・グレープフルーツと、ちょっと白コショウのようなスパイシーさ、ライチのような……味は甘さが少しあって、酸味は爽やかで、少し収れん性と苦みも感じて、えっと……」

「答えは?」

「あのぉ……ヴィオニエ……い、いえ、その……わ、わかんないです……」

「よし偉いよ。分かんないものはきちんとわかんないってしないとね。沙都子ちゃん、ヴィオニエなんてまだ飲んだことないでしょ?」

「はい……経験不足ですみません」


 やっぱりラフィさんって可愛い顔して、かなり厳しい人。

オーナーの羊子さんも、「はははっ……」と乾いた笑いを上げている。

改めてそう感じた寧子は、背筋をピシッと伸ばすのだった。


「じゃあ今度は寧子ちゃん、いってみようか」

「は、はいぃ!」

「ラフィ、寧子ちゃんは初めてなんだからお手柔らかにね」


 羊子さんの優しいフォローにラフィさんはにっこり微笑み「もちろん! わたしそんな鬼じゃないですよ?」と答えた。


「寧子ちゃん、どうぞ」

「ええっと、一杯目は……割と沙都子ちゃんと一緒です。でも、わたしこのブドウ品種のワイン知りません。だけど、香りと味とか、バランスが凄く良くて、とても良いもののような気がします」

「なるほど。じゃあ二杯目は?」


 ここに来て、緊張感が最高潮に達する。

しかし殆ど経験のない自分が、答えても良いのかどうか。

そんな迷いを察してくれたのか、羊子さんが肩を叩いてくれた。


「大丈夫。ラフィは確かに厳しいけど、ちゃんとジャッジしてくれてるだけだから。間違えて恥かくのも経験だよ」

「羊子さん……」

「なんか寧子ちゃん、このワインのこと分ってるみたいだから、私、寧子ちゃんの表現聞いてみたいな」


 羊子さんの優しい声に後押しされて、寧子の自信が沸く。

寧子はまるでラフィさんへ挑むように唇を開いた。

 そしてやや濃い目の白ワインに向かった。


「外観はやや薄めのイエローです。グラデーションは殆どないです。粘性があり、成熟度が高いです。第一印象ははっきりと感じられるライチ。ですけど柑橘系のフルーツ……ちょっとライムの雰囲気に近いです。あとほんの少し、白いお花のような香り」

「へぇ……!」


 ラフィさんはちょっと意外そうな、驚いたような声を上げていた。


「甘みはほんのわずかに。爽やかな酸味と、ちょっとだけどしっかりとした苦味と渋みを感じるです。全体的にスパイシーな印象です」

「それでそれで、答えは?」

「生産国は【わかりません】ヴィンテージなんかも【わかりません】だけどこのワインのブドウ品種は――」

「ブドウ品種は!?」

「【ゲヴュルツトラミネール】!」


 寧子がこの間、佐藤に進められて購入したワインに使われていたブドウ品種を、声高らかに告げた。


 もしラフィさんに尻尾があったらブンブン横に振れていただろう。

そう思わせるほど彼女は興奮した様子でタタッと、カウンターへ駆けて行く。


「寧子ちゃん、大正解! 二杯目のワインはフランス・アルザス地方のゲヴュルツトラミネールだよ!」


 ラフィさんはカウンターから細長い瓶を手に取って、嬉しそうにそう叫ぶ。

 ちょっと怖く感じていたラフィさんに褒められて、嬉しさのあまり寧子の頬が真っ赤に染まる。


「で、最初のワインは……」


 ラフィさんがカウンターから出したのは、いかり肩のワインボトル。

ワインといえば、こういうのを想像する、と言ったものだ。

 ラベルにはびっしりと筆記体で英文字が描かれている。

なによりも一番目を引いたのが、ラベルの上に描かれた銀色に輝く翼。


エールダルジャン!?」


 クールな沙都子が叫び、洋子さんはしてやったり、と言った風に微笑む。


「今日は寧子ちゃんの入店祝いだからね」

「よ、良かったんですか?」

「ワインはみんなで楽しんだ方が良いじゃない」


 なんだか、この銀の翼が描かれたワインは結構すごいものらしい。

しかしどう凄いのか、寧子は分からずきょとんとしていると、


「沙都子ちゃん、寧子ちゃんにエールダルジャン説明してあげてね。ちゃんと寧子ちゃんが理解できるよう、分かりやすく!」


 ラフィさんにそう云われ、我に返った沙都子は咳払いをした。


「えっと、これは世界的に有名な高級ワイン産地、フランス:ボルドー地方のワインです。このボルドーには沢山のワイン醸造所がありますが、その中でも61個の選び抜かれた醸造所――シャトーがあります。これを61シャトーと言います」


 話の前段階なのに、寧子はドキドキ始めていた。


「この61シャトーは一級から五級に別れていて、一級はたったの五つ。これを五代シャトーといいますが、その一つ【シャトー・ムートン・ロートシルト】が作る白ワインが、この『エールダルジャン』です」


 五大シャトー。

まるで四天王や、五虎大将、五人そろってなんとかレンジャー。

とにかく目の前にあるワインが、とてつもなく良いものだと思しらされ、寧子の足がガクガク震えだす。


「ち、ちなみに一本のお値段は……?」

「10,000円から15,000円。ヴィンテージが良くない時は9,000円くらいの時は……」

「い、10,000円!?」


 今日の日当よりも遥かにお高いワインに、寧子は叫び、声を響かせる。

 これ一本が寧子の10日分の食費にはなるし、これが三本揃えば、ずっと欲しいと思っていた最新据え置きゲーム機があっさりと変えてしまう。

 寧子は改めて、とんでもないものを口にしてしまったの思い知る。


「よ、洋子さん、本当に良かったんですか!?」

「うん。良いよ。寧子ちゃんにはこれからも頑張って貰いたいからね! これは私からの入店祝いだよ」


(こ、これがお金持ちの余裕ですか……)


 ちなみに寧子が良い当てた【ゲヴュルツトラミネール】も一本3,000円のお値段だった。

ワインの世界は楽しいけど、ちょっと恐ろしい。

そう肌で感じた寧子なのだった。


●●●



「ソーヴィニョンブランはアメリカであっても新樽はあんまり使わないよ。あと、エールダルジャンのセパージュはソーヴィニョンブランを六割、残りはセミヨンとミュスカデルだからグラデーションが出てくる。ボルドーブランもね。対してアルザスは単一品種がほとんどだから、グラデーションはあまり出ない」

「確かに!」


 ブラインドティスティングを終えても、沙都子はエールダルジャンの入ったグラスに視線を落とし、洋子さんの話を真剣に聞いていた。


 寧子はというと、まるで抹茶を頂く様に、丁寧に丁寧にエールダルジャンを味わっていた。


(この一杯で大体1,000円。わたしの一日の食費なのです! ゆっくりゆっくり味わうです)


 ブランドの時も美味しくは思ったが、値段を知った上だともっと美味しく感じる。

 不思議なものだとじっくりじっくり味わっていると、


「ちっくしょー! 拳一とわたしを放って置いて、あの男はぁー!」


 ラフィさんの咆哮が響いて、寧子達は一斉に顔を上げる。

 

 顔が真っ赤で、完全に目が座っているラフィさんは、グラスのワインを一気に飲み干した。

どうやら相当酔っぱらっている様子だった。


「びえぇ~ん! 早く帰ってきてよぉ~! バカ旦那がぁ~!」


 と、カウンターに突っ伏して泣き出す始末。


「ちょ、ちょっとラフィ、飲みすぎ!」

「もう良い! あんな男なんて知らない! わたしにはムーさんがいるもん。ムーさんでいいもん!」

「いや、だから、拳さんに海外赴任お願いしているの、私だから……」

「ムーさん、慰めて! もう良いよ、あんな男! 昔みたいにわたしを好きにしてもいいからぁ!」

「あ、あ! だからあの時は私も酔っぱらってて!」

「ムーさん、抱いて! 前みたいにわたしを激しく抱いて! それで拳一とわたしをあなたの扶養家族にしてぇ!」

「ああ、もう良い大人が学生さんの前で恥ずかしいよ!!」


 ラフィさんはカウンターから身を乗り出して洋子さんに抱き着き、子供のようにワンワンと喚いている。


「二人とも、今日はここまで! そのワイン、持ってって良いから早く帰り……ひゃっ!? ラフィ、ちょっと!」


 羊子さんとラフィさんを放って置いてもいいものかと寧子は思った。

しかし自分ではどうにかできるとも思えなかった。


「お、御言葉に甘えて……帰ろうっか、石黒さん……」


 沙都子ももはや匙を投げている様子だった。


 寧子と沙都子は洋子さんへペコリと会釈する。

洋子さんは必死にキスを迫るラフィさんを押しとどめて、二人へ力強く頷いてみせる。


 寧子は洋子さんの身を案じつつも、沙都子と共にそそくさと店を跡にするのだった。


 ビルの外はすっかり暗くなっていた。

時間は既に日を跨いで一時前。目の前に見える駅も終電後のため閑散としている。


「石黒さん」


 ワインを表現するときとは打ってわかって、沙都子がぼそりと寧子を呼んだ気がした。


「どうしたですか?」

「家、どっち?」


 ちょっと伺うような聞き方。もしかすると沙都子はクールなのではなく、シャイなのではと思った寧子は、


「坂の通り沿いにアパ―トがあるですよ」

「そ、そう……私も、近く」

「じゃあ、一緒に帰りますですか?」

「うん!」


 沙都子は弾むような声で頷くのだった。


「石黒さん、凄かった。私、ゲヴュルツトラミネールなんて飲んだことなくて……」

「ああ、アレは、たまたまです。この間、友達に紹介されて飲んでいたから分かっただけです」

「でも表現も的確で凄かった。私も石黒さんを見習わないと……!」

「何言ってるですか。沙都子ちゃんの抜栓凄く様になってましたし、ワインの表現だって飲み始めてペーペーなわたしよりも凄かったのです!」

「あの……」


 沙都子がまた消えりそうな声を上げ、寧子はしまったと思った。

少し酔っているとはいえ、彼女をついうっかり”沙都子”と呼んでしまった。

しかし下の名前しか知らないので、ならどうやって呼んだらいいかもわからない。

それでも少し馴れ馴れし過ぎるのではと寧子は思った。


「ご、ごめんです。今日やっとまともに喋ったばっかりで、名前読んじゃって……」

「ううん。良いの。気にしてないから。むしろ嬉しかったから、大丈夫」


 沙都子は足を止めて、寧子へ身体を向ける。

やっぱり自分よりも背が高くて、スタイルが良くて、大人びた沙都子は自分とは別世界に生きる人なのではないかと思った。

だけども沙都子は少し硬いけど、笑顔を浮かべる。


「森 沙都子です。よろしくお願いします」

「あ、ええっと……石黒 寧子なのです。わたしのことは寧子で良いですよ!」

「じゃ、じゃあ、私も沙都子で……」

「わ、分かったのです!」


 きっとお酒というか、ワインというものが無ければ、別世界にいるような沙都子とはこうして名乗り合うことも無かったのだろう。

お酒が出会いを生み、世界を大きく広げた。

その事実に寧子は喜びを感じ、もっとお酒を楽しみたいと強く思う。


「そういえばなんでラフィさんは洋子さんのことを”ムーさん”って呼ぶですかね?」

「御城 羊子。ラフィさんによると”シャトームートン”だから”ムーさん”らしいよ。五大シャトーの一つみたいでカッコいいからみたいな?」

「はぁ……?」


 やっぱりラフィさんってちょっと独特。

そう思う寧子の人生初のアルバイト勤務は終わったのだった。

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