第6話ようじょ、アスティスプマンテを知る

【アスティ スプマンテ】


 寧子がネットでみつけて、お金が入ったら一度買ってみようと思っていた銘柄だった。

 イタリアの北部、ピエモンテ州のアスティ県で産出される甘口の発泡性白ワインである。


 発泡性ワインとは、ようするにコーラやビールのように炭酸ガスを含んだ、しゅわしゅわしているワイン。でも、そういうものは”シャンパン”というのでは、と成人になったばかりの寧子でも知っていることであった。


「結構たくさんの人がこのコーナーにならんでる商品をシャンパンっていうんだけど、それはフランスのシャンパーニュ地方ってところで産出されたスパークリングワインだけだ。だから発砲しているワインをなんでも”シャンパン”っていうのは間違いなんだ」


 佐藤はずらりと並んだシャンパン、基、発泡性スパークリングワインがずらりと並ぶ棚を指して、説明をする。


「そうなのですか! しゅわしゅわしているワインってなんでもシャンパンだと思ってたです!」

「まぁ、興味が無いと、どっちでもいい話だけどな。ちなみにイタリアじゃスパークリングワインのことをスプマンテっていう」

「佐藤さん、ワイン詳しいのですね! カッコいいです!」

「お、おう……これでも一応、醸造学科でワイン専攻だから……」


 嬉し恥ずかしと言った具合に、頬を真っ赤に染めて、寧子から視線を逸らす。

 寧子もまた、まるで佐藤を生き字引のように感じて、胸を躍らせていた。


「この辺に並んでるのが全部アスティだ」


 と、佐藤はリカーショップOSIRO(おしろ)の発泡性ワインのコーナーの一部を指し示す。


”Asti(アスティ)”とラベルに絵が描かれた、丸みを帯びた重そうな瓶が何本も並んでいる。


「これが全部、アスティスプマンテなのですか?」

「いろんなメーカーが出しててね。同じ、モスカートビアンコって、ようするにマスカットの一種なんだけど、その白ブドウを使って基本、甘口のスプマンテを作ってる」

「基本、ってことは辛口もあるのですか?」

「17年からイタリアの法律で認められたみたいでな。SEC(セッコ)って付いている奴が辛口だ。まぁまだ飲んだことないけど」


 寧子は辛口と聞いて、先日飲んで大失敗した”ビール”の味を思い出す。

 まだまだお子様口な自分には辛口は早いように思える。

それに一緒に飲もうとしている親友のことを考えると、辛口を選ぶ必要はない。

 そう決めたものの、大半のアスティは甘口で、どれを選んでいいかさっぱり見当がつかない


「これなんてどうだ?」


 と、佐藤が差したのはずらりと並んだアスティの中で”空を飛ぶ二人の天使”が描かれたものだった。


「コレ何年か前に日本で凄く売れた銘柄らしい。味もこの中じゃ、結構甘い方だし」


 実は寧子も気になっていた銘柄だった。ラベルの中で仲良さそうに天使が飛んでいる様子は凄く可愛らしい。さらに、自分よりも遥かにワインというものを知っている佐藤が薦めてきたものなのだから間違いはなさそう。

それに、飛んでいる天使が何となくクロエに似ているようで気に入った。


 勧められるがまま”天使の絵が付いたアスティ”を寧子は購入する。

今は財布が暖かいため1500円もするワインを買っても気にならない。

むしろ、クロエのことを想えば安い買い物。


「ありがとうなのです、佐藤さん。凄く助かったのです。また来ますですね」


 寧子がレジを挟んだが側にいる佐藤へ、心からの感謝を述べた。

彼はもしかすると恥ずかしがり屋なのか、頬を赤く染めて、寧子から視線を外す。


「お、おう。スーパーのバイトは時々で、基本ここにいっから。あと、これももってけ」


 レジ台の下からぶっきらぼうに、名が細い箱を取り出す。

箱の中から出てきたのはまるでフルートのように細長いグラスだった。


「これは?」

「スパークリング用のフルートグラス。景品のあまりだからあんまりいいものじゃないけど。底が深いから綺麗に泡が立ってみえるんだ。ワイン買ってくれた人には付けても良いって店長から許可は貰ってるから……」


 しかも佐藤が用意してくれたのはあえての二脚。

どうやらこれから寧子がしようとしていることを、云わずとも察してくれたようだった。


「ありがとうなのです、佐藤さん。ホント、貴方って素敵な人ですね」

「べ、別に……石黒さんと俺のことを、その、さっきの子に誤解だってきちんと伝えて貰いたいってか……」

「了解なのです! わたしと佐藤さんは、いわば師匠と弟子のような関係なのですから!」


 何故か佐藤が少し残念そうな顔をした気がした寧子だった。


「そういえば佐藤さん、なんでわたしの名字が石黒って知ってるですか?」

「ッ! い、いや、誤解すんなよ! この間年齢確認したときに、見えたからっつぅーか……わ、悪い、少し馴れ馴れしかったな。すまん」


 きっとこの佐藤って人は、一見ぶっきらぼうで怖そうだけど、実は優しくて、気を使いすぎる性格の良い人だと思った。


「良いんですよ。むしろわたしのことをちゃんと覚えててくれて嬉しかったです。それじゃあ改めまして……石黒 寧子(ねいこ)です。良かったらこれからも仲良くしてほしいのです」


 寧子は少し頬に緊張の熱を感じながら、精一杯の笑顔を彼へ送った。


「さ、佐藤 陽太だ。梨東大学の二年、齢は……たぶん一緒」


 恥ずかしがり屋なんだろう彼らしく、そっぽを向いて頬を真っ赤に染めてはいるが、きちんと答えてくれた。


「それじゃあ、また来ますですね! 佐藤さん、チャオ!」


 寧子はクロエの真似をして、イタリアのフランクな挨拶を佐藤へ送って、店を出たのだった。


 早速スマホを取り出して、メッセンジャーアプリを起動させる。




●ネーコ

今からクロエの家に行きたいのですけど、居ますか?


 スタンプ

*首を傾げて、頭にクエスチョンマークを浮かべるを浮かべる可愛くない黒猫




 すぐに既読が付くが、返事は無い。


(まったく、アイツはなんでそんなにへそを曲げているですか……)


 そもそも佐藤との関係が誤解であろうが、真実であろうが、クロエがなんでここまでショックを受けているのか、皆目見当もつかなかった。しかしそれでも自分のせいで親友を泣かせてしまったのは事実。

真意も知りたいし、無二の親友の涙を見過ごせるわけはない。


(おしかけるしかないですね!)


 寧子は愛車の真っ赤な二輪車ベスパのエンジンをキックスターターで火を灯し、アクセルを捻って夕闇に染まりつつある街へ、ポップコーン製造機のようなエンジン音を響かせる。


 ネットでアスティを見た時”デザートやフルーツ”との相性が良く、本場イタリアでもクッキーと一緒に出されるという。

 そんな記憶と、クロエの大好物が頭の中で結びついた。

街でも評判なケーキ屋で、季節限定の”シャインマスカット”のショートケーキを二つ買って、再びベスパを走らせる。


 寧子のアパートがある坂道を更に昇った山間の高級住宅街。

 そこにクロエの家がある。


 寧子は坂道で悲鳴を上げるベスパへ、アクセルの鞭を叩いて走らせる。

そうして自分のアパートを横切った時、先の空き地でUターンをして引き返した。


(アイツ、なんであそこにいるですか?)


 寧子の住むアパートの二階の入り口。

分厚い鉄扉の前には何故か体育座りをしているクロエの姿があったのだった。

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