第3話ようじょ、スーパーのお酒コーナーに立ち入る


「にゃむ……はっ!?」


 光りが瞼を赤く染めて、 寧子は突っ伏していた炬燵から上半身を起こした。

遮光カーテンの僅かな隙間から、眩しい陽の光が差し込んでいる。

セットしっぱなしだっスマホの目覚ましアラームが鳴り響き、朝の六時をけたたましく知らせて来る。

そうして寝起きのまどろみで身体をゆらゆら揺らしていると、机の上にいる黒猫のイラストと目が合った。


 とても美味しく、感動的な出会いを果たしたシュヴァルツカッツの白ワインは、すっかり空っぽになっていた。

まさか一晩で、しかも初夜の筈なのに、自分の戦果に寧子は感慨深いものを感じる。

これだけ飲んでも噂に聞く激しい頭痛と吐き気を伴う”二日酔い”というものの感覚は無い。


(さすがお父さんもお母さんも姉さんも酒豪の家系なのです。やっぱりわたしも……!)


 まるで自分が選ばれしものなのか、チート級の力を与えられた特別な存在のような、そんな嬉々とした感覚が沸き起こる。

 まだまだ黒歴史である中二病から卒業しきれていない寧子は、どっこいしょといった具合に立ち上がった。



 寧子は殆ど口を付けていないビールと缶酎ハイに勿体なさを感じつつも排水溝へ流す。

食べつくしたチーズや、サラダの残骸を片付けて、気付けにと残ったミネラルウォーターを飲み干す。

そしてスマホを手に取って、昨晩は未使用だったベッドへ仰向けに飛び込んだ。


気になったことはすぐに検索するのが癖な寧子は、トップの検索エンジンの欄をタップする。

SYU《シュ》と打つだけで、予測変換でシュヴァルツブレイドやシルト、はたまたブルーダーやマーケンといった予測変換が真っ先に表示される。


(もうスマホもわたしの黒歴史を忘れて欲しいのです……)


苦笑いを堪えつつシュヴァルツ以降をポチポチ消して”猫(カッツ)”とカタカナ入力すれば、ずらりと並ぶ検索結果。


 とりあえず某超巨大インターネット通信販売会社をクリックした。




【商品名】ツェラー シュヴァルツカッツ2017

【価格】1,400円

【概要】初心者でも飲みやすいドイツの白ワイン! 華やかな香りとほんのり感じる甘みは好感を抱くこと間違いなし!




(これは本当は1,400円もするのですか。昨日買ったコンビニでは半額セールだったですかね?)


 1,000円台だと少し高く感じてしまった寧子は、少し残念な気分になっていた。

そんな中、最下段の”関連商品”のところに目が留まる。


 1,000円台で、甘口と表記されている白ワイン。

そして何よりも目を引いたのが、


(聖母の乳?)


 またまた封じらていた寧子の黒歴史の扉が開かれた。

導かれるように寧子は”微笑む聖母”が描かれたワインボトルの画像をクリックする。




【商品名】リープフラウミルヒ2017

【価格】1,040円

【概要】ドイツで親しまれている白ワイン! リープフラウミルヒとは産出された地域の教会に由来し”聖母の乳”の名を冠しています。ほんのり甘く、親しみやすいこの一本を是非!




(こんなのもあるのですね。シュヴァルツカッツと同じ雰囲気のものですかね?)


 興味は湧く。しかし今月は既に生活費的にピンチ。購入を諦めた寧子は画面をスクロールさせ、関連商品を見て漁る。

深く潜れば潜る程、高く訳の分からない酒が姿を現す。

いい加減飽きた彼女はぱたりと枕へ頭を投げて、二度寝を決め込むのだった。



●●●



 休日を殆ど寝て過ごした寧子は、そろそろ一回外の空気を吸わねば不健康だと思った。幸い、主食であるお米が切れている。

基本的には省エネ思考であまり無駄なことはしたくない寧子だったが、今日は”お米の調達”という大義名分がある。


 のっそりと起き上がった寧子は髪を整え、パジャマを脱ぎ捨てる。

成人を迎えても相変わらずほぼ凹凸のない自分の身体にため息を着きつつ、仕方なく子供服売り場で買った青い横ストライプのTシャツを羽織った。

 デニム生地のホットパンツ代わりに買った、これまた子供の用の半ズボンを履く自分にもう一つため息。


(いや、わたしは昨日から大人なのです! お酒だって昨日飲んだのです!)


 見た目は子供。書類上では間違いなく大人な寧子は、小さな背中を覆ってしまう程大きなデイパックを背負う。

駐輪場に停めてある、原付免許を取った際に父親のコレクションからぶんどった二輪車ベスパにまたがり、車体色と同じな赤い夕陽に染まる街へタイヤを転がし始める。


 ベスパのサイズ感とピッタリな寧子が走る度、歩行者や他のドライバーは奇異な視線を送ってくる。

中には微笑ましい何かを見るように微笑むものさえいる始末。

しかし運転する寧子はいつも必死である。


 燃料はオイルとの混合だし、エンジンは始動はキックのみだし、リアブレーキをは踏みずらいし、そもそもマニュアル車で、左ハンドルでシフトチェンジをしなければならない。

可愛い見た目とは相反して、厄介なところが満載な、スズメバチの名を持つベスパと云う乗り物。

だが、逆にこれを自在に操れることは寧子にとって誇らしいことだった。


(わたしはベスパを運転できるし、お酒も飲める大人なのですっ!)


 奇異の視線へ心の中で何度もそう訴えつつ、アパートのある坂を下り切り、交差点を鮮やかに右折する。二車線の道路に入った途端、いつも食材の買いだして重宝している地方スーパーの看板が見えた。


 駐輪場へ停めるとやはり視線が注がれる。

それはベスパが珍しいのか、はたまた寧子が二輪車と不釣り合いな見た目だから否か。

 寧子は逃げるようにスーパーへ飛び込んでゆく。



 目的物のお米5kgは最安値のものでも一袋2,000円。

時期は月末近くで口座の中の仕送りも心もとなく、昨晩の散財で戦況は厳しいと言わざるを得ないが米さえあれば、何とか生き延びられる。

そうして目的の米5kgの袋を買い物カートへ投げ入れてまっすぐレジを目指そうとした時だった。

視界の隅にずらりと瓶の並んだ売場が入り込んでくる。

つい昨日までは法的にも、興味関心的にもご縁の無かった”お酒コーナー”


(ちょっと見るだけならな……)


 と寧子は軽い気持ちで買い物カートを瓶が並ぶお酒コーナーへ押し進める。


 大きいもの小さいもの、緑や青だけど透明や茶の色が多くを占める瓶の数々。

煌びやかに輝く酒瓶が並んだそこはまるで宝石箱の中へ迷い込んだかのように眩しく心が躍る。

 名前だけは知っている日本酒、焼酎、ウィスキー――そんな多様な酒の中でも唯一口に運んだことのあるワインのコーナーへつま先が向くのは自明であった。


(あっ、あった)


 ワインコーナーの最下段で、ラベルに描かれた黒猫が相変わらず明後日の方向を見つめている。




【ツェラー シュヴァルツカッツ】900円


*初心者でも飲みやすいドイツの白ワイン! 黒猫が居座っていたワイン樽には美味いワインが入っていた。そんな伝説にあやかって黒猫が描かれています。チーズや、クリーム系のお料理と是非お楽しみください!



(へぇ! 黒猫がラベルに描かれているのはそういう意味があったのですね!)


 ついついシュヴァルツカッツへ伸びた手を、寧子は慌てて引っ込めた。

これを買っては明らかに予算オーバー。というか財布の中身が足りない。

それにこのワインは昨晩飲んだわけだし、まだ感動の余韻が残っているためそこまで欲しいとは思わなかった。

 というよりも、その隣にある銘柄に気を惹かれていたからであった。




【リープフラウミルヒ】1,150円



*蜜や花の香りが心地いい白ワイン。優しい甘みと爽やかな酸味は、由来となった教会と聖母をイメージさせるかも!? 癒しのワインとしてお楽しみください!



 凄く興味はあるが、やはり千円台は少し高いように感じた。

むしろこっちこそ予算オーバー。

次の仕送りが振り込まれたら買ってみようと立ち上がる。


「んっ……?」


 寧子は伸ばした膝を再び折ってしゃがみ込む。


 よく見て見れば微笑む聖母が描かれたワインボトルが二列になっていた。

片方には【30%値引き】のシールが、聖母の顔の上へべたりと貼られていてなんだか気の毒に思われる。

 そんなことよりもむしろ、寧子の興味は値札に注がれていた。


【棚入れ替えのため三割引き! 数量限定お早めに!!】



 値引きされているものとそうでないものの違いがよく分からない。

だがしかしべたりと値引きシールが貼られているボトルは、貼られていないものよりも安く、更にシュヴァルツカッツよりもお買い得に購入できる。


「ううっ……これは孔明の罠なのです……!」


 寧子は腕を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返す。

物欲と興味、現実と予算が激しくぶつかり合う。

その時、まるでボトルに描かれた聖母から天啓が下されるように、唐突に打開策が浮かんだ。



(お米を2kgに変えればいいのです! そうすればこれも買えるし、お釣りも数百円貰える! こ、これは戦略! とってもお得なお買い物戦略なのです!)



 物欲と興味を踏まえつつ、現実と予算を加味して決断し、三割引きのリープフラウミルヒ手にした寧子。

 決断してしまえば後は行動に移すのみ。


(暫くは炊くお米の量を減らさないとですね……)


 寧子はこれから訪れる心もとない食糧事情に頭を悩ませつつ、それでもお買い得に手に入れられたワインに期待しつつ、夕方の買い物ラッシュでごたつくレジへ並ぶのだった。



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