第22話 続々々々 戦場の花


 シオンは屋敷の裏にある小さな池で、水面に映る自身の顔を見つめた。


 病人みたいに白い肌と、紫に光る瞳が、まるで幽霊みたいだなと自分でも思う。


「ふう」


 と、軽く息を吐き出したところ、水面に映る自分の後ろに、にゅっと人影が入り込んだ。


「きゃあっ!?」

「わっ!ごめん、びっくりした、よな」


 振り返ると大和がいて、両手を上げ申し訳なさそうに眉尻を下げていた。男らしいがどこか頼りない顔いっぱいに、申し訳ないと書いてあるような慌てぶりだ。


「だ、大丈夫、です」

「そっか、ほんとごめん」

「いえ……。何かご用ですか?」


 ここは屋敷から少し離れた場所である。負傷兵のこともあるから、どちらか一方は屋敷を離れないようにと決めていた。わざわざやってきたという事は何か理由があるはずだった。


「ああ、そうだ。昨日キースに聞いたんだけど、前線の野営地の状況が思わしくないみたいなんだ。だから俺、しばらくそっちに行こうかと思う」

「衛生兵がいるのに、ですか?」

「う、そう言われると、俺が出しゃばってるみたいでアレなんだけど。でも、最近兵士達の傷の治りが遅い。ちゃんと事前に手当てすれば、ここの仕事も楽になるんじゃないかなって」


 確かに、大和の言っていることは理にかなっているとシオンも思う。


 現に今、あの花を置いている兵士は、腹部の損傷部組織の壊死によって、回復困難な状態で運ばれてきた。シオン達に出来ることと言えば痛みを抑える薬を与え、せめて楽に死ねるようにする事だけである。


 大和は魔法で何とかならないかと言った。だけど、魔法の力など、実はそこまで万能ではない。


 奇跡の力であるが故の、代償だってあるのだ。


「好きにしてください」

「え、いいのか?」

「もともとわたしひとりでしたし。ヤマトさんがいなくても、するべき事は変わりませんから」


 自分でも、どうしてこうも冷たい言い方しかできないのだろうかと思う。感情が無いわけではないが、表に出す事に抵抗がある。


 すると大和は、何故かシオンの隣に腰を下ろした。一月前の一件で、シオンと大和の関係は微妙だった。だから、隣に座った大和の顔を見て、シオンは少しだけ心臓が跳ねるような、居心地の悪さを感じた。


「俺さ、患者が亡くなるって、初めてだったんだ。そりゃもうダメかもって人には、あった事はあるよ」

「……」


 この人は何が言いたいのか。また、綺麗事でも並べ立てるのだろうか。


「俺よりもずっと経験も知識もある人達には、もうダメだなってわかるみたいで。だけど、他の患者さんと同じように接するんだ。最期まで、絶対に手を抜かない」


 シオンは大和をジッと見つめ、大和はその視線に照れたように頬をかく。


「シオンだってそうだろ。見ててわかるよ。どんな怪我の兵士にも、シオンは絶対に手を抜かない。俺もそんな人間になりたい……って、そうじゃなくて、ちゃんと謝りたかったんだ。酷いことを言ったから」

「わたしは酷い人間ですよ。あの時ヤマトさんが言った事は、正しい事だとわたしも思います」


 結局花を置くのは、自分のエゴでしかないのだ。わたしには無理、と諦めているに過ぎない。


「俺も半分背負うよ」

「え?」

「今更で悪い。だけど、シオンだけが辛い思いをするのは間違ってると思うんだ。だから、俺は前線に行って、シオンに花を置かせないように頑張る」


 この人はバカなのだろうか、とシオンは思った。怪我の状況次第では、人は死ぬときは死ぬ。ここだろうが、前線だろうが同じだ。


 自信なさげに笑う大和を眩しく感じる。きっとこの人は優しいのだ。だから、こうやって簡単に言葉にできてしまう。


 シオンには、とうに無くなってしまった類の感情だった。


「俺は木の上の巣から飛び立つ前の雛なんだって」


 またも唐突な話題転換に、シオンは眉をひそめた。


「それ、臆病者ってことですよね」

「なんでわかったんだよ?」


 驚き半分、怪訝さ半分で大和が聞く。


「ファルガールの民謡ですよ。子どもの頃、よく聞かされる歌の歌詞に、臆病な鳥の雛が出てくるんです」

「なんだよそれ。ライラックの奴、俺を子ども扱いして」

「ふふ、ライラックさんらしいですね」


 と、シオンは驚いた。


 久しぶりに笑えた気がしたのだ。水面を見ると、楽しげに笑う自分の顔が見えた。


「ヤマトさん、その雛は、飛んで初めて自分ができる事に気付くんですよ。同時に、世界の広さも知るんです。ライラックさんは、ヤマトさんの事をよく理解していますね」

「そうだ、よく知っているから、バカにするんだ」


 不貞腐れたように項垂れる大和。


 そんな頼りない姿だけれど、シオンにとってはなんだかとても頼もしく思えた。


 シオンは考える。


 自分にも、ほかになにか出来ることがあるような気がする。


 シオンだって雛と同じだ。自分が飛ぶ事を選んだら、その先の世界は一体どうなっているのか。


 人の死を諦めなかったら、そのあとはどうなるのか。


 大和が頑張ると言った。半分背負うと言ってくれた。


 だから、シオンもあと少し、勇気を出してみようと思うことが出来た。








 ☆


 シオンと話した次の日には、大和は前線の野営地へと足をつけていた。


 屋敷へとやって来たサラシャに大和の目的を伝えると、彼女は嫌な顔をしつつ、大和を馬に乗せてくれたのだ。


 野営地は、広々とした荒野に簡易のテントが並ぶ殺伐とした場所であった。当然といえば当然の事だ。ここにいる人々は皆、アルバートの兵士と常に睨み合っているようなものだからだ。


 天気のいい日には、小さく敵陣が見えるという話だった。あいにく今日は曇り空で、地平線の先には雲が広がるばかりである。


 ここからだと、屋敷は森に隠れて見えない。馬で三十分程の距離だが、見えなくなると心細くなる。


 だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。


 サラシャに言われ、大和はとあるテントへと向かう。


 テントと言っても、日本で見るキャンプ場のそれではなく、継ぎ接ぎだらけの布が木枠の上に被さったような粗末な作りで、これでは満足に身体を休めるなど無理な話だ。


「すみません、ここに衛生兵のみなさんがいると聞いて、」


 と、テントの垂れ幕を開けて言葉を発した大和は、続きを飲み込んだ。


「何してんですか!?」


 兵士がひとり、負傷した兵士の腕に包帯を巻くところだった。だけれどその傷は、消毒どころか止血もされていないではないか。


「ダメですよ!ちゃんと洗ってから包帯を巻かないと」


 大和は手当てをしようとする兵士を突き飛ばして、負傷した兵士の横へしゃがみこんだ。


「っ、おまえ!なにをするんだ!?」

「ちょっと黙っててくださいよ!あなたたちの杜撰な治療が、どれだけ怪我をした人を苦しめるのかわかってんのかよ!?」


 尻餅をついた兵士は、苦い顔で地面に視線を落とす。


 大和は肩掛けのカバンから木のボトルを取り出し、中の水を横たわる兵士の傷口にかけた。兵士は上半身の服を脱がされた状態で、その脇腹には剣でも掠めたのか、薄い切り傷がついている。


「傷口には綺麗な水をかけて、丁寧に洗ってください。それだけで随分違うはずです」


 現在の医療現場では、傷口に消毒液を使わないようになりつつある。消毒液は有益な細胞をも殺してしまうことがあるからだ。ただ、それは損傷部の程度による。筋層や骨が見えるようなあまりに深い傷の場合は、医療機関にかかる方がいい、ということになっている。


 この世界にある消毒液は、アルコールを稀釈したものが一般的だ。それらは創傷部に直接かけていいものではないため、基本的に水で洗い流す方法をとることになる。


 あとは、ライラック曰く抗菌作用のある薬草を貼り付けたり、なんだかよくわからない樹液を塗りつけたり、大和にしてみれば一種の魔術的儀式のようなものばかりで、エビデンスがあるのかないのかは定かではない。


 傷の手当てを終えた大和が顔を上げると、突き飛ばされた兵士が、怖い顔をしながら、だけれどどこかホッとしたような表情で口を開いた。


「すまない。わかってはいるんだ。だが、一日に何十人と怪我をする奴がいる。物資も足りない。キースには散々言われてはいるんだが、おれたちはもともと、人を治療したりなんてしたことないんだ」

「だったら今から変えましょう。俺が教えるんで、出来ることからかえていきましょう」


 そう言うと、兵士は案外素直に頷いた。大和は怒鳴られるんじゃないかと、内心ハラハラしていたのだ。


「衛生兵の人数は八人。ここはまあ、救護テントとでもいうのか、とりあえず酷い怪我の奴が運ばれてくる。他の奴らは外で怪我人の手当てをしている」

「わかりました。あの、ここってどれくらいの人がいるんですか?」


 外にはかなりの数のテントが設置されている。


「だいたい二千人だ」

「二千、か」


 たった八人で、それだけの人数を見て回るなど不可能に思える。


 だけど、やると決めたのだから、やれる事をやるしかない。


「俺、大和って言います。なんでも手伝います。だから、諦めないで頑張りましょう」


 自分に言い聞かせるように、大和は言った。


「あ、ああ。わかった。おれはザルグだ。一応、衛生兵の班長をしている」


 ザルグは日焼けした角ばった顔の、三十前半の男だった。彼はあまり綺麗とは言えない黒ずんだ手を大和に差し出す。その手を握り返し、こうして大和の戦いは、本当の意味で始まったのだった。


 終戦まであと少し。


 その日は唐突に訪れる。

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看護学生の異世界看護活動〜俺まだ学生なんだけど!?〜 しーやん @shi-yan

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