第19話 続 戦場の花


「ヤマトさん、新しい包帯はこの布を使ってください」


 病室に使われている食堂の隣、十二畳ほどの部屋だ。シオンが棚を指差して、大和はそちらに顔を向ける。古びてはいるが頑丈な棚が並んでいて、それらには備品が収納されている。棚の規模の割にかなり少ない。


「これだけ?」


 思わず漏れる疑問に、シオンは肩をすくめて答える。


「これだけです。補給は週一度あればいいほうなので、常に足りない状況です。仕方ないですよ」

「こっちの瓶は薬?」


 棚の端には赤茶色の瓶が並んでいた。


「はい。それは痛み止めの飲み薬と、こっちのは軟膏です。ここでは基本、痛み止めしか使いません」

「へえ」


 戦場という特殊な環境で、外傷患者が多いことはわかる。が、痛み止めのみというのは、ちょっと、いや、かなりまずいのでは、と思う大和だ。


「なるほど。じゃ、僕のお土産は役に立つね」


 ライラックがフフンと鼻を鳴らし、誇らしげに言う。


「お土産ってなあ。一体何を持ってきたんだよ?」

「大和の欲しいものさ。炎症にきく薬、睡眠薬、あとは感染を防ぐ薬とか」

「お、さすがライラック!バカでかいカバンで旅行にでも行くのかと思ってた」


 というのも、大和に比べライラックの荷物はトランク二つ分と、海外旅行にでも行けそうなほどだった。馬車に乗る際、兵士が険しい顔をして、荷物を積んでくれたことを思い出す。


「僕の仕事は薬師だよ。薬が作れなくちゃ、薬師じゃないね。まあ、あまり期待はしない方がいい。持ち歩ける物には限りがある」

「って言ってるけど、お前の事だから、どうせ準備万端なんだろ」


 そう言うと、ライラックは少年の様に微笑んで、早速とばかりにトランクを開けた。


「凄い!こんなにたくさん」


 シオンの目がキラキラと輝いた。が、すぐに平坦な表情に戻った。大和には、どうも意図的に表情を変えない様にしているように思える。


 ライラックがカチャカチャと、大和にはよくわからない器具を組み立てていく。小学生の時に、理科の実験が好きだった、という男子は多いだろう。まさにそういった器具が、あっという間に組み上がる様はワクワクする。


 部屋の中央の大きなテーブルは、簡易的な化学実験室のそれへと変貌を遂げる。ライラックは寄れたシャツの上に白衣を羽織ると、仕上げとばかりにクイっと丸眼鏡を押し上げた。


「はあ、やっぱり白衣は落ち着くよ」

「お前といいセラさんといい、なんで白衣が落ち着くんだよ」

「だってさ、僕は賢いんだぞ!って言ってるみたいで、清々しいじゃん」


 ライラックの答えに、大和は盛大に顔をしかめる。シオンもウワッという、微妙な顔をした。


 ちなみにセラの名誉のために追記しておくが、彼女は別にライラックのような自己主張で白衣を着ているわけではけっしてない。彼女は単に、服装に頓着しない性格であるからだ。


「さて、僕はほかに必要な薬がないか調べて調合するよ。材料もそれなりに持ってきたし」

「わたしは昼食の支度に」

「あ、じゃあ俺も手伝うよ」


 と、三人は一旦、それぞれの仕事に取り掛かることにした。







 ☆


 昼食の支度はすぐに終わった。支度といっても、朝の残りであるスープを温めるだけだ。しかも、スープとは名ばかりの濁った液体には、具材と言えるものはほとんど見当たらない。


「今は五十人ほどの方がおられるんですが、紐が二つの方から配ってあげて下さい。彼らは自分で食べることができますから」


 木の器を大きな木の板に乗せて、シオンは食堂へ向かう。後ろから、同じように木の板に器を乗せた大和がついていく。


「配り終えたら、紐を一つ付けている方に、食事の介助をお願いします。あ、お手伝いしてくださる方もいますので、その時は遠慮なく任せてあげて下さい」

「わかった」


 返事を返しながら、大和は感心していた。


 時に患者自身が仕事を任される事は、その患者の回復を促す場合がある。


 看護は患者の療養の手助けをする事が仕事だ。だけど、全て先に手を貸していては、それは患者の回復を阻害する事になるのだ。


 精神疾患や、老年期の看護では特に重視されている事でもある。


 シオンはそういう事を、感覚でやっているのだろうか。


 だとしたら彼女は、最高の看護師になれるだろう。


 四年看護学生をしていても、大和にはそういった心遣いや機微は何一つ身につかなかった。学生だからといって、大目に見てもらえていたに過ぎない。


 或いは、長く働く事で身につくのかもしれない。そうでなければ、あのガサツな自分の母親が、看護師なんて出来っこない。


 などと思いを巡らせ、少しだけ笑みが漏れた。


 そういえば最近、あまり元の世界を思い出さなくなっている。


「では、任せましたよ」


 シオンがそう言い、大和は食堂に足を踏み入れた。


「あれ、にいちゃん、初めて見る顔だなあ」

「本当だ。どうしたってこんな所にきたんだよ。まさか嫁に逃げられて、自暴自棄にでもなったのか?」


 ぎゃははははと、笑う男たちは、この中でも比較的元気そうに見えた。


「違いますよ!俺、今日からここで、シオンの手伝いをする事になって」

「シオンちゃんに乗り換えようってか」

「そりゃあオレたちが許さん!」

「ええっ!?違いますよ、そもそも俺まだ結婚してませんから」


 初対面から散々な言われようである。この世界において、大和は結婚していてもおかしくない年齢であり、それはアスラ村にいた時から言われている事だった。


 こうしてアスラ村から遠く離れた地であっても、人々の話のネタとして、大和は弄りやすいようだ。


「でもよ。どうせなら、女の子が良かったなあ」


 呟くように言ったのは、足を怪我しているヨキだ。


「やめてくださいよ。俺、大和って言います。男で残念でしょうけど、しばらく皆さんの手当てに回ります」

「ほう、お前さん、さっきオレの傷見て青い顔していたろうが。わかんだよ、そういうの」


 スープを受け取るヨキが、何気なく言った。


「すみません。俺、苦手なんですよ」


 本当なら、そういう事は隠してしかるべきだろう。血が苦手な看護師に身を任せられるかと言われれば、無理だ。


 だけど、今更取り繕ったところで仕方ない。


「まあ仕方ないさ。オレだって血を見るのは嫌だ。自分のはまだいい。他人の血で溢れた戦場は、地獄だよ」


 ヨキ達は何でもないことのように言う。もう大和に興味はないと、スープに手をつけ始める。


 この時点で、ヨキ達の大和への評価は決まったようなものだ。


 こいつは使えない。頼りない奴。そう、態度で示したように、大和には思えた。


 大和は血が苦手だ。


 看護師を目指す学生には、割と血が苦手な人もいる。


 しかし今大和が感じているモヤモヤは、血が苦手だからというだけではない。


 人の血が、痛みが、戦場には溢れている。


 本来ならばこの人達は、受けなくていい痛みを受けている。


 そしてその経験は、きっとこの人達の今後の人生においても、深い傷となるのだ。


 大和は給仕を終えると、次に介助が必要な者にスープを運んだ。


 シオンが言った通り、ヨキのように動ける者たちが率先して仲間の世話を買って出た。


 三人目の寝たきりの男の介助を終えた時だった。


 ガタァンと、食堂の扉が勢いよく開いた。


「誰か来てくれ!負傷者だ!」


 怒鳴るように叫んだのは、サラシャだ。


「サラシャさん?」


 サラシャは大和を見ると、一瞬嫌な顔をした。だが、それどころではなかったらしい。


「チッ、お前、ちょっと来い!怪我人がいるんだ」


 大和は慌ててサラシャについて行った。


 屋敷の外にサラシャが乗ってきたであろう馬が繋がれていた。そのすぐそばの草地に、倒れている人影が見える。


「ユーリ!」


 駆け寄るサラシャが、倒れている人を抱き起こした。上半身の鎧は脱がされていた。その右の肩口、鎖骨の下あたりから真っ赤な血が流れている。


「何があったんですか!?」


 大和は駆け寄ると、肩口の傷を確認した。親指の先くらいの幅の穴が空いていた。


「偵察に出ていたら奇襲を受けた!運悪くユーリの肩に矢が刺さってしまったんだ」

「っ!!」


 大和のどこにそんな力があったのかはわからないが、それでも、怪我人を外に放置など出来ない。


 怪我人を背負うと、屋敷へと駆け込んだ。


 異変に気付いたライラックが、毛布と布を持って現れ、適当な場所に毛布を敷く。その上に怪我人を寝かせ、大和はすぐにライラックが持ってきた布を傷口に押し当てた。


 ぐっしょりと濡れたシャツから、相当量の出血があったことがわかる。


「もしかして、その矢、抜いたんじゃ」

「仕方ないだろ!?わたしでも流石に、鎧を着たままの男は運べない!……それに、ちょっと慌ててしまって」


 大量の出血は、怪我によるものではない。無理に矢を抜いたからだ。


 ユーリの顔は青白く、呼吸は浅い。


「ユーリさん!聞こえますか!?」


 何度か耳元で問いかけると、僅かだが瞼を震わせた。


「まだ意識はある!ライラック、出来るだけ沢山、掛けるものを持ってきてくれ」

「わかった!」


 失血による体温の低下を防ぐためだが、はたして、それくらいしか、大和に出来ることなどない。


 駆け出したライラックと入れ替わりに、シオンがやってくる。


「ヤマトさん!」


 シオンは傷口を懸命に抑える大和と、青い顔のユーリを交互に見た。


「ダメだ、血が止まらない」

「そんな!!ユーリはどうなるんだ!?」


 息を飲むサラシャに、掛ける言葉など見つからない。


「ヤマトさん、少し、変わっていただけますか」


 静かだが、しっかりとした声でシオンが言った。


「あ、ああ」


 ユーリの側に跪くようにしたシオンが、傷口を確認する。ユーリの顔色はさっきよりも悪く、白から青へと変わっていた。


「あまり、期待はしないでください」


 そう言うとシオンは、ユーリの肩口、傷の上に手をかざす。


 あ、と大和は気付いた。


 それはセラと同じ、魔法を使うときの動作だった。


 シオンの手から、淡い光が漏れる。それは大和が見た、セラのものよりも弱々しく、だが確実にユーリの怪我を塞いで行く。


「これ、は」


 サラシャの驚きの声が、シンとした空気に溶けるようだった。


 しばらくの後、シオンはふう、とひと息つくと、かざした手を下ろした。


「傷は塞がったと思います。でも、失った血は戻りません」


 見るとシオンの額には、玉の汗が浮き、呼吸も幾分か速い。


「ヤマト、持ってきたよ」


 ライラックの声に、止まっていた時が動き出すようだった。


「あ、ああ。ひとまずは安心か。だけど、しばらくは要観察だな」


 傷を塞いだからと言って、治った事にはならない。


 だけど、シオンがいなければ、正直どうしようもなかった。大和にはそこまでの技術も知識もない。


 シオンは魔法を使った。


 この世界において希少とされる魔法で、傷を治したのだ。


 だけど、そんな事ができるのならば、どうして白い花を置く必要があるのだろうか。


 助けられない理由がある、と考えることが妥当だが、それはなんなのか。


 そんな疑問を抱え、大和の戦場での一日は過ぎていく。

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