第20話 続々 戦場の花


 ユーリの容態は芳しくなかった。


 四日経つと少しずつ顔色は良くなったが、大量の出血は人体にとって大きな影響を及ぼす。


 ここでは判断のしようがないが、一時的に血流が悪くなり、酸素の供給不足に陥っていた可能性もあり、そうなると次に心配なのは、脳への影響だ。


 血流量の低下は、脳に深刻なダメージを与えたかもしれず、それはその後の日常生活に支障を来す重篤な後遺症を残すかもしれない。


 加えて寝たきりの状態が続けば、今度は廃用症候群のリスクが高くなる。身体を動かさない状態が続く事により、筋力などの低下をもたらし、復帰を遅らせるというものだ。


 そしてこの日の朝、大和にとって重大な事が起こった。


 ここにきて初めて、大和の目の前でひとりの兵士が死んだのだ。


 それはここへ訪れた当初、白い花が置かれていた兵士であった。


 いつもの流れで朝の巡回を、シオンと手分けして行い、何人かの傷の具合を診ながら談笑し、ライラックが調合した薬を配り、さてその兵士の元へ訪れると、彼は静かに息を引き取っていた。


「っ、シオン!」


 慌てて呼ぶ声が引き攣る。シオンが駆け寄ってきて、兵士の頸動脈に触れ、呼吸を確認し、瞳孔の散大を認めて、そっと首を左右に振った。


「ヤマトさん、うろたえないでください。他の皆さんの為にも」


 そう言われて気付く。ヨキや、他の何人かの兵士が、冷たいけれどどこか悲しげな目でこちらを見ていた。


「……わかった」

「裏庭に運んで埋葬しましょう」

「うん」


 ヨキが、怪我をしている足でヨロヨロと立ち上がり、近付いてくる。


「にいちゃん、そんなに悲しい顔をするな。こいつは、死んでやっと故郷に帰れるんだ」


 ヨキの言葉が、大和の心を揺さぶる。


 死んでやっと故郷に帰れる。


 本当にそうなのだろうか?


 誰だって生きて、家族に会いたいはずだ。死ぬ時くらいは、家族に見守られて逝きたいはずだ。


「ほら、オレらも手伝うから。さっさと燃やして、空に帰してやろう」


 ヨキはそう言って、大和の背中を叩く。


「……わかりました」


 シオンが死んだ兵士を毛布で包み、比較的軽傷の何人かの兵士が担ぎ上げる。


 屋敷の裏手には、一箇所だけ、煤けて黒ずんだ場所があった。そこはこうして、死んだ何人もの兵士を荼毘にふしてきた場所だと、大和にもわかった。


 火をつけるのはシオンの役目らしく、大和はそれを、瞬きも忘れて見つめていた。


「ヤマトさん、わたしは、彼の名前を知りません」


 大和の横に並んで立つと、唐突にシオンがそんなことを言う。


「あの人は、ここに運ばれた時すでに話すこともできませんでした。だからわたしは、あの人の名前も知りません」


 シオンは立ち昇る煙を見上げている。その横顔は、不自然な程に表情がなく平坦だ。


「白い花を置くのは、助けられない人だって言いましたよね」

「ああ」

「でも、それだけじゃないんです」

「どういうことだ?」


 眉根を寄せて聞き返す。シオンは空を見つめたまま言った。


「助からない方が、或いは幸せかもしれない。そんな人にも、わたしは花を置きます」


 はっとして、息を飲む。苦い味が口腔を、咽頭を通って、肺を満たすような不快な気分が胸を満たした。


「死ぬことがその人の幸せだって言うのかよ!?」


 思わず、大きな声が出てしまう。


「そうです。故郷に帰ることが出来ても、人の助けがないと生きていけない人を救う事が幸せとは言えません」

「そんなのシオンが決めることじゃないだろ!」

「わかっています。でも、じゃあ、ヤマトさんは、家族に負担を強いてまで生きたいと思いますか?」

「それはっ、」


 わからない。


 人の命を、何もせずに見捨てる様な真似をする事に、大きな抵抗があることは事実だ。


 けど、シオンの言っていることは間違いじゃない。


 俺だって、あの時、死んだ方がいいと思ってたじゃないか。


 大和はこの世界に転生する前、事故にあった際に、確かにそう思った。


 自由に身体を動かすことが出来なくなってしまったら、きっと母親は、自分を犠牲にしてでも大和の介護をする筈だ、と。


 それならばいっそ殺してくれと、いるのかもわからない神に、願ったではないか。


「でも俺は、シオンみたいに魔法が使えて、目の前に苦しんでる人がいるなら絶対に諦めない。目の前で苦しんでいる人が、やめてくれと言うまで、諦めたくない」


 そう言いながらも、記憶の中に甦るのは、実習中に出会った患者の顔だ。


 いつもニコニコと笑っていた、五十代の女性。


 彼女は末期の乳がんだった。


 がんがわかった時には、既にリンパ節に転移していて、それに連なって肝臓などの周辺臓器にまで転移していた。


 あと何ヶ月もつだろうかというなか、彼女はターミナルケアをうけながら、それでも毎日ニコニコしていた。


 だけどある時、孫の顔が見てみたかったと、ポツリとこぼしたことがあった。


 そうやって、どうしようもないまま死を待つ人だっている。


 助けたいと思う事は、人として、医療に携わる者として当然だ。


「ヤマトさんは、それでいいのだと思います。わたしは、こういう世界しかしりませんから」


 ドキリと、大和の心臓が跳ねた。


 大和が別の世界から来た事を、シオンは知らないはずだ。なのに、彼女の言葉は大和を突き放すには充分だった。


 大和は歯を食いしばり、遣る瀬無い思いを抱えたまま、裏庭から逃げ出した。







 ☆


「あの人亡くなったんだって?」


 扉の無い正面玄関の石段で、座り込んだまま俯く大和の背中に、ライラックの声が届いた。


「ああ、亡くなった」

「じゃあ、あの人、家族のところに帰れたんだね」


 いつもと変わらない、呑気な声だった。大和は無性に腹が立って、横に座ろうとするライラックを突き飛ばした。


「いってぇ」


 ライラックは尻餅をついて呻く。


「家族のところに帰れたって、本気で言ってるのかよ!?」


 あの兵士が瀕死で運ばれてきたかどうかなど、もはや関係が無かった。


 シオンが諦めたから死んだ。そう思わずにいられなかった。


 ライラックは面倒そうに顔をしかめ、大和の悲痛な叫びを受け止めた。


「んー、大和はさ、僕が寝たきりになったら、最期まで面倒見てくれる?」

「はあ?」

「僕はさ、家族とか身内とか、そういう人間がいないんだ。今までは薬師として収入があって、けっこう小さい時からひとりで生きてこられた。あ、ってもお師匠的な人はいたけど、その人ももうこの世にはいない。んで、僕は明日から、例えば下半身不随になりました。大和は当然、僕を一生面倒見てくれるよね?友達だし」


 あたりまえだ、と言いたい。


「あ、わかった、もういいよ。君のそんな顔を見たら、やっぱり僕は、さっさと死にたいね」

「どういうことだよ?」


 睨むような大和の視線を軽く受け流して、ライラックは、ふう、と息を吐き、ズレた眼鏡を直す。


「助ける方は笑うんだよ。大丈夫だよ、ちゃんと面倒見るからって。だけどさ、助けられる方は、与えられる方は、顔は笑っていても、心では泣くんだ。いつも世話かけてごめんなさいって」


 言葉が出てこなかった。大和は、看護学生だから、不自由な人を援助することが当たり前だから、当然のように世話を焼く。


 でも、だからこそ、世話をされなければならない人の気持ちが、疎かになりがちであることに思い至る。


 援助すべき点にばかり目がいって、援助される人がなにかを求めると、面倒な患者と認識してしまう。


 ただの押し付けなのかもしれない。


 こちらが良かれと思っていても、相手は与えられる立場として、ノーとは言えないのかもしれない。


「ま!僕は君の元の世界を知らないからね。ヤマトの生まれ育った世界では、多少身体が不自由でも、何も問題なく生きていけるのかもしれないし」

「え、それ、信じてくれたのか?」


 大和は驚いて目を見開いた。


「まあ、君がしつこいから、多少真剣には考えているよ。それに、君は随分とズレた考えを持っているようだし」


 肩をすくめて言うライラックに、大和は自然と笑みをこぼす。


「ズレた、って、俺今気付いたよ。やっぱり、シオンのやり方には賛同できない。だけど、俺は俺のやり方で、出来る限り人を救いたい」


 多少の不自由が残ったとしても、生きたいと望めるような世界を作りたい。


 大和は唐突にそう考えた。


 もちろん簡単な話ではない。


 今の日本であっても、社会保障制度が整うまでに何十年と時間を費やしてきた。しかも、それらは未だ持って完璧とは程遠い。


 だけど明確に、大和はこの世界でやるべきことが見つかった気がした。


 そしてその為には、この戦場で、出来る限り多くの人を救い、看護の有用性を示さなければならない。


「俺は、例え身体が不自由になったとしても、家族と生きて会える世界にしたい。戦争がなんだ、こんな事で家族に会えないままなんて、俺は嫌だ」

「ほら、そういうのが、ズレたところなんだよ」


 呆れた、とライラックが首をすくめた。


「いや、俺の元の世界でできたんだ。ここでだって、誰かがやろうと言えば変わるはずだ」

「ああそう。もう、勝手にしろよな。僕は側で見ていてやるよ。あ、ちなみに、僕は大和が半身不随になったら、ポイっとその辺に捨てるからね」

「お前ッ!?」


 ケラケラと笑うライラックに、つられるように大和も笑う。


 先程までの鬱々とした気分が嘘のようで、やはりこの食えない友人には敵わないなあと、ぼやけた視界を、そっと袖で拭った。

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