第18話 戦場の花
三日後、大和はライラックと共にファルガール王国とアルバート共和国の国境付近にたどり着いた。
まるで自衛隊の高機動車のような、大型の馬車に乗り込んで、まともに休むこともなく走り続けたため、軟弱な現代っ子である大和の足腰は悲鳴をあげていた。
同じ馬車に乗り合わせた男たちは、皆一様にこの世の終わりのような顔をしていたため、これと言って交流も無かった。
それもそのはずで、彼らは各地の村々から徴兵された農民であり、兵士ではなかったからだ。いよいよ、国はなりふり構っていられないようで、彼らの装備も、おおよそ装備と言えるものではない、ただの皮鎧というお粗末さだった。
馬車は全部で三台。
途中、それぞれの派兵先に向かうために分かれたようだった。
そうしてたどり着いたここは、この戦争で、もっとも重要な拠点だそうだ。
しかし、大和達が馬車を降りたのは、重要拠点よりも手前だった。
「オバケが出そう」
「やめろ」
隣でライラックが冗談を言う。窘めはしたが、大和も同感だ。なぜなら目の前には、半壊した二階建ての屋敷が建っていたからだ。
「ここには傷付いた兵を収容している。お前たちの仕事はここで負傷兵の世話をすること」
腰に提げた剣の柄に手を置き、無愛想な声を発したのは、アスラ村からの知り合いであるサラシャだ。騎士団の一員である彼女は、王都へ戻るとすぐにこの国境地帯に戻ることになっていた。
レイラが余計な気を回したせいで、このおっかない戦女神のようなサラシャとここまで来たというわけだ。
道中少しでも安全にと願うレイラの気持ちは嬉しい。だが、サラシャはそれ以上に恐ろしい、と大和は思っている。
サラシャにしてみれば、可愛いレイラ様に変な虫が!という気分なので、大和が感じている恐怖に間違いはない。
「サラシャさん、前線って、」
「それはもう少し先だ。そんなに戦いに行きたいか?」
「あ、いや、そういうわけでは……」
ないんですが、と言いかけ、しかし実際に前線へ向かう者たちのことを思い出し、言葉尻を濁す。大和達が降りると、馬車はさらに先へと進んでいき、こうして大和とライラック、サラシャだけが残された。
「わたしはここまでだ。屋敷の中にいる者に案内を頼むといい」
では、と言ってサラシャは屋敷の端に繋いでおいた馬に乗り、さっさと行ってしまった。
仕方なく、大和とライラックは、半壊した屋敷へ足を踏み入れた。
正面玄関は扉が無く、向かって右の部屋は壁が崩れている。左側は辛うじて無事のようで、大和はそちらへ向かうことにした。
「すみませーん」
声をかけてみる。返事はない。
「ヤマト、あっちから人の気配がする」
言われてみると、両開きの扉の向こうから、かすかだが話し声がする。
「行ってみよう」
「ああ」
閉め切った頑丈な扉は重かった。古びた蝶番が錆びているのか、ギギギと耳障りな金属音が鼓膜を震わせる。
食堂、だったのだろうか。
長細い大きな部屋。その左右の壁際には、ズラリと人が並んでいた。どの人も床に敷いた布の上に、おもいおもいの体勢をとっている。
大和とライラックが入ってきても、誰も気にしなかった。見向きもしない。興味がないのか、動くこともできないのか。
「すみません。邪魔です」
「うわっ!?」
背後から発せられた平坦な声に、大和は驚いて振り返った。
そこには背の小さい白い髪の少女が、水の入った金属のボウルのようなものを持って立っていた。まったく洒落た所のない白いシャツと濃茶のズボンを履いた少女は、黒い瞳で大和を睨み、そこを退けと態度で訴えている。
「ごめんなさい」
そう言って場所を空けると、少女はさっさと歩き、とある男性の横へ膝をついた。
目で追う大和とライラックは、しばらく観察するように少女を眺める。
「ヨキさん、傷はどうです?」
少女が話しかけると、壁を背に座る男性がにこやかに笑った。
「ああ、だいぶ良くなったよ。もう痛みはない」
「そうですか。ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「いいとも」
ヨキと呼ばれた男性は、左足のズボンの裾をまくった。
露わになったそこには、ドス黒く血で染まる布が巻かれていた。少女が手際よくそれを取ると、大和は思わず顔を背けた。
そこまで近くではなかったが、ヨキの左の足、膝から下外側には、まだ新しい裂傷が足首まで伸びていた。
「血は止まりましたね」
「おかげさまでな」
ヨキはにいっと笑う。少女は傷の周りを、ボウルの水に浸けた布で拭くと、新しい包帯をきつく巻き、次の男性の元へ向かう。
そうして少女は、しばらく男たちの間を歩き回り、大和とライラックはそれをただ眺めていた。
戻ってきた少女は、汗の雫が付いた額を袖で拭い、大和を睨みつけると、
「お話は聞いています。少しいいですか?」
と、声をかけてきた。
「あ、ああ。わかった」
答えると、前を歩く少女について、隣の小さめの部屋へ向かった。
☆
少女の名はシオン。今年の冬に十六になるそうだ。
「俺は大和。こっちの眼鏡はライラックだ」
シオンは大和とライラックを一瞥すると、ふう、とため息のようなものを吐き出した。
「昨日の早馬で話は聞きました。あのセラ先生の弟子なのですか?」
こんなところにまで、セラの噂は広まっているようだった。
「いや、弟子ってわけじゃないけど」
「じゃあ何ができるんです?さっき、目を逸らしてましたよね。そんなんで、ここの人たちの手当てができますか?」
「それは、えー、頑張ります」
要領の得ない大和の言葉に、シオンはジトッとした目を向けてくる。
「まあまあ、大和はこんなだけど、なかなかやるときはやるよ」
ライラックがフォローにならない事を言う。
「そう、やるときはやる」
便乗する大和も大概だが、そうですか、と納得するシオンもシオンだった。
「それで、ここにはシオンしかいないのか?」
「はい。わたしだけです。なので、最低限、出来ることしかしていません」
ん、と大和は引っかかるものを覚えた。出来ることしか出来ないというのは、当たり前のことだ。だから、シオンが辛そうに背けた顔が気になったのだ。
「早速で悪いんだが、ここのこと教えてくれないか?俺も早く力になりたい」
「わかりました。では、先ほどの部屋へ」
すぐさま引き返すように、大きな部屋へ戻る。
またも、大和は違和感を感じた。
シオンは大和達を疑いながらも、どこか焦ったような、そういう矛盾というものを感じていた。
語彙力のない大和には、それがなんなのかは表現できず、ただシオンに促されるままに、あとをついて歩く。
広い部屋は、先ほどと変わらぬ静けさだ。だが、静かとはいえ、動ける元気のある者は近隣同士で談笑するくらいには、話し声がする。
「彼らは皆、あらゆるところに傷を負っています。動けなくなった者から、ここへ運ばれ、運が良ければ王都へ帰還できます」
「運?」
「そうです。馬車に乗るまで動ける者か、もしくは、王都まで生きながらえることができる者、です」
大和は目を見開くと、シオンの横顔を見た。少女は何食わぬ顔で、だけど大和の顔を見ようとはしなかった。
あの酒場で話した足の無い男と、腕の無い男を思い出す。
彼らはあれで、自分の足や腕を失った状態で、運がいいと言えるのだろうか。
他にもみすぼらしい格好で、汚い包帯を巻いた男達は、運が良かったと言うのか。
「ねぇ、この花はなに?」
不意にライラックが言う。彼が示す先には、一輪の白い花。
それはひとりの男の横に、そっと置かれている。
「それは……、」
少女は表情を変えず、平坦な声で答えた。
「もう、助からないと言う印です」
ドキリと、大和の心臓が跳ねた。いつも飄々としているライラックですら、動きを止めた。
「わたしは、ここに運ばれた人たちの腕に、紐を巻いています。二つなら、多少後回しにしていても助かる人。一つならすぐにでも手当てをしなければならない人」
少女は、白い花を見た。
「花を置くのは、今この状況では助けられない人」
一体この少女は、どれだけここにいるのだろうか。そしてどれだけ、この白い花を置いてきたのだろうか。
シオンは賢い少女だった。彼女がやっていることは、大和の元の世界で言う、トリアージという作業だ。
大規模災害などで治療の順位をつけるために、運ばれてきた患者の腕に緑、黄、赤、黒のタグを付ける。緑は後回しに、黄、赤なら速やかに、黒なら最後に、という風に。
ただ、その行為には様々な葛藤が付いて回る。近年の医療ドラマを見ていただくと、現場で働く医療従事者の心や、その家族の様子などがリアルに描かれているため、興味のある人はそういうものを見たほうが早いので、ここでは詳しく記述しない。
大和はただ単に、トリアージという概念を、この少女が一人で実施していることに驚き、同時に抱えるものの大きさを考えて、心穏やかではいられなかった。
「わかりましたか。最低限出来ることしか出来ないという意味が」
わかる。だけど、少女の肩にのせるには、大きすぎる。
「俺さ、バカで鈍臭いけど、シオンの抱えるものを、少しでも一緒に抱えたい」
「は?」
突然の大和の言葉に、シオンは訝しげな表情を浮かべる。
「ま、僕たちに出来ることはするよって事だよ。それに、大和は頼りないバカだけど、僕はけっこう役に立つと思うよ」
ニヒヒと、沈んだ空気を払拭するように、ライラックが笑う。丸眼鏡がズレた。
「ってわけで、さっそく、シオンのお手伝いを始めよう!!」
いつのまにやら取り出した試験管を、まるで忍者のクナイのように手に持ち、ライラックは少年の様に笑顔を浮かべた。
こうして、大和達は前線の手前、時が止まったかの様な崩れた屋敷で、彼らだけの戦争を始めようとしていた。
そこは大和にとって初めての、死を実感する場所となるのであった。
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