第17話 決意
翌日、やはりと言うべき事が起きた。
「どうしてセラさんに会えないんですか!?」
大和が大声を出した。
朝食後に王妃リシリアに呼び出された大和とライラックは、昨日と同じ応接室で、リシリア本人と向かい合っていた。
ともすれば不敬罪にあたる大和の声を、リシリアが鷹揚に片手を振ってかわす。
「彼女には大事な仕事を頼みましたの。今は忙しい時です。あなたのようなよくわからない人を、セラちゃんの側に置くわけにはいきません」
大和は押し黙った。どうしたものかと頭を抱えたい気分である。
そこで、ライラックが眼鏡を押し上げながら口を開いた。
「ということは、王様が病気というのは本当のことなんですね」
「それは、」
リシリアは言葉を飲み込んだ。苦々しく表情を歪め、空中を睨みつける。
「どこから聞いてきたのかは知りませんが、滅多なことを言うものではありせんよ。たとえ王が病気であったとしても、あなた達には関係のないこと。数日猶予を与えます。その間に、あなたたちは城から出ていってちょうだい」
セラを手に入れたのだから、あなた達は用済みだ、という事だった。セラの連れであるから、あとは自由にしてあげる、と。
皆まで言われなくとも、その意味くらいはわかる。ここで不敬を買えば、間違いなく大和もライラックも、戦場送りとなるだろう。
だが、ここで黙っていられないのが、大和のバカな、いや、正直な所だ。その正直さは、ある人からは好まれはしても、今この状況では、悪感情を産むだけだが。
「前線の負傷兵はどうなるんですか?例え王様が回復したとしても、国力となるこの国の人達が回復しなければ、戦争が終わっても国は回らないんじゃないですか」
隣のライラックが、呆れたと言わんばかりに天井を仰いだ。黙っていれば城から解放されただろうにと。だけどこういった大和の直情的なところは、ライラックとて嫌いではない。むしろ言われるがままに流されて生きる人間より、余程好感が持てる。
「あなた、なにを言っているのかわかっているの?国にとって王よりも重要なことはないのですよ。潰れる寸前のアルバート共和国の相手など、負傷兵でも事足ります」
「だけど!セラさんの技術が最高だって認めたからここに連れてきて、監禁まがいの扱いをしてまで王様を治そうとしているんでしょう?だったらその技術を、負傷兵にも分けてしかるべきなんじゃないのか!?」
沈黙が降りた。ハアハアと息を切らした大和を、リシリアが無言で睨みつける。ライラックは背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。
口を開いたのはリシリアだ。
「あなたは、多少医療の知識があるそうね」
室内が凍りつくような冷たい声だった。
「それで、あなたは、医師が一人増えただけで、何かが変わるというのかしら」
「それは……」
そんなことは、ないに等しい事くらい、大和にだってわかる。やり手医師が病院を改革するなど、ドラマの中の話で、現実的だとは言えない。
だけど、平等に医療を受けるべきだ。それも、セラのような優秀な医者であれば、その技術を王だけが独占して言い訳がない。
「わかったでしょう。良い医者がわざわざ危ない所に行っても意味がないのよ。セラちゃんが前線に行ったとしても、どうせなにも変わりはしないわ。だったら、王の命を永らえさせる事こそに力を注ぐべきだわ」
「だったら俺が前線に行きます」
ギョッとしたのはライラックだけではなかった。大和自身もまた、自分の言葉に驚いていた。それでも、続けて言う。
「俺が負傷兵の手当てをする。それで、少しでも環境が良くなったってわかったら、セラさんを解放してくれ」
浮かんだのは、昨日の酒場の光景だった。皆ちゃんとした医療を受けているようには見えなかった。病院があるはずの王都でさえこの状況だ。前線の兵士がどういう状況かなど、戦争を知らない大和にだって想像はつく。
別にセラを解放して欲しいわけではない。
なんならセラは、ありとあらゆる方法で自分から出てくるだろう。
看護を学んできた大和にとって、それが平等ではないという事が許せなかったのだ。
セラは気まぐれで口の悪い飲んだくれだが、アスラ村の全ての人の治療に手を抜いたことはない。見返りもなにも要求しない。それが医療であると、行動で示していた。
「いいわ、好きになさい。しかし、もしあなたが死んでも、わたくしたちは知りませんから」
リシリアは呆れと苛立ちの混じる息を吐き出し、出ていってとばかりに手を振った。
応接室を出た大和は、思わずその場にしゃがみこむ。ぷはあ、と気の抜けた音を出した。
「猪突猛進だ」
小さく呟くようにライラックが言う。
「そうだな……」
「君が何かを変えるなんて、できるわけがない」
「だろうな」
「それに途中から話の筋も通ってなかった」
「まったくだ」
「あと、君はセラみたいに優秀ではない」
「う、それは本当にその通りだ」
「だけど、僕は嫌いじゃない」
フフン、とライラックがいたずらっ子の様な笑い方をした。
「ヤマト、僕は君に着いて行くよ。あの王妃様の鼻を明かしてやろう。僕たちが真剣になれば、ひとりでも多くの命を救えると!!」
「そこまでは言ってない」
だけど、そうなればいいとは思う。
「よし、となれば、まずは準備だね。二度寝でもしておくとしよう」
「気楽なヤツめ」
ふわあと欠伸を零し、伸びまでするライラックに、大和は苦笑いを浮かべた。
そして、どちらともなく拳を突き合わせた。
☆
昼過ぎ。昨日と同じ客室で、まだ解いてもいない荷物を、もう一度詰め直していた大和の所へレイラがやってきた。
控えめのノックに続いて、これまた控えめな声がし、扉を開けた大和はギョッとしてその場で固まった。
レイラは、大きな青い瞳いっぱいに涙を溜め、それをこぼすまいと唇を噛み締めていた。
「お母様から聞きました」
なにを?と言うまでもない。
「あの、とりあえず入るか?」
「はい……」
レイラはちょこちょこと室内に入ると、頑丈な木の椅子に腰かけた。ひとり用の小さな椅子だが、クッションは柔らかく、座り心地のいい椅子だ。
逆に所在無げにウロウロとする大和である。
「明日、朝一番に馬車が出ます。兵士を乗せたものなので、乗り心地は期待しないでください」
「あ、ああ。わかったよ」
しばらくの沈黙が、部屋全体を包む。気の利いた会話ができない点で、二人はとても良く似ていた。
「お父様は、昔から体の強い人ではありませんでした」
俯くレイラが、ポツリと話し出す。
「お父様は肺が弱く、あまり長く体を動かす事ができません。ここ数年、寝込む事が多くなっていたことも知っていました。兄が父の代わりをする事が多いので、そこまで心配はしていなかったのですが」
一度言葉を切ると、レイラは顔を上げた。
「戦争が長引き、街に負傷した者が増え、わたしは腕の良い医者を連れてくることを考えました。お母様がそんなわたしに、アスラ村へ行く様にと言ったことに、正直驚きました。止められると思っていたから。だけどまさか、お母様が最初からセラさんを城に置くためだったなんて、考えてもいませんでした」
レイラの握りしめた拳が震えていた。大和はまたも言葉を探し、失敗する。
「本当にごめんなさい。こんなことになるならば、セラさんをアスラ村から連れて来るべきではありませんでした」
「王様は、どうなんだ?」
「多分大丈夫です。わたしもまだ会ってはいませんが、侍女の話では、セラさんのお陰で少し良くなっているそうです」
そっか、と大和は微笑んだ。それを見て、レイラは戸惑いを浮かべる。
「レイラのお父さんが元気になるなら、俺はそれで良いと思うよ。セラさんは流石だな」
「だけど、ヤマトはセラさんの代わりに戦場へ行くのですよね」
「代わりってわけではないよ。どちらにしろ、セラさんが行くところに俺は着いて行くつもりだったから。だけど、これは俺が決めた事だ。レイラが謝る事じゃない」
自分で決めたのだから、と言葉にするとその重みがのしかかる様だった。たとえ売り言葉に買い言葉であったとしても。
自分は、明日、死地に向かうのだ。
「俺はレイラと同じ事を考えたんだ。街には負傷した人が多く、元気がない。それを少しでも減らせるのなら、俺は自分にできる事をする。セラさんともそう約束したんだ」
アスラ村を見下ろす丘の上。青い空の下、セラの背に向かって心を決めた。
今、その覚悟が問われている気さえするのだ。
「それに、追い出されるくらいなら自分から動く方がいいだろ」
そう言うと、レイラはクスリと笑った。
「ヤマトはやっぱり優しくて強いですね」
「そんなことないよ。今だって、明日の事を考えるとガクブルだ」
大和もニッと笑う。怖いのは事実だが、強くありたいとは思う。
「アルバート共和国は、確実に政権が変わります。それも近いうちに」
国の姫であるレイラが言い切るのだから、それは確かな情報なのだろう。
「って、ことは、戦争は終わるんだな」
「はい。それまでの辛抱です。わたしはなにもできませんが……」
ここで、待っていてくれるだけで良い、などとキザなセリフを、ライラックならば或いは言えたのだろう。
何度も言うが、大和に、そこまで漢気はない。
と、しかし、今回は、大和は少しだけ勇気を出して行動した。
具体的には、レイラの前に立つと、その手を引いて抱き寄せたのだ。一瞬驚くレイラだが、素直に身をまかせる。
「ヤマト、気を付けて。手当てをするヤマトが怪我してはダメですからね」
レイラは照れ隠しの様に言うと、大和の胸に顔を押し付けた。
「わかってる。ただ、俺はとんでもなく鈍臭いんだ」
上品なドレスを着たレイラの背に腕を回し、そっと抱きしめる。力を込めると折れそうな華奢な肩や、花の様な甘い香りがする金色の髪の感触を焼き付ける。
しばらくそのまま固まったように動かなかった。
その時偶然にも大和の部屋を訪れたライラックは、そんな二人をこっそり見つめ、少しだけ開けた扉をゆっくり閉めると、ニヤニヤしながら自室へ戻った。
二人がそれを知るのは、戦争が終わった後の事となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます