第16話 酒場で
大和とライラックは、王城の中庭で落ち合った。
「ヤマト、とりあえず街にでも出よう」
開口一番にライラックはそう言って、意気揚々と歩き出した。後について歩く大和。
「おい!街にって、勝手に出られるのか?」
「僕たちは別に、王家に囚われたお姫様じゃないんだよ。出入りするくらいは自由でしょ」
本当かよ、と疑いの目を向けると、ライラックは丸眼鏡越しにウインクをかましてくる。自信に満ちたその仕草は、大和の心配を払拭する。どころか、倍増させた。
暗くなった空の下、出来るだけ人目につかないようにして歩く。子どもの頃ならば、大きな城の敷地で、かくれんぼのような気分を味わえた事だろう。だが、成人した今となっては、それはただ泥棒の気分に等しかった。
入ってきた時とは異なる、小さな通用口のような門へ辿り着く。その付近に、兵士だろうか、ひとりの人影が見える。
「どうするんだ?」
大和は門とライラックを交互に見て言った。
「世間知らずのヤマトくんは、黙ってついてくるように。しゃべるなよ」
ニンマリ笑うライラックを、大和はムッとした顔で睨む。ライラックが幾分か歩調を早め、門へと近付いていく。
「すみませーん」
ライラックが兵士に片手を上げて、振った。
「ん、だれだ?」
「あのですね、僕は今日来た医者のつれなんですけど」
「ああ、あの赤毛の美人な医者か」
「そうです、そうです」
兵士は大和達と同年代に見えた。もっとも、見窄らしい旅装束のままの二人と違い、騎士団程ではないが立派な鎧を身につけた彼の方が、幾分かは大人びて見える。
「ところで、おひとりで門番ですか。そろそろ夜は寒くなってきたのに、大変ですねえ」
「いやあ、これが仕事だからな。そっちも、わざわざ辺境の村から来たんだろ?」
「そうなんですよ。道中は散々で。なにせうちの医者、とんでもないワガママなもので、色々揃えるのに苦労しました」
兵士は気さくに話しかけてきたライラックに、吊られるようにして砕けた口調で応じる。
「賢い奴っていうのは、総じてワガママで変人ばかりだからなあ」
「もっともですよ」
後ろで会話を聞いていた大和は、思わず吹き出しそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。まさに、セラとライラックの事だと思ったからだ。
一瞬、振り向いたライラックが、無言で大和を睨みつける。しかし直ぐに兵士へと向き直り、困ったなあというように肩をすくめる演技をした。
「それで、なんですけどね」
「なんだ?」
「そのワガママな女医が、こんどはこんなことを言うわけですよ」
「?」
「王城の上品な甘い酒など口に合わん!今すぐ酒場の蒸留酒を手に入れてこい!ってね」
「ほう」
ライラックはニヤリと笑みを浮かべ、兵士に二枚の銀貨を差し出した。
「なるほど」
「手土産に同じ蒸留酒でも差し入れしましょうか?」
兵士の顔に、悪い笑みが見えた。取引成立とばかりに、兵士は銀貨を受け取り、懐へ仕舞う。「越後屋、ヌシも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどては」というやり取りが、大和の頭で繰り返される。
「さて、俺は日が変わるくらいまではここにいるんだが、今日は誰も来ないなあ」
態とらしくあらぬ方へ顔を向ける兵士。ライラックは大和にウインクをすると、門を抜けて城から脱出した。
何が世間知らずだ。ただの賄賂じゃないか。
微妙な罪悪感を感じはするが、同時に胸が高鳴るような高揚感も感じる大和であった。
☆
王都の夜は想像していたよりも静かだった。都心の夜のように、テンションの高い人々が行き交う様を想像していたのだ。
だが実際は、アスラ村のほうが活気があるんじゃないかという程、街は閑散としており、人がいるのはランプの灯りが漏れ出ている酒場くらいのようだった。
大和とライラックは、そんな酒場ひとつに腰を落ち着けた。頼んだビールは、気が抜けたような曖昧な味がする。
「王妃様は、なにか良からぬことを考えている」
唐突に、声をひそめてライラックが言った。酒場はほぼ満席で、賑やかさはあったのだが、それでも小さな声で話すに越したことはない。
「ああ、俺もそう思う」
「セラの噂は相当に広まってるよ。僕がまだ王都にいた頃も、やり手の魔法医がいると噂されていた。そんなセラを手に入れたい理由って何だろう」
グラスを口に付けていた大和は、勢い余ってゴクリと喉を動かした。
「ちょ、待て、お前は王都にいたのか?」
「むかーし昔のことだけど」
そう言う彼は、ビールを一息に飲み干して、通りかかった給仕の女性にお代わりを頼んだ。
「なり行きだから言うけれど。僕は王都出身なんだよ。アスラ村に移住する前までは、ここで薬師の仕事をしていたんだ」
初めて聞く話に、大和は興味を抱く。やはり友人の事は知りたいと思う。長旅を共にして、より強くライラックの事を気に入っていたから尚更だ。
「だから、城の中も知ってたんだな」
「そ。何度か薬を届けに行っていたからね」
暗い城内を迷いなく歩くライラックを不思議に思っていたところだった。なるほど、だから門の場所も把握していたのだ。
「そんなことは、今はどうでもいい。それよりも、なんだか様子がおかしい」
ライラックは、不意に蘇った過去を拭うように話を変える。
もっと知りたいと思う大和だが、たしかに、今は先に相談しておくべき事があるのも事実だ。
「おかしい?」
「この街、こんなに静かではなかったよ。僕がここに住んでいたのはもう10年は前だけど、もっと賑やかだった筈だ」
「それは……、戦争中だから、じゃないのか」
街に活気がないのは、誰がどう考えても戦争中だからだと言うはずだ。この酒場に入った時も、テーブルを埋める客の殆どが負傷した兵士である事に気付いていた。皆一様に、身体の何処かに包帯を巻いているのだ。
「たしかに、戦争中だからだ。男たちは皆疲弊して、女たちは代わりに働きに出ている。日中は忙しいから、夜はさっさと眠りにつく。それが今の王都なんだと思うよ」
だけど、とライラックは続ける。
「城内も静かすぎだと思ったんだ。国一番の魔法医を迎え入れたにも関わらず、国王は顔も見せないし」
「そりゃ国王が簡単に出てくるかよ」
「簡単に出てくるんだよ。ファルガール国王は気さくで外交力に優れた王様だ。娘が苦労して連れ帰った医者を、真っ先に出迎えるような人だよ」
二杯目のビールを飲むライラックは、至って真面目な顔をしていた。外した眼鏡の金具を弄っている。
「じゃあなんで出てこなかったんだろう」
大和が呟く。と、ちょうど隣の席が空いた。男性二人が、覚束ない足取りで店を出る。するとすぐに、入れ替わるように別の男二人がそこに座った。
なんとはなしにそちらを見やる。といっても、あまりジロジロ見ては失礼だと思う大和は、だけれど気になってしまう自分を抑えられなかった。
二人の男には、大和が目を反らせない理由があった。背の高い男は松葉杖をついている。片足が無かった。もう一人は、片腕の肘から先が無かった。
「チッ、おれらがこんな状況だってのによ、まだ続ける気でいやがる。まったく、どうしちまったんだ、この国は」
腕の無い男が、渋い顔で言った。足の無い男が応じる。
「そりゃあ仕方ないさ。どうやら国王陛下は、重い病気なんだそうだからな」
「おい、声が大きいぞ。ただの噂だろう。滅多な事を口にすると、残った足まで無くなっちまうぞ」
「んだと!?」
ガタガタ、と椅子を揺らすも、とっさに立ち上がる事が出来ず、足の無い男は悔しげに舌打ちを零した。
近くの席の何人かは、二人の男を見やった。だが、酒場では良くある怒鳴り合いだと、別段注目を集める事もなかった。
「あの」
え?、と大和は声を上げた人物を見やる。ライラックだ。彼はいつのまにやら、丸眼鏡をきっちり掛け直し、神妙な、それでいて好奇心の宿る顔で男たちを見ていた。
「んだ?」
「あの、詳しく聞いてもいいですか?僕たち、昨日からお城で仕事を貰ってて。王様を見た事ないんです。どんな方なのでしょう?」
大和は、それこそポカンと口を開けた。何いってるんだ?と目一杯顔で訴える。しかしライラックは知らん顔で、おもむろに給仕の女性を呼んだ。
「おかわりを。それと、この人達にも同じのを」
給仕の女性は訝しむような顔を向けたが、ライラックがキラキラした笑顔を向けると、途端にビールを取りに戻っていった。
奢ってもらえるとわかると、男たちは饒舌だった。お互いに欠けた部分を補うように、もともと二人で一つだったのではないかというくらいに、交互にペラペラと話し出す。
それらはやはりというか、大和とライラックが感じた違和感の、核心に触れるような内容であった。
「じゃあ、何年か前から王様は人前に出ていないんだね?」
「そうだ。隣国と開戦したばかりだってのに、その途端、王は城に引きこもったみたいに出て来やしない」
「王様が病気というのは」
「前に侍女として働いていた女から聞いたんだが、王様は城どころか自室からも出ない。ついこの間まで流行っていた病のせいじゃないかって、噂されてんだ」
交互に話す二人の男たちは、はあ、と同時に溜息をついた。
「お前さんたちも、城の仕事なんか辞めて、さっさと王都から出た方がいい」
腕の無い男が、傷が痛むのか包帯の巻かれた所をさすりながら言った。包帯は随分と黄ばんでいて、劣悪な医療環境だなあ、と大和は思った。
「どうしてですか?」
「王様が病気で床に伏したままだと、戦争は負ける。当然、王家と、そこに使える者がどうなるかはわかるよな」
大和の頭にレイラの顔が浮かんだ。敗国の姫がどうなるのか。それは単に大和の想像のうちでしか無いのだが、ロクな扱いを受けない事くらいは想像がつく。眩しい笑顔が陰る様など、考えたくはなかった。しかし、一度思考の波がズンと沈むと、そこからは嫌な想像ばかりが増えてしまう。
「ハハハ、お兄さん、そんな暗い顔をするなよ」
足の無い男が、大和の表情を見て笑う。そこまで分かりやすかっただろうか、と大和は頬が熱くなった。
「どうやら戦の女神は、ファルガールに微笑もうとしているらしい」
「ああ、その通りだ。アルバートは近々、政権が変わる、と、噂されている」
男たちはいつのまにか頼んだつまみの茹でた豆を口に入れ、むしゃむしゃしながら話した。
「アルバートの過激派政権が終われば、この無意味で時間ばかり過ぎる戦争も終わるだろうな」
「その通りだ!それまでに、王が死ななければなお良し、だな!」
「どちらにしろ、前線はもう持ちそうにないさな」
「ああ、ありゃあ地獄だよ。そこいら中負傷した兵ばかりだしな」
がははははと、男たちは豪快に笑った。
大和はライラックと視線を交わす。
「おっちゃんたち、色々教えてくれてありがとうございました」
ライラックが人当たりの良い笑顔で礼を言う。大和も頭を下げて席を立つ。
給仕の女性に四人分の代金を払って、二人は酒場を出た。もちろん大和の財布からである。
「次は奢れよ」
という大和を無視して、ライラックは形のいい顎に手を触れながら言った。
「やっぱり、セラを王都に連れてきたのは、国の為ではないな。というより、王様の病気を治す為と考えるのが妥当だ」
大和もそう考えていた。てっきり負傷した兵の為の魔法医だと思っていたが、こうなるとセラは王城から出られないだろう。
「さっきの、前線の話だけど」
「負傷兵ばかり、ってやつだな」
気になる所だと、大和は考えていた。この王都でさえ、衛生環境が整っているとは到底思えない。さっきの男たちもそうだが、酒場にいた連中は、まともに手当てされているようには見えなかったからだ。使い古された包帯や、まともに役に立っていない松葉杖、肩から下げた三角巾など、一体どこを支えているのやら、と言ったレベルであった。
「とにかく、今日のところは城に戻ろう。あの兵士が、酒を待ちわびているだろうし」
ライラックが空を見上げて言った。たしかに、もう随分酒場にいた気がする。
二人は閑散とした街を城まで歩く。
こうして王都初日の夜は、静かに更けていった。
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