第15話 王都ルガール
王都ルガールは、イタリアのヴェローナという街に似ていた。オレンジ色っぽい屋根の美しい家々。その隙間を縫うように、丁寧に舗装された地面が蜘蛛の巣のように伸びている。
ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台となった街だ。今にも細い路地から、スマホ片手に記念撮影をする観光客が飛び出して来そうだ、と大和は思った。
とはいえ、大和はイタリアに行ったこともなければ、海外にすら足をつけたことはない。母親が見ていた旅行雑誌と、ひとりっ子で母子家庭という境遇のため、暇つぶしに読んだ小説やテレビ番組の知識程度で判断している。
「うわぁ、綺麗な街だな」
食い入るように外を眺める大和が呟く。レイラがクスリと照れたように笑った。
「良かったです」
「え?」
「ヤマトに気に入ってもらえたみたいなので」
レイラは旅の間に、すっかり!とは行かないまでも元気を取り戻していた。そこに大和が贈った首飾りが少なからず影響していることは、火を見るよりも明らかだ。さらに、王都が近付いてくると、やはり生まれ育った街が恋しかったのかレイラ表情に笑顔が増えた。
「そっか、ここがレイラの街か」
「わたしのというわけではありませんが。ただ、わたしの父や祖父、曽祖父が守ってきた街なので、ヤマトに気に入ってもらえて嬉しいです」
ホワホワと周りに花でも浮かんでいそうな雰囲気で話す二人に、丸眼鏡を押し上げたライラックが水を差す。
「あのさ、ヤマトが浮かれるのもわかるんだけど、少しはこれからのこと考えた方がいいんじゃないかなあ」
「これからのこと?」
「そ。僕たちは遊びに来たわけじゃないでしょ。アスラ村から徴兵された訳だから、当然働かなければならない」
「確かに」
となると、自分はどこで働くのかが問題となる、と大和は急に不安を感じた。
「魔法医であるセラは、当然最前線に派兵されるだろうけど」
「だろうな。たく、少しは休ませて貰えるといいのだが」
舌打ちとともに、セラが馬車の天井を仰ぐ。大和は耳慣れない言葉に首を傾げた。
「魔法医って、なんだ?」
「魔法が使える医者ってことだよ」
面倒そうに、だけどしっかり答えてくれるところが、ライラックの良いところだと大和は思う。ただ、いつもの事だが、説明が足りない。
「魔法って、医者なら誰でも、セラさんと同じことができるんじゃないのか?」
大和が初めてこの世界の医療に触れたのは、カーシャの息子ヤナを助けた時だ。その時セラが、魔法を使って局部麻酔をかけたところを見た。それからも何度か、セラがそうして様々な場面で医療の中に魔法を使っていたから、てっきり誰でもできるものだと考えていたのだ。
「ムリだよ。そもそも魔法を使うことができる人間は希少だ。羨ましいよ」
「へぇ。だからレイラはアスラ村までやってきたんだな」
「はい。セラ様は王都の病院でも有名ですので」
今度は、病院という単語に、大和はハッとして食いついた。
「ここには病院があるのか?」
「あるよ。この国で最も優秀な医者が集まる病院だよ。って、ヤマトは本当に何にも知らないんだね」
「だから、知らないって言ってるだろ」
何度言えばわかるんだよ、と眉間にしわを寄せる大和。
「ともかく、セラは医者として、僕は薬師としてやることはきまっているけど、あんたはどうなるんだろうなあ」
看護師という職業が存在しないこの世界だ。大和はゾッとして顔を青くする。
「もしかすると、ただの兵士として派兵されるかもしれないね」
ライラックは哀れみのこもった顔を大和に向ける。セラは興味なさそうだ。
「や、やめてくれよ!」
と、悲鳴のような声を出す大和。間髪入れずに、レイラが声を上げた。
「そんな事にはなりません!ヤマトを最前線に行かせるなど、わたしが許しません!」
強く断言するように言う。キッとライラックを睨みつける眼には、さすが王族の娘、結構迫力があった。
「ああ、そう。良かったねヤマト。お姫様が権力を駆使して守ってくれるってさ。愛されてるよねえ」
「ひゃ!?べ、べ、別に、そんなつもりで言ったのでは……」
また始まった、と大和は思った。ライラックのレイラ弄りは、旅の間の恒例行事と化していた。
そんな一か月の旅路は、ついに終わりを迎える。
☆
ここがイタリアのヴェローナに似ていると言うのであれば、その中央にデンと構える王城は、さながらカスティルベェッキオ城といえるだろう。威風堂々とした構えの城だ。可愛らしい街並みとは反対に、守りに重点を置いたような無骨さが逆にカッコいい。
感傷に浸る暇も与えられずに、アスラ村からのご一行は、あれよあれよというまに応接室へと通される。
てっきり、いかにもな王様の謁見の場を想像していたものだから、大和は安堵と緊張の入り混じった気分で、出されたお茶菓子に手をつけようかと悩んでいた。
応接室までの道のりは、どうせバカな大和に覚えられるわけも無いので割愛する。とりあえず、コの字型の城の二階の何処かだ。
「ようこそいらっしゃいました。わたくし、ファルガール王国王妃、レイラの母でもあります、リシリア・レイリノア・ド・ファルガールと申します」
優雅に一礼する妙齢の女性は、レイラにそっくりだった。いや、レイラが似ているのだ。金糸のような髪は若干、レイラよりも白い。
リシリアは応接室の奥に鎮座する頑丈な机ではなく、大和達と同じ応接セットのソファに腰掛けていた。随分とフレンドリーな王妃であった。
「お母様、そんなところに座られては、皆さんが寛ぐことができません」
レイラが大きな瞳をパチクリしながら、母親を嗜める。しかしリシリアは何食わぬ顔で、娘の顔を一瞥して、まるで幼い少女のように満面の笑みを浮かべて言った。
「えー、だって、随分久しぶりなんですもの!ねぇ、セラちゃん?」
高価そうな装飾の入ったティーカップを傾けるセラが、隣から発せられた随分馴れ馴れしい王妃の言葉に、一瞬だけ動きを止めた。
対面に、レイラ、大和、ライラックの順で座っているのだが、こちらもひと時の間、動きを止めた。
「む、リシリア、わたしはあなたに一度しか会ったことはないわけだから、一介の王妃に、そこまで気安くされるのもおかしな話ではないか」
「いやあん、そんなクールなセラちゃんも大好きよ。全然変わってなくてホッとしたわ」
「変わっていないわけないだろう。あの頃のわたしは、まだほんのガキだったのだが」
律儀に応じているのは、相手が国王の妃であるからだ。話し方はともかく、相手が大和ならばとっくに無視されているところだ。
「セラ、王妃様と知り合いなの?」
ライラックが無遠慮に口を挟む。
「ああ、昔、リシリアが王妃となってすぐの頃に、地方査察の為、王と各地を回っていてな。アスラ村にもやってきたんだ。わたしがまだ医者になる前だった」
「とか言って、あなたの腕は確かだったわ。足をくじいたわたくしの手当てを、手際よくしてくれたのだから」
大和は思わず背筋を震わせた。横を見れば、レイラも目を見開いている。
大和とレイラの出会いは、奇しくもセラとリシリアの出会いと酷似していたのだ。
「レイラが診療所にやってきた時、わたしは確信したよ。リシリアはまだ諦めていないんだとな」
「当たり前よ。貴方ほどの腕の魔法医を、辺境の村に留め置くなどとんだ宝の持ち腐れですもの」
ふと、得体の知れない怖気のようなものが、大和の感覚器官を刺激した。リシリアの、レイラとよく似た太陽のように明るい笑みの下に、暗く冷たい井戸の底を思わせる何かを感じたのだ。
「その執念に免じて、ということにしておくとしよう。連れは長旅で疲れている。本題に入る前に、今日の所は休ませてくれないか?」
セラの提案に、リシリアは愛想よく頷いた。
「もちろんよ。さて、客室へ案内させるわ。皆さん暖かい湯にでも入って、しっかり体を休めてくださいね。セラちゃんは少し良いかしら?」
「ああ、かまわんよ」
リシリアの目配せに応じるように、控えていた使用人が動き出した。促されるままに、大和とライラックは席を立つ。レイラは訝しげに眉根を寄せて母親を見るも、その視線をリシリアは無視した。
応接室を出ると、浮かない顔のレイラは自室へ引き下がり、大和とライラックは使用人について、静かな城内を移動する。カツカツと、人数分の足音が響く。
「なんだかヤバイ雰囲気だ」
移動の途中、使用人の目を盗むように、ライラックが耳打ちする。大和も同感だった。そもそも、徴兵令の代わりに王都まで来たはずだ。だが、リシリアはセラと知り合いであり、そのことをレイラにも黙っていたようだった。王妃であるリシリアがわざわざ出迎えたことも、この世界の常識に疎い大和ですら違和感を感じていた。
「ヤマト、後で」
「ああ」
大和とライラックは、さりげなく目配せをし合う。
それから使用人に案内されるまま部屋へたどり着き、しばしの休息をとることになった。ライラックはまた別の部屋に案内され、つかの間一人きりとなった大和は、広い客室を見回してため息を吐き出す。一人暮らしだった大和にしては、広すぎる部屋だ。
良かれと思いセラについて来た。最初に交わした約束のため、それから、自分が元の世界に戻るため。
だが事はそう簡単にはいかないらしい。
「これからどうなるんだ?」
大和の呟きは、広い室内に虚しく消えていった。
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