第14話 続 旅の途中で
夏祭りは街を挙げての大規模なものだった。完全に暗くなると、至る所でランタンの火が灯され、まるで昼間のように明るくなる。幸せそうに寄り添う男女や、友達と騒ぐ子どもが走り回り、露店では様々な品物を売っている。
大和とライラックは、街の中心、一際賑やかな広場へ出ると、軒を並べる露店を片っ端から見て歩いた。ふと、子どもの頃に母親と来た花火大会を思い出す。看護学校とパートと家事で忙しいはずの母親は、だけどそんな事をおくびにも出さずに、大和をよくこういうイベントに連れて行ってくれたのだ。
思い出に浸る寸前、大和の目に、一軒の露店が飛び込んできた。そこには様々な装飾品が並び、そのうちの一つ、透き通る真っ青な石のついた首飾りに目を止める。
「僕があんたの心を代弁してやると、この石、レイラの瞳の色と同じだ!これをあげたら、きっと彼女は元気を取り戻してくれるだろう!」
「うるさい!」
図星だった。純粋にそう思った大和だが、他人に暴かれるとどうしてこうも不快なのかと眉根を寄せる。
「そんなに怒らないでよ。僕も良いと思うよ。まあ、捻りがないというか、まったく面白みはないわけだけど。そこがまた奥手なあんたらしくて逆に好感が持てるというか」
「バカにしているようにしか聞こえない」
「ああそう。解釈の違いだね」
大和はライラックを無視して、青い石のついた首飾りに手を伸ばす。
「それは青石というんですよ。なかでも純度の高いものは、最近では手に入らないの。今日は特別良いものが入ってね」
露天商のおばあさんが、優しい笑みを浮かべながら言った。大和は青い石を掌に乗せる。親指の爪くらいの大きさで、ランタンの火を受けて輝くそれは、晴天の下キラキラ光るレイラの瞳にそっくりだった。
「いくらですか?」
「誰にあげるかによるわね」
大和は目を点にしておばあさんを、穴が空くかというほど見つめた。ライラックは腹を抱えて笑っている。
「ほら、この歳になると、浮いた話もなにもないのよ。だから、あなたの話でわたしを楽しませてくれたら安くしてあげる」
「話してやりなよ。第二王女に叶わぬ恋をして、元気のない彼女を喜ばせようとしてるって」
「まあ、本当なの?」
大和の顔は真っ赤だった。茹でたタコ並みに真っ赤で、はからずもそれがまたおばあさんの好感を得ていた。
「うぐ、本当と言えば本当ですけど」
と、その時、大和の身体に、少年がぶつかってきた。
「おっと、大丈夫か?」
「ごめんなさい!ふざけてたら、当たっちゃった」
目にかかる茶色い髪を振り乱す、十歳くらいの少年だ。瞳に少し影があることが気になった。
「いいよ。気を付けてね」
「本当にごめんなさい」
少年はきっちり頭を下げて走り去る。駆けていく少年の後ろ姿になんとはなしに目を向けていると、ライラックが大和の袖を引っ張った。
「なんだよ」
「なにも取られてない?」
「え?」
言われて服のポケットに手を当てた。軽く叩く。なにも違和感はない。
「あ!!袋がない!!」
そう、違和感が無い方がおかしかったのだ。大和のズボンの右ポケットには、セラから貰ったパンパンに膨らんだ皮袋があるはずだったからだ。
「さっきの男の子か!」
叫ぶと同時に足が動いた。少年が消えた方向へ、大和も走る。その後を、ライラックもついていく。
露店のおばあさんはそんな二人を見て、若いわねえと呟いた。
☆
少年の足は速かった。当然だ。運動不足気味の二十二歳と、動き回ることが仕事のような少年では、瞬発力が違う。
ただ、大和の強みは諦めないことだ。だから、少年の背中が見えた時、大和は知らずスピードを上げていた。後に続いていたライラックがギョッとする程だった。
「待てよ!」
大和の張り上げた声が響く。いつのまにかそこは人気のない狭い路地だった。
少年はビックリして飛び跳ね、ガシャっと音を立てて皮袋を落とした。
「くっ、ぼくに追いつくなんて」
「やっぱり君か……返してくれよ」
呼吸を整えながら近付くと、少年は落とした皮袋を拾わずに後ずさる。
「殴りたきゃ殴ってくれ」
キュッと目を瞑る姿には、まだあどけなさが残っている。大和は皮袋を拾い、ポケットにしまった。
「殴ったりしないよ」
ふう、ととりあえず安堵して、改めて少年に顔を向けた。と、そこでなぜか、追いついてきたライラックが、少年の頭にゲンコツを落とした。
「イッテェ!!」
声をあげたのは、まさかのライラック自身だった。頭を抑えて、魚のように口をパクパクさせる少年。
「なにしてんの」
「僕の財布を盗んだ罰だ」
「お前のじゃないけどな」
ライラックは白々しくも明後日の方向を見やる。聞こえませーんという感じだ。ゲンコツに使用した右手をせわしなく振っている。
「にしても、なんでスリなんかしたんだよ」
少年は唇を噛み締め、目を逸らした。わかりやすいなあ、と大和は思う。
「お金に困ってる?」
「別に」
「事情があるんだろうけど、人から盗んじゃいけないよ」
いつのまに、自分はこんな綺麗事を言うようになったのだろうか。
「わかってるよ。ちぇっ、お兄さんになら、気付かれないと思ったのに」
少年は開き直るかのようにそう言った。
「大丈夫、このお兄さんは気付いてなかったよ。ただ、僕の眼は誤魔化せなかったね。残念でしたあ」
ライラックはまるで子どものようだった。同年代というより、むしろこの少年と同じ年頃なのではと、大和は半ば本気で考えた。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
その時、路地の奥の暗がりから声がした。
「メイ!出てくるなって言ったろ」
「でも、お兄ちゃん、なんだか揉めてるみたいだったから」
少女だ。茶色い髪は少年と同じ。青い顔で目の下の隈は酷い。明らかに、体調が悪そうだった。
「ひょっとして、妹のためにスリなんかしたのか?」
「ありがちだなあ」
大和はライラックの膝の裏を蹴って黙らせた。少年は妹の手を握ると、意を決したように話し出す。
「妹のメイは取り憑かれてるんだ」
「え」
取り憑かれてる?と、大和は首をかしげる。魑魅魍魎の類は、信じていない。そうしないと、常に死人がでる病院でなど、働こうとは思えない。
「夜中に急に咳が止まらなくなるんだ。医者に診せようにも、金がなくて」
「なるほど」
「もうしないよ。だから、許してくれ」
懇願する少年の手は震えていた。妹の事がどれだけ大切なのか、そういった思いが切々と伝わってくるようだった。
「セラさんに診てもらおうか」
ポツリとこぼす大和。ライラックは首をかしげる。
「あの人はお人好しではないよ。というか、既に酔いつぶれてるんじゃない」
「かもしれない」
セラの酒癖の悪さは、アスラ村一だ。
「なんとかならないかな」
「咳が出ないようってだけなら、やりようはあるよ。近くに薬草を売っている露店があったしね」
「じゃあこうしよう。俺たちが薬をあげるから、君はこれから泥棒まがいのことは一切やらない。どう?」
少年は少し悩む素振りを見せた。不安そうな妹を見る。それから、ハッキリとした口調で言った。
「わかった。もう人の財布を獲ったりしないよ」
大和はニッコリして頷く。
「決まりだ。ライラック、その露店はどこにあったんだ?」
☆
大和は、セラから貰った皮袋を眺め、露店のおばあさんに金貨を二枚渡した。まいどあり、と言って、おばあさんは金貨を受け取り、替わりに青い石の付いた首飾りを大和に渡す。
皮袋は随分小さくなっていた。
「あの子達、大丈夫かな」
露店から離れ、大和は小さく呟いた。ライラックは少し前に買った揚げパンのようなものを齧り、満足そうに笑った。
「大丈夫だろ。僕の調合した薬があるからね。セラだって僕の薬がないと治せないんだから」
それに、とライラックは続ける。
「あのくらいの子どもには、よくある症状だよ。呼吸がしにくくなって、咳が止まらない。胸から変な音がして、唇が青くなる、なんてね」
それらは多分、喘息による症状だった。小児喘息。別に珍しくもなんともないもので、大概大人になるまでに治るのだ。
それなのに、そうだと知らないから、少年は妹のために盗みをしてしまった。
この世界の医療は未熟だ。呼吸器テストなどできない。CTもなければレントゲンすらない。大和は医者ではないから、診断を下すことはできない。けど、きっと病気を病気だと知らないまま苦しんでいる人がたくさんいる。それは時には、家族にも影響を及ぼす。そのことを実感した。
少年はきっと不安だったのだ。苦しそうな妹がかわいそうだったのだ。取り憑かれてると言い訳して、だけど医者に診せようとも考えて。
大和とライラックは、宿までの道を無言で歩いた。
ライラックは明日からの旅路を考えていた。どうやって効率よく大和に読み書きを教えようかということに、脳みそをフル回転させていた。
大和はというと、少年とその妹の事を考えているような深刻な顔をして、実際は、レイラにと購入したこの首飾りを、さてどうやって渡そうかという、正直くだらないことに頭を悩ませていた。
王都までは後二週間。
その間には、例えばライラックが行方不明になったり、大和がレイラに首飾りを渡したり、盗賊に襲われた盗賊を助けたりと、色々な出来事があったのだが、客観的に見て、あまり面白いものでもなかったので、その辺りは割愛させていただこうと思う。
とにかく、大和は無事にレイラに首飾りを渡し、なんとなく文字が読めるようにはなった。そんな旅路は、予定通り終わりを迎える。
夏の気配が去り、肌寒い日が増えた頃。一行はファルガール王国、王都ルガールにたどり着いた。
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