第12話 旅立ち

 大和は診療所の前で、扉を開けようと挙げた片手をそのままに、固まっていた。セラは中に居る。窓からランプの灯りが漏れている。


 セラはさっそく、身支度でもしているのだろうか。


 大和が転生者であると見抜いた彼女が、集落を見下ろす丘で語った事を思い出す。大和と同じように転生した男性医師に出会い、医者を目指すようになり、今までこの集落のために尽力してきた彼女は、集落のために王都へ向かう。


 それでいいのだろうか。セラの気持ちは、誰が聞くのだろうか。などと、どうしようもない思いが、大和の頭の中をグルグル回る。


「ヤマト、いつまでそこに突っ立っているんだ?」


 中から声がして、大和は慌てて扉を開けた。なぜ開けたと聞かれれば、条件反射としか言いようがない。


 しまった、と大和は、かける言葉が見つからないまま診察室のセラの元へ向かう。今から取り調べですよという気分だ。もしくは職員室に呼び出された、というような。


「大和はここで、今まで通り皆を見てやってくれ。いいな?」


 セラはいくつかの本を鞄に詰めていた。無駄なく動く彼女の表情は見えない。


「でも、俺は……」

「なんだ?わたしがいなければ何もできない訳ではないだろう?」


 大和が言いたい事は、そういう事ではない。本当はセラの本心が知りたい。あんなにあっさりと、引き受けてしまっていいのかと。


 だけど言葉にならず。ついつい言ってしまった。


「俺も一緒に行きます」


 言ってから、少しだけ後悔した。それは、自分も戦場に向かうという事だという思いがあったからだ。


 セラは何も言わない。だから、大和はここぞとまでにまくし立てるように続けた。


「俺、最初に言いましたよね。セラさんに着いて行くって。セラさんがあの時、俺を勇気付けてくれなかったら、今、こうしてはいなかったと思います。多分ずっと塞ぎ込んだまま立ち直れなかった。だから、俺はセラさんに着いていきたい」


 いつの間にか手を止めたセラが、大和を真っ直ぐに見ていた。


「それにですね、アスラ村は好きですけど、ここにいても、俺が元の世界に戻れる方法も見つからない気がするんで……」


 取ってつけたような理由に、つい尻すぼみになってしまう。


 単に、昼間レイラに語って聞かせたせいであったが、大和は急に母親が気になって仕方なく、だからついつい言ってしまったのだった。


「確かに。ここにいても、帰れる方法がない事はわかりきっている」


 セラに医療技術を教えたという人物も、帰ることは叶わなかった。


「それに王都には、国中の知識が集まるという。探すのならばやはり、一度は行ってみた方がいい」


 ふう、と呆れたような、疲れたような吐息を漏らす彼女の顔は、少しだけ、ほんの少しだけだが、嬉しそうだった。


「わかった。大和、お前も来い。この村のことは、ジーンとナナに任せよう」

「セラさん!」


 万歳をしそうな勢いの大和に、セラは顔をしかめた。


「ただ、な。あの二人だけに任せるのなら、それなりに準備が必要だ」

「まあ、不安ではありますね」


 沈黙。セラは白く尖った顎に片手を充て、悩むようなそぶりを見せる。


「一週間だな。それくらいなら、待たしても問題ないだろう」

「待たせるって、騎士団をですか?」


 驚く大和に、セラは頷いた。


「待ってくれるんですか……?」

「さあ?それはわからんが」


 どっちなんだよ、と大和は叫びたい気分だった。あの恐ろしげな女性騎士を思い出し、身震いしてしまう。


「ま、なんとかなるだろう」

「なんとかって、」

「わたしを誰だと思ってるんだ?超一流の医者だぞ。あいつら、わたしの腕を知ったら、度肝を抜かして一週間待って良かったと心底思うだろうな」


 ニヤリと不敵に笑う。大和は呆れて仰ぐように天井に視線をやり、それから、どちらともなく笑い出す。


 これからの事を思えば正気の沙汰ではないが、二人はしばらく、腹を抱えて笑い合うのだった。







 ☆

「ただいま」


 すっかり日が暮れてから、大和は寝泊まりしているカーシャの家に帰った。


 カーシャはテーブルについて編み物をしており、大和に気付くとニコリと微笑んだ。


「おかえり。お腹空いてる?」

「あ、はい」

「今用意するわね。座って待っていて」


 言われた通りテーブルにつく。カーシャは編み物を中断して立ち上がると、台所へ向かった。


 しばらく待つと、カーシャが戻ってきた。テーブルに木の器を置く。シチューだ。それと、固めで歯ごたえのあるパン。噛むのは大変だが、これがまた風味があって美味しい。シチューに浸しながら食べるにはちょうど良かった。


 そういえば、転生してから初めて食べたのも、カーシャの作ったシチューだった。


「ルナとヤナは?」


 スプーンを手に取りながら訊ねる。カーシャはまた編み物を再開していた。


「もう寝たわ。今日は木の実を取りに森へ行って、とても疲れたみたい」

「そうですか」


 なんとなく気が重かった。いつもは気にもしない、ランプの作り出す影ばかりが目に入る。さながら大和の心を映し出すかのように揺れる影だ。


「ヤマト、話は聞いたわ。セラ先生、ここを出るのね」

「はい」


 結局セラの本心はわからなかった。だけど、アスラ村の中では、すでにそういう方向で話がすすんでいるのだ。一人を差し出し、ほかの何人もが助かるのならば、それは仕方のない事だと大和も思う。診療所にはジーンとナナがいる。だけど、誰かの家族に代わりになる人はいない。


「あなたはどうするの?」


 それは完全に、大和の不意をつく質問だった。全て見透かしたようなカーシャの視線に、息苦しささえ感じる。


 だけど、どのみち言わなければならない。


「俺も……俺も行きます。セラさんと、王都に」

「やっぱりね」

「え」

「わかったわよ、それくらい。あなたのただいまの声でね」


 そう言って、カーシャは微笑んだ。そうだった、と大和は思い出す。以前にも、ウメのことで悩んでいた大和に気付いたカーシャは、家族だから気付かないわけないと言って、慰めてくれた。


「すみません、カーシャさん。俺、こんなに良くしてもらって勝手だなと思います。だけど、セラさんを一人にはできない。あの人は、適当でいい加減でだらしないけど、この村の為に文句ひとつ言わないんです。せめて俺だけでも、支えてあげたい」


 本心を語らないセラだから、大和は着いて行くことに決めたのだ。このままひとりにすると、いつか絶対に折れてしまう。そんな思いがあった。


「いいのよ。あなたの人生だもの。好きなようにしなさい。でも、絶対に帰ってきてね?ここはあなたの家なんだから」


 カーシャの眼は優しかった。それは、素性の知れない自分を受け入れてくれた時から変わらない。


 いつの間にか、大和の頬を涙が伝っていた。悲しいのか、嬉しいのか、よくわからない涙だった。


「ほら、冷めないうちに食べて!」

「あ、はい」


 怒ったように言うカーシャの声に、大和は慌てて涙を拭う。


「カーシャさん、ありがとう」


 そう言うと彼女は、また優しげに笑った。目尻のシワが深くなる。


「もう、いいって言ってるでしょ?あ、王都に行っても、手紙くらい出しなさいよ。レイラとの事、ちゃんと教えてくれなきゃダメだからね!」

「ん?レイラ?」


 そこでカーシャは、驚いたような顔をして大和を見た。


「あら、あなたたち、付き合ってるんじゃないの?だから王都に行くのよね?」


 大和は口に入れたばかりのシチューを、思わず噴き出しそうになり、堪えた。


「な、な、なんで、いつの間にそんなことになってるんですか!?」

「みんなそう言ってるし、あなたたちいい感じじゃない。もしかして違うの?」

「違います!!」


 すかさず否定するも、却って怪しまれるだけなのだが、大和にそんな事が分かるわけもなく。


「あらあ、そうなんだ。まあ、どっちでもいいんだけどね、どっちでも」

「カーシャさん!!」


 真っ赤になって叫ぶ。しかしカーシャは、ふふふと笑って取り合わない。


 しばらくこうしたやり取りが続き、夜は更けていった。深刻な話をしていたはずなのに、と大和は思うが、だけどそれは、カーシャが気を使って明るく振舞っていたと、大和が気付くことはない。







 ☆

 それからの一週間は、怒涛のように流れていった。


 まず、ジーンとナナにありとあらゆる引き継ぎをすることから始め、これがかなり困難を極めたのだが、彼ら二人もどこか吹っ切れたような顔をして真面目に取り組んでくれた。


 その合間を縫うように、大和はアスラ村の住人宅へ出向き、お礼を言ってまわった。パメラの家に行った際には、彼女は眼を真っ赤にして泣き出し、しきりに頭を下げた。


 ウメとユリナ、ドグ、酒場の常連たちと、様々な人達に別れと感謝を告げて回る大和に、彼らは一様に申し訳なさそうな顔を向けてきた。


 大和としては、セラの件は仕方ないと割り切っていたし、自分が着いて行くことに決めたのだから、苦笑いで受け流すことしかできなかった。


 そうして一週間はあっという間に過ぎ、さて、出発の朝がやってきた。


 王都へと続く門の前の広場には、太陽の光を受けて輝く純白の馬車が一台。騎士の一人が御者台に座っている。それとは別に馬が四頭。それぞれに鎧を付けた騎士が乗っている。


 馬車の周りにはセラ、大和、レイラが少ない荷物を持って立ち、周りを取り囲むようにアスラ村のほとんどの人が集まっていた。


「セラ先生、絶対に、帰ってきてくださいね!グス、ウグ」

「泣くなよ、ナナ。セラ先生が困ってるだろ」


 と、涙を浮かべているナナを慰めるジーンの眼も、わずかに揺れている。セラはそれを面倒臭そうにみやり、あからさまにため息をついた。


「あのな、ちょっと行って、帰ってくるんだから、葬式みたいに泣くなよ。もうガキじゃないんだし」

「ううう、すみません……」


 ナナは必死で眼をこすり、笑顔を浮かべようとする。


「ヤマトおにーちゃん、本当に行っちゃうの?」


 大和の服の裾を引くのはヤナだ。ぐちゃぐちゃに泣きはらした顔を見るのは、なんだかとても苦しかった。


「ヤナッ、泣いちゃダメよ!帰ってきてくれるんだから。そうだよね、おにいちゃん?」


 実は大和は、この姉弟と別れることが一番辛かった。数ヶ月だが、本当の家族のように過ごしてきた。ひとりっ子の大和には、本当の妹や弟ができたみたいで嬉しかったのだ。だから、潤んで腫れぼったい瞳で見上げられると、たちまち決心が揺らいでしまいそうな気持ちになる。


「ルナ、ヤナ。大丈夫、また帰ってくるよ。だから、ルナはちゃんとお母さんを助けてあげて。ヤナはお母さんとルナを守るんだ。いいね?」

「う、うん。わたし頑張るね」

「おにーちゃんも頑張ってね」


 ギュッときつく抱きしめた二人は、とても温かかった。涙を堪える。しかし、そこが大和の甘い所で、あえなく失敗に終わり、結局姉弟とともに泣きじゃくる。そんな姿を見ていたカーシャは、この子達はもう、と言って肩をすくめた。


 一通り別れの挨拶を済ませ、最後にレイラが謝った。黙っていてすみませんというような事を言ったのだ。しかし住人たちは皆気まずそうに眼をそらすばかりで、それはちょっと酷くないかと大和は思った。あんなに親しげに接していたはずなのに。


 レイラは悲しげな表情をしたが、仕方なく、真っ先に馬車へと消えていった。


 と、そこで大和は、人混みを掻き分けてやってくる人物に気付いた。誰だろうと視線をやれば、なんだあいつかと肩を落とす。


「やあヤマト!間に合った」

「ライラック。お前、今更なんだよ」

「悪かったよ。この間は忙しかったんだ」

「俺がお別れを言うことより大事な用事があったんだろ」


 というのも、王都行きを決めた次の日、大和は真っ先にライラックに会いに森の家まで行ったのだ。彼とはかなり打ち解けていた気でいたし、ライラックと別れるのは残念だった。


 結果は、門前払いという、信じられない扱いだった。大和が名乗りながら戸を叩くと間髪入れずに、今忙しいからまたなと言われ、地団駄を踏みながら退散する他になかった、というわけだった。


 なので今の大和は、わかりやすく拗ねているのだ。友人だと思ってたのに!と。


「そう、大事な用事があったんだって。でも間に合った」

「俺はな、一度お前と酒でも飲みながら話したかったんだ。それが、今になって会いにくるなんて」

「お、じゃあ飲もう!僕もお酒は好きだよ。ちょうどいいヤツ持ってきたんだ。どうせ王都までの道のりは長い。何日か馬車の中で酔いつぶれていても問題はないだろう」

「はあ?」

「さて、王様の馬車の乗り心地は如何なものか」

「ちょ、ちょっと待て、お前も行くのか!?」


 大和は眼を見開き、ライラックを凝視した。すると彼は、あのいつもの、いたずら大成功というように眼を輝かせた。


「驚いた?」

「当たり前だろ!!」

「なら良かった」


 ニンマリ笑いながらウインクする。ライラックの中性的で整った顔のせいで、キザったらしい仕草でも様になるのだから、神様は不公平だなと思ってしまう。


「この野郎!覚えてろよ!」

「はいはい、グチはあとできいてやるよ」


 と、さっさと馬車に乗り込んでいく。そんなやりとりのせいか、集まった住人たちは皆笑顔を浮かべ、所々で笑い声が起こった。


「そろそろ出るぞ。旅は長いからな」


 女性騎士サラシャが、凛とした声を上げる。誰からともなく、頑張れよ、いってらっしゃいと声がする。


「みなさん、いってきます!」


 大和が手を振る。


 ライラックの奇策のおかげが、最後には笑顔が溢れていた。彼らに見送られながら、セラの後に続いて馬車へ乗り込む。


 馬の嗎と共に動き出した馬車は、四人の騎士に護られながら、ゆっくりと動き出した。


 アスラ村を出る。大和は、手を振る彼らが小さな点となって見えなくなるまで、窓から顔を出しそれを眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る