第10話 母親

 ☆


 あれから2日後、パメラは無事に出産した。


 その日は、朝から久しぶりの雨が降っていた。


 大和はウメの所でユリナと世間話をしながら、お茶をご馳走になっていた。すると突然、扉を激しく叩く不届き者が現れたのだ。


「ヤマト!ここにいるんだろ!?」


 ジーンの声だ。大和とユリナは慌てた。また誰か失踪したのかと思ったからだ。というのは冗談だが、だいたいこういう時は急患がいる時だ。大和は急いで扉を開ける。


「ヤマト、パメラさんが出産だって!」


 食らいつこうかという勢いで、ジーンが叫ぶ。


「ッ、わかった!ユリナさん、俺行きます。お茶ご馳走さまでした!」

「ええ、頑張ってね」


 大和は頷き、頑張るのはパメラさんだ、と思いながらジーンと走り出す。朝出る前に、カーシャがくれた、撥水性のある厚手の上着をあたふたと走りながら着る。この世界には、傘という物がない。


 出産は、産婆であるアリシャという40代の女性を筆頭に、何人かの女性陣が介助する事になっていた。


 だから、というか、当然といえば当然なのだが、大和がパメラの家に着いた時、ちょうど家から出てきたアリシャは、大和を見て言ったのだ。


「ちょっと、邪魔だから帰って!男にできることなんてないんだから!」

「え、」

「それに、あんたにどんな知識があるか知らないけど、お産は女がやるのよ!」


 確かに、ここには日本と違って出産に必要な道具もなければ、男である大和に何ができると言われても、正直、自分でもわからない。


 周産期実習にはもちろんちゃんと行った。その為の勉強もしたし、妊婦の受け持ちもした。


 ただそれだけだ。


「わかったら帰りなさい。あなたにできることはないの」


 アリシャはそう言って、扉の中に消えていった。バタンと音を立てて閉まる扉を前に、大和は立ち尽くす。


「ヤマト」


 ジーンがそっと大和の名前を呼ぶ。気を使っているのだ。


「しかたない。俺はここで待つよ。ジーンは……」

「オレもいるよ!何かあったら、ひとりより、二人の方がいいはずだ」


 二人は力強く視線を交わし頷く。出入り口横の、辛うじて雨のかからない軒下に並んで立った。


 正直、理解のあるはずの現役看護師のお産でも、男子学生が立ち会うのを嫌がる。これは仕方のない事だ。


 そう思うといくらか気持ちが柔らいだ。








 ☆

「ヤマト、心配かけてごめんなさいね」


 パメラが産まれたばかりの子どもを抱いているところを、大和は、我ながら呆れるほど蕩けた笑顔で見つめた。周りにはアリシャやカーシャといった子育てに熟練した主婦陣が行き来し、大和の隣には同じくにっこり笑うレイナが並んで座っている。


 ここはパメラの寝室で、除け者にされていた大和は、翌日昼過ぎにやっと面会を許された。


「いえ、パメラさん。無事に産まれて本当に良かったです。今は体調どうですか?」

「まだ疲れてるけど、こんなのへっちゃらよ。もう三人目だし、大変なのはこれからだからね」

「あの……抱っこしてもいいですか?」


 突然手を挙げて、レイラが身を乗り出すようにして言った。それを、眼をパチクリしてみたパメラは、ふふふと笑い、抱いていた赤ちゃんをレイラに差し出す。


「どうぞ。抱っこしてあげて」


 嬉しそうなレイラは立ち上がり、パメラから、白いふわふわの布に包まれた、小さな赤ちゃんを腕に抱く。


「レイラ、いいか、まだ首がすわってないから、そこにしっかり腕を回して、肘の内側に赤ちゃんの頭を」

「うるさい!わかってるわよ!」


 ワタワタと口を出す大和を、レイラが怒鳴りつける。


「わたしだって赤ちゃんを抱っこしたことあるんだから。ちょっと黙っててよ」

「そんなに大きな声を出したら、赤ちゃんがビックリするだろ?赤ちゃんの聴覚は、産まれた時にはすでに成熟してるんだ」

「あなた本当に心配性で口煩いわね!」


 赤ちゃんを挟んで睨み合う二人を見て、パメラがクスクスと笑い出した。


「あなたたち、本当に仲良しよね。きっといい夫婦になるわ」

「げっ!?」

「パメラさん!?」


 同時に顔を赤くし、声を上げる。それを見たパメラは、さらに柔和な表情を浮かべる。


「いつまでいるつもり?パメラは疲れているのよ」


 いつのまにか背後に、アリシャがたっていた。迷惑なのがわからないの、というのを態度で表そうとしてか、彼女は腕組みをして睨みつけてくる。


「すみません。じゃあ、パメラさん、また来ますね」

「ごめんね、おもてなしできなくて」


 レイラが名残惜しげに赤ちゃんを、パメラの腕にそっと渡す。ふわりといい匂いがした。どうして赤ちゃんは、こんなにいい匂いがするのだろう。大和はふと考えた。きっと、周りの人の、とくにお母さんの優しさが、赤ちゃんを安心させるように包み込んでいる証拠だ。勝手に結論付けて、大和はパメラの家を後にした。


 レイラと並んで歩く帰り道。彼女はとても幸せそうに微笑みながら、田畑の広がる中に続く一本道を、軽やかに踊るように歩いている。隣を歩く平凡な自分が惨めに感じるほど、彼女はただ歩くだけでも綺麗だ。


「わたしも、いつか誰かと結婚して、子どもができるのでしょうか」


 ポツリと小さな声が聞こえた。


「まあ、そりゃ誰だっていつか結婚はするだろうし、そうなると子どもができることもあるだろうけど」


 別段、なんの意味もないただの返答のつもりだった。大和だって、生前、というか、もとの世界にいる時は、彼女だっていたこともあるし、二十歳を超えてからは、いつか俺も結婚するのかと考えたこともある。


 周産期実習に行ってからは、幸せそうな家族をそばで見て、こうなりたいなあと漠然と思ったし、案外自分は子どもが好きなのかもしれないとも思った。


 それとは関係なしに、子どもに泣かれてしまう自分の性質は悲しかったが。


「わたしはきっと、お父様が決めた相手と結婚しなければならないの。そんな相手と子どもができたとして、パメラさんみたいに強くいられるのでしょうか」


 立ち止まり空を見上げるレイラの髪に、太陽の光が眩しい。同時に、レイラが遠くの存在だと強く自覚した。そうだ、レイラはこの国の王女なのだ、と。


「俺もさ、前に考えてたんだけど。子どもができるのって幸せな事だって勝手に決めつけていてさ。だけど、必ずしもそうじゃないんだ」


 レイラが視線を空から大和に移す。ムッとした顔だった。


「どういうことです?」

「産まれてくる子に障害があることがわかったり、誰の助けも借りられない未婚の母親なんて沢山いるんだよ」


 そう、決して、みんながみんな幸せな家族ということはない。泣きながら産婦人科を受診する女性は少なくないのだ。


 夫婦仲良さげに待合室で笑い合うその隣に、いつもひとりで妊婦健診にくる暗い表情の女性だって見てきた。


 そこで、母親の顔が浮かんだ。いつも笑顔の、気の強いハツラツとした顔だ。


「俺には父親がいない」


 ハッと息を飲むレイラ。大和は出来るだけ普通の、なんでもない事のような口調で続ける。


「酷い父親だったらしいんだ。俺は記憶にない、というか、父親は俺を孕っていた母を捨てて出て行ったらしいから顔も知らない。詳しくは話してくれなかったから知らないけど。そんなわけで、俺の母は悩んだんだ」


 大和は記憶を引っ張り出して、それを懐かしく思う。大和が二十歳を迎えた日。母親は張り切って日本酒の一升瓶を買って帰ってきた。ちょっと高いやつだ。それはまあ、ありがた迷惑というやつだった。初めて飲むアルコール飲料が、度数の高い日本酒という無謀にチャレンジした大和は、コップに二杯も飲むと目の前が回り出した。母親は酒に強く、ガバガバと飲み続け、適当に大和の誕生日を祝う言葉を吐き出し、ポロっと、ポケットに入れていた飴玉でも落としたかのように言った。


「あんたがいて良かったよ。産むかどうかで悩んでた弱いわたしはバカみたいだ。あんたのお陰で頑張れたし、幸せだ。本当に大和のお陰なんだからね、ってさ。母さんだっていっぱい悩んで俺を産んでくれた。女の人は、みんな強いんだ。特に、子どもができるとね」

「素敵なお母さんですね」

「俺もそう思う。ただ、酒癖が悪いのだけはどうしようもないけど」


 レイラがフフッと、可愛らしく微笑む。大和も笑顔を向ける。そうしないと、母親を置いて死んでしまったかもしれない、という思いが込み上げてきて、陰鬱な気分に支配されてしまいそうだからだ。


「わたしも、ヤマトのお母さんみたいに強い女性になりたいです。お母さんはどんな人なんですか?」

「猪突猛進で後先考えないのに、なぜか全てが上手くいくって、変な母親だよ。母さん、看護師なんだけどな」

「あ、だから大和も同じ仕事なんですね」

「まあ、そうかもしれない。だけど、俺みたいに適当に目指してなったわけじゃなくて、母さんは、俺が三歳の時に看護学校に行ったんだ」

「へぇ、子育てしながら、勉強したってことですよね」

「そう。お金が必要だったから、給料のいい看護師になった。俺も同じ道に進んで実感したよ。子育てしながらなんて、とてもじゃないけど両立できるものじゃない」


 本当にすごいと思った。母は大変な道を選んだのに、幼い大和に寂しい思いをさせたことがなかった。


「ヤマトが優しいのは、お母さんのお陰ですね」

「俺が優しい?」

「はい!とっても!」


 レイラと話していると、大和の気分はすっかり明るくなる。プールに溜まった水が、どんどん抜けていくように、大和の暗い気持ちもすっと抜けていく。


「ところで、ヤマト。あなたは、記憶喪失なのではないのですか?」


 ドキリと心臓が跳ねた。そうだった、俺は今、記憶喪失の旅人だった。ペラペラと過去を語るなど、とんでもない失態だ。


「ま、まあ、そういやそうだった」


 誤魔化しにもならない言葉をぶつぶつと呟く。


「やっぱりヤマトは変わってますね。わたしは、ヤマトにどんな秘密があるのかはわかりませんが、優しいあなたが好きですよ」


 途端に顔から火が噴き出さんかというほど、熱く火照ることがわかった。ダメだ、今彼女の顔を見たら、もう後戻りはできない。という、一種の強迫めいた感慨が浮かぶ。見ちゃダメだと思うと余計に目がそっちにいってしまうのだ。


 不自然に顔をそらし続ける大和を不審に思ったレイラは、首を傾げ、考える。


「あ、う、あうううう!!あの、ですね、別に深い意味はありませんよ?思った事を口に出してしまったのであって、あ、でも好きなのは好きなんです、って、そういう意味ではなくですね!?」


 大和と同じくらい真っ赤な顔で、必死に言いすがるレイラに、余計に恥ずかしくなってくる。


 レイラは絶対に天然だ。美少女で、天然。


 なんて事だと、大和は頭を抱えたい気分だった。こんなのもう、認めてしまったも同然じゃないかと、大和はドキドキと激しく暴れる心臓を落ち付けようと必死に深呼吸を繰り返す。


「あ、あの、すみません、本当にすみませんなのですが……」


 突然、背後から声がした。ナナだ。その横にジーンもいる。ナナは心底申し訳なさそうな顔をしているのに対して、ジーンはまるで、美味しい料理を目の前にしたかのような表情で大和を見つめていた。


「なるほどなあ。そうかそうか、ま、オレはいいと思うよ?逆玉の輿だしなあ、うんうん」

「あーもう!お前、余計なこと言うなよ!」


 レイラを見やると、キョトンとした表情のまま首を傾げている。


「ヤマト、オレは応援してるぜ、な、絶対に落とせよって、もう落ちてるか。後は言葉にするだけだな。この際身分差なんて無視だ、無視」

「いいから黙ってろ!」


 ニヤリと笑うジーンの口を、ガムテープでぐるぐる巻きにしたい気分だ。だが、ガムテープなど手元にあるわけもなく。大和はナナに向き直り話を聞くことで、無理矢理その場を収めようとした。


「ナナ、どうしたんだ?」


 ナナはレイラと同じくキョトンとしていたが、大和の声にハッとして言う。


「あのですね、セラ先生がよんでますよ」

「セラさんが?」

「うん。広場の方で。すぐに来いって言ってたよ」

「わかった」


 いったいなんなのだろうか、と大和は首を傾げ、セラの呼び出しはいつもろくな内容じゃないからと溜息をつく。遅れたら遅れたで文句ばかり言うのだから大変だ。


 大人しく広場へ向かって歩き出す。


「わたしも行きます!」


 レイラは快活にそう言うと、大和の後に続いた。そのさらに後を、ジーンとナナもついていった。

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