第9話 心音

 ☆


 パメラの家に向かうには、集落の中央を真っ直ぐに横断する川を渡る。その川に沿うように、酒場や茶屋が並び、いい匂いが漂ってきていた。


 その内の一軒、一際目立つ酒場、なのだが、酒よりも料理がとても美味しい店の前を通ると、中から出てきたレイラとかち合った。


 彼女はアスラ村の住人と同じ衣服を着て、本人はすっかりここに馴染んでいる気でいる。しかし、まるで自ら光を放っているような美しい金髪と、南国の海のような澄んだ青い瞳だから、まったく馴染んではいない。少なくとも、大和の知るアスラ村の住人はそう思っている。


「あら、ヤマト。どこか行くのですか?」


 レイラはニコリと笑顔を浮かべ、大和を見上げる。自然と上目遣いになった。大和はなんとなく視線を逸らし、答える。


「ああ、ちょっとパメラさんの様子を見に。というか、レイラ、まだいたんだな」

「ちょっと!またそういうイジワルを言う!まだ暫く帰りませんよ!!」


 口調は怒っている。が、表情は笑顔のままだ。これは、二人の間で定番となっているやりとりだった。


 というのも、レイラはもう数ヶ月、ここに留まっている。


 結局大和は、レイラの目的を知らないままだった。教えてもらえなかったのだ。


 このアスラ村はファルガール王国という国の中にあり、レイラはその王国の第二王女だそうで、その王女はセラに何か頼みがあり、自分がいない間に何を話したのかはわからないけど、それから数ヶ月、依然としてレイラはここに留まり続けている。実に難解だ。


「それで、今からパメラさんのところにいくのですね?」


 気を取り直すようにレイラは言った。大和は頷く。


「わたしも行きたいです」

「え、別にいいけど、なんで?」

「だってもうすぐ産まれるんでしょ?同じ女の子として心配ですし、それに、なんだか幸せな気持ちになるんですよ」


 なるほど、と納得顔で頷く大和に、レイラは優しげな笑顔を向ける。


 大和にもその気持ちが良くわかった。


 もうすぐ新しい命が産まれる。それは周りの人も幸せな気分にしてくれる。男に産まれた大和には、女性がどんな思いで子どもを、それもお腹の中で育てているのかは、一生知ることができない。だから、幸せを甘受するだけだ。


 母性領域は未知だ、と大和は思う。どうして女性だけが、お腹の中で人を育てることができるのか。


 疑問に思う。でも大和は科学者ではない。


 だから大和は、看護を通してそんな神秘に触れられることに、ただただ感動する。ちなみに、大和は母性領域の実習で、受け持った妊婦が無事に出産した際に、嬉しくて夫婦と一緒に涙を流し指導者に呆れられた。


 という話はどうでもいいので、ここまでにしておく。


 とにかく大和は、レイラと並んでパメラの家へ向かった。


 しばらく歩き、パメラの家に着く。普段は子どもたちの声がして賑やかなのだが、今は静かだ。パメラの出産が近いため、パメラ保育園は臨時休業中。


「パメラさん、こんにちは!」


 レイラが鈴のように可憐な声を上げ、扉を軽くノックする。レイラは声まで美しいな、と大和は思った。無意識に、だが。


 扉を開けて顔を出したパメラの声は元気そうだった。ただ、顔色が悪い。すこし眼の下にクマがある。


「あら、レイラちゃん!わざわざ来てくれたの?」

「わざわざって、逆にお邪魔してませんか?」

「そんなことないわよ。ちょうど退屈してたのよ?子どもたちはパパとお出かけしてしまってね」


 そう言って、パメラはお腹を優しく撫でる。


「あら、ヤマトも来たの?」


 不満そうな顔をしてパメラが言う。大和は分かりやすくたじろいだ。


「来ちゃまずかったですか?」

「冗談よ!さあ、入って」


 一瞬本気で慌てた。冗談でよかった、と大和は胸をなで下ろす。


「お邪魔します」


 声をかけて、中に入る。パメラはキッチンへ行くと、お茶の用意をし始める。大和は慌てて後を追い、


「俺やりますよ。パメラさんは座っててください」


 と声をかける。だが、これは完全にお節介だった。


「いいわよ、ヤマトは座ってて。ここはわたしの家で、あなたはお客さん。それにね、妊娠は病気じゃないの!」


 パメラは目を吊り上げて大和を睨みつける。大和はタジタジだ。女性は恐い。改めてそう思った。


「すみません。でも、」

「いいから、あっち行ってて!」


 これ以上睨まれたら心停止しそうだと、大和はトボトボとレイラの元へ引き下がる。椅子に座ると、レイラはクスリと笑う。


「ヤマトはお節介ですね」

「そんな……俺はただ心配で」

「いいお父さんになりそうです」


 大和は眼を見開き、それから顔が熱くなるのを感じ、レイラから眼をそらす。レイラもハッとして頰を赤らめた。


「あ、あのですね、別にわたしはそうなって欲しいって意味で、じゃなくて、わたしのじゃないですからね!?」


 慌てすぎて何を言っているのかわからない。大和は、ああそう?なんて要領の得ない相槌を打つ。


 軽くパニック状態だった。


「あら、いつのまにあなたたちいい感じなの?」

「違いますよ!」


 大和が叫ぶ。レイラは俯く。パメラは、真顔で大和を睨め付ける。


「と、とにかくですね、俺はパメラさんの様子をみにきたんですよ!なにか気になることはないですか?」


 パメラは呆れたように溜息をつく。まるで、子どもだから仕方ないか、というようなニュアンスだった。それから、大和の質問に答える。


「そうねぇ、特にはない、かなぁ」


 大和は瞬時に、脳みそを切り替える。看護には看護的な思考がある。所謂、看護の視点だ。五感を使って感じ取る。


 例えばものすごい暑い日に人が目の前で倒れたら、熱中症かな?と思うだろう。専門職は、それを科学的な根拠を持って判断する。めまいや痙攣、皮膚の状態、呼吸の仕方、汗のかき方、意識レベル。そういった様々な項目を確認し、対策を行う。


 これをアセスメントと言う。のだが、大和は正直、めちゃくちゃ苦手だ。


 慣れはある。だが、思考が足りない。言われて初めて、なるほどそう言う見方もあるのか、と思うことも多い。


 だから大和は、パメラを見て必死に考える。


「パメラさん、夜寝られてますか?」


 ここに指導者がいたら、絶対に怒られただろうなあと大和は思った。パメラの目元は薄っすらと、だけど誰が見てもわかるクマがある。見りゃわかるだろ、と。


「そうねぇ、言われてみれば、眠りが浅い気がするわ」


 ですよねー、と心の中で言う。


「やっぱりわたし不安なのかなぁ。この子、なかなか産まれないのよね」


 予定日を過ぎると、とたんに妊婦は不安になる。これは学校でも良く聞いた話だ。


「赤ちゃん、まだ準備満タンじゃないんですよ、きっと」


 パメラが俯く。大和は励まそうと声をかける。ただ、安易に大丈夫大丈夫とは、言えない。医者じゃないから。というか、本当に大丈夫かなど誰もわからない。


「そう、だったらいいのだけど。この子、産まれてくるのが嫌なのかも。三人目だけどね、だからかな、お前は三人も面倒見れるのか?って、言われているみたいでね……」


 弱々しい声だった。レイラがそっと手を伸ばし、テーブルの上のパメラの手に触れる。それでもパメラは俯いたままだ。


「パメラさん、前に受け持ちした妊婦さんが、今のパメラさんと同じこと言ってました」


 レイラは大和に視線を向けた。大和の瞳は、とても真っ直ぐで。レイラはちょっぴりドキリと心臓が動くのを感じた。


「その人は初産婦だったんですけど、いつも不安で泣いてて。俺、男だしバカだし正直どう接していいのかわからなくて。だけどある時、俺についてた助産師が言ったんですよ」


 パメラは顔を上げて、大和を見た。その眼は少し、涙の膜が張っていた。


「赤ちゃんはお母さん大好きだから、お母さんが不安だと赤ちゃんも不安になる。お母さんが笑ってないと、赤ちゃんも笑えない。ちゃんと産んで抱きしめる。後のことはなんとかなる、って」


 それに、と、大和は続ける。


「赤ちゃん、きっとパメラさんのお腹の中が好きなんですよ。知ってますか?赤ちゃんって、お腹にいる間、ずっとお母さんの心臓の音聴いてるんですよ。誰だって、誰かに抱きしめてもらって、心臓の音が聞こえたら安心するじゃないですか。赤ちゃんはきっと、大好きなお母さんの心臓の音を、独り占めしたいんですよ」


 大和は、もうどうにでもなれ、という思いで言い切った。口を閉じると、なんだかとても恥ずかしい。それにこれ看護とは関係ないだろ、とも思う。


「ヤマト、ありがとうね」


 だからパメラが言った言葉に、大和は心底驚く。同時に、やっぱり恥ずかしかった。


「あなたの言う通りね。この子、余程居心地が良いのかしら」


 パメラは優しく笑う。さっきまでの不安げな表情は、残念ながらまだあるけれど、大和の言葉に少しは元気を取り戻したようだった。


「パメラさん、俺にちゃんと助けさせてくださいね。また明日も見に来ますから。一人で悩まないでください」


 するとパメラは、大和をしっかり見つめ、ニッコリ微笑んだ。


「ありがとう。あなたがいると、心強いわ。よろしくお願いします」


 と、扉の向こうから、元気な男の子の声が聞こえてきた。パメラがニッコリ笑う。


「あら、息子たち帰ってきたみたいね。良かったら、あなたたちもお昼ご飯食べていかない?なんだか久しぶりに、お料理がしたい気分なの」


 大和とレイラは、声を揃えて言う。


「お手伝いします!」


 するとパメラは、ムッとした顔をして、だけどどこか楽しそうに言う。


「もう、妊娠は病気じゃないんだからね!」


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