第5話 変わり者の薬師
レイラを負ぶって診療所へ向かう大和、その後ろをジーンとナナが付いてくる。
「ヤマトはここの人たちとは違いますね」
唐突にレイラがそんな事を言い出した。大和も自覚している。服装は今はカーシャが用意してくれた、アスラ村のものを着てはいるが、西洋ファンタジーの中に日本人が入り込むと、やはり違いは明らかだ。
ジーンは黒い髪で、瞳は金に近い茶色だし、ナナの肩までの髪は灰色で、瞳は紫色。肌の色は様々。アスラ村だけではなく、この世界はこんな感じらしい。黒髪に黒い目の黄色人種は珍しいのだそうだ。
アメリカ映画の中に、ひとりアジア人がいる、という有り触れた設定だけど気になる。そんな感じだ。
「俺は余所者なんだ。記憶喪失の旅人だとでも思ってくれ」
「なによ、それ」
レイラが肩越しに笑った。吐息が首筋を撫でた。くすぐったい。
「この村の人達が良い人ばかりで助かったよ」
実際、三日もすれば誰も大和の素性を気にしなくなった。ヤナの手当やドグの回診の件、その後の色々で、住人たちは大和を警戒するより信頼する事にしたらしい。カーシャの布教活動もか、と大和は考える。記憶喪失という話は何処へやら、だ。
「どうして、あんなにすぐに手当ができるのです?」
レイラが聞いてくる。綺麗な顔に似合わず、好奇心まるだしの声だ。
「それは、まあ、勉強してたから、な」
声が強張るのが自分でもわかった。ここでも人を助ける事ができ、自分のやってきた事が無駄ではないとわかっても、やっぱり日本で看護師免許が欲しかった。その為の四年間だったから。
「すごい。ヤマトはすごいですね」
「え?」
「わたしは勉強しても、こうして上手く知識を使うことはできません。というか、勉強は嫌い」
「アハハ」
笑って、誤魔化す。褒めているのだろう。それはわかる。だけど、自分が上手く知識を使っているか?いや、そんなことはない。自分はそんなに良い学生じゃなかった。むしろ、落ちこぼれの方で、定期試験は赤点だったし、何度指導者を怒らせたか。
「ヤマトみたいな人が沢山いたら、助かる人がもっといる。そんな平和な世界がいいです」
「そうだな」
相槌を打つ。頭の中では、俺はそんなに立派な人間じゃないよと言っておく。
と、やっと診療所が見えてきた。ジーンとナナが、子どものように駆け出し、大和を追い抜いていく。
「ここですか」
気付いたレイラが呟く。大和はその声に、弾むような喜色が込められていることに気付いた。
☆
「はじめまして、セラ様。わたしはファルガール王国第二王女、レイラ・レイリノア・ド・ファルガールと申します」
レイラが口を開くと、薄い木の扉の向こうで聞き耳を立てていたであろうジーンとナナが吹き出した。ドタバタと騒がしい。
診察室、いつもの机、いつもの椅子に足を組んで踏ん反り返るセラが、ほう、と口端を釣り上げる。
どういうことだ?と大和はひとり小首を傾げ、状況を把握しようと頑張る。頑張ってもわからないが、とりあえず、頑張る。
「この国の王女が何の用だ?」
それが王女に対する態度か?と、疑問に思う。いや、この世界の王女は、そんなに位が高くないのか?結構小さな国なのかもしれない、と大和は感慨を巡らせ、それは後にとんだ間違いだったと気付くのだが、まだ先の話である。
「セラ様に折り入ってお願いがございます」
ともかく、王女と名乗ったレイラはへりくだった態度を崩すことなく、そしてぞんざいな態度のセラを咎めることもなく話を続けようと口を開く。
が、そこで診療所が騒がしくなった。
「セラ先生!大変だ!」
ひとりの男が、診察室に駆け込んで来た。
「どうした?」
「パメラの子どもが、虫に刺された!」
レイラが振り向いて、怪訝な顔をする。大和もだ。
「ほう。どんな虫だ?」
「これくらいの、ブンブンいう黄色いヤツだ!」
男は、人差し指と親指で三センチくらいの幅を作って見せた。ハチか、と大和は考えた。それならそんなに慌てなくてもいいのでは、とも。
「子どもの様子は?」
「泣いてる!」
「それだけか?」
「それだけだ!」
セラは肩をすくめ、大和を指差した。それから、スッと息を吸い、大声でまくしたてた。
「それを連れて行け!ほら、急いで!カバンも忘れるな!一刻を争うぞ!」
はあ?と目を剥く大和に、セラはこれ見よがしにニヤリとする。やって来た男は扉の傍にぞんざいに放り出されていたセラのカバンを引っ掴んだ。
「おい、何をたらたらしているんだ!急いでくれ!」
なるほど、と大和は思った。要するに、体のいい人払いをされたわけだ。
「大和、帰りに薬師の所に寄ってくれ。頼んでいた薬をもらってくるんだぞ」
「はいはい、わかりましたよ」
大和はセラを睨みつけ、男について診療所を出て行った。
セラとレイラの話は気になるが、きっと聞かれたくない話なのだ。
そう無理矢理自分を納得させてるしかなかった。
☆
パメラはこの集落唯一の保育士だ。
いや、正確には、看護師同様、保育士という資格が存在しないこの世界で、他人の子どもを半日預かり面倒を見るという仕事をしている。
パメラは単に子どもが好きで、他人の子どもの面倒を見ることに抵抗はなく、だからこそこういう役割を引き受けている。そんな彼女は、現在三人目の子どもを妊娠中だ。
パメラの家に着くと、彼女は大きなお腹を抱え、困った顔で出迎えてくれた。
診療所へ飛び込んで来た男は、パメラの家に着くなり、後は頼んだとばかりに自分の仕事へ戻ってしまった。
「はじめまして、ですよね。俺が大和です」
二週間もいると、大概、ああ、あなたがあの!となる。大和の知らないところで、個人情報が独り歩きしているのだ。
「はじめまして。パメラよ。ふふ、毎日誰かしらがあなたの話をしているから、はじめての気がしないわ」
「俺もです。いつもルナとヤナから聞いてますよ」
ところで、と仕切り直すように大和は言う。
「ハチに刺されたって聞きましたが」
するとパメラは、実に申し訳なさそうに眉尻を下げた。右手で頬に触れる。
「ごめんなさいね。トクマの勘違いなの」
「え?」
「それが、確かにハチはいたのよ。でも、刺されてはないの。腕に止まって泣き出した子がいて、垣根の向こうにいたトクマが刺されたと思ったみたいで」
「はあ」
気の抜けた返事しか出なかった。パメラの浮かべていた困り顔には、そういう意味があったのだ。結構な距離を走ってきたのになあ、と正直思う大和だ。
「……ケガをした子がいなくて良かったです」
やっとの思いで声を絞り出す。にっこり笑顔を添えることができたのは、実習で散々理不尽な目に合い、それに耐えてきた経験のおかげか。
「本当にごめんなさいね。あ、そうだ!お詫びと言ってはなんだけど、これ、持って行ってね」
パメラはあらかじめ用意しておいたのか、ほんのり温かい包み紙を大和に渡した。バターのいい香りが胃袋を刺激し、そういえば昼食を食べ損ねていることに気付いた。
「午前中に子どもたちと作ったのよ。早めに食べて、ルナとヤナに感想を言ってあげてね」
「わかりました。ありがとうございます」
パメラは再度謝り、なぜか大和もぺこぺこして、そこを後にした。
それからすぐに、セラに頼まれた薬師の所へ向かった。薬師の家は森の中だ。診療所も大概集落の端に位置しているが、薬師の家はさらに離れた森の中なのだそうだ。
大和は転生してから、一度も森に入っていなかった。別に森が怖いとか、そう言う事ではなく、ただ単に機会がなかったからだ。集落の子どもたちは、頻繁に出入りしては木の実などを採っているようで、森には危険な生き物もいないらしい。
とは言っても。現代の日本で生きていて、しかも著しくアウトドアなどとは無縁の大和にとっては、ここは歩くのもキツイ森の中だった。
薬師よ、お主相当に変わり者だな、などと適当な事を考えながらひたすら歩き、やっとこさ見えた薬師の家は、いたって普通の、カーシャの家と変わらない造りだった。
近付くと、鼻にツンとくる臭いがした。あれだ、漢方薬だ、と大和は思った。
「すみませーん、診療所のものですけど」
扉に拳を打ち付けて言う。大和の声が森の中に響く。返事はない。
「すみませーん!」
一度めよりも大きな声を出す。やっぱり返事はない。
「んだよ、いないのかよ」
今日二度目の無駄足かと思うとやりきれなくて、ついつい愚痴っぽくもなってしまう。
「なにそれ。勝手に来ておいて、ちょっと返事が遅れただけでそんな言い方されないとダメなの?キミ、失礼だと思わない?僕だって僕のタイミングがあるんだよ。時間は等しく流れているけど、僕とキミの時間は一致しないんだよ。わかる?」
突然窓から聞こえた声は、えらく捻くれたものだった。そこまで言われて、大和も黙っていない。
「そりゃそうだろうけどな、こんな鬱蒼とした場所に住んでるなら、険しい道を進んできた客をもてなすために、すぐにでも扉を開けるべきじゃないのか?茶の一杯でも出すべきだろう?お客さん、わざわざこんな所までご足労頂いて、あなたの時間を無駄にしてすみませんってな」
「なるほど。それは考えた事なかった。よし、今開ける。望み通りに茶でも出してやるよ」
あれ、と大和は拍子抜けした気分だった。もっと言い返されると思ったからだ。だけど、薬師はちゃんと扉を開け、大和を出迎えた。
薬師は丸眼鏡の中性的な顔立ちの人物だった。背は日本人の標準である大和と大体同じで、なのに白衣の彼の方がスタイルが良かった。如何にもモテそうだ。女性看護師に人気が出そうな研修医、と言えばわかるだろうか。まあ、実際にはイケメン研修医など存在しない。と、大和は信じたい。
「なにジロジロ見てんの。気持ちわるーい」
薬師は、うえ、と表情を歪め、室内へ入った。大和も後に続き、後ろ手に扉を閉める。
「適当に座って。座る場所があれば、だけど」
薬師はケラケラ笑いながら奥に消え、大和はなんとか座る場所を探す。なぜならそこはゴミ溜めのような有様だったからだ。いや、ゴミではないか。だけど、大和にはなにに使うかわからない紙屑や器具やグロい瓶詰めやなんやかんや。
「うへぇ」
精一杯顔をしかめ、なんとか丸い椅子を探し出し、座る。三本足の一つだけ調子が悪い。ガタガタだ。
「お、やったね!椅子が見つかった!」
戻ってきた薬師が歓声をあげた。比喩ではなく、本当に嬉しそうな声だ。
「椅子はキミに座って欲しかったんだね。よし、お祝いにお茶を贈呈しよう!椅子は飲めないから、キミに!」
「へぁ?」
パッと差し出されたティーカップをソーサーごと受け取る。
「飲んで!キミがさっき望んだおもてなしだ!」
ジッと見つめる薬師の、丸眼鏡越しの瞳がキラキラ輝いた。
「お前!絶対なんか入れただろ!?」
「失礼な。これが僕の家での通常蒸留だ」
「蒸留!?」
如何にも怪し過ぎるのだが、飲むまで顔を逸らさないつもりらしい。キラキラした視線が痛い。
意を決して、湯気の立つ黄金色の液体の入ったカップに口を付ける。
「ブホォ!!」
「ギャハハハハハ!!」
筆舌に尽くしがたい味だった。苦い。と思ったら辛い。後味は甘ったるい。立派に人が殺せそうだ。
「ふう。面白かった。キミ気に入ったよ!」
薬師は一通り笑うと、唐突に手を差し出した。訳がわからず、その手を見つめる。
「握手だよ。知らないの?」
「知ってるけど!なんなんだよ、急に」
「いやあ、久しぶりに面白い人間だからな、友達になろうと思って」
正直、なんて奴だと思う大和だ。薬師は、インキャの根暗で、年中森の中に籠っている暗い奴だと聞いていた。それが、実はいたずら好きの、捻くれ野郎だったなんて、予想する事が出来ただろうか。
「あ、忘れてた。こういうのは、名乗るのが先だよね。僕は薬師のライラック。趣味はイタズラかな」
こいつ、自分で言いやがった、と大和は呆れた。そして、仕方なく、そうしないと帰れそうにないからだが、ライラックと同じように片手を差し出す。
「俺は大和。よろしく」
よろしく、と言って、ライラックは大和の手を握る。ニッコリ笑う顔は、普通に好青年に見えるから驚いた。
大和の転生後の人生において、ライラックとの出会いだけは、唯一かけがえの無いものだったと言えるだろう。
二人がそう気付くのは、まだ先の話だ。
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