第4話 レイラ


「いいですか、クーラさん。お酒は控える事、食事は塩分の少ないものにする事、過度な運動はしない、あと、体重が急に増えたり、なにかおかしいと思ったらすぐに診療所に来てください」


 大和が丁寧な口調で説明を終える。ベッドの端に座ったクーラは、複雑な表情で大和を見返している。


 クーラが倒れてから二週間が過ぎた。大和が心肺蘇生をし一命を取り留めた後、診療所でセラが心機能を回復させた。心電図やレントゲン、CTもないこの世界で、じゃあどうやって患者を治療するのか。


 魔法だ。


 セラがクーラの胸部に手を当て、何か呟きながら目を瞑る。ヤナに麻酔をかけた時のように、淡い光がクーラの身体に染み込んでいく。


 それで終わりだった。


 クーラは次の日には目を覚まし、その3日後には離床するまでに至った。


 ただ、魔法といっても万能ではないらしい。セラは、目で見えて手でできることはそうした方が確実だと言った。


 残念ながらその意味は、まだこの世界の事を何も知らない大和に理解できるはずもなく。


 クーラの退院に向けて、せっせと看護をするだけだった。


 そして今日、無事に退院の日を迎え、大和は最後に日常生活で気をつける事などを説明していたのだが。


 クーラは納得しかねるという顔で、先程から無言だ。と、クーラが、恐る恐るという体で口を開いた。


「あのよ、結局おれ、どこが悪いんだ?」


 大和は固まった。それはもう、ここまでピクリともしない人間がいるだろうか、というくらいに。それからゆっくり、口を開く。


「セラさんから聞いてないんですか……?」


 クーラは首を傾げる。


「んー、知らんなあ」


 次の瞬間、大和はワナワナと震えだした。


「あんのヤブ医者!」


 そう一声叫ぶと、座っていた丸椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、病室横の診察室へ飛び込んだ。


「セラさん!!ちょ、なんでちゃんと説明しないんですか!?」


 机に向かい、優雅に本を読んでいたセラに詰め寄る。


「うるさいな。なんのことだ?」

「患者さんに自分の状態を伝えて、安心させることも医者の仕事でしょうが!」

「んだよ知らねえよ」

「ヤブ医者!」


 叫ぶ大和に、セラは盛大に舌打ちを返す。


「あのな、ここの連中は、健康意識が低いんだ。栄養は食って寝りゃ摂れると思ってるし、血が出りゃツバつけて放っておく、腹が痛けりゃなんか悪いもん食ったかなあと気にしない。そんなヤツばかりなのに、あなたの心臓の機能、随分弱っています。このままでは心不全を起こします。なので気をつけて生活してください。なんて言ってもわからんだろ。動けるようになりゃそれでいいんだ」


 うぐぐと奥歯を噛みしめる大和。確かに、日本ではスマホがあり、気になるところがあれば直ぐに情報が手に入る。まあ、取捨選択の余地はあるが、最近は前もって情報を得てから来院する人も増えている。


 そう考えると、確かにここの人たちは、健康に対する関心が低い。二週間過ごして実感した部分もある。


「わかった、わかった。お前に任せる。好きにしろ」


 はあ面倒くさい、という風に、セラが片手を振り、視線を大和から本に戻した。


「くそ、勝手にしますよ!」


 バアンと扉を開けて診察室を出る。


 クーラと目が合った。


「あのよ、おれ、もう帰っていいか?」


 大和はフウ、と息を吐いて心を落ち着ける。それからにっこり笑顔を浮かべ、言う。


「わかりました。送っていきますね」







 ☆

 クーラを家に送り届け、その帰り道。ちょうどお昼時で、結構な人とすれ違う。二週間過ごしてわかったことのひとつに、ここの人たちは、男女ともに外で働いていて、昼食は外食する事が多い。あと、外食は日本と同じで脂っぽく偏ったものが多い。


 まあ、田畑の整備や薪拾いなど、肉体労働が多いから、体力を付けるためにとそうなるのも自然の流れだ。


「お!ヤマト!元気か?」

「セラ先生は大変だろ!」

「頑張れよ!」


 すれ違いざまに、そんな声をかけられて、大和は笑顔で手を振る。


 クーラの一件以来、大和は完全にアスラ村の住人たちに気に入られたようで、大和としてはありがたい事だったが、別世界から来た手前、距離感を測りかねている自分がいるのも事実だ。


 相変わらずカーシャの家に寝泊まりさせてもらっている事も、なんだか悪い気がする。


 川沿いを歩いて、このまま診療所に戻るのもなあと考えていた大和は、前方に人集りが出来ていることに気付いて、顔を歪めた。嫌な予感がする。この道はクーラが倒れた道だ。どうしてこの道ばっかり、と思いながら人集りに近付く。


何人かが大和に気付いて道を開けてくれた。なんとかしてやってくれ、と顔に書いてある。


「痛い!もう少しそうっとしなさいよ!」

「んなこと言ったってさ、ちょっとくらい我慢しろよ」

「ジーン、ダメだよう、患者さんには優しくしなくちゃ」


会話を聞く限り、どうやら心肺蘇生の必要はなさそうだ。


それに、三人の声のうち二人は、顔見知りだ。


「ジーン、ナナ、なにがあったんだ?」


声をかける。こちらに背中を向けてしゃがみこんでいた二人が、ビクリと肩を震わせ、それからサッと大和を見上げた。


「ヤマト!いいところに来た!このワガママ女、黙らせてくれ」

「こ、こら、ジーン!そんな事言っちゃダメだよ!」


二人はセラの助手見習いだ。助手に、さらに見習いが付くとはどういう事だと、大和は最初思ったのだが、二週間のうちにわかった。


要するに、患者を援助したい気持ちはあっても、知識が全くないのだ。


セラに教える気が無い、ともいう。


ともかく、大和が診療所で働く事を、もっとも喜んだのがこの二人だ。


「わかったから、なにがあったんだよ?」


溜息をつきながら、再度訊ねる。すると、ナナがつっかえつっかえ答える。


「あ、あのね、この女の子が、ね、何もないところで、転んで。足挫いたんだって。それでね、」

「そういう事か。ちょっと変わってもらっていいか?」


二人が場所をあける。大和は、椅子の代わりに小さい樽に座らされた女の子の前に膝をつく。

女の子は、長い金髪に青い眼をしたフランス人形のような容姿をしていた。この村の人間ではない事がすぐにわかる。気品さえ感じさせる容姿なのに、旅装束というか、薄汚れたマントに擦り切れた衣服といった格好だから尚更だ。


「ちょっとごめん、触るね」


声をかける。そして、明らかに腫れている右足首に触れる。


「いたぁ!」


女の子が声を上げる。


「ごめん、ちょっと我慢して。俺の手持って、立てる?」

「う、な、なんとか」

「足、動かしてみて」


そう言うと、女の子はぎこちないが歩く仕草をした。大和はにっこり笑い、女の子を座らせる。


「大丈夫、軽い捻挫だと思う。しっかり冷やして安静にしていれば、すぐに治るよ。ナナ、包帯とそれ、湿布かな?貸してくれるか」


ナナは手当しようと持っていた包帯と、この世界では多分それを湿布というのだろう、薄い紙のようなものを大和に渡す。手に持つとその紙は、やっぱりひんやりと冷たかった。


「これを貼って、と、あとは包帯で……」


ぶつぶつと呟きながらの大和に、周囲の人間は興味津々だ。


大和としては、学校の演習で学生同士練習をしたきりなので不安だったのだが、周りの人はそんなこと知らない。


靴を脱がせる。巻き始めはつま先の方から環行帯、あとは麦穂帯で八の字に巻き、最後に足首の上でもう一度環行帯。サージカルテープは無いので、包帯の巻き終わりを二股に割いて括り付ける。


「はい、終わり。しばらくは安静にしてくれ。無理に動かすと悪化するから」

「あ、ありがとう」


女の子は、頬を真っ赤にしながら、大和を見つめる。大和はなんだか居心地が悪くて、顔を逸らした。


「おお、さすがヤマト!相変わらずなんでも出来るんだなあ」

「スゴイです!」


ジーンとナナがふむふむと感心したように声を上げる。見守っていた住人たちも、なんだ大したことなかったなあなどと言いながら、徐々に離れて行った。


「あの、ヤマトさん、と言うのですか?」


勢いよく話しかけられて、大和はおっかなびっくり頷いた。


「わたしはレイラ・レイリノアと言います。レイラと呼んでください」


急に畏まって何事だと思いながら、大和も答える。


「あ、ああ、わかった。俺も大和でいいよ」


「ではヤマト、この村にセラと言うお医者様はいますか?」


え、とレイラの顔を見たのは、大和だけではなく、ジーンとナナも同じだった。


「やっぱり!わたし、そのお医者様を探してここまで来たの。案内してくれますか?」


レイラは心底嬉しそうに、安心したように、ぱあっと笑顔を浮かべた。


そんな顔をされたら、大和はレイラをセラの診療所へ連れて行くに他ならず。


なんだなんだと野次馬根性で、セラの助手見習い二人が付いてくることは必然だった。


だけど、大和はこの日の事を後悔することになるとは、思ってもいなかった。


レイラに訊ねられた時に、そんな人ここにはいませんよと言うべきだったのだ。まあ、実際には無理だっただろうが、ともかく、大和はこのレイラと出逢うべきではなかった。

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