第3話 女医


「待ってください!」


 ひたすらに追いかけて、やっと追いついたのは、セラが立ち止まったからだ。


 そこは爽やかな風が吹き抜ける、小高い丘の上。


 村というよりかは幾分も大きい集落が見下ろせる。中央をそれほど広くない川が流れ、その周辺には賑やかな通りがある。集落の周りを田畑が囲み、さらにその周りには深い森が広がっていた。


「セラさんは、何を知ってるんですか!?」


 距離にすれば5メートルほど離れた位置に立ち止まった大和が、大声で訊ねる。そこには、悲痛の色が混じっていた。


 セラは集落を見下ろしていた眼を、空へ向ける。雲が一筋、まっすぐな線を描いていた。


「お前が知りたいことには、わたしは答えられない。だが、わたしが医者になるキッカケを与えてくれた人間が、お前のように、どこか知らない遠い世界から来た人間だったのだ」


 ヒュッと息を飲む大和に、セラは真っ直ぐな視線を向けた。


「お前があの人と同じなのは、会った瞬間にわかったよ。その知識と変な服装でな」


 言われて、自分の格好を見下ろす。ロンTとデニムだ。この世界の人たちの服装と言えば、西洋ファンタジーのそれだ。誰も指摘しなかったから、今まで違和感を抱かなかった。


「わたしはある日、森に現れたその人から、お前の世界の医療の話を聞いた。その世界では医者だったそうだ。わたしは身寄りのない孤児だったから、その人を家に招き入れ、生活を共にした。わたしとその人は、親子ほど歳が離れていたから、父親が出来たみたいで嬉しかった」


 セラはまた空を見上げた。高いところを、一羽の鳥が飛んでいく。


「10年は一緒だったかな。わたしはその間に医者になる事を決め、その人はわたしに技術を教えてくれた。時々、この世界には無い器具を自作したりもした。だが、ある日、その人は死んだ」


 大和には、かける言葉が見つからなかった。


「その人は、重い病に罹っていた。その人やお前の世界では、或いは治すことはできたかもしれない。だが、帰る手立てはみつからず、ある朝起きると、その人は冷たくなっていた」


 大和の瞳から涙が流れた。自分は存外に涙もろい。実習中に、指導者に言われた言葉が脳裏を過る。必死に涙を堪える大和に、「本当に悲しいのは、患者本人とそれを見守ることしかできない家族なのよ」と、ベテランの看護師が言った。そんな看護師の目も真っ赤だった。


「おい、泣くなよ。わたしは別に、お前を泣かそうとこんな話をしたわけではない。これは言わば、自分に対する戒めだよ。次こそは守ってやるぞ、とな」


 そう言って、セラは豪快に笑った。今までの傍若無人な態度からは、想像もできない笑い声だった。


「だから、お前は帰る算段がつくまで、わたしが面倒をみてやる。そのかわり、お前はお前の出来る事をしろ。あの人も、帰りたいと言いながらも、この集落の人間を助け続けた。お前は何が出来る?」

「俺は、」


 と、言いかけて、そうかと思いつく。


 看護という概念がないこの異世界。


 俺に出来るのは、患者の療養生活を支援する事だ。


 そう、大和にも、出来ることがある。それはそのまま、この世界に、この集落に居てもいい理由にならないか?


 心を決める。涙を拭った。


「俺は、セラさんに着いてくよ。もちろん、元の世界に帰るまでだけど」


 そう言うと、セラはニヤリと笑った。人を食ったような、不敵な笑みだった。


「いいだろう。わたしはそれを受け入れる!お前は、お前の思うような医療をするんだ。いいな?」


 大和は、拳を握りしめた。力強く頷く。


 それをみたセラが、またも不敵な笑顔を浮かべ、同じように頷いた。






 ☆

「セラさん、さっきの意気込みはなんだったんですか!?」


 気持ち新たに集落に戻ると、お昼時を過ぎていた。セラは軽い足取りで一軒の飲食店に入ると、こんな時間から!?と言う大和を振り切って、アルコール飲料を注文した。


 デカイジョッキに並々注がれた琥珀色の液体が提供されると、間髪入れずに飲み干す。


 大和の声なんか聞こえちゃいない。


「アンタがセラさんの新しい助手か!悪いがこの医者、昼過ぎはだいたいこんなもんだぜ」


 ビールを運んできた店の店主が、ガハハと笑いながら言った。


 近くのテーブルにいた男性客が言う。


「今日はまだ頑張ったほうじゃねえか?ドグジイさんと、ライのガキの回診に行ったんだろう」

「違いねぇ。いつもは朝から飲んでるからな」


 別の客も同意して、店内は笑いに包まれる。


 結構騒がしい。だけど、セラは一杯目のジョッキを空にして、満足げに寝落ちしていた。


「ところでよ、あんた、めちゃくちゃデキルらしいな」

「ドグジイさんのとこの孫娘が、お前の噂話を言いふらしてるぞ」


 え、と大和が首をかしげる。と、一番近くにいた男性客が言った。


「ほら、一軒家に一人暮らしの爺さんだよ。ありゃあダメだと思ってたんだが、あんたがなんとかしてくれそうだって、孫娘のセリアが言ってんだ」


 ああ、と大和は頷いた。あのおじいさんはドグで、えくぼが可愛い女性はセリアと言うのか。


「大丈夫ですよ。ドグさんは栄養失調気味なだけですから」


 そう言うと、店主が顔をしかめた。


「それだ。あんたら医者は、なんでも難しく言いやがる。エイヨウシッチョウ?なんなんだ、そりゃ?」

「栄養失調、です。必要な栄養が取れてないってことですよ。それと、俺は医者じゃなくて、看護師です」


 まだ学生ですが、と心の中で付け足した。


「カンゴシ?またわからん単語が出てきたぞ」

「ほんと、あんたらはようわからん話し方するなあ」


 これは相当に厄介だぞ、と大和は思う。ここの人たちは、看護という概念を、本当に理解していない。


 おまけに、


「しっかしドグのやつ、誰かに飯を食わせてもらわなきゃ生きられんらしい」

「そりゃあまた、気の毒な事だなあ」

「誰かが世話しなきゃなんねえなんて、オラァ死んでもやだね」


 こんな会話が大和の耳に入ってくるのだ。これは本当に、大きな問題だった。


 この集落で自分にできることをすると、さっき心に決めたばかりだ。だけど、大和にできることと言えば、教科書通りの医療補助と、健康指導。あとは、適宜患者の安心、安全、安楽を守ることだ。


 と、突然、店の扉を開けて男が駆け込んできた。


「セラさんいるか!?大変だ、そこの通りで、クーラが倒れた!!」


 ガタガタと、客を含め店主までもが騒然とする。


「すぐそこだ!って、セラさん、潰れてるじゃねえか畜生!!」

「おい、誰かセラさんを叩き起こせ!!」


 そう言って何人かの客が、セラの周りを囲む。揺すったり叩いたりするが、セラが起きる気配はない。


「っ、クソ!」


 誰かが吐き捨てるように叫ぶ。


「あの!俺をそこに案内してください!急に倒れたんなら、一刻を争います!」


 大和は、自分でも驚くほど大きな声で叫んだ。


 気圧されたように、店に飛び込んできた男が息を飲む。だが、彼も深刻さは理解していたようで、こっちだ、と言うと店を飛び出した。


 大和もそのあとを追いかけるように店を出る。


 それはすぐにわかった。店を出てしばらく行くと、人だかりが出来ていたからだ。


 大和はガヤガヤとうるさい人だかりをかきわけ、その中央へ割り込む。


 男が倒れていた。顔は青白く血の気がない。ただ、必死に呼吸をしようと顎を動かしていることだけは確認できた。


 人間は、心臓が動かなければ脳に酸素を送ることはできない。だから、瀕死の状態でも呼吸をしようとする。クーラは顎を動かし、酸素を求めている。死戦期呼吸。それはまだ、助けることができるサインだ。


「どいて!」


 大和はクーラに駆け寄り、傍に膝をついた。目視で狙いを付け、右手の上に左掌をかさね、胸骨圧迫を開始する。一分間に大体110回のペースで胸骨下部を5〜6センチ圧迫。これがなかなか難しい。下手すれば胸骨を折ってしまう。だけど、手を抜けば助からない。AEDがないことが悔やまれる。


「クーラ!!」


 その時、人混みをかき分けて、痩身の女性が傍に膝をついた。


「あなた、は?」


 手を止めずに、訊ねる。


「クーラの恋人です!!彼、どうしたの!?」

「突然、倒れた、らしい!あ、君、恋人なら、この人に、空気を!俺が、30数えたら、口に、二回、息を、吹き込ん、で!!」


 え、と一瞬戸惑ったような女性は、だけど、次の瞬間には瞳に強い光を与えていた。


「額抑えて!顎あげて!」


 指示を出すと、女性はすぐに実行した。


「26、27、28、29、30」


 大和が数えるのにあわせて、女性はクーラの唇に、自身の唇を押し当てる。胸部に触れた大和の手に、肺を満たす空気の圧力を感じ、大和はまた胸骨圧迫を繰り返す。


 しばらくなんの変化もなく、どれだけそうしていたかわからない。が、それは突然訪れた。


「グフ、ゲホ、はぁ、はぁ」


 クーラが息を吹き返したのだ。すかさず大和は、クーラの肩を叩く。


「クーラさん!聞こえますか!?」


 耳元で何度か呼びかける。すると、弱々しくはあったが、クーラの唇が動いた。


「クーラさん!!もうすぐセラさんがきますからね!!」


 そう言ったのは偶然だっが、直後、人集りをかき分けて、本当にセラが姿を現した。


「今すぐ診療所に運べ!揺らすなよ!」


 状況を判断したセラが叫ぶ。と、野次馬たちのなかから何人かが駆け寄ってきて、クーラの身体を抱え上げた。診療所の方へ運ぶ。


「はあ、はあ、良かった。意識戻った」


 疲れ果てて肩で息をつく。その肩に、セラが片手を置いた。


「よくやった」


 その言葉だけで、大和は、自分の努力は報われた気がした。


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