第2話

 このアパートに越してきたとき、榮太郎の親戚が持っているアパートだということはもちろん聞いていたし、大家であり榮太郎の叔母の清子さんが1階に住んでいることも知っていた。榮太郎の両親とはそれほど付き合いがなく、親戚の中でもかなりアウトローな感じの存在であることも。どこかのお金持ちのお妾さんで、その男の人が死んでしまったときにすったもんだののち譲り受けた物件であると(榮太郎から)聞いていたが、私にとってそんなことはもちろんどうでもよく、内見に来た時に部屋が気に入ったから決めた。それだけだ。


 水色の外壁は何年か前に塗りなおしたそうできれいだったし、白い階段と手すりには良い感じにツタがからまっていた。ドアや床の木の色が黒に近い深い色なのも気に入った。私が気に入ったと言うと、榮太郎はひとつうなずき、それですべて決まったのだ。

 引っ越し当日、挨拶に行ったときにはじめて清子さんに会った。60代に入ったばかりという清子さんは潔いおかっぱ頭で、肌がきれいで目の細い美人だった。派手ではなく、品の良い感じ。そこで私は、食堂のおばちゃんをやらないかと持ち掛けられた。私たちが入る前に201号室に住んでいた家族の奥さんが長いこと受け持っていたそうだった。このアパートができてから30年間、そうして住人のうちの誰かが順繰りに担っているらしい。調理師免許などは持っていなくてもよいこと、平日だけで構わないこと、材料費と手間賃のことなどを確認すると、私はすぐに引き受けた。榮太郎は驚いたけれど私が良いなら、と言った。ちょうど半年前のことだ。


 102号室のドアに引っ掛けてあるホワイトボードには、当日10時までに希望者が名前を書くことになっている。一週間先まで書けるようになっているからなんとなくの予想はつくけれど、もちろん直前に書いたり消したりもされるので10時過ぎに見に行く。

 10時をまわった。私はお財布とエコバッグを持つと、サンダルをつっかけて外へ出た。天高い秋晴れだ。ひやりとした空気が肌をさす。会談を降り、食堂のドアをのぞく。ホワイトボードの今日(10月25日、火曜)の欄には、5人の名前が書かれていた。『フジワラ』『キヨコ』『オカノ』『ナカジョウ』。『エイタロウ』の文字も見つけて私は小さく笑う。家で聞いているのだから書かなくてもいいのだけれど、彼は律義にここにも書いていくのだ。必ず。では今日は自分も含め6人分、いざというときのために7人分くらいの食事をつくればよい。昨日見た時より1人減っていた。


 1階に清子さん宅と食堂。全八戸のうち、純粋に店子が入っているのはそのほかの六戸だ。二階には我が家と、鈴木さんという3人家族。3階には、最近入ってきた岡野さんというOLさんと、もう10年近く住んでいるという中条ケイコさんというこれもOLさん。ケイコさんは40代、岡野さんはたぶん20代。4階には、藤原君という30歳くらいの男の人が住んでいる。もう一部屋はここ半年ほど空いているのだ。つまり今日は、鈴木一家以外は食堂に集まることになる。もちろん時間はばらばらなので、一堂に会するとは限らないけど。藤原くん、ケイコさん、榮太郎、清子さんはほぼ毎日で、鈴木一家は週に2,3回。みんなもうよく知っているが、岡野さんは今日が初めてだ。入居して2か月くらいたっているから、若い子はこんな奇妙なシステム嫌だろうな、くらいに思っていたのだけれど。

今どきのOLさんが来るのか。なんか、緊張してしまう。

私は、大人6人、とつぶやきながらスーパーへ向かった。

 

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卵をさがす日々 @shami101

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