第235話

 キュアノス中層域。かんを持たぬ貴族が住まうこの地で、グレイを始めとする冒険者達が闇の王と称する者との戦闘が行われていた。下層と中層を隔てる城門は半壊し、石材を加工して作られた街路は黒焦げとなり部分的に陥没していて、その激しさを物語っていた。


「こりゃ参ったね。まさか全然歯が立たないとは……」


 グレイは切っ先を闇の王に向けて凝視しながら、肩を大きく上下させていた。三十名程居た『ホルロージュ』を攻略せんとする精鋭冒険者達も、今やグレイを始めとする数名しか残っていない。その他の者は深手を負いユリア等神官達の治癒を受け、或いは絶命して地に転がっていた。


「いいや、人にしては良くやった方だ褒めてつかわそう」

「そいつはどーも」

「フッ……だが、ここまでだな。息は上がり、出血によって体力を奪われ、オマエの仲間達は魔力が尽きて回復もままならない。身体が限界にきているのではないかね? その点私はどうだ? 斬られても即座に修復し、力が無限に溢れ疲れを知らぬ」

「そいつはどーかな……? あんたも随分とダメージを負っている様にオレには見えるがね」

「クッ……」


 グレイの言う通り、闇の王も当初に比べると随分力を消費していた。その原因となったのが、グレイが持つ片刃の剣である。グレイが持つこの剣は、その昔倒した『ホルロージュ』の番人の体内から出てきた代物である。神が遺した彼の塔の番人もまた、神が創りしモノ。当然、その剣には神の加護が宿る。通常時は城で保管し、公的な式典でのみ帯剣していたが、カナ扮するカーン=アシュフォードの冠位任命式典に出席をする為に運良く自宅へと持ち出していた。そのお陰で戦線が拡大するのを辛うじて防ぐ事が出来たといえた。


「なあ、闇の王よ。一つ聞きたいんだが、その娘の身体を使って何をするつもりだ」

「何を……? 決まっておろう。この娘の望みを叶えてやるのよ。この世の総てを悪夢で満たし、苦痛を与えた人間そのものに滅びを与える。それがこの娘の意志。それを余が代行しているに過ぎん」

「お姉様はそんな事など望んでなんかおりませんわっ!」


 グレイの遥か後方から発せられた声に、闇の王はグレイから視線を外し、その声に聞き覚えのあるグレイは振り返る。強敵との戦闘中に致命となりうる行為をグレイは行った。それだけその声の主がこの場に現れた事に驚きを隠せなかった。


「ほう……性懲りも無く舞い戻って来たのか、小娘」

「なっ! リリーカ、逃げろと言っただろう!?」


 グレイの言葉を意に介さず、リリーカは他の冒険者の治療を終えたユリアの元へと駆け寄った。


「どうしてここへ来てしまったのリリー」

「お姉様をお救いしたい。わたくしはその為に参ったのです。闇の王、あなたは先程お姉様の意志だと仰っしゃいましたが、お姉様はそんな事を望むお方ではありませんわ。あなたの悲願を達成する為に、心を病んでしまったお姉様を利用しているだけでしょう?」


 リリーカの言葉に闇の王は一瞬、キョトン。とした顔を見せた。


「まあ、余にとってもこの身体は実に都合が良かったのでな」


 契約石の形を成し、力在る者を長い間待ち続けていた闇の王は、カナの首元で虎視眈々とその時を狙っていた。カナを精神的に追い詰める為に悪夢を見せ、或いは精霊に干渉して暴走させ、またある時は精霊を抑え付けて術の行使を妨害した。これ等の策はほぼ失敗に終わったが、皮肉にも人の欲がカナの精神を崩壊させ、助けを乞うカナと結果的に契約を結ぶ事が出来た。


「神より力を与えられしこの身体を我が物とすれば、忌々しい塔の制約を受けずに済むのだよ。そして、その時は間もなくやって来る。娘の魂が消滅すれば、余は完全復活を果たす」

「お姉様、お姉様がまだソコにいらっしゃるのですかっ!?」

「ああそうだ。死にたいと願ったクセに未だしぶとく残っておるわ。だが、それを知った所でどうするつもりだ? お前如きの召喚術なぞ、余に毛程のダメージも与えられんぞ?」


 闇の王は口角を吊り上げる。先程見たリリーカの技量ならば、例え反属性の精霊魔法を幾ら受けようがダメージはほぼ通らない。それよりも、グレイの持つ剣の方が厄介だと判断していた。完全復活を果たしたのならばその攻撃も大した事は無いが、不完全な状態では大ダメージを受ける。今この場で闇の王を倒し得る唯一の武器と云えた。


「どうする、ですって……?」

「何だ……?」


 ゾクリ。ゆらりと立ち上がったリリーカに、在ろう事か王たる者に戦慄が走る。


「決まっているではありませんか。あなたを浄化し、お姉様をお救いするのです」

「ふ……ふははは。面白いやってみるが良い。言っておくが、未熟な精霊使いに余が滅ぼされるなぞ有り得ない事だがな」


 闇の王を睨み付けたまま、笑みを浮かべるリリーカに闇の王はまたしても戦慄を覚えた。


「聖なる都に住まいし至高の戦乙女いくさおとめヴァルキリー……」

「何っ!?」

「契約に基づき我の元に来れ」


 リリーカが精霊に『呼び掛け』を行う。その瞬間、立ち込めていた暗雲を貫き、一筋の光が地に降り注いだ。それはまるで、かつての魔王と相対した一人の英雄と同じであった――




 リリーカの声に応え地に舞い降りた精霊は、花冠かかんを頭に頂き、純白の、いわばウェディングドレスの様相をしていた。その姿にグレイは愛娘の花嫁姿を垣間見、闇の王からは余裕の顔が消えて狼狽える。ほんの少し前までは、低級精霊しか扱えなかった少女が、突然化けた事に驚きを隠せずにいた。


「貴様っ、この短時間で一体何をしたっ?!」

「何を……? わたくしはこの時の為にお姉様が残されたお力を受け取っただけですわ」


 ある意味ではその通りだが、実際は闇の発生を感じ取ったヴァルキリーが、ソレを滅すべく『神助しんじょを受けし者』の血を引くリリーカに話を持ちかけた。だが、そのハッタリは事情を知らぬ闇の王に効果的だった。


「リリーカ、あなたまさか……」


 ユリアの声に、リリーカはニコリと微笑み返す。しかし、その額には珠の様な汗がビッシリと着いていた。


「ふ……ふははは。そうか貴様、己が命を差し出したか」


 闇の王の想像は的を得ていた。ヴァルキリーが提示した条件は、リリーカの魂を捧げる事だった。


「よかろう。この娘の魂が消滅するまでの間、少し遊んでやるとしよう」

「……ヴァルキリー、生きている者に癒しの――」


 奇跡を。その言葉を発する前に、ユリアが指先でその唇を塞いだ。


「ダメよリリー。何か奇跡を起こす度に、あなたの命が削られてしまう。今も少しずつ、がれているのでしょう?」


 ユリアの言う通りだった。何もしていないのに、息は荒く珠の様な汗が額に浮かんでいる。少し、ほんの少しずつ、体力が削られていた。


 何か大技を繰り出せば、一気に削られるであろう事もリリーカには分かっていた。だからこそ、命を少し削ってまで冒険者達を回復して逃がそうと考えた。だが、ソレをユリアが看破してしまった。


「その通りですわお母様。今のわたくしでは、一撃二撃がやっとです。ですから、冒険者の皆さんを逃がさなくては」

「その申し出。お断りさせて貰うわよ」


 リリーカの背後から掛けられた声。落ち着いた大人な声にリリーカは慌てて振り返った。歳の頃は二十と少し。赤毛が混じったロングヘアを風に靡びかせて、リリーカへと歩みを進める。


「ルリ姉様?! ご無事だったのですね!?」

「ええ。突然変なのに襲われてびっくりしたけど、対処はそう難しくも無かったわ」


 ルリの言葉に闇の王は、何とも不甲斐ない。と舌打ちを一つする。


「んで? アレがこの騒動の元凶ってワケか……」

「はい。姿はお姉様ですが、『ナイトメア』なる悪夢を統べる闇の王が乗っ取っています」

「ふぅん……」


 鼻息で応えたルリは、カナの身体を舐め回す様に見つめる。


「あなたが悪夢を見せるなら、私は良い夢を見させてあげるわ。足腰立たなくしてあげる」


 ルリの物言いに闇の王の額に青筋が浮かび上がる。


「貴様、余を愚弄するかっ」

「愚弄? じゃあ、試してみる? そのエロい身体にタップリと女を――あいたっ」


 ボコリッとルリの脳天に剣の鞘が落とされた。


「このアホルリっ、相手を刺激してどーすんだっ!」

「アホとは何よアホとはっ! 考え無しのカーリィと一緒にしないでっ。そもそもへり下ろうが、なじり倒そうが勝率は変わらないわよっ」


 ルリの言う通り、全世界を悪夢で満たそうとしている輩にへり下った所で、事態は変わらない。いや、むしろ悪化した。


「王、こちらでしたか」


 煙が立ち上がる中から姿を見せたのは、闇の王の傍らで控えていた執事バトラー。スーツに赤いシミが着いている事から他方面の冒険者を駆逐したらしく、その強さが分かる。


「丁度良い、お前も力を貸せ。余の力が完全復活するまで時間を稼ぐのだ」

「御意に」


 執事バトラーは、白い奇跡を生みながら白手を嵌めた手を胸元へと動かして一礼し、ルリ達を一瞥する。


「我が主人より命を受けました。あなた様方には何の恨みも御座いませんが、お覚悟を」


 一礼する執事バトラーに、カーリィがルリに冷たい視線を向けた。


「だから言ったじゃねぇか」

「う、うっさいわね。言おうが言うまいが変わりなかったわよ」


 実際の所、ルリが悪態を吐かなかくても執事バトラーはこの場に現れたのだが、思わぬ戦力の増加にルリの心の中は穏やかでは無かった。


「ブランシェ君。だったか?」

「はい。グレイ殿」

「君達は隣に居る執事バトラーの相手を頼みたい。俺達は『ナイトメア』を牽制する。この戦に勝つ為にはリリーカの力が要だ。彼女を守り術の発動を補佐するんだ」

「分かりました。リリーカちゃん、頑張ってね」

「はい。ルリお姉様もお気を付けて」


 向日葵の様な笑顔で応えたリリーカにルリもまた笑顔で応えた――




「つー訳で待たせたな」


 グレイは薄く輝く刀身の切っ先を闇の王に向ける。


「いやいや、まだ喋っていて構わんぞ。その方がコチラも楽だしな」


 今まで闇の王が黙ったまま何も手を出さなかったのには理由がある。今この時も、リリーカの命の灯火は小さくなり、依り代としている娘の魂も消滅に向かっている。時間が経てば経つ程勝機は上がるからだ。


「残念ながらこれ以上長話は出来んのでな、娘の……いや、女の覚悟を無になんてさせたくないのさ」

「お父様……」


 リリーカは小さな胸の奥から、込み上げる何かを感じていた。今まで足手纏いとされていたが、一人の、一人前の女としてみてくれた事に涙腺が弛む。


「リリーカ、悔いのない様に思い切りやれ」

「はいっ!」


 向日葵の様な笑顔から雫が零れ落ちた。


「という訳だから覚悟しろ悪夢を統べる闇の王『ナイトメア』。『オレの女達』は一癖も二癖もあるぞ」


 ニヤリ。と口角を吊り上げたグレイの隣にユリアが杖を構えて並ぶ。


「あらあらまぁまぁ。この期に及んでハーレムでも作るつもりなのかしら?」


 怒気が含まれたユリアの言葉に、一粒の汗がグレイの頬を静かに流れ落ちた。


「別に私は英雄殿の正妻でなくても構わないですよ」


 グレイの隣に並び立つルリに、カーリィはハァッ?! とした驚きの視線を向けた。


「おおぃっ! 俺との関係はどうなるんだよルリっ。ルーも何か言ってやれよっ」

「……別に」

「無いんかよっ!」


 そんな各々のやり取りを、背後から見ていたリリーカはクスリと笑った。


「それでは皆さんっ、よろしくお願い致しますっ!」

『おおっ!』


 雄叫びを上げて各々が駆け出す。グレイ、ユリアは『ナイトメア』に。ルリ、カーリィ、ルーは『執事バトラー』に。今、カナを取り戻し、ついでに世界を救う戦いの火蓋が切って落とされた――




 元英雄とはいえただの人間と、闇に属する上級精霊一体に中級精霊一体とでは、数の上では人間側が優位でも本質的な戦力は精霊に軍配が上がる。神が遺し塔、『ホルロージュ』の制約を受けているとはいえ、『魔神』と云える存在に程近い『ナイトメア』には、普通の攻撃など意に介さない。驚異となるのはグレイが持つ剣と、光の上位精霊を召喚していているリリーカだけだと踏んでいた。しかし――


「聖なる都に住まいし至高の戦乙女いくさおとめヴァルキリー、彼等に光の加護を与えよっ」

『イエス、マスター』


 リリーカの声に応え、ヴァルキリーから放たれた光の塊がグレイ達を包み込む。これにより、彼我の戦力差が引っ繰り返らないまでも、相当縮まってしまった事に闇の王は焦りを抱いていた。


「クソッ、小娘が……いい加減にしろっ!」


 グレイの斬撃をいなしながら、闇の王は悪態を吐いた。それはリリーカに向けた言葉では無く、闇の王の内に未だ残っているカナの魂に向けた言葉だった。そのカナは今、闇の中で一人うずくまっていた。


『娘よ。よもや余との契約を忘れた訳ではなかろうな?』


 カナの頭に闇の王の声が響く。


「……忘れてない。あなたのお陰で私は苦痛から解き放たれた、それは感謝しているわ。だけど、あんな事までする必要はあったの……?」


 カナの意識を追いやり実体を得た闇の王は、カナを拘束していたいましめを軽々と引き裂いた。騒ぎを聞き付けてやって来たフォワールを惨殺し、実験室ラボで薄気味悪い笑い声を発しながら実験に勤しむタドガーを滅殺した。しかしそれだけに留まらず、屋敷を破壊し街を紅蓮の炎で包み込んだ。男も女も老人も子供も、一人また一人と息絶えてゆく。その光景をカナに見せてしまったのは闇の王の誤算といえた。でなければ、カナの魂はとうに消滅していただろう。


『何を言っておる娘よ。余が言う苦痛とは、この世界そのものの事だ。人が世を生きる事に他ならん。真の自由とは死して得られるモノなのだ』


 確かに死ねば本当の自由になれる。しかし、それはただ単に逃げ出しただけではないか? そんな疑問がカナの心に渦巻いていた。


『見よ』


 カナの目の前に、現在行われている戦闘の様子が映し出された。剣を振るうグレイ。それを守るユリア。蹴り飛ばされて転がるカーリィ。それを支え起こすルー。ボロボロな衣服で全身汗だくになりエロさを増したルリ。そして、カナの視線は真っ直ぐにリリーカに注がれていた――




「闇断つ光よはしれ、疾光の断罪イルミネイト・ウィズドローっ!」


 ヴァルキリーより放たれた光の斬撃は、鍔迫り合いを演じるグレイと闇の王に迫る。しかし、それに気付いた闇の王は光の斬撃を辛うじて躱し、急に引かれた事でバランスを崩したグレイを飲み込んだ。


「馬鹿め。味方を巻き込む様な術なぞ使いおって。小娘、お前の所為で仲間が消し飛んだぞ?」


 闇の王がリリーカに向かってほくそ笑んだ次の瞬間、闇の王の腕が切り落とされた。未だ残る光の斬撃の中からグレイが姿を現す。


「誰が消し飛んだって?」

「なんだとっ!?」

「何を勘違いしておられるのです? わたくしの想いは闇のみを断ち切りますの」


 それは闇の王にとって完全な誤算だった。仲間を引き付けその動向にさえ気を配っていれば、術が飛んで来るタイミングが計れ、かわす事も容易たやすい。それを繰り返せばリリーカはいずれ動けなくなり、後はカナの消滅を待って反撃に転じるつもりでいた。しかし、その効果が自身にしか及ばないとなると話は違ってくる。また、グレイは巧みに闇の王の視線からリリーカを覆い隠し、術のタイミングを読ませない様にしていた。


「王っ! この場はわたくし目にお任せになり、一時撤退をっ!」

「撤退だとっ?! どこへ逃れるというのだっ!」


 ヴァルキリーからの光の加護によって、ルリ達に苦戦を強いられている執事バトラーからの声に闇の王は叱咤する。完全な力を取り戻さない限り、塔を中心として張られた結界の外へ逃れる事が出来ない。このままでは不味い事になる。闇の王にそんな考えが過った。だが、運命の天秤は僅かに闇の王に傾いた。


「う……く」


 ガクリ。と膝を落とすリリーカ。口元からは一筋の赤い液体が流れ落ちてゆく。リリーカの身体に限界が近付いていた。それを見た闇の王は声高々に笑う。


「ふはははっ。小娘、ついに限界を迎えた様だな。人の身に上級精霊など宿すからその様な事になるのだ。辛いか? 苦しいか? その悪夢から余が解き放ってやるぞ?」

「慈悲深き至高神よ、傷付き倒れし我等が同朋に再び立ち上がる力を与え給え」


 ユリアから回復魔法がリリーカに齎される。しかし、その効果も瞬く間に消費され意味を成さなかった。脂汗を流しながら肩で荒い息を繰り返し、顎から離れた赤い雫が地に落ちる。


「ハァッ、ハァッ……お父様、お母様。少しワガママを聞いて頂けませんでしょうか?」


 リリーカを心配し駆け付けたグレイとユリアは互いに顔を見合わせた。


「次が最後の一撃になります。ですから、お二人には逃げられぬ様『ナイトメア』を抑え付けていて頂きたいのです」

「それは無茶よリリー。あなただってもう限界じゃない。これ以上何かしたらあなたの命が……お父さんも何か言って頂戴」

「ああ。だが、リリーカの最初で最後の我が儘だ。叶えてやらない訳にはいかないだろう」

「お父様……」


 グレイはポン。とリリーカの頭に手を乗せて立ち上がり、闇の王と向き合った。


「ホント、お前は俺達には過ぎた娘だよ」


 そう言い放ったグレイの目から、一粒の雫が零れ落ちた――




『良いのですか? ソレを使うのには貴女の魂と引き換えになるのですよ?』

「はい。お姉様をお救い出来るのなら、この命惜しくはありません」

『そうですか……分かりました。それではお教え致しましょう』

「何を企んでおるか知らんが、次の一撃を躱せば余の勝ちだ。分かっておろうな……?」


 息を整えるリリーカに闇の王は揺さぶりをかける。それを邪魔させない様に、グレイは切っ先を闇の王に向けた。


「おいおい。そんな事に構っている暇なんてあるのか? コッチに集中してねぇと、コイツがお前をぶった斬るゼ?」

「人間風情が過ぎた力を手にして粋がるな。そんなに死にたいのなら先にお前から殺してやろう。さすればあの小娘も諦める事だろう」

「はんっ、おもしれぇ……やっってみせろやっ!」


 グレイは地を蹴って闇の王へと駆け出し、剣を振り下ろす。闇の王は左腕に漆黒の盾を生み出して斬撃を受け止め、グレイの背後に隠れる様に間合いを詰めていたヴァルキリーの斬撃を剣で受け止めた。自身の背後にヴァルキリーが居た事にグレイは驚く。


「神の眷属の割には浅はかな攻撃ではないか」

『あなたは知らぬのでしょうね。何故あなたの力が削がれているのかを』

「なんだと……?」


 鍔迫り合いの中、今度はヴァルキリーが闇の王に揺さぶりをかける。


「ふん。そんな事ぐらい知っておるわ。あの塔が余の力を削いでおるのよ」

『塔……? そうですか。あなたにはあれが塔に見えるのですね』

「……どういう意味だ?」


 鍔迫り合いを演じていたヴァルキリーは、そのまま後ろへ下がり距離を取る。その様子を見ていたグレイも同じく距離を取った。グレイもまたヴァルキリーの言葉に興味を持ったからだ。


『お見せ致しましょう。あれの真なる姿を……』

「真の姿だと!?」

「至高神に創られし塔『ホルロージュ』。我が命、我が魂を捧げ、彼の者の闇を打ち払う一振りの光を我に与えよ」


 リリーカの『呼び掛け』に応え、塔自体が僅かに発光する。そして、その塔が忽然と消えた。


「なにっ?! 塔が……塔が消えただとっ!?」


 突然に消失し、周囲を大いに驚かせた神代の塔『ホルロージュ』は、その姿を剣に変えてリリーカの手の中に収まっていた。これが『ホルロージュ』の真の姿。それは遥か遠い昔に、神が『魔』を打ち倒したひと振りの聖剣。故に、魔に属する全ての存在ものが、この制約を受けて弱体化する事になる。


「我が意思、我が命、我が魂を燃やし、闇を打ち払う一撃と成さんっ!」


 地を蹴って宙を舞うリリーカ。突き出した切っ先は真っ直ぐにカナに向かっていた。急速に近付くカナの姿。リリーカの頭には彼女の事で埋め尽くされていた。カナと共に笑い、怒り、過ごしてきた日々。短いながらもリリーカを満たすには十分過ぎる時間だった。


「(これは一体どうした事でしょう? お姉様への想いが底から溢れ出して止まりませんわ……ああ、そうか。そうだったのですね。わたくしは……わたくしはお姉様の事が……)」


 カナへと到達するまでの刹那の時間、リリーカは溢れるその想いの答えに辿り着いた。そしてその様子は、闇の中で闇の王に見せられているカナも見ていた――




『娘よ、決断せよ』


 闇の王はグレイ達と戦いながらもカナに決断を迫っていた。


『今すぐ余に身体を明け渡し、苦痛より解き放たれるか。それとも、再び苦痛にその身を焦がすか二つに一つ。見よ、この者等はお前の力を知っておる。『解放者』たる余よりお前を奪い返し、再び鎖に繋いで苦痛を与え続けるつもりなのだ』

「違う……」

『違わぬ。この顔を見よ、お前を取り戻して財を成す為に欲にまみれた顔だ』


 無論、リリーカ達はそんな顔などしてはおらず、見せられている映像は闇の王が手を加えたモノであった。


『お前に苦痛を与えた輩と同じ顔をしているではないか』


 続いて映し出されたのは、嬉々として鞭を振るうフォワールと、恍惚な表情で身体の一部を削ぎ取ってゆくタドガーの姿。その顔もまた、闇の王によって同じに見える様に細工されていた。


「違う……」

『違わぬ』

「いいえ、違うわ。リリーカさんはそんな事をする様な子じゃないっ」


 一人っ子のカナにとってリリーカは掛け替えのない妹分。多少世間知らずな部分もあるが、それがまた彼女をより愛おしくさせる。何より、向日葵の様なその笑顔は、能力を知ってからも変わる事なくカナに向けられていた。私の太陽は貴女だと言わんばかりに。そのリリーカはもう間近に迫っていた。


「闇よっ! 光に抱かれて滅せよ!」

「クッ、おのれっ!」

「おっと、逃がしゃしねえよ」

「なっ! 貴様、いつの間に!?」


 闇の王の間近でグレイの声がする。闇の王が塔やリリーカに気を取られている隙に背後に回り込んでいた。全てを一撃で終わらせる為、そして娘の我儘に応える為に。


「ぬぅあああっ!」


 迫り来る聖剣を携えたリリーカに、闇の王は全魔力を振り絞って、カナの身体を羽交い締めにしているグレイを吹き飛ばした。だが、それだけだった。リリーカの一撃から逃れる為に行動を起こそうとしたカナの身体は、硬直した様に動く事が無かった。


「こっ、小娘っ?!」


 闇の王は驚き思わず声を上げる。その動きを阻害したのは、元々の持ち主であるカナだった。


『娘っ! 余との契約をないがしろにするつもりかっ?!』

「契約? そんなもんクーリングオフするに決まってるじゃない」

『くーりんぐおふ……だと?』

「ええ、やっぱり勿体無いわ。こんなピッチピチのナイスバデェを私以外に動かさせてたまるもんですか」

「ふ……ふはははっ! 全くどいつもこいつも……」


 胸板を貫かれながらも闇の王は高笑う。そして、荒い息で肩を上下させながら、間近で見上げるリリーカの肩に手を置いた。


「喜べ小娘。そなたの勝ちだ。だが、忘れるな。人々が悪夢を見る度に余は力を取り戻し、いつか必ず復活を果たす。覚えておくがいい……」


 パキィンッと乾いた音を立てて、カナの首から下げていた闇の契約石が砕け散る。同時に、カナの身体のあちこちから漆黒の靄が勢い良く吹き出して天へと昇っていった。


 立ち込めていた暗雲から光が差し込む。ゴフリ。と、赤い液体を吐き出してリリーカは崩れ落ちた――




 ――朝。目を覚まして起き上がったカナは、ボサボサな髪を掻きながら寝ぼけ眼で個室へと向かった。親指を肌と下着の間に差し込んでズルリ。と太腿まで引き下ろし、良く手入れが施された白磁の器に腰掛ける。


「はぁ……リリーカさんが死ななくてホント良かった……」


 あの後、意識を取り戻したカナは、リリーカが己の命を差し出してまで自身の為に尽くしてくれた事を知り、リリーカと契約を交わしたヴァルキリーに新たな提案をしていた。


「どう? 悪くない条件じゃないかしら……?」

『その言葉の意味、分かっているのですか?』

「そうね。十分にお釣りがくる筈よ」

『いいえ、そういう事ではありません』


 ヴァルキリーが言いたい事はカナにも分かっていた。


「ええ、勿論。でもそれで、大切な人を救う事が出来るのなら……私は何の躊躇も無く差し出すわ」

『そうですか……』

「……?」


 ヴァルキリーの呆れた表情にカナは首を傾げる。


「何か問題でもあるの?」

『いえ、何でもありません。ですが良いでしょう。貴女に与えられし力を対価に、私と契約をした娘をお返し致しましょう』


 ヴァルキリーの言葉に、カナを始めとするこの場に居る者達の緊張が解れていった。こうして、『ナイトメア』事件は終わりを迎えた。


「これで晴れて私も普通の人になった訳だし、仕事に恋に頑張るゾッ!」


 エイエイオー。と腕を天井に突き出したと同時に、モーニンッ。と言わんばかりにアレが産み落とされる。ゴトリ。その音を聞いて、スッキリとした晴れやかな表情が凍り付いた。


「……へ?」


 気の所為であってくれ。と、尻を持ち上げて、意を決してせーので振り向くカナ。良く手入れが成された白磁の器。そのやや奥に、しろがねに光り輝く物体が、『気の所為ではありませんが、何か?』と言わんばかりに盛られていた。


「なんでコッチは残ってるのよぉぉっ!」


 カナの悲痛な叫びがボロアパートに木霊し、パンツがストン。と足元に落ちた――






――――――


最終話。一気にお届け致しました。一人称から突然変えたのは、こちらの方が良いと思ったからですが、如何でしたでしょうか? 今まで長々ダラダラとした話にお付き合い下さり、有難う御座いました。

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