掲示板の効果。
来た時と同じ馬車に乗り、御者がオジサマの店へと走らせる。私もリリーカさんも黙ったままで、馬車の音だけが室内に響いていた。
折角勝ったというのに、勝利の余韻に浸る間もなく放たれたメアリーさんの余計な一言。それが気になって素直に喜べなかった。
「だ、大丈夫かな……?」
「分かりません……」
再び静寂が訪れ、ガタゴトと馬車の音だけが響く。
「フォワールの奴、睨み付けていたよね?」
「ええ、それはもうオーガーの様な形相でしたわ」
「……」
「……」
みたび訪れる静寂。オジサマの店へと戻るまでガタゴトと馬車の音だけが響いていた──
ガラランッと来客を知らせるドアベルが鳴る。オジサマとおばさまの視線が注がれる中、私達はカウンター席に座ってため息を吐いた。
「まさか、負けたの?」
年甲斐もなく、フリルの付いたミニスカのおばさまが目の前に水が入ったコップを置いて言った。
「いえ、勝つには勝ったのですが……メアリー様によってお姉様が女だとバレてしまったのですわ」
「あら。あらあらまあまあ」
その話を聞いたおばさまは、危機感の無い何時ものセリフを吐いた。
「フォワールは直後に王女殿下に上申しようとしたのですが、王女殿下はそれを力で抑えてしまったのですわ」
「なるほどねぇ。座ってからのため息は、騙されたと思っているフォワールが報復しに来るんじゃないかって心配してたのね」
「そうですわお母様」
「大丈夫じゃない?」
「その根拠は御座いますの? アレの執念は尋常ではありませんわ」
「そうね……」
おばさまは明後日の方向に視線を向けて頬を指先でトントンと叩く。
「王女殿下の目の前で一筆書いたのでしょう?」
「はい。内容は王女殿下が決めた様ですが、今後一切私に手を出さない。というものだったかと」
「だったら勝負は勝負よ。そこに男とか女は関係ないわ。それに、女であるカナちゃんに負けたと知られれば、更に彼の立場が苦しくなるでしょうね」
なるほど。逆に知られぬ様に尽力するしかなくなる。だけど……
「それで納得するでしょうか?」
「どういう事ですかお姉様?」
「カナちゃんが心配しているのは、彼の復讐心が何処へ向けられるのか? よね」
「その通りですおばさま」
貴族至上主義を掲げる様なヤツだ。表面上では納得しても、その内では怒りの炎が猛り狂っている事だろう。その矛先が向けられるのは……恐らくは、私だ。
「……ごめんなさいお姉様」
「え?」
「
リリーカさんもその事に気付いた様で、足首にまで丈があるスカートが少し持ち上がる程に握り締めていた。
「リリーカさん……」
「でもご安心下さいっ。お姉様は
「へっ?!」
「あら。あらあらまあまあ。カナちゃんおばさんね、孫は男の子と女の子一人づつが良いわぁ」
「いやあの。私女ですからねっ!?」
「別に女同士でも子は持てるわよ」
持てないよっ!
「冗談はさておき……」
「あら、おばさん意外に本気なのよ。養子を迎えれば良いだけだし」
「っ! それですわお母様っ!」
それじゃなぁぁいっ!
「と、兎も角。そういう話は数百年後にしてもらって」
「数百年後ってお姉様……非道いです」
「──オジサマは高名な冒険者だったんですよね?」
「……まぁな」
自慢げに話すわけでもなく、短く答えたオジサマ。リリーカさんはカウンターに八の字を描いて拗ねていた。
「私に剣術を教えて頂けませんか?」
「えっ?!」
八の字を描くのを止めたリリーカさんが今度は私をジッと見つめる。
「魔術ではなくて剣術ですかお姉様?」
「うん……ホラ、私って魔術が使えるかどうか分からないし、自炊で包丁使ってるから剣の方が合うかなって」
「お姉様。剣と包丁は全くの別物ですわよ」
冷静にツッコミを入れるリリーカさん。流石の私もそれくらいの違いなら分かる。
「……剣を学んでどうするつもりだ?」
「いえ、それで何かをしようという訳ではなくてですね、あくまで自衛の為にです」
殺されても死なない私だが、斬られれば痛いし起き上がった所を見られては更なる面倒事に巻き込まれ兼ねない。剣術を学んでおけば、けん制しつつ人通りの多い所に逃げ込む事も出来る。
「……分かった。そういう事ならいいだろう。だがこれだけは覚えておいてくれ。特定職以外の帯剣は許されてはいないからな」
「…………え?」
ギギギと壊れたおもちゃみたいに首をリリーカさんに向けると、おばさまと一緒にコクリと頷いた。
この街で帯剣が許されているのは、王族、貴族に衛兵、そして冒険者だけ。つまり、一般市民である私が剣を持って出歩くと、それだけで衛兵がすっ飛んで来るらしい。一度や二度なら訓告くらいで済むそうだが、流石に三度目ともなると牢に入る事になるそうだ。
「そもそも何処に剣をお持ちになるのです?」
「えっと、スカートの中とか……」
映画で良く見かける太ももにナイフを隠す要領で持ち歩けるだろうと思っていた。
「それで、それをどうやって抜くの?」
「え。それはこうやってスカートをめくってですね……」
若くハリのある太ももを見せて鼻の下を伸ばしつつ剣を抜き、一撃を加えて逃げる。……うん、完璧だ。
「長剣はスカートの中に隠せませんし、短剣ではリーチの長い相手に手も足も出ないでしょう。そしてお姉様、はしたないですわ」
「はしたないって、せめてハニートラップと言ってよ」
「はにぃとらっぷ?」
「あ。つ、つまりは色仕掛けよ」
うら若き乙女の太もものチラ見せは、立派な色仕掛け……だと思う。
「ダメねカナちゃん。そんなの色仕掛けにもなってないわよ」
おばさまの蛇の様な腕が首に巻き付き、丸太の様な脚が太ももをガッチリとホールドする。
「ちょ、おばさまっ、何をするんですか!?」
「色気の足りないカナちゃんに、おばさん直伝の色仕掛けを教えてあげる」
「けっ、けけっけっけ結構ですっ!」
「あら、遠慮しなくて良いのよ。若い頃によく使っていた、効果抜群のものだから」
「よく使っていらしたのですか? お母様は」
「……まあな」
そっちでクールなやり取りしてないで助けてよっ!
「おばさまストップっ! よ、用事を思い出したので、また後にして下さいっ」
「あらまあ、そうなの? 残念だわぁ、これからが良い所なのに」
首や太ももに巻き付いたおばさまの肉が離れてゆく。あ、危うく肉に取り込まれる所だった。
「どの様なご用事ですのお姉様」
「『にぃ』ちゃんの飼い主を探す為にギルドに依頼を出しておいたから見てこないと」
受付嬢の話では、今日の朝に貼り出すという事だった。今はお昼に達しようとする時間。もしかしたらご本人か、若しくは飼い主に繋がる情報が出ているかもしれない。
「なるほど。では、
「え。別に構わないけど、リリーカさん疲れてない?」
「平気ですわ」
「そっか。じゃあ、一緒に行きますか」
「はいっ」
向日葵の様な笑顔でリリーカさんは嬉しそうに頷いた。
依頼を出した冒険者ギルドは、外と変わらぬ大賑わいを見せていた。それは祭りが最終日だからなのか、お昼時なのかは分からない。分からないが、冒険者以外に商人の様相をした人達も多く居る事と関係があるのかもしれない。
「あら、カナさん?」
「……え?」
店内に入り、掲示板に向かう途中で聞き覚えのある声に呼び止められる。私達を呼び止めた人物は、オジサマの店で出会って薬屋に連れて行って貰い、ネックレスの相談をしに行ったルリさんだ。
「あ、ルリさん」
「どうしたのよ。なんか余所余所しいわよ」
「いやぁ、シッカリお別れしたのにまた会っちゃったから……」
ガッチリ握手までして別れを済ませた事が思い出される。私の言葉を聞いて、ルリさんはクスリと笑った。
「確かに。でも、そんな事気にしてたら表を出歩けないわよ?」
「そうなんですけど……」
そうは言われても、気まずいものはやっぱり気まずいのだ。
「ところで、そちらの方はカナさんのお子さん?」
「そんな訳ないでしょ」
アンタ、一体私を幾つだと思ってんのよ。
「そういえば、会うのは初めてだっけ?」
「ええ。初めまして、私はルリ=ブランシェ。こう見えても冒険者よ」
笑顔で右手を差し出すルリさん。対してリリーカさんは、スカートを指先で摘み上げてカーテシーを行う。
「初めましてルリ姉様。
その名前を聞いたルリさんの笑顔が凍り付いた。直後、錆びたおもちゃの首みたいにギギギと動かして私を見る。それにコクリと頷いてやると、同じ動きで首を元の位置に戻してその場に片膝をついた。
「そ、そうとは知らず、申し訳御座いませんっ」
セクシーな美女が向日葵の様な笑顔の美少女に頭を垂れる。その姿に、周りの人達からも視線を集めていた。
「いえ、お気になさらず。どうぞ、普段通りに接して下さいまし」
「あ、はい。では、そうさせて頂きます」
立ち上がってぎこちない笑みを見せた直後、ルリさんは私の首に腕をかけて後ろを向かせた。
「ちょ、ちょっとカナさん。冠七位の貴族様なんてどうやってたらし込んだのよ」
たらし込むって失礼だなアンタ。
「ちょっとした縁で仲良くさせて貰っているだけですよ」
「はい。お姉様と同様、仲良くして頂けると幸いですわルリ姉様」
「えっと、カナさん同様って事は食べちゃって良いって事ですかね……」
「え? 食べる?」
可愛く首を傾げるリリーカさん。
「いい訳ないでしょっ。それに私はルリさんに食べられた覚えはありませんっ!」
ざわりざわりと周りが騒がしくなる。私達がそういう関係なんだと納得している声が耳に届いた。否定するのが面倒くさい。
「あっ、アユザワさん丁度良い所に」
騒めく人をかき分けて、一人の女性が声をかけてくる。私の依頼を受け付けてくれた人なのだが、新たな女性の登場に四Pか? との呟きが聞こえた。えーいうっさいわ。
「そんなに慌ててどうかしたんですか?」
「アユザワさんの出した依頼書についてですが、ちょっと困った事態になりまして……」
「困った事態?」
「飼い主が現れたんですよ」
「えっ?! そうなんですか!?」
それは吉報じゃないか。何処が困った事態なんだ……?
「はい、現れました。五人程……」
「ごっ?!」
コクリと頷く受付嬢。目ん玉ひん剥く程に驚く私。掲示板の効果は絶大なんだなぁと思った瞬間だった。
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