スロースタート
わたくし、浅葱美優。実はモテない説を提唱した事があったが、前言撤回をする必要がありそうだ。だってあたし、めーっちゃモテてるもん。
「あ、浅葱先輩っ! これ……受け取ってくださいっ!」
「浅葱先輩の為に一生懸命作りました! 味には自信があります!」
「浅葱さんに受け取ってもらおうと思って一から練習したんです……どうか受け取ってくださいお願いします!」
「美優様……今年は私が代表として持ってきました……各々、力作を用意しております……じっくり味わってください……」
女の子に。
「あーはいどうもー。ゆーっくり味合わせていただきますねー」
「あ、ありがとうございます!」
「良かったら感想聞かせてください!」
「わ、私にも是非!」
熱心にあたしを慕ってくれる同級生や後輩たちはまあ……いやちょっと視線から漂うガチ感がアレな感じはあるんだけど、まだいいの。問題は。
「私たちにもお願いします……浅葱美優様をお慕い申し上げる会は美優様がお見えになる日を待ち侘びております……」
「何度も言ってるけど、そのなんとかって会、認可した覚えないんだけど?」
「いけずな美優様も素敵……」
「相変わらず都合の悪い事は拾わないね、あなたたちの耳は」
「信者とは、時に盲目なもの……」
「常にの間違いだし、難聴の間違いだし」
「そうとも言います……」
比喩でもなんでもなく、辺り一面に甘い匂いが立ち込める中。この香りに頭でもやられたんじゃないかってくらいとろーんとした目をするヤバイ女生徒が一人。あたしが彼女について知っている事は二点。二年生である事。もう一つは、浅葱美優様をお慕い申し上げる会なる謎の組織の一員である事くらい。
その謎の会はあたしが一年の時には既に校内にて産声を上げていたらしい。当時のあたしは知る由もなかったけど、川高の一員になって迎えた初めてのバレンタインで、その正体が露見する出来事があった。
浅葱美優様をお慕い申しあげる会。あたしが勝手に死体会と略称を付けている会のメンバー全員が、あたしの元へと大挙してきたのだ。全員が全員、お手製のチョコを手に持って。
想像出来る? 両目を怪しく輝かせた、ほとんど面識のない男女が、チョコを受け取って欲しいって列を成して詰め寄ってくる絵が。いやーあれは怖かった。比喩でもなんでもなく、本当に怖かった。あんまりにもびっくりしたものでその後の予定をキャンセルして奏太や夏菜たちに歩調を合わせて真っ直ぐ家に帰ったんだ。とはいえ、ちゃんと全員から受け取ったからね? それは流石にね。開けるの怖かったから夏菜と千華に手伝ってもらったのはここだけの話で。全部食べてやりましたとも。味は確かだったけど、翌週は特に気を引き締めて毎朝の運動をしてやりましたとも。チョコの食べ過ぎ、ダメ、ゼッタイ。
翌年は事前に対策を講じた。去年みたいに全員で来られたら困る。そちらさんたちがあたしに直に渡したいって思ってくれるのは嬉しい事なんだけど、正直対処しきれないし、周りにも迷惑になる。だから誰か一人が代表して持って来てくれないか。ついでに誕生日も何かしようと思っているなら、派手なのは苦手だから気持ちだけでお願いします後生ですから。
そう提案した所、あっさりと了承してくれた。あたしの機嫌を損ねたり不快感を抱かれるのはよろしくないらしい。だったら解散してくれよって話なのだが、その一点だけはどうにも聞き入れていただけていない。納得いかないわあ。
「っていうか……去年より増えてない?」
「内閣の支持率とは違い、美優様をお慕い申し上げる会の会員は右肩上がりで増え続けていますので……」
「あたしもあと一月で卒業するってのに物好きだ」
「ぐすっ」
「あーごめんごめんそういうのもほんと勘弁して今のはあたしが悪かったからいや実際何も悪くないどころかあたしが被害者じゃんって声を大にして言いたいんだけどあたしが悪いんですそうなんですごめんなさいだから泣くのは勘弁でしてくださいお願いします」
「し、失礼……つい取り乱してしまいました…………あの……会員一同。美優様が卒業なされましても……また来年も」
「あ、マジ勘弁で」
「ひぃん」
「ばいばーい」
涙の筋を教室に残しながらダッシュでフェードアウトしていく死体会の二年生ちゃん。そんなヘンテコな会なんてさっさと解散して、あたしのいない高校生活を最高に楽しんで欲しいなあ、とか思ったり。アレしてみるのとかおすすめよ。青春。恋愛。ってヤツ。頑張れー。
ひらひらと手を振っていると、チョコを手に持っていた子たちじゃなく、クラスメイトたちに囲まれた。
「美優……今年も凄いね……何この量……」
「実はあたしは男なんじゃないかと疑い始めた今日この頃」
「そんな凹凸激しいエロボディした男がいてたまるかっての」
「どう持って帰るのーその量」
「持ち帰りなら大丈夫。郵送するから」
「郵送って」
「そういえば去年も一昨年もそうだったね」
「手慣れてて笑うわ。っていうか、今年こそ誰かにあげないの?」
「やっちゃん」
「やっちゃんはノーカン」
「えー」
バレンタインは毎年、あたしたちの担任であるやっちゃんにだけは渡すようにしている。やっちゃんには渡すよーに! ってパパママーズに言われてるってのはあるんだけど、それを抜きにしたって渡しますとも。あたしたちも学校内外で良くしてもらってるのは間違いないから。あ、手作りではないです。面倒臭いので流石にね。
まあ今年は? 手作りのチョコを、渡す予定があるんだけども。厄介な事になりそうだから誰にも言わないけど。
「美優」
あたしたちの会話に割って入って来た、あたしの家の隣に住んでいる、この男に。
「何よー修ー」
「袋、ない?」
「こっちが欲しいくらいだってば」
「マジか……」
珍しく困り顔を浮かべている修の両手は、綺麗に包装されたアレやコレやで完全に塞がっていた。そんな修を見るクラスの男子たちの視線は、意外にも穏やか。まあ毎年の事だもんね、修がこうなるのは。修の場合、そりゃそうだよなー感が先行してしまうらしく、憎悪の対象から外れるそうだ。校内に熱心なファンクラブがあるくらいだもんなあ。もちろんだけど本人非公式の。あたしと似たような苦労を抱えている修なのである。
なんだ、やっぱモテるんじゃん、修も。
「朝一でそれはヤバイねー。去年の記録を上回っちゃいそうだね。余裕で」
「それはわかんないけど、お互い様って事だけはわかるよ」
「だねーあははー」
「あははー」
現実から目を背けるが如く笑い合うあたしと修。そうなの。登校してまだ十五分程度。まだ朝のホームルームすら始まってないの。ヤバくない?
「修もやっぱ凄いねー」
「さっすが川高のキング!」
「す、凄いね桃瀬くん……うぅ……」
なんともわかりやすく修に懸想している女の子が、普段からあたしと釣るんでいるこの状況、実はなかなかにややこしいのでは? 気付かないフリをしているけれど、これが正解だとは思えない。一体全体、あたしはどうするのが正解なんだろうね。
「うん、凄いよね……凄いこれ……や、凄いありがたいよ。うん。うん……」
「迷惑と言わない修くん偉い」
「言えるわけないでしょ……あそうか。一度帰って車で取りに来ればいいんだ」
「あ、それいい。修天才。でも疲労困憊の修に運転させたら今日が命日になりかねないから元気に車出させよそうしよ」
「いやーそれはやめとこうよ」
「なんで」
「ん」
修の顎先が示した方向に視線を向け、瞬間、元気を頼る気が失せた。
「あの……どっ、どうかな……?」
「ん! んー! んめー! なんだこれ!? めっちゃ上手いぞー夏菜ー!」
「ほ、ほんと!?」
「ほんと!」
「嘘じゃない!?」
「当たり前だろ! 俺だぞ!?」
「だよねだよねっ! やったあ……!」
「今年も力作だなあ!」
「そうかなあ……でもねでもねっ、今年は色々な工夫をしてみたの! みんなと練習しながらいろんな事を試したり、私なりにたくさん研究したの!」
「相変わらず夏菜は何にでも一生懸命だなあ……おお! こっちの白いのもんめー!」
「えへへ……」
元気の席。席の主とその恋人から漂う圧倒的な幸福の波動に、あたしたち全員真顔になってしまった。
「家で」
「やれよ」
「マジで」
修には向いていない類の憎悪や嫉妬に溢れた無数の眼差しが小さな体に突き刺さっているも、まるで意に介していないというか気が付いていない、天然気味なチビである。当然ながら、夏菜も気が付いていない。
付き合う以前から無自覚にイチャイチャしていた二人だけど、付き合い始めてからはイチャイチャ具合に拍車が掛かりまくり。交際当初はみんなも微笑ましいものを見るような目で見ていたけど、時の流れと共に冷ややかな視線へと様変わり。どれだけ美味しい物だろうと食べ過ぎたら胃もたれしちゃう的なアレ。食傷ってヤツなのよ、みんなね。
「しかもまだ隠し球があるらしいから、家戻ってもイチャイチャするよ、あの二人」
「だろうね」
「そうなの?」
「なんでわかるの?」
「なんとなく」
「うん。顔見てればね」
「あー川原町団地テレパシーねはいはいわかるわかる」
「何その出身者ですら知らないテレパシー」
「初耳だなあ」
「だって、ねえ?」
「だって、さあ?」
「だって、うん」
なんか知らないけどうんうん頷き合うクラスメイトたち。いつの間に異能力者になったのかあたしたちは。
「ま、今年はひたすらイチャコラして欲しいわ、あたしとしては。修もでしょ?」
「同意」
「本心?」
「もちろん」
「そ」
嘘はない。言葉じゃなく、顔を見てそう判断した。いつまでも引き摺っているようでいて、それなりに割り切れているらしい。ふにゃふにゃしているのは相変わらずだけどね。
「ほらほら奥さん見ました? またやってますよ、団地民同士しか通じ合えないだろう意味ありげな会話」
「してますわねえ」
「う、羨ま……」
「本音を漏らすなそこ」
あたしたち、そんな通じ合ってもないと思うんだけどなあ。だって、お互いわかんない事だらけだよ? テレパシーなんて使えてたらこんな風じゃないもん、絶対。多分、険悪になってるんだろうなあ。なんとなくそう思うわ。
「夏菜ちゃんと元気くんはまたちょいと別枠として、美優と修くんはもちろん、川原町団地の面々それぞれが慌ただしいバレンタインになりそうだねー今年は」
そう呟くクラスメイトの視線の先には、やたらと人集りが出来ている席が。人垣の向こうにいるのは、奏太だ。ここからじゃ姿は見えないけど間違いない。
「ねーねーあたしは!? あたしにはチョコくれないのー!?」
例年通りな事を喚き散らす千華の声が廊下から聞こえる。コンビニとかで適当に買った物を投げ付けておしまいが通例なのが千華のバレンタイン。でもどうしてか、今年はそうじゃない気がする。何かしら仕込んでいそうな、そんな気が。
五組の人気者、謙之介にはどんな日になるんだろう。あの猪突猛進ガールから渡されるのは間違いないとして、なんだかんだとモテるわんわんだ。充実した日になるのは間違いない。
あたしが一番気になるのが、猪突猛進ガールの親友のロリキュートキャット。何やら奏太と一悶着あったみたいだけど、それでもあの子は行動を起こすだろう。夏菜が言うには、怪我が治ったらいつも通りに戻ってたとの事だが。恐らく空元気なんだろうけど。メンタル的にしんどい思いをしてそうなあの子がどういう行動を取るのか、気になって仕方がない。
その辺は元気も同じだろう。夏菜から貰えればそれでオッケーなスタンスな元気がこれから目を向けるのは、あたしたちはもちろん、夏菜を師と仰いだ女の子たちの動向だろうね。もちろん、夏菜にとっても気が気じゃない一日になるだろう。師匠役を買って出た夏菜が、弟子たちの動向に無関心でいられるわけもなし。元気へのサプライズもあるし、気の休まらない一日になりそうだ。
そして、あたしもだ。
何故か例年貰ってばかりでろくに誰にも渡して来なかったけど、今年は違う。明確な目的がある。
「かもね」
「だね」
その通りですなあと思いながら曖昧な肯定を口にすると、修の言葉が後に続いた。何? 修にとっても今年は特別になるって? ま、そうかもね。帰ってからを楽しみにしてなさいな。
きっとあたしだけじゃない。ピークを放課後、もしくはそれ以降に設定しているのは。
奏太の誕生日。バレンタイン。どちらの本番も、これからだ。
* * *
二月十四日。金曜日。三年生のみなさんは自由登校になるから、もしかしたら今日は校内が静かなものになるのかなと思いきや、まさかの登校日。教職員の方々、狙って登校日にした説ある? ないかな。わからん。なんにしても感謝感謝です! おかげさまで話が早くて助かりますので。
「すーっ……はぁ…………よしっ」
大きく吸って、ゆっくり吐いて、ぐっと気合を入れて。三年五組の扉を、勢いよく開いた。
「こんにちはー! お邪魔しますー!」
「お、来た」
夕陽を浴びてほんのりと赤らんだ教室内にいたのは、一人の先輩だけだった。
「お待たせしました、謙之介先輩!」
「はいお待ちしてました」
窓際、後ろから二番目の席に深く腰掛けながら、謙之介先輩は笑っていた。はあ、今日もカッコいい……いっぱいちゅき……。
「すいません、お時間取らせてしまって」
「いえいえ」
赤い逆光を纏った謙之介先輩の表情をじーっと観察すると、明らかに疲労の色が浮かんでいるのがわかった。机上にはパンパンに膨らんだ学生鞄。導き出される結論は。
「とりあえずその鞄、燃やしますねー」
「なんで!?」
「我欲に塗れた女たちの香りがするからです」
「言い方! 言い過ぎ! 言い掛かり!」
「テンパる謙之介先輩も素敵……」
「聞いて!?」
「聞いてますよーだ。謙之介先輩はほーっくほくな一日をお過ごしになられたようになによりでーす」
「なんでそっちが不機嫌になるのさ……」
なんだかんだ毎年人気者だよ、アレ。律儀に全員にお返しもしてるみたいだし。
とは、未来の義妹にして私のソウルメイト、宇宙さいつよロリ巨乳、小春の談。小春に聞かずとも、謙之介先輩が男女問わず人気である事は存じていましたし、当然こうなっるよなあと思ってはいましたが、嫉妬しちゃうのは仕方がないのです。その鞄の中身、全部ドロドロに溶かしてしまいたいですうふふ。
「収穫たっぷりなご様子ですね」
「ありがたい事にね。でも……困ったなあ……」
「あら、何かお困り事が? とりあえず謙之介先輩を困らせた人間全員処」
「処さないから!」
「おお、先読み」
「もう慣れてきたからね! 困ってるっていうのはほら、ホワイトデーには俺たち三年生は卒業してるし、みんなにどうお返しをしたものかなあって思ってさ……クラスメイトとか付き合い長い連中には渡して回れるけど……後輩とか、あまり交流のなかった人にはどうすればいいものか……そこまで頭が回らなかった……全員の連作先を聞いておかなきゃだった……やっちまった……マジでどうしよう……金もキツい……バイトしなきゃダメかなあ……」
その鞄を膨らませた女生徒一人一人にお返しをする。でもそれが少しばかり難しい。それでこんなにも悩んでいる。
「……先輩」
「うん?」
「好きです」
「え? や……ん……どうも…………って、何この脈絡のなさ」
「そういう姿勢、素敵です」
「ごめん、何を褒められているのか全然わかんないんだけど」
「そういう所もです」
流石に照れるけど、言いたくなくったんだなら言うしかないでしょう。
手を抜かれがちなんですよ、ホワイトデーって。言い方悪いですけど、勝手に贈られた物にお返しをしろって、まあまあ迷惑な押し付けじゃないですか? 平気ですっとぼけてしまう男子が多いのも肯けます。学生の財布の中身は無限じゃないですし。モテる男子学生は大変なんです。
でも。私の目の前で頭を抱えている優しくてモテる先輩は、女の子たちが一方的に押し付けた、ほとんど言い掛かりみたいな名目が発生している一日を、当たり前に、とても大切に思ってくれている。
真面目で。誠実で。それを当たり前みたいに持っていて。当たり前みたいに振るっていて。
いや、好きだが? 好きですってそんなの。はーほんま。
「あ、お金が大変ならふじのやでバイトしませんか!? 私と! 一緒に!」
「えぇ……」
「露骨に嫌がりますね……でも魅力的なバイト先ですよ? 小春と夏菜先輩と一緒に」
「確かにいって! なんで肩叩くの!?」
「今のは謙之介先輩が悪いですっ」
「わ、わからん……」
もしかしたら、こういう天然さというか無邪気さというか、鈍さに振り回されている女の子もたくさんいるのかもしれませんね。
でも、私はそっち側に行きません。あの手この手を駆使して、振り回す側になってやるんですから。
「とにかくっ! まどろっこしいのは苦手なので早速本題に入ります! 少々お待ちを!」
「うん……」
バッと鞄を開け、包装がぐちゃぐちゃになったり形が変わってたりしない事を取り出す前に確認する。大丈夫。完璧だ。
「では…………ふぅ……」
うわ、急に緊張してきた。取り出すの怖い。でもダメだ。しゃんとしろ。自信を持て。見た目も味も完璧なんだから。私の師匠、夏菜先輩から花丸貰えて、私自身も納得のいく最高の仕上がりになったんだから。絶対大丈夫なんだから。ビビんな。猪突猛進が取り柄だろ。だったら進め、バカ女。
「こっ、これ! 私だと思って大切にしてください!」
「いや食べれないじゃんそれだと……」
「私本体も美味しく食べてと言う」
「あーそれ以上言わない聞かない考えない! とにかく……いただきます……」
「はい……差し上げます……」
卒業証書の受け取りかってくらいぎこちない動きで受け渡しをする私たち。私が緊張してたのは言わずもかなだけど、なんだかんだと謙之介先輩も緊張されていたらしい。私以外を相手にした時はどうだったんでしょうねー?
「えと……今開けていいの?」
「是非……感想も今欲しいです……」
「わかった……じゃあ……」
若干まごつきながらも丁寧に丁寧に包みを紐解く几帳面な謙之介先輩。
「お、おお…………おぅふ……」
箱を開けた瞬間、固まった。
「どうです?」
「……インパクトあるね……」
「私からのメッセージ、伝わるでしょ?」
「ああ……はい……どうもです……」
「それ、読んでみてください……」
「……ろべ……」
「ろべじゃないです。らぶです。ラブ」
「そうなの……なんかごめんね……俺、頭悪くて……読み方が分からなくて……」
「照れ方が可愛過ぎるんですけど!」
「やめて……今弄らないで……」
マジ照れする謙之介先輩。本来なら私が照れるか恥ずかしがるか後悔する場面なんでしょうけれど。
大きいハート型の手作りチョコ! それだけでも充分重めだって言うのに、表面にローマ字で綴ってやりましたよ、私の想いを! さあどうですか!? 気持ち悪いでしょう!? 仕上がった後、何やってんの私って流石になりましたからね!? それでもやっぱなしってならないあたり、もしかしたら私ってばメンタル強いのかも! あははー!
「黒井さん……すっごいね……マジで尊敬するわ……」
「何に対しての尊敬なのかは聞かないでおく事にします! ほらほらっ、パキッとハート齧っちゃってください!」
「えっと…………では……あ。ハートが真っ二つに折れ」
「てえええい!」
「いったぁ!? 今度はなんで叩かれたの!?」
「なんで事するんですか! ハート折るとか、縁起悪いじゃないですか!」
「じゃあハート型に作らないでよ!」
「作りたかったんだから仕方ないじゃないですか!」
「理不尽過ぎない!?」
「女の子なのでオールオッケー!」
「悪びれもしない!」
「いいから頂いてください! さあ!」
「わかった! わかりました! いただきますっ! では遠慮なくっ!」
やけくそ気味に叫びながら真っ二つに割れたハートの右側に齧り付く姿は正に食いしん坊わんちゃん。犬ムーブを地でやっちゃう謙之介先輩可愛い。
とかなんとか脳内で話題を逸らしながら、震える手を握り込む。自信はあるけど、怖い物は怖いんです。
「…………ん、美味しい。いや美味っ。甘いけどしつこくなくて……マジで美味い。え、これ本当に黒井さんが作ったんだよね?」
「そ、そうです……白藤先輩と小春の力を借りはしましたけど……」
「はえぇ……凄いもんだなあ…………うん。本当に美味しい。ここまで美味しいの食べたの人生初だってくらい」
「……忖度してませんよね?」
「まさか! そういうのしないよ、俺は」
「ですよね…………った……」
「うん? った? 黒井さん?」
「や……ったぁ……!」
手の震えが加速した。恐怖じゃない。高揚感に揺さぶられての事だ。
「めっちゃ嬉しい……めっちゃ嬉しいですーっ!」
やーん! マジ嬉しいーっ! いやね結構自信はあったの! 本当に! でもねでもね、いざこうして目の前で褒められたらそんなもん嬉しいに決まってますやんかー! あーもーやばー! ひぃん! マジで嬉死ぬ五秒前ー!
「俺の方が嬉しいって。こんなに美味しいチョコ、ありがとう。初見のインパクトにはビビったけどね……たはは……」
素直な言葉を口にするのが恥ずかしいのか、はにかみ笑顔だ。あの、ちょっと困ったような横顔、小春とそっくりなの。つまり、どっちも可愛い。
ついでに言っとく。今の私も、結構可愛い自信ごあります。だって今、めーっちゃ女の子してるもん。
「どうしようかな……ねえ、残りは帰ってからでもいい? じっくり食べていきたいなーって」
「是非! そのチョコを私だと思ってゆっくりたっぷり隅々まで味わってください!」
「いや、表現。表現なんとかならん?」
「なりませんねー! そ! れ! と! 実はですね!」
「ふんふん」
「私からの贈り物はこれで終わりじゃありませんっ!」
「え、マジ? ただでさえ高いのに、これ以上貰ったらホワイトデーのハードルか爆上がりしちゃいそうだなあ……」
「無用な気遣いですよー! なんなら明日返してもらいますし!」
「明日って、土曜だよ?」
「ですねえ……だから……これです!」
チョコの包装に滑り込ませる事も考えたけれど、それはやめておいた。チョコを渡すのは、バレンタインだから。こっちを渡すのは、私が謙之介先輩を好きだから。それに、約束だから。なら、チョコと一纏めは違うじゃん? って思って。
「これ……イリュージョンランドのフリーパス?」
「はい! ちょっと色々あって二枚手に入ってしまいまして!」
一生懸命バイトして買った。私の言う、色々の正体だ。
「……なるほど」
「先輩、前に言ってくれたじゃないですか。春が来る前にって。受験も一段落されたみたいですし……そろそろどうかなあって……」
センター試験当日の早朝。わがままな私は、一つの約束を押し付けてしまった。謙之介先輩は笑顔で頷いてくれた。
受験が落ち着いたら、デートをしよう。春が来る前に。
謙之介先輩……覚えててくれたんだ……。
「……うん。じゃあ明日、行こうか」
「い、いいんですか? ゴリ押してる私が言うな状態ですけど、こんな急な話で……」
「ううん全然。むしろ頃合いかなあって思ってたくらいだから」
「へ?」
「っていうかごめんね。言い出しっぺの俺から声を掛けなきゃだよね。手際の悪い男で申し訳ない……」
「あ、謝らないでください! それは絶対違います!」
「でも」
「でもいらないです! そういうの優しさと違います! 今必要なのはイエスかノーかだけだと思います! だから」
「イエスで」
「イエス! いただきましたっ!」
「星三つみたいに言うじゃん。おもしろ」
ニコニコ微笑んでいらっしゃる。素敵な笑顔だ。
「じゃあ、決まりで!」
「うん。楽しみ」
この笑顔を、明日一日、独り占めしてやるんだ!
ねえ小春。私、頑張ったよ。小春と夏菜先輩が力を貸してくれたから、頑張れたの。そんで、明日も頑張ってくるから。頑張って頑張って、キメてくるから。
明日、人生変えてくるから。
小春は、今日頑張って。今夜頑張って。私程度の力なら、いくらでも貸すから。
だから、私たちのバレンタインは、まだまだ終わらない。
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