SとM
「ふわ…………んにゅ……」
あくびを噛み殺す事もせず、体が求めるままに両腕をうーっと伸ばす。こきっと背中が鳴く声が聞こえた。凝ってるなー。胸が少し大きくなった事は関係……ないか。
「よっし……」
寝巻きのまま部屋を出て、顔洗ったり歯を磨いたりと、朝一でちゃんとやっとかないと乙女力の低下の一助になりかねないあれやこれやを丁寧にこなす。
「うーっ……」
冷水を浴びても尚締まりのない顔をしている女の子が、鏡の中にいる。
「今日も可愛いぞ。夏菜と千華には敵わないけど」
その子にそう言ってあげると、微かに口角が上がるのがわかった。笑顔と言うにはあまりに弱々しいから、見ているこっちの表情筋がムズムズしちゃうよ。
鏡の中の子にこうして語り掛け始めるようになったのは確か、高校三年に上がったくらいから。
だってこの子、自信があっていいはずなのに、自信を持とうとしないから。そのくせ自分の事は好きになっちゃったみたいだから、始末が悪いんだ。アンバランスなのよね。同じ学校の生徒たちにはこれでもかとちやほやされてるみたいなのに、おかしいね。
「はよー」
雑な朝の挨拶をしながらリビングに入ると誰もいなかった。土曜だし、パパはすやすやタイムかな。毎週土日の朝は全然起きてこないんだよねー。社畜って大変だあ。
ママはいないみたいだ。確か都内のホテルに泊まるって言ってたっけ。今日も明日も仕事らしくて。シーズン問わずにはちゃめちゃに忙しいママに土日も何もないのだ。ぶっちゃけ、パパが働かなくてもママが今のまま頑張ってくれれば、浅葱家は美味しいご飯を毎日食べて暮らせるっぽい。ママすげー。
あれだけお金を持ってる且つ、都心で最も栄えているエリアが主戦場なのに、ママはここでの暮らしに拘っている。大変じゃないの? 引っ越しとか、セカンドハウスを構えたりとか考えないの? と聞いた所。
「細かい事は気にしないの! あたしはここが好きなの! それ以上の事ある!?」
だそうです。面倒不都合なんのその。これっぽっちもブレないママつえー。
冷蔵庫から牛乳を取り出して紙パックに口付けてごくごくり。育てよ、骨。育てよ、乳……はいいかな。これ以上大きくなってもなあ感。下着買い替えるの面倒っちいし。
紙パックを潰してゴミ袋にポイ。烏龍茶のペットボトルを脇に挟み、適当に見繕った手の汚れない系おやつちゃんたちを戸棚から取り出し、落とさないようしっかり抱えてお部屋へすたこらさ。
「よし」
ぐちゃーっと机の上にお菓子を拡げ、ママに買ってもらっためちゃくちゃパフォーマンスの良いゲーミングチェアに腰掛けながら、モニター二台とPCとプレステを同時に起動。手にコントローラー。頭にヘッドセット。スマホはマナーモードにした。準備完了。
「引き篭もるぞーっ……!」
本日の浅葱美優の予定。ゲーム。以上。他には何もいたしません。絶対しない。化粧もしないし着替えもしない。食事なんてお菓子と烏龍茶だけで充分。不健康上等。女子力なんて地に落ちてしまえ。今日に限りって注釈付くけど。
あたしがこの日をどれだけ待ったと思うのか。大手を振って遊び倒せる日が来るのをどれほど渇望した事か。今日この日を最大最強ハイパー無敵な感じに楽しみ尽くす為に必死に受験勉強してきたと言っても過言じゃないんだから。
「あるあるちゃんとある……!」
昨夜のうちに、気になっていたけれど購入を見送ってきたゲームを確保し、既存ソフトのアプデも全て済ませた。正直、昨夜から遊びたかったんだけどね、アプデやらダウンロードやら多過ぎ重過ぎでさ、溢れる涙を飲んでベッドに入ったの。その割にはすんなり寝れたけどね。
これまたママのマネーで買い揃えてもらっためちゃつよパソコンくんは絶好調なパフォーマンスを見せている。負ける気がせん。浅葱美優しか勝たん。いやそれは嘘かも。とにかくやるよ、今日のあたしは。
「じゃあ……」
いきましょう。やりましょう。至高の一日の始まりだ……!
「おはよ」
ヘッドセットを装備し直しさあやるぞとコントローラーを握る手に力を込めた途端、部屋の扉が開く音と耳に馴染んだイケボが、あたしの握力にデバフを掛けた。
「あ、今日は一日そういう感じでいくのね」
「そ。空気読むよーに」
「わかってますよー」
わかってるとか言いながらも引き返す様子はない。慣れた手付きで本棚からぽいぽいっと数冊の漫画を抜き取り、人様のベッドに転がり込む修。今日は一日暇らしい。
「今日は暇なのかと思ってるんだろうけど」
「違うの?」
「昼前に出掛ける。引越し予定先の内見に父さんと行く事になってるんだ。知り合いの不動産屋さんも来てくれるんだってさ」
「ふーん」
「うん」
雑な反応二つが合図。あたしはベッドセットを被り直してモニターに向かい、修は漫画のページをめくった。
理由も意味も特になく、同じ空間で、それぞれがそれぞれ好き勝手をする。あたしたちのスタンダード過ぎて、何も言う事がない。これが千華と元気ならこっちの邪魔しまくってくるんだけど、ちょっかいとか全然出して来ないからね、修は。安心安心。
って事で、コントローラーをしっかり握り直し、やりますか。どれからやろっかなー。アクションRPGホラー洋死にゲー和死にゲー稲作シミュレーションFPSTPS格ゲエトセトラエトセトラ。あれやこれやおあり過ぎてヤバイ。今更だけど一気に買い過ぎたなこれ。まあいい。じゃあ今朝は……アレやるか。国民的RPGシリーズのリメイク。シナリオが気になる系のゲームは一度手を付けちゃうと止まらなくなりそうだから我慢していたのだ。
「お、セブンリメイク」
ヘッドセットの内側に滑り込んできたイケボの持ち主を見やると、ベッドの上で漫画を読みながら、視線だけこっちに寄越していた。ヘッドセットをズラして応対する。
「気になる?」
「なる。ディスク版?」
「うん」
「納得するまで遊び倒したら」
「部屋に置いとくー」
「ありがと」
今度こそ外部からの音声をシャットアウト。いざ行かん。星を守る戦いへ。
って事でプレイスタート。いきなり超美麗な映像で、観光ガイドが如く魔晄都市の街並みを見せてからの、世界的に有名なヒロイン様のご尊顔がお出迎え。可愛いなおい。そして、背中にでっかい剣を携えたあの主人公が登場。いや、イケメン過ぎる。ヤバイ。二十年以上もゲーム好き女子も男子も虜にしている男の顔が良すぎて好きになっちゃいそう。いやならんわ。
カッコいい可愛いは三次元でも二次元でもいくらでも出て来る所感だけど、好きになるってのはまた別の話。簡単じゃないのだ、誰かを好きになるのは。次元を問わずね。
オリジナル版のシナリオやキャラクターの関連性はネットの知識の一つとして知ってはいるけどソフトそのものをプレイした経験はない。いやはや、楽しみで仕方ない。ムービーは絶対飛ばせないしサブシナリオ的なのも完全コンプしたい。このディスク一枚に開発陣が詰め込んでくれた全てを遊び倒してやるのです。
戦闘中でもムービーと変わらぬクオリティで動きまくるキャラクターや背景に驚愕しながらチュートリアルを進めると、かくかくしかじかで片腕に重火器を仕込んでいるおじさんがパーティに加わった。わ、戦闘中のキャラ切り替えスムーズ。ストレスフリー。すごー。
眼前で繰り広げられる全てにほわーと溜息を吐いて吐いて吐きまくっていると、トントンと肩を叩かれ、頬をぷにっと突かれた。修の好きなイタズラだ。振り返った時に見えた壁掛け時計が、プレイ開始からすでに二時間近く経っていた事を教えてくれた。時間の流れ早過ぎ。
「ひふの?」
「うん。あ、出た。天下無敵の最強幼馴染み。可愛い」
「ぷは。修ってこういう子が好み?」
「眼鏡が似合う子が好みだけどそれを差し引いてもこの子は可愛いと思う」
「うーん流石は修パパの息子。性癖に嘘を付かない」
「やった、褒められた」
「受け取り方は任せる」
「この子が眼鏡掛けたりするコスチューム的なのってないの?」
「多分ない」
「そっか……そっかぁ……」
「露骨に残念がるじゃん」
「顔可愛い胸大きいスタイルいい黒髪で幼馴染みとかいうつよつよ属性に眼鏡属性も付与したらそれこそ未来永劫世界に愛されるキャラクターになれただろうに……」
「最後の属性なくても充分愛されてるから心配ご無用。ほら、行っといで」
「はあ……現実にもいないかな……顔可愛くて胸大きくて黒髪で幼馴染みで、とにかく眼鏡が似合う子……行ってきます……」
「行ってらー」
上がって下がって、結局下がったまま部屋を出て行く修。後ろ姿から哀愁漂ってるんですけど。修だけに。
「そんなにいいのかねー」
人の趣味を悪く言うつもりなんてあるわけがない。ただ、あたしにはわかんない世界の話だなーって事。ファッションの観点からみても眼鏡って言うのは抑えるべきポイントだと思うけど、眼鏡の有無や似合う似合わぬだけで人の評価が劇的に変わるってのも不思議な話だよなあとか思ったり。しかしまあ、性癖の話だからね。理屈じゃないんだよね。
「確かに似合いそうだけどねー」
上はタンクトップの下に黒いインナー。ウェストはモロ出し。下は黒のミニスカート、中にスパッツ。サイハイソックスまで装備とかいう、全身くまなくエロスで満ち溢れている、スーパーな幼馴染み。しかも、下品じゃないんだよね、このエロさ。押し付けがましくないエロさなの。
こういうエロさを身に纏えるのって、一種の才能だとあたしは思ってるの。上品とか下品とかそういう次元じゃなくて、大袈裟に言っちゃえば、芸術の域。そこに迫れるようなほんの一握りの人種なんだね、この子は。
「つっよ……」
無駄な肉などこれっぽっちも存在していないだろう全身を縦横無尽に躍動させ、大きな胸を下品じゃない程度に揺らしながら蹴る殴るの大暴れをする姿のカッコいい事カッコいい事。いやー羨ましいわ、この人。あたしもこんなカッコいい女の子になってみたいわ。内面は結構ナイーブらしいけど、そんな所まで可愛い。人気出るのわかるわー。
ずるい。属性盛り過ぎでしょ。なんなの、顔可愛くて胸大きくてスタイルやばやばのやばで黒髪で幼馴染みで……。
「…………ん?」
はいポーズ。ヘッドセットもコントローラーも置いて席を立ち、姿見の前に立ってみる。
「うーん……」
まず、顔。鏡に映る顔を見る。可愛い。うん、結構可愛いよ、この顔。ニキビとかシミの類は一切ない。しっかりスキンケアしてますから。
次、胸。触ってみる。揉んでみる。持ち上げたりなんだりかんだりしてみる。いやでっかいな。垂れてなくてハリがある。控えめに言っても、つよつよなおっぱいだと思う。
次、スタイル。寝巻きをたくし上げてお腹はもちろんブラまで露わにしてみる。うん、いい感じ。なんだかんだとなるべく欠かさぬよう運動をしているからか、無駄な肉はほとんど見当たらない。スウェットを下げて太ももを露わにしてみる。こっちもいい感じ。ちょっと細過ぎるような気もするけど、太いよりはマシだ。もはや半裸状態でその場でくるりと回転。お尻の肉付きもいい感じ。背中のラインも綺麗な方。総評、この体はいい体だと言える。
次、髪。黒髪だ。あの子みたいに長くはないけど、サラサラで綺麗な髪だと思う。指を通してみた。フワッと持ち上がり、滑り落ちるように指から離れていった。触り心地もとてもいい。
最後。あたしの立ち位置。幼馴染み。単に幼馴染みって言葉で片付けるのはちょっとどころかかなり違うんだけど、側から見たら幼馴染みなんだから、幼馴染みと言っておくべきなんだろう。
顔。胸。スタイル。髪。幼馴染み。全部、結構いい物を持っている。
「ここにいるが……?」
いるじゃんここに。修の言っていた物全てを持つ女の子。
なんだ? あたし、つよつよか? つよつよなのか?
あーっと違う。大切な事を忘れていた。
身なりを正し部屋を出て、真っ直ぐにママの部屋に突入。クイーンサイズのベッドで一人眠るパパは完全スルーで、ママのドレッサーに探りを入れる。確かこの辺に……あった! ドレッサーの鏡を見ながらすちゃっと装着。わ、これ度が入ってるのか。強っ。伊達だとばっか思ってたや。長時間掛けてたら疲れるし視力悪くなるヤツだ。目はゲーマーの命。早めに切り上げなきゃ。
「んー」
見え過ぎる世界に焦点の具合を狂わされながら鏡を覗き込む。ママ好みの洒落たデザインの視力強化グッズは、控えめに言ってめちゃくちゃ鏡の中の女の子に似合っている。
「……ねえ」
頭まで布団を被り芋虫みたいになっている人を、文字通りに叩き起こしてみた。週に二日しかない休日にこの所業。この娘、鬼か? マジの娘なのでセーフ。
「パパ起きて。ねえ起きてってば」
「ん? うぅ……美優……? 急にな」
「これ、似合ってる?」
「あぅ?」
「眼鏡。あたしに似合ってる?」
「ん……似合って……ふぁ……」
「ほんと? 嘘じゃない?」
「うん……とても似合ってる……」
「そ。ありがと。おやすみ」
「……え? 用件それだけ? ねえ美優? 美優ちゃーん?」
ファッション眼鏡を外し、なんか言ってるパパは無視して部屋に戻る。参考になった。ありがと。二度寝してどうぞ。
「……えいっ」
もう一度眼鏡を掛けてみた。いや、似合うが? 顔、可愛いが? 胸、大きいが? スタイル、いいが? 髪、綺麗な黒髪だが? あたし、幼馴染みだが?
「…………アホか」
眼鏡を外し、ゲーミングチェアに戻る。条件を満たしてるからなんだ? そもそも条件とかそういう話じゃない。どんな個性属性を持っていようとも関係ない。良い悪い、好き嫌いは、そんな表面的な事だけで測れるものじゃないのだ。
それで言ったらあたしは、奏太と同じ属性や似たような個性を持ってて奏太よりもイケメンだとしたら、そっちに流されて行く可能性もあると。いやいやないない。あたしが奏太を好きだったのは、奏太だからなのだ。他の誰かじゃなくて、山吹奏太だからあたしは……。
「…………アホだわ……」
痛い痛い恥ずかしい恥ずかしい。さっさと振り切りなよね、浅葱美優。終わらせ方に拘ってるからズルズル引き摺っちゃうんだよ、バカ女め。
っていうか、夏菜じゃん。夏菜がいるじゃん。
顔可愛い胸大きいスタイルいい黒髪しかもロングで幼馴染みで眼鏡も似合う。適当言ってないよ? 全部全部、既に証明されてる事だから。もちろん眼鏡だって。
前に同じクラスの眼鏡っ子が興味本位で夏菜に掛けてみた事があってね、いやもう似合ってた。めちゃかわだった。あんなん好きになるに決まってる。控えめに言って夏菜と結婚したいだけの人生だった。どうして女に生まれたのかあたしは。
やっぱり夏菜がナンバーワン。世辞でもネタでもなんでもない、本気も本気。あたしの思うさいつよさいかわ女子は、夏菜なのだ。千華まあ、ドンマイ。夏菜の次なんだからそこで我慢して欲しい。あんたも最強無敵だから。ほんと可愛いんだから。腹立つくらいに。
「……もういいや」
セーブしてアプリケーションを落とす。大人しく守られてるようなタイプじゃない綺麗可愛い幼馴染みが画面から消失すると、少しだけ気が楽になったような気がしたりしなかったりらじばんだり。
「バトロワしよ。人殺そ、人」
物騒な事を言いながらヘッドセットを装着する十八歳JK。あたしに好意を抱いてるんだかファンなんだかな同級生たちにはお聞かせ出来るものじゃござんせんわねおほほ。
「よーし殺すぞーっ……」
全キャラでダブハン爪痕を取るのが今の目標。今日は久し振りだし、カジュアルマッチ潜るかー。勘を取り戻さなきゃだしねー。この手のゲームって一週間とかやってないとマジで感覚合わなくなるからね。こいつ何言ってるかこれっぽっちもわからんってそこのおにーさんおねーさんは自分で調べてちょーだいな。
とりあえず一戦。キャラは適当。ボイチャしたがってるうるさいお子様をミュートして黙々とマッチ。
「久し振りだなあ……」
この手のゲームも基本やらないようにしていた。一度アツくなっちゃうとやめ時を見失っちゃうから。最後にやったのは……うわ、去年の暮れだ。時間決めて少しだけやったんだ。
そういえばその時、あたしの後ろには修がいたっけ。
「美優強いから、見てて面白くて」
との事。それなら一緒にやったらいいじゃないか。せっかく持ってるんだから二人でやろうと。そう提案すると。
「やめとく。美優の足引っ張るのはリアルの方だけでこれでもかってやらかしちゃってるんだから。美優の隣で戦えるくらい上達出来たらその時は付き合ってよ」
との事。そんなの気にしなくていいのにね。楽しければそれでいいじゃんとは思うも、修だって男の子。修なりのプライドがあるんでしょ。よくわかんないし、そんなのゲームに持ち込むなよって話だけどね。
修にコントローラーを握らせて、あたしが後ろで見ていた事もあった。普通に上手いんだよねー修。っていうかゲーム全般。何やらせても目を見張るプレイングするの。でもね、上手いじゃんと褒めても、美優には敵わないからの一言で会話をぶった切られてばっか。自己評価が低過ぎるのは昔から変わらない、修の悪い所だよねえ。
ふと思いだす。そういえば、あたしがゲームにハマるきっかけ、修なの。
小学校低学年の頃。奏太の部屋に集まって、奏太が持ってた格ゲーをみんなでプレイする機会があってね。そこからはいつものパターン。修がね、奏太と元気にボロ負けしちゃったの。よっぽど悔しかったのか、修パパにおねだりしてゲームを買ってもらって、一人で猛特訓。不器用なんだけど飲み込みはとても早い修だから、リベンジ出来るだけの実力を身に付けるまで然程の時間は掛からなかったんだけど、奏太と元気の興味の方が保たなかった。リベンジしようと鼻息荒く二人を誘うと、もうそのゲーム飽きたからやってないよー。それで終わり。振り上げた拳の行き場はなし。平静を装いながらも、めちゃくちゃ落ち込む修。
そこであたしがでしゃばった。
「あたし、奏太と元気に勝った事あるの。だから修があたしに勝てば、修がチャンピオンって事でいいと思う」
気遣い下手過ぎかあの日のあたし。周りに悟らせないようと一人で牙を研いでいた修に、魂胆見え見えーと言っているのと相異ないじゃん。しかしまあ修も幼かったから、乗っかってきてくれた。二人で勝負をしたらあたしがボロ勝ちすると思うじゃん? それが意外といい勝負しちゃってさ。対戦成績はほとんどイーブン。日によっては一度も修に勝てなかったりもしたんだよね。
それが悔しくて、あたしも同じゲームを買った。一人でこっそり練習した。繰り返し同じゲームをプレイする中で、他のゲームが気になるようになった。それからだ、あたしがゲーム沼に完全に落っこちたのは。貯めたお小遣いのほとんどはゲームに溶けていった。ママとパパにおねだりして最新ハードを買ってもらったり環境を整えたり。
以前は殺風景気味だったあたしの部屋は、瞬く間にゲーマー部屋へと変わっていき、今に至ると。
「なっつかしい……」
遠い記憶を掘り返したらなんだか無性にあの画質の粗くて読み込みの遅いゲームたちがやりたくなっちゃった。どうやらあたしにはそこらの男の子顔負け収集癖があるらしく、ゲームを売ったり捨てたりと言うのは今日まで一度もない。小さな頃に買った物たちも、クローゼットの奥まった所ですやすやおねんねしている。ここを離れる時にも当然持って行くつもりだ。荷造りを都合のいいエクスキューズにして、ひっさしぶりに遊んじゃおう。修も巻き込んで。
「楽しみだなあ……」
その日その時を想像すると、何故だか無性にワクワクする。名作から凡作までたくさんの格ゲーに触れてきたあたしだ、今なら修を圧倒しちゃうんじゃないかなあ。いやでも修も何気にいろんなの触ってるし、なかなかの接戦になる可能性もありありのあり。
もしも修が勝ったら、昔取った杵柄だよとか、美優は熱でもあるみたいだね、とか言って謙遜しちゃうんだろうなあ。修らしくて可愛いんだけど、気に入らない部分。ずっと据え置きのままだ。
しかしながら。
「修……変わったよなあ……」
最近の様子のおかしさはさておいて。修は本当に変わった。キリッとしているようでいて中身グズグスのメンタルよわよわで、そのくせ飄々と不思議ちゃんしてるのは変わんない。やっぱり自己評価は低いまま。それでも、なんて言うのかな……前よりずっと、自分の事を発信するようになった気がする。性癖の話も含めて。最近までしてくれなかったもん、あんな話。
あたしたち六人が同じクラスで高校生活最後の一年をスタートさせて迎えた夏。あの夏が修にとって激動の夏だった。あいつらがリタイアしても一人で頑張り続けたサッカーで全国大会が手に届く所まで登り詰めたけど、最後はボッコボコにやられて引退。そして、間接的に夏菜にフラれて。時間飛んで冬になって、夏菜は元気とくっ付いて。
「オーバーキル……」
口を突いて出たワードに冷や汗たらり。実際そんな感じだったとはいえ、それでも人生は終わっちゃくれない。散々痛い思いをして苦しんだのなら、それをバネにしなきゃ。
「修なら大丈夫か」
小さな頃から奏太と元気に勝手に対抗心を燃やし、勝手にボロ負けし、勝手にリベンジするべく自分を磨き、勝手に勝つまで抗い続けて、勝手に勝ってきた修だもん。めちゃめちゃタフよ。あたしなんかよりずっとね。
「何が?」
「ふわっ!?」
「おお、女の子らしいリアクション。レア物見ちゃった」
件の人物が、あたしの耳元でニコニコ笑っている。もう帰ってきたのかと思ったけど、あたしの時間の感覚がバカになっているだけだと直ぐに気付いた。外、結構暗いじゃん。もう夕方じゃん。どんだけのめり込んでんのよあたし。
「ヘッドセットズラさないでよ……」
「ビックリした?」
「した。悪趣味だぞ、バカちん」
「逆の立場なら同じ事しない?」
「する」
「ならセーフ」
「……おしまいっ」
「え、もうやめちゃうの。久し振りに美優無双見たかったんだけど」
「邪魔されたからもうやんなーい。ダクソやるダクソ」
「俺もやる。どっちか死んだら交代で」
「勝手に決めないでよ」
「美優が先だとずっと死なないから俺からね」
「聞いちゃいない……」
言うやいなや、リビングから椅子を持ち込んであたしの隣に座る修。なんと強引な。
その強引さをね、あたし以外にも発揮出来てたらいいのにね。あたしには遠慮とか一切ないけど、他の連中の前だと一歩引いちゃう悪癖があるからね、修には。奏太と元気の背中を見過ぎた弊害かなあ。
「ムービー飛ばしちゃダメだよ?」
「もち。ステ振りは好きにさせてもらうよ」
「あーい」
超美麗なオープニングムービーを前に、なんだかんだと乗り気なあたし。前にもこうして死にゲーを二人でやった事があった。高一の夏休みとかだったかな。サッカー部の合宿から帰ってきた修を無理矢理引きずってって、エンディング見るまで寝れまテンを二人でやったんだ。いやーあれは地獄だった。なんでやったろうと思ったのか今でもわかってないわ。
「今日は朝までとか言わないでね」
「言わないよ。明日登校日だもん」
「登校日じゃなかったら言ってたみたいな言い回しだね」
「気の所為気の所為ー。ね、新居はどうだった?」
「まだ新居の予定ね。めちゃ綺麗でビックリした。築二年の綺麗なマンション。山手線の駅が結構近い。歩いて二分以内にスーパーとコンビニ有り。日当たりも良い」
「おお、優良物件」
「なんだけど、絶対に持て余すよこれってくらい広いんだよなあ」
「一人暮らしの物件探してもらったんじゃないの?」
「お前は直ぐに彼女出来るだろうから二人、なんなら三人以上いきなり入ってきても大丈夫な部屋がいいと思って、だってさ。生まれてこのかた彼女なんて出来た事ないっての」
「気が利いてるんだかないんだか」
「父さんのお知り合いが俺にならって事で紹介してくれた、表に出してない物件らしいし、そこで決めるつもりだけど……」
「さっさと作ればいいじゃん、彼女」
「それが出来たら苦労ないよ」
「夏菜の代わりになる子はなかはかひはひひはひひはひ」
くいっと頬を抓られた。修が女の子に手を上げる悪い男の子になっちゃった。昔からだったわ。あたし限定だけど。
「今のは美優が悪い」
「ほへん」
「うむ。許そう。素直に謝らなかったら奏太が奏太がーって陰湿な反撃を敢行するつもりだった」
「へいっ」
「むふっ? なへ抓る?」
「ひまのはしゅーがわふい」
「ほへん」
「ほむ。ゆふほう」
お互いに手を離す。ほっぺヒリヒリする。絶対赤くなっちゃってるじゃん。何してんの、あたしたち。
「なんで美優は彼氏出来ないんだろうね? こんなにモテるのに」
「そういう修こそなんで彼女出来ないんだろうね? めちゃモテるのに」
「ね」
「ねー」
「言ってて悲しくなってきた」
「実はあたしたち、モテないのでは?」
「それ。言ってもミスコンなんて学内だけの指標でしかないもんなあ」
「履歴書に書いたって面接官の心象良くなるわけでもないしねー」
「進学した途端異性に見向きもされなくなったりして」
「ありそう。辛いわー」
「泣けるなー」
「はあ」
「はあ」
「…………何この空気?」
「全部修が悪い」
「えー。っていうか、その眼鏡何?」
机の上に無造作に置かれたママお気に入りの一品を指差し首を傾げる修。ありゃ、元に戻すの忘れてた。
「ママの」
「そりゃわかるけど……なるほどね」
「何よ」
「ようやく美優も、世界の真理に近付けたって事かな」
「良きように解釈しない。そういうんじゃなくて」
「とりあえず掛けてみよう」
「え」
「ほら、動かない」
「わ、ちょ、このっ」
「なんで抵抗するのさ」
や、なんでだろ。わかんない。理由はないけど、でもやっぱ見せたくない。
「おまわりさーん。同級生が破廉恥な事を無理矢理しようとしますー助けてー」
「濡れ衣を着せようとするんじゃない」
「全然濡れ衣じゃないでしょーが」
「いいからほら。ほらっ」
「わふっ」
抵抗も虚しく、腕力と情熱に押し負けてしまい、見える世界に変化が生じた。くぅ、やっぱ度が強い……修の顔が更によく見えるようになった。おお、髭の剃り残しとかあるんだ。もう髭が生えるようになってるんだなあ。昔は女の子と見紛うくらい中性的な男の子だった修がなあ。
「おお!」
「いや驚き過ぎ」
「似合うねー美優。うん、凄くいい。めちゃくちゃいいよ」
「そらどーも。あこら、撮ろうとするなバカちん。エロカメラマンみたいな事言いながら撮ろうとするな通報しちゃうぞ」
「だってもう二度と掛けてくれないだろうから」
「視力落ちちゃってもコンタクトにしてやるって今決めた」
「なんで?」
「わかれ」
「難しい……わからない……」
「こういう時だけバカになるよねー修は。ほれほれ、オープニング終わったよ」
「うん」
結局オープニングのほとんどを見逃しちゃった。後で見返すかあ。
「キャラメイクどうする?」
「好きにしていいよ。ただし、眼鏡は掛けさせない事」
「好きにしていいって言っておきながら自由も夢を剥奪するの悪魔の所業では?」
「容姿端麗な悪魔なので許された」
「許してない件」
「あたしのデータなんだからうだうだ言わない。ほらほら」
「横暴だなあ……」
「どっちが」
ぶつぶつ言いながら主人公の見た目を弄りまくる修。どうせキャラの身なりは既視感バリバリになるに決まってる。何せ、この手のキャラクリエイトを修にやらせると、なんとなく奏太っぽいキャラに必ずなるからね。どんだけ憧れてんの、って話よ。今となっちゃ可愛いもんだけどさ。
「出掛けてる最中にふと気付いたんだけど」
「うん」
「美優、割とあのキャラに近いなって」
「誰よ」
「顔可愛くて胸大きくてスタイルよくて黒髪で幼馴染みとかいうあのキャラに」
蒸し返すなバカ修。あんたが帰ってくる前にそれっぽい事考えちゃって自己嫌悪発症までしたんだから。空気読めバカちん。
「属性の話でしょそれ」
「まあそうなんだけどさ。大事じゃん、わかりやすい記号って」
「わかるけど」
「美優、強めの属性持ちなんだなあ」
「何? あの子に近めの属性持ってる上に眼鏡も似合っちゃうあたしは、修のストライクゾーンど真ん中とでも言いたいわけ?」
「いやいやそれはない」
「だよね」
「うん。眼鏡が合ってもなくても、美優は美優だからね」
属性は所詮、属性だ。どんな属性の装備を身に纏おうとも、結局一番見られるのは分厚い装備の下の素顔。その人間のありのままの部分。見た目は当たり前に大事。っていうか恋愛の九割を決定付けると言っても過言じゃない超重要ファクターだけど、残りの一割が曲者であり、恋愛の面白さなのだ。などと、恋愛バージン浅葱美優が言ってみる。
「そりゃそうだわさ」
「……でもさ」
「うん」
「変わらないのは、美優だからであって」
「その心は?」
「美優以外の人なら、眼鏡の有無で印象がめちゃくちゃ変わるんだよね」
「性癖だもんね」
「うん。だから不思議なんだよね。なんで美優だと変わらないのかなって。さっきどちゃくそ眼鏡の似合う美優を見たけど、おおー似合うなーイケてるなー以上のものは出てこなかったのはなんてなのかなあって」
キャラの身長体重を弄りながら首を傾げる今の修は、どっからどう見ても不思議ちゃん。そんなに悩む事かあ?
「あたしだからでしょ」
「いやそうなんだけど」
「小さな頃からずっと一緒だったから。それだけだよ」
「いやいやそうなんだけどね、ふっ、と思ったのよ」
「うんうん」
「俺ってもしかして、美優の事が好きなのかなって」
「えー?」
「いや、えー? っておかしくない?」
「おかしい事言ったのそっちでしょ」
「おかしいかな」
「おかしいでしょ。だって修は夏菜が好きなんでしょ。まだ」
「あーっと……うーんと……」
「さっさと振り切りなさいよねー」
「美優に言われたくないね」
気付く。なんて話してんだ、あたしたち。なんだこのトーク。なんでこんな、自然に進行しているのか。
修、爆弾発言だったよ? 驚けよあたし。躊躇えよ修。なんだ、あたしたちは?
美優たちの関係、おかしいよ。
まるで初めて聞いたみたいに、団地の外の友人たちに散々言われ続けていた言葉が脳内を揺らした。
ほんとだ。ぐうの音も出ないわ。今のあたしたち、絶対おかしい。
「そういえばこの前言ってたけど、バレンタイン、あたしのチョコ欲しいんだっけ?」
「欲しい」
「なんで?」
「わかんない」
「やっぱあたしの事好きなんじゃない?」
「うーん…………ないよ」
「ないか」
「うん」
「だよね。あ、めっちゃイケメン出来た」
「えー? ちょっと掘り深過ぎじゃない?」
「どこが」
「ここが」
「これくらいが丁度いいの」
「なんかゴツゴツし過ぎててやだ。リコールリコール」
「やだ」
「やだじゃないのー」
自然に……嘘、訂正。平静を装いながら、どうにかこうにか会話の軸をズラせた。だってなんか、手触りが違うから。跳ね返ってくる言葉も、修に手渡す言葉も、なんか、少しだけ。
「……ねえ」
「あたしって、特別?」
「そりゃね。俺はどう?」
「まあ、そこそこ」
「そ。良かった」
何が良かったのか。その言葉は何処から来た、どういう意味を内包しているのか。
気付けばこんなに、あたしのペースが乱されてしまっていた。
修は特別だ。特別じゃなかった瞬間なんてない。でも絶対に、そういう特別じゃない。自信を持って、胸を張ってそう言える。ここ最近いろんな事があり過ぎだから、ちょっとおかしなテンションになってるんだね、修は。あたしもそうなんだろう。
こんな話になっちゃう時点で、あたしと修は調子がおかしい。そうでしょう? こんなの、あたしたちらしくないじゃんね。
でも。
強ち、ない話じゃないのかもしれない。
そんな疑念が密かに生まれたのを表に出さないよう努めるので精一杯で、修に心配されてしまうくらいに、その後のあたしのプレイングは精細を欠いていた。
* * *
二月になった。あたしと修の距離感は据え置きのまま。何も起きず、何も変わらず、何もしようとしない。
それでも。少しだけ。何かが違う。
その違和感の正体に見当すら付けられないまま、その日が来た。
二月十四日。バレンタインデー。そして、奏太の誕生日。
あたしにとって。あたしたちにとって。例年とは少し違う、特別なバレンタインが、やってきた。
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