お願いごと

「もったいねえなあ……もったいない!」

「しつけえなあお前」

「だってもったいねーじゃんか! あの乳だぞ!? お前巨乳好きじゃん!」

「いや好きだけどもさ」

「それとこれとは違うってか? にしたってもったいねえよ……マジで……」

「なんでお前がヘコんでんだよ。夏菜に言いつけるぞ」

「うるせーやめろばかマジほんとやめろバカごめんなさいやめてくださいお願いします」

「情緒不安定か」


 そう言うと、奏太の口角が少しだけ上がった。気に病んでいるのかなんなのか、ずっと死んだ魚みてーなツラしてたもんなこいつ。


「……なんでわかんの?」


 とは、フったかどうかを尋ねた際の、奏太の返答。答え辛いだろうに、否定も煙に巻く言葉もなく答えられるのは大したもんだなあと。思ったり。


 奏太とねこちゃんの間に一悶着があったのは直ぐにわかった。どうしてかって? まあ聞いてくれや。


 夏菜の話を聞いた俺はこっそりと、ねこちゃんが怪我した当日の動向を探ったんだ。あのねこがガチヘコみする案件に関わりそうな人物の最有力候補は、奏太と黒井さんの二人。一応謙之介も。だもんでまずは目と鼻の先にある奏太と千華の部屋へ行った。そこでヒントをくれたのは、由紀ちゃんだった。


 聞いた話をざっくりまとめると、奏太千華ハウスに来た時のねこちゃんは元気であり、部屋を出る時も元気だった。怪我をしたのはその後の事だと。


 それらを踏まえた上で話を聞こうと奏太と顔を合わせたら直ぐにわかったよ。なんか隠してるなって。夏菜が言うには、夏菜たちが一年五組の教室に様子を見に行った時、奏太は同行しなかったらしいじゃん。罪悪感でーってのは少し違うかもしんねーけど、気まずいのは間違いないし、そりゃ行き辛いわな。それを俺に悟られちまったと。


 ま、その辺りの事情を知らなかったとしても、割と直ぐにこの可能性に辿り着いてだと思うけどな。繰り返しになるけど、ねこちゃんがそんなヤバいダメージ受けるのって、奏太絡みくらいしかなさそうだしな。


 フったろ? なんて、自信満々なフリして聞いてみたら意外とあっさり釣れちまって驚きながらも話を続け、今に至ると。


「……おい」

「あ?」

「なんかねえの?」

「お?」

「その…………そういう事になってさ」

「なんもねえよ。お前の選んだ事だろ。ならそれでいいじゃんか」

「それは俺の側に立った時の意見。ねこちゃん側に立ったら違う意見になるんだろ?」

「いんや、変わんねえな」

「マジか」

「マジだ。言い方悪いけどよ、どこにでもある惚れた腫れた話の一つだしよ。上手くいったらおめでとう。上手くいかなかったらまあしゃーなし。お前らの事だから気になりまくるし気にしまくるけど、もうすでに結論出た事をあーだこーだ言いまくるのはズレてるよなーとか思うわけよ」


 バッチリ干渉はする。いろんな事が良くなるように動く。でも、終わった事を蒸し返してあーだこーだ言うのは俺的にはノー。奏太が無理だって言うなら無理なんだ。それは仕方のない事だ。ねこちゃんの事を考えると胃が痛む思いだが。


 ただしそれはあくまでも、終わった話ならば、である。


 だってこれ、まだ終わってねーだろ、間違いなく。あの頑固な妹分の事だから、まだ諦めてないと思うんよな。


「……意外と大人じゃん。背丈以外」

「よーしそこに直れ。その偏屈な頭蓋カチ割ってやる」

「暴力反対」


 何も言ってこない辺り、奏太的にはもう終わった事なのかもしれねーな。けどよ、お前とねこちゃんの間には、まだまだ一悶着も二悶着もあるぞ、間違いなく。


 きっと、奏太だって分かってんだ。それでも何も言わないのは、何も言えないからなんだろうなと思っている。


 だったらよ、奏太が何か言えるようになるまで、ガチャガチャに引っ掻き回したろーじゃねーの!


 鬼だか蛇だかなんだかが飛び出してくるのか知らねーけど、何も飛び出て来ないまま距離が離れちまうのは、ぜってー間違ってるって思うからさ。


「まあ実際? 複雑な立場だよ俺は。疎遠な時期こそあったけど、あの子が特別ってのは変わんねーし。お前にだってそうだろ?」

「まあ……そりゃな」

「だよなあ」


 俺ら全員にだって特別だ。けど、奏太にとっては一際特別なはずなんだよな、ねこちゃんって。


 あの頃のねこちゃんってば、奏太にだけ異様に懐いててさ。若葉FCの練習場に来るなり真っ先に奏太に会いに行って、ニッコニコしながら抱っこしてもらったり他愛ないお喋りをしてたっけ。よく覚えてるわ。


 これはあの子的には黒歴史認定案件かもしれねーから大きな声で言えねーけど、随分昔にさ、ねこちゃんが奏太のとこに泊まった事があるんよ。んで、いざお家に帰るぞーってなった時、ギャン泣きして嫌がったんだ。


「ここがいい! 奏太くんと一緒がいいのっ! 小春、奏太くんのうちの子になる!」


 ってな。大人たちは可愛い可愛い言いながら笑ってたけど、ねこちゃんがあんまりにも必死なもんで俺は笑えなかったなー。本当にそうなればいいんじゃないかなーなんて思ったりしたっけか。懐かしい話だ。


 時を進めて今の二人を見てみても、やっぱり仲がいい。背丈も言葉遣いも距離感も変わったけど、自然と近くにいる感じがするんだ。意識的にねこちゃんの方からすり寄ってるってのもあるだろーけどさ。


 とにかく。昔も今も、ちゃんと互いが特別なんよ、奏太とねこちゃんは。


 だからこそ、そこから先は足が重くなる。わからないでもねー話だ。似たようなケースに覚えがありまくるもんで偉そうな事は言えねえよなあ、松葉元気くんよ?


 でもさあ、進んで欲しいよ俺は。奏太にも、ねこちゃんにも。それがたとえ、それぞれが望まない道なんだとしたってさ。


「できないか、今以上の、特別扱いは」

「…………少なくとも……今は出来ねえ」


 今は、ときたか。深読みしちまうなら、今じゃなきゃワンチャン、って事ではある。


 とはいえ、まさかねこちゃんに言ってねえだろうなあ。今は無理だなんて、女の子を縛っちまうような言葉をよお。こいつなら言ってそうで怖いわ。


「受験関係アリ?」

「ない。もっと違うベクトルの、俺の問題」


 奏太自身の問題? なんだろ。わからん。


「んか。じゃあまずそれ、頑張れ」

「軽いな」

「軽いも重いもそれ以外ねーじゃん。その問題っつーのを頑張って片付けてよ、さっさと身軽になれや」

「片付くかなあ」

「知るか。まあ、俺に手伝える事があれば」

「ねえな」

「あっそ」


 迷いない即答。皮肉屋の奏太が、茶化しもしない。


 俺の問題だから関わるな。


 そう言われた気分だ。そりゃ無理な話だなあ。


「頑張った後、どうして欲しい?」

「どうするもこうするも好きにしろや。俺に言われなきゃなんも出来ないんかお前は」

「なわけねーだろうるせーんだよチビ」

「シンプルな悪口!」

「今のはお前の言い方も悪いだろ」

「そんなくだらねー事聞きやがるお前だって大概だかんな!」

「……そっか。くだらねえか」

「おうくだらねえ。ほんとにくだらねえ」


 自分をどうして欲しいとかこうして欲しいとかくだらない。自分の事を誰かに決めさせようだなんておバカちゃん過ぎる。いつだって自分の事は、自分主導じゃなきゃいけねえ。喜びも、後悔ですらも、人任せになっちまう。そんなのおかしいじゃんか。


 こんな言葉が出る辺り、もしかしたらドン詰りにいるのかも、今の奏太。


 だったら悩め。悩みまくればいい。頑張って、悩んで、そのうちいいもん頭に浮かんでくるだろうよ。多分。よくわかんねーけど。


 ま、周囲の方がお前のペースに合わせてくれるわけねーと思うけどな。


「まあ…………アレ」

「どれだよ」

「…………やっぱなんでもねえ」

「当ててやろうか」

「あ?」

「ねこちゃんの様子、しっかり見ててやってくれー的な事言おうとしたんだろ?」

「…………なんだお前、てんさ」

「ふっ!」

「いったぃ! や、デコピン痛っ……そのマクロサイズの体からどうしてそんな威力が」

「うるせーバーカ! も一発打ち込むぞバーカ! 自分勝手な事言ってんじゃねえバーカ! お前が楽になる為だけの優しさを押し付けんなバーカ!」

「…………悪い」

「ほんとだ。ほんっっっっとに悪い! 猛省しろ、大バカ野郎」


 身勝手な振る舞い、大いに結構。でも、今のは許せない。妹分を気遣うフリして自分だけを守ろうとする奏太なんて、俺たちが許しちゃいけねえんだ。様子が気になるんなら自分で見とけ、どアホめ。


「ったく、なんなんだお前。何をそんな悩んでんだよ」

「……ちゃんとケリ付けたい事があってよ」

「ほう」

「ただ、それとの向き合い方がわかってなくてさ。ずっと見て見ぬ振りしてたからかな」

「よくわかんねーけど、そんなに拘るような事なんか?」

「全部そこから始まってるから。拘らなきゃいけねえんだわ」

「ほーん?」

「それに結論出せなきゃ……どこにも行けねえんだ……俺は……」


 いやはやわからん。でも、奏太にとってマジでガチで大切な事だってのは十二分に伝わってきた。


 にしても、なんなんだろう。奏太の言う、全ての始まり、ってのは。


「……えいっ」

「いてっ」


 わからなくてモヤモヤしたから奏太の頭を小突いてみた。こんな事で晴れるほど軽くないモヤモヤだって事くらい、バカな俺だって理解していたけれど。


* * *


「さむ……」


 今日までの努力の正しさを証明する舞台を独壇場にしてやるべくフル稼働していた脳を癒すには冷た過ぎる風があたしを襲った。今日めっちゃ寒くない? 勘弁してよ。


 スマホを取り出し乗り換えアプリを起動し、地元への最速最短ルートをチェックチェック。このキャンパスから歩いて三分の所の停留所からバスに乗って二十分で電車に乗り換え。地下鉄JRどちらも最高率で駆使しても地元まで一時間弱。駅からバス乗って十分。なんだかんだと二時間近くの家路。いや遠いわ。このキャンパスに毎日通うとか本気? 遠い。無理ゲー。だからこそ、団地を離れるわけで。


「まずは受かれってね……」


 セルフツッコミ。ポジティブな未来だけ見つめられるほど自信も余裕もないでしょーが、あたし。


「……かえ」

「おーい! 美優ー!」

「ろ……?」


 聞き慣れた声だ。みゆーと叫んでいる。これ、もしかしなくてもあたしを呼んで……いやいや違う違う。あのどチビと似たような声の誰かさんがあたしと同じ名前のみゆさんを呼んでいるんだろううんそうだそうに決まってる。だってこの辺り、あいつの行動範囲内じゃないもん。だからあいつなわけが絶対に……。


「美ー優ー! こっちこっちー!」

「うわ……」

「いやなんでドン引き!?」


 あったわ。あっちゃった。


 声の方向に視線を走らせ、通行人の中からあのどチビのシルエットを探しても見つからなかって。それもそのはずだ。あいつがどチビだからと言うのもあるんだけど。


「迎えに来たぞー! 乗れ乗れー!」


 路肩に停まっている車の運転席にいるなんて思わないじゃん。そういえば免許取り立てホヤホヤだったねーこいつ。


「人違いです。さようなら」

「いやいやちげーから! じゃねえや違くねえから! いいから早く乗れよー!」

「うるさ…………はぁ……」


 同じ美大を受けたのだろう方々や道行く人の視線を集めまくっている事に気が付いたあたしは、早めに折れる事にした。


「おっす! 受験お疲れ!」

「なんでこんな所にいんのよ、元気」

「迎えに来たって言ったろ! さっさと帰ろうぜー! つーか都内ってうちよりぜってー寒いよなー!」


 勝手に話を進めながら、篤さんとこの社用車であろうハイエースをバシバシ叩く松葉元気。迎えに来たっていうか、望まぬお迎え来ちゃった的な展開に使われがちな車種じゃん。身の危険を感じる。ということで。


「そうかもね。じゃ、あたしはこれで。お疲れーっす」

「おう! お疲れーっす! って違うわ! なんでこの流れで電車で帰ろうって考えになっちゃうの!?」

「あんたに殺されるのなんてごめんだし」

「信頼されてないのね俺!」

「ううん、信頼してる。あんたなら絶対事故るって、あたし信じてる」

「その信頼嬉しくないねえ!? いやマジで大丈夫だから! 安全運転で行くから! ここまで迎えに来た俺の気持ちを汲んでくれよお頼むよお!」


 いや頼んでないし。ただまあ、何の目的もなくこんな面倒且つ、あたしに断られる可能性大なムーブするわけないよね。ただのバカなようでいて、結構打算的な元気が。はて、あたしと二人きりでどんな話がしたいのやらね。まさか本当に、遠出するついでだったりして。


「あーはいはいわかったわかった。わかったから黙ってマジで。乗ってあげるけどその代わり」

「おっしゃ! よーし乗った乗った! うおー緊張するぜーっ! つーか今何か言ったか!?」

「あんたのそういうとこ嫌いって言ったの」

「よくわかんねーけど、今の俺は今の俺に嫌いな所なんてねーから何も問題ねーな!」

「そういうとこもね……」


 ポジティブ過ぎるウザ過ぎる。一人でこっそり鬱々したり、夏菜との仲が進展しないようにって明後日の方向に気を張っていたいつかのあんたはどこ行ったの。


 ここで問答していても疲れるだけだと理解しているので、一度深呼吸をしてから後部座席に乗り込み、運転席の背中を真正面に見据えられるポジションに座り、シートベルトをかちゃり。


「いや隣座る流れじゃねーの!?」

「助手席が事故にあった時に最も安全説と後部座席が最も安全説、二つの説を聞いた事がある。あたしは後者を信じさせて頂きたく」

「素直に隣座っとけや!」

「あんたの隣は未来永劫夏菜の指定席だからいいのいいの」

「え。あ、ソ、ソウデスネ……」

「マジ照れキモい」

「て、照れてねーから! い、行くぞっ!」

「テンパり過ぎ」

「うるせーうるせー!」


 ぎゃーすか喚きながらエンジンスタート。低い所から唸りを上げ、アスファルト上を行く車の列に合流するハイエース。滑り出しは良好だけど、こんな調子で平穏無事に我が家まで帰れるのだろうか。スマホのメモ帳に遺書でも書き残しておこうかな。


「家までどれくらい掛かりそうなの?」

「一時間いかないくらいじゃねーかな」

「そ。寝る。おやすみ」

「いやいや寝るな! ちょっと話そうぜ!」

「はあ?」

「いやさあ、しばらくお前と話してなかったなーって気がしてさ」

「どんな話がしたいのか知らないけど、それが目的であたしを迎えに来たんだ」

「いんや。ただ、長距離運転したかっただけだ! 美優を迎えに来たのはついでな!」

「あんたのそういうとこも嫌い」

「正直に答えただけなのになんで!?」


 本当についでだったんかいっ。まあ、こいつらしいっちゃこいつらしいか。


「で、何よ? 話って」

「や、最近どうかなーって」

「平常運転です。以上。おやすみー」

「おざなり過ぎる! もっとあるだろ!? なんかこう、もっとさあ!」

「ギャーギャー喚かないでって。最近どうって言われても、何の変哲もない毎日送ってますー以上のものは何もないの。お気に召さないお答えしか用意出来なくて申し訳ありませんね」

「本当に何もねえか?」

「ないねー」


 一つの拘りに諦めを付けられてからと言うもの、本当に何もない。少し気が楽になったというか、重い荷物を降ろす先をようやく見つけられたような感じかな。平穏な日々だ。見た目だけはめちゃ可愛い後輩に好き放題言われたりしたけど、それで何か変わったって事もないつもり。あんな一方的且つ自分勝手な解釈に基いた言葉並べられてもねえ。刺さる部分があったのは確かだけどさ、それにしてもねえ。


 というか、黒井さん無双の後、修に掛けられた言葉の方が効いていたりする。


 俺らはもう、美優に守ってもらわなくても、一人で立って歩けるよ。


 この言葉が聞けて嬉しかったり、寂しかったり。結構響いたわ、アレは。


 みんな大きくなったなぁとかじゃない。なんか、遠くまで来たんだなあ、ってさ。何処にも行けないあたしたちだってのにさ。


 お姉ちゃんムーブなんてもんを誰に言われるでもなく勝手にやらかしていたあたしが、とっくの昔に降ろしていなきゃいけなかった大きな荷物を、修が引き剥がしてくれたような。ううん。一緒に背負ってくれたような。そんな気分なの。


 だから、あたしはこれからなの。人の考えや思いに触れて、少し変わったの。それで、これからもっと変わっていくの。だから今は、まだ何もない。そう言っておきたいの。


「なんかあったって言ったらあたしの周りの方がなんかあってるんじゃないのー?」

「それな。なんか色々あるっぽいな、あいつら」

「ねー」


 劇団赤い羽に入り浸っては朝陽さんたちの映っている古い映像を漁りまくっている千華。夏菜の所にお泊まりしていた際に、恐らく奏太絡みでダメージを受けたのだろうねこちゃん。誰が見てもわかるような傷を可愛い妹分に付けてしまった奏太はねこちゃん案件以外にも悩みがあるらしい。まあ想像は付くんだけど。あたしの前でハンドルを握っている元気と夏菜は、周囲の力になってやろうとそれぞれのやり方で奔走しているご様子。なんだかんだと言いながら、その一環なんだろうね、あたしを迎えに来るって行動も。


 そして、修。


 あたしの内側を根掘り葉掘りしまくってかき乱しまくったあのイケメンもご多分に漏れず、様子がおかしい。


 あたし以上にふわふわしてんだよね、ここ最近の修。免許取りに行ってる間にきたラインもふわふわだったし。


『俺、なんだろう』

『どうしちゃったのかなあ』

『謎』


 とか来たからね本気でビビったわ。向こうで病むような事でもあったのかとマジで心配になって元気にも連絡したんだから。めっちゃ楽しそう、友達も増えたみたいでいい感じに見える、との事だったので追求はしないようにしたけど……。


 帰って来てからの修もなーんかふわふわっとしてるんだよねー。なんかあったのか遠回しに探り入れても手応えなし。若干だけど不思議ちゃん系な所が昔からあるし、考え過ぎてもいけないのかなとは思うけど、気になっちゃうのは気になっちゃう。もう少し様子見て、ヤバそうならガッツリ個人面談するかなあ。まーたお姉ちゃんムーブしてるとか言われそうだけど今回は別枠。


 一月が終わろうとしている今日から、三学期が終わり、四月になるまでの残り僅かな時間。この短い時間の中で、少しでも心残りや気掛かりを減らしておきたい。団地を離れてしまったら難しくなる事、絶対あると思うから。


「その色々が気になるんだよなー。美優の色々も含めて」

「あたしは何もないから」

「嘘だなあ」

「ないってば」

「恥ずかしがる事ねーべ。悩みのない人間なんていねーんだしさあ」

「あんたは悩みなさそうじゃん」

「それがめっちゃあるんだよなあ……」

「例えば? 夏菜がおっぱい触らせてくれないとか?」

「そ、そういうのはこれからだから! 俺たちにはまだ早いからっ!」

「ごめんごめんあたしが悪かったからちゃんと前見て運転してマジで!」


 急に後ろ向くなマジやめてほんと怖い無理やっぱあたしここで死ぬんださよならみんなごめんね夏菜。


「へ、変な事言うなや! バーカ! 美優のバーカ!」

「ごめんて。ま、あんたらはあんたらのペースでゆるりとやっていきなさいな。あんたらの今後もあたしの中の色々の一つなんだから、しっかりしてよね」

「わーってるよ……」


 見た目通りのクソガキを地で行く元気がこの手の話題を好きじゃないわけがない。それでもこの反応である。夏菜だけは別枠なんだろうね、いろんな意味で。


「い、いいからお前の話しろ! なんでもいいから! 真面目な話な!」

「じゃあ」

「あーいいや! 俺からネタ振りするから! 美容的なヤツの専門学校受けたのって母親の蕗子ちゃんの影響とかですか!? 教えてください!」

「なんだよー。せっかくためになる話をしたろうと思ったのにー」

「延々とわけわかんねー話ではぐらかされる未来しか見えねえからな! さあさあ答えた答えた!」

「うーんと、ママの影響受けてるかって事ならばっちり受けてる。当たり前に仕事場とか撮影所に連れられて行ったの、今思えば鮮烈な体験だったんだよね。なかなかいないよね、その時代のトップモデルの撮影所に顔パスで入れる子供なんて」

「だなあ」


 腕利きのファッションデザイナーとして、日本はもちろん世界でも名前の通っているうちのママに付いて行くっていうか、引き摺り回されて、あちこちの現場にお邪魔させてもらった。カメラの前に立つ人はみんなみんなびっくりするほど綺麗なオシャレさん。


「あの人たちが綺麗なのは元々かもしれないけど、今こうしてめちゃくちゃキラキラ輝いて見えるのは、ママがそうさせてるからなの。どう? 凄いでしょー!?」


 もう十年近く前、こんな事をママが言っていた事があった。幼いあたしはうんうんと何度も頷いていた。家ではパパの事いじめてばっかなのに、凄いなー。お仕事中のママ、とってもカッコいいなーって思った。


 あたしが中学に上がって以降、ポツポツとモデルのバイトをさせられた。当時のあたしは心底嫌がり拒絶したんだけど、ママの強引さに敵うわけもなく、何度もカメラの前に立たされた。


「大丈夫。この場に美優より可愛い子なんてあたし以外にはいないから。一番可愛いままを信じて、自信持っていきなさい」


 えっちゃんみたいな事を言って、ママはあたしを送り出してくれたけど、自信なんて持てなかった。恥ずかしかった。こんなのあたし向けじゃない。もうやりたくない。毎度毎度そんな事を思い、次はないからねとママに言っていたが、ママが提示するバイト代がそこらのバイトと比較にならないくらい良いもんで、何度かお世話になってしまった。結構多趣味なもので、いくらあっても足りないのよ、お金ってヤツは。


 でもね。嫌々ながらも、ドキドキしたりワクワクしてたあたしがいたのも本当なの。


 今日はどんな衣装を着させてくれるのかな。有名なタレントさんが撮影に来るらしいけど、あたしを見てどう思ってくれるのかな。ママは喜んでくれるかな。とかね。


 表には出さないように努めたけど、結構あったのよ。お金以外の、ポジティブな面が。


 昨日までみたいにママの力を借りず、あの華やかな場を演出する歯車の一つになれるのなら、それは悪くないって思った。だからこうして今日、美専の試験を受けたのだ。


「色々経験して色々見せられて、結構その気になっちゃったってだけの話よ」

「なるほどなー。いつかは蕗子ちゃんの下に付いて働こうとか考えてんの?」

「ママと組むとか跡継ぎとか、そんなの考えてないの。ただ、趣味になっちゃったのかも。誰かの髪整えたり、ファッションにメス入れるのが。ママがくれた経験値以外にも、その辺てんでダメなあんたたちの面倒見てたってのも大きいかも」

「つまり俺らのお陰って事だな! 今の美優があるのは!」

「いやいや盛り過ぎ。自惚れないでよね、クソチビ」

「またチビって言った! そろそろ怒るぞ!」

「もう怒ってるじゃん」


 元気が指しているのは進路だったり、趣味だったりの話。わかってるけど、大袈裟に受け止めちゃっていけない。


 今のあたしがあるのは、あんたたちのおかげ。どんな意味であってもその通りだから、素直に肯けないよ。恥ずかしいもん。まだ。


「っていうか、あんたもちょっと伸びたんじゃない? 髪」

「伸びた! 最後にやってもらってからかなり経つもんなあ」

「じゃあ仕方な…………ごめん、やっぱなし」


 いつものように元気の髪を弄るあたしの姿が頭に浮かんだけど、慌てて頭を振った。


「え、ダメなん?」

「うん。夏菜にやってもらいなよ」

「いや、死ぞ? それ、死ぞ?」

「あたしが団地にいるのは春までなんだから、そろそろ次の事考えるいい機会じゃん。あたし以外の誰かに切ってもらうも良し。美容室なりに行くのもいいんじゃない?」

「あーそっか。春からお前いなくなるのかあ……」

「そ。仮に美専落ちたら都内の私立大行く予定だから、団地を出るのは確定」

「ふーん」


 言えた。面と向かって元気に言えてなかった、これからのあたしの事。ちゃんと言えた。


 こうして少しずつ日常を切り落としあたし自身をスリムにする。重荷だなんて思った事はない。寧ろ逆。だからこそ、早めに見切りを付けなきゃいけない。元気にも自覚を持ってもらわなきゃだし。それに。


 そろそろ髪伸びた頃かなあいつら。どうせ手入れしてないんだろうなあ。


 なんて、逃避の理由にしちゃいそうだから、未来のあたしは。


 不退転の覚悟なんて高尚な物じゃない。寧ろマメに帰ってくるつもりまである。ただの予防線よ。寂しさに負けて、平気な顔して逃げ帰らない為の。


「そっか……美優もいなくなるのかぁ……」

「寂しい?」

「そりゃな」

「お、素直」

「お前こそどうなんだよ」

「寂しいよ。当然じゃん」

「おお、素直」


 そりゃさあ、寂しくなるに決まってるじゃん。いつでも一緒のあいつら。その親たち。同じ団地に住む、愉快な人たち。


 あの人たちと距離を置く事に何も感じないほど腐ってないよ、あたしの心は。


「……だったら出てかなきゃいいじゃん、とか言うかと思った」

「こうするべきだ、こうしたいってお前が決めた事だろ? だったらそれが一番大切だ。寂しいのくらい我慢するって」

「カッコいい事言ってる風だけど女々しい事言ってるって気付いてる?」

「うっせーなーわかってるっての。本音なんだから仕方ねーだろ」


 なんのかんのと危なっかしさ皆無な運転を見せる元気は、前方を見据えたまま言葉を続ける。


「俺はお前らを止めない。お前ら自身の決断を尊重する。よっぽど間違ってると思ったら横槍は入れっけどな」


 変わったね、元気。去年の今頃のあんたなら絶対言えなかったでしょ、そんなセリフ。


 元気を変えたのが夏菜。夏菜を支え続けたのが元気。


 大したもんだ。凄い二人だ。心底そう思う。


 ほんとお似合いよ、あんたたち。どうかどうか、幸せになってね。


 もう少し大人になったら言う予定の言葉。今はまだ、寝かしておこう。


「だからこそっつーかさ、気持ちよくうちを出て行って欲しいんだ、お前たちに。悩みとかあるならスッキリさせてから出て行って欲しい。その為の力になりてえんだ」

「それ、夏菜も同じ事思ってるんでしょ?」

「ああ。出来る事をやるんだーって張り切ってるぞ」

「わかる。超伝わってくる。空回りしないよう気を配っておくよーに」

「言われるまでもねえ。ま、あいつなら俺よりもずっと上手くやるだろ」

「信頼してるんだね、夏菜の事」

「お前と同じでな」

「うん……だね……」


 テンパってバタバタしちゃうんだろうけど、夏菜なら大丈夫っていう信頼。安心感。今頃きっと、赤嶺家の面々に気に入られながら頑張ってるんだろうなあ。自分の受験勉強なんてそっちのけで、可愛い妹分のスキルアップを。


「まあ、俺らは俺らに出来る事をするよ。だから美優も、美優にしか出来ない事をして欲しいってわけよ」

「あたしにしか出来ない事?」

「そんなのないとか思ってるならそれこそ有り得ないぞ。美優だから夏菜に千華に修に奏太にしてやれる事が必ずある」

「具体的には?」

「それはほら……アレだよ……ほら! アレ!」

「あーはいはいアレねアレ超わかるわ超アレだわわかるわー」

「結局わかんないんじゃんとか言われるよりムカつくなそれ!」

「騒がない。ま、何かやってみるわ。あたしなりに」

「そうしろそうしろー。へへ……」

「何笑ってんのよ」

「いや、なんかいい感じだな、今の美優」

「はあ?」

「いい顔してる的なヤツ。なんとなくな、なんとなく!」


 バックミラーであたしの表情を確認したらしい男も、いい顔をしていた。きっとこいつはこれからも、あたしらの目に留まろうが留まらなかろうがお構いなしに、行動をし続けるんだろう。あたしたちの為に。自分たちの為に。ウザがられようとも全力で、納得がいくまで。最後まで。


 何よ。あんたこそ頼りになるじゃん。チビのくせに。なんて言えるわけもない。なんかムカつくし、恥ずかしいし。


 あたしは恵まれている。あたしだけじゃない。元気も。修も奏太も夏菜も千華も。きっとみんなが同じ事を思ってる。それに甘えていちゃいけないとも。


 だからこそ、最高のお別れにしなくちゃいけない。一時のお別れであろうとも。


 だからやるよ、あたしも。出来る事を。


「……ありがと」

「あ? なんて?」

「頭頂部に十円ハゲできてるって言ったの」

「え? マジ? ちょ、え、ちょっと確認……」

「わーバカバカ! ちゃんとハンドル握れクソチビ!」

「クソチビ言うなはーっ!? あっぶねー! 死ぬーっ!」


 ハラハラしたけど、その日が命日になる事はなかった。


* * *


 その日の夜。


「夏菜ーいるー?」

「いるよー」

「可愛い。好き」

「私も美優ちゃん好きー!」

「ねえねえ夏菜ー。あそこのチビがー夏菜とハグしてるあたしを今にも殺しそうな目で見てるのー怖いよーっ」

「そ、そんな目してねーし!」

「し、してないよそんな目!」

「あっそ。まあそれはどうでもよくて」

「なら雑に振るなや!」

「夏菜にね、頼みたい事があるの」

「私に? 美優ちゃんが?」

「うん」

「ほわ…………な、なんでも言ってっ!」


 夏菜の反応を見て、あたしから夏菜に頼み事をする事ってほとんどなかったと気が付いた。そうだね。そういうの、しないようにしてたから。あたしはいつでも、頼られる側でいなきゃって思ってたから。


 そんなの、おかしかったんだよね。


「その……」

「うんうん!」

「……めちゃくちゃ美味しいチョコの作り方を教えて欲し」

「任せてっ!」

「わっ」

「美優ちゃんに頼まれたんだ! 頑張るぞーっ!」

「う、うん……お手柔らかにお願いね……」


 あたしたちが、最高の別れを迎える為に。


 あたしが、本当の本当に前に進む為に出来る事を。


 負け犬ならぬ、自滅犬あたし。


 最後までデカい声で吠えてやりますとも。

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