延長戦
「ありがとうございましたーっ!」
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー!」
「うーん! ありがとうございましたが気持ちいい! トリプル看板娘に見送られるの気持ちいいなー!」
「トリプル看板娘て」
「おかげさんで元気が出た! 土曜出勤も乗り切れそうだ!」
「それは何よりです」
「だったら、これを持って帰って更に元気を出してください!」
今日最後のお客さんがお釣りを財布にしまうのを見て、黄色を基調としたおしゃれな小袋を手渡す白藤先輩。満面の笑顔である。
「おお、毎年恒例のヤツ。これを待ってたんだよー」
「今年は私たち三人でカップケーキを用意したんですっ」
「カップケーキったあオシャレな響きって、小春ちゃんと優ちゃんも? 至れり尽くせりだなあ」
「及ばずながら参加させていただきました」
「夏菜先輩無双を隣で眺めてるだけみたいなものでしたけどねー」
「謙遜してますけど、二人がすっごく頑張ってくれたんですよー! 美味しかったら二人の事をたっくさん褒めてあげてくださいねー!」
白藤先輩、ニッコニコである。みなさんに喜んでもらえて嬉しいんだろうなあ。ワクワクが隠せてませんでしたから、準備中の白藤先輩。
バレンタインデーにふじのやに足を運んでくださったみなさんに、チョコを渡そう!
白藤先輩が中学生になって間もなくの白藤先輩が、大将と女将さんに提案したのが全ての始まり。えらく大変だったでしょうに、準備のほとんどを一人でやりきった白藤先輩。お客さん方からの評判も頗る良く、それ以降、ふじのやのバレンタイン恒例の催しとなったそうです。
それそのものは喜ばしい事なのですが、年を追う毎に需要が増え、それに合わせて準備も大変になっていったのも間違いない事。けれども今年は、私と優ちゃんがいる。白藤先輩らしいほんわかな企画、全身全霊で準備のお手伝いをさせていただきました。
今にして思います。白藤先輩が私と優ちゃんに親身になってチョコの作り方を教えてくださったのは、ふじのやの方にも尽力して欲しいという目論みもあったのでしょうね。白藤先輩のご期待に応えられていたのなら良いのですけど。
「娘もくれなくなったし、ふじのやオリジナルのこれだけが唯一の救いだよ。こりゃあ頑張って稼いでふじのやの売り上げに貢献しなきゃいけないねえ」
「ぜひぜひお願いします!」
「うん。じゃあまたくるね。ごちそうさまでした」
「またいらしてくださいねー!」
ブンブン手を振って常連さんを送り出す白藤先輩可愛過ぎる。松葉先輩と交際を始めてから人妻力が数段上昇した感があるけど、可愛らしさまで破壊力がエゲツない事になってる感ある。無敵ですねほんと。好き。
「さて! みんな帰ったし、お店閉めよう! 今日はちょっと急ごっか!」
「はい」
「はーい!」
優ちゃん声デッカ。結構忙しかったのに全然萎えてない。まだ詳細は聞いてないけどいい事あったんだろうなあ。うちのアレ絡みで。わたくし、複雑な心持ちですわ。
「いやあー今日は忙しかったですねー!」
「だねー。今月一番の人入りだったし、なんなら去年のバレンタインよりもお客さんいっぱいだったなあ」
「ふじのやの知名度の向上はもちろん、バレンタイン限定ふじのやオリジナルチョコの評判の良さもあるんでしょうね」
「そうだといいなあ……えへへ……」
「照れる白藤先輩マジ天使」
「照れる夏菜先輩マジ天使」
「て、天使じゃないよ! 人だよっ!」
「そういうとこー!」
「そういうとこー!」
「騒いでないで、みんなはもう上がりなさないな。片付けやっとくから」
白藤先輩可愛いを隠せなかった私たちの耳に届いたのは、女将さんの声。どうやら、私たちのこの後の予定もご存知らしい。
「いいの!?」
「まだやる事あるんだろう?」
「うん! ありがと、おばあちゃん! じゃあみんな行こ!」
「はーい!」
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたーっ!」
ばーっと裏側に引っ込んで、ぱぱーっと身なりを整え、だーっと店を後にする。先頭を行く白藤先輩が急いで自転車に跨るもので、私と優ちゃんの動きも自然と早まる。
「とりあえず私の部屋行こう!」
「わかりました」
「はーい!」
白藤先輩を追いかけ私と優ちゃんも懸命に自転車を漕ぐ。ちなみに優ちゃんは徒歩からの電車でふじのやまで通っている。今乗っている自転車はふじのやの自転車。何かと団地とお店とを行ったり来たりするので、お店の方に用意したそうな。便利。
徒歩だとおよそ三分程度の距離なので、自転車に跨ってしまえばあっという間に、とんでもなく大きな団地の足元に辿り着く。十四号棟の真下にある駐輪場に三人並んで自転車を停め、今日も今日とて一階以外の奇数階の表記のないエレベーターに飛び込んで、十階をのパネルをプッシュ。
「なんだかそわそわしちゃうなあ……」
「そうですか? 私はワクワクしてます!」
「優ちゃん元気過ぎ……」
「元気ですとも! 今日はちょーいい日だからねー!」
「えと……謙ちゃん?」
「そうです! チョコ渡しました! めっちゃ褒められました! 夏菜先輩と小春が力を貸してくれたおかげです! 本当にありがとうございますーっ!」
「わっ」
白藤先輩の胸へと飛び込む優ちゃん。ちょっと困り気味な白藤先輩の様子に気付いているだろうに。それとも、あえて見ないようにしたのかな。白藤先輩はバレてると思ってないかもしれないけど、白藤先輩とアレの間に色々あったの、私たちは知ってますから。
「えっと……力になれたならよかったよ」
「はいっ! また何かあったら夏菜先輩の胸をお貸しくださいーっ!」
「あ、頭グリグリするのやめなさーい!」
「着きましたよ……」
尚も胸元から離れようとしない優ちゃんを引き摺る白藤先輩の前を行き、住んでいる人が変わっても、松葉の表札はそのままである、お二人の城の扉を開いた。人様の部屋の扉を許可なく開けるという行いも、この団地のあの方々にとってはなんら問題ないらしい。以前は躊躇しまくっていましたけど、すっかり慣れちゃいました。
というかですよ。私の部屋行こ! からの松葉の表札が出ているお宅に、当たり前のように足が向くの、なんかよくないですか? 変わったんだなあ、上手くいってるんだなあ、幸せなんだなあ、とか思いませんか? 私はめっちゃ思っています。ほっこりしちゃうなあ。
「た、ただいまぁ……」
「おう、おかえり」
あ、今のいい。ただいまとおかえりの響きは以前と変わらないんですけど、白藤先輩と松葉先輩の間にある空気感っていうんでしょうか。なんかこう、特別っ! って感じがビンビンなんですよ。何気ない所作とか目配せとか、そういうものに特別性を感じざるを得ないんです。細かな所から、お互い好き合ってるってのが伝わってきて凄くいい。結婚式には呼んでくださいお願いします。
「って、ねこちゃんに黒井さんじゃん。お疲れー」
「お疲れ様です。お邪魔します、松葉先輩」
「おふぁふぁひまふー!」
「黒井さんは何をしがみ付いてんの」
「むへをおはりひへまふー!」
「なるほどわからん。看板娘三人揃ってどした?」
「ひょーはへふねー!」
「わ、私から話すからっ! えと……じゃあ……元ちゃんには……私から……」
「はいはい白藤先輩の邪魔するのやめようねー優ちゃん」
「あぅ」
優ちゃんを無理矢理引っぺがすと、口元がてらりと光っていた。可愛いお顔が台無しだからそのだらしなすぎるダメ顔をさっさと引っ込めなさい。
「えっと…………これ!」
「これ、チョコか?」
「うん……あ! これは私からじゃないの! 私たちからなの!」
「私たちって……なるほど、理解した」
「その……私たちからみんなにチョコを渡そうって話になったの……だからこれっ!」
ガッチガチに緊張しているのか、ぺこりと頭を下げながら私たちの合作の収まっている袋を突き出す白藤先輩。既に二人の間でバレンタインのやりとり的なのはあったでしょうに、このドキドキ具合。初々しいと言いますか、鮮度の落ちない二人と言いますか。とりあえず、ごちそうさまです。
「ほいほい、いただきますよーと。さんきゅ、夏菜」
「う、うん……」
出てる出てる。幸せオーラだだ漏れてる。いいですねーいいですねー。青春してますねーお二人ともー。
「ねこちゃんも黒井さんもありがとなー」
「いえいえ」
「白藤先輩による、バレンタインのプレゼントは私なの……攻撃には敵わないと思いますが、それもなかなかイケてますよー!」
「そ、そんな攻撃しないよっ! ほらいいから次っ。みんなに渡しに行くよっ! あんまりゆっくりしてられないんだから! 優ちゃんの電車の時間とかあるし!」
終電ギリギリとまでは流石にいかないけれど、既に二十二時を回っている。女子高生がちょろちょろするには相応しくないお時間だ。日頃は私たちより少し早く優ちゃんはエプロンを脱いでいるんですが、事情が事情なので今夜は暖簾を外すまでいたんです。帰り道、心配だ。浮かれっ放しな優ちゃんが乗り換え失敗したりしないかどうか。
「照れなくてもいいじゃないですかー!」
「照れるとかじゃなくてっ!」
「後輩に遊ばれてんじゃねーよ……つーかさ、あいつらんとこ回ったら一回俺のとこよりなよ。黒井さん電車でしょ? 遅くなりそうだし、車で送ってくよ」
「いいんですか!? あーでも松葉先輩の背丈だと運転席に座っちゃったら前方が」
「よーしいい度胸だなクソガキ」
「冗談ですよーっ! じゃあ遅くなるようならご厄介になりますー! って事で次行きましょ次!」
「おうおうはよ行けはよ」
「はーい!」
「力強っ……」
「引っ張られるぅー」
私と白藤先輩を引き摺り、ノリノリな優ちゃんがヅカヅカ進む。
「桃瀬先輩ー! 私たちが来ましたー!」
「えらく賑やかだね」
遠慮なく桃瀬家の扉を開けると、玄関まで桃瀬先輩が出てきてくれた。お風呂上がりなのか、肩にバスタオルを掛けている。ヘアワックスの付いていない自然な毛流れの桃瀬先輩を久し振りに見ましたけど、このスタイルだと童顔みが増すような気がする。カッコいいと可愛い両方備えている無敵系男子。そりゃあファンクラブの一つや二つくらい校内に出来ちゃいますわ。
「これ、桃瀬先輩に持って来ました! っていうか桃瀬家のみなさんに!」
「おお。これは、カップケーキ?」
「ですです! 私たちふじのや三人娘で作りました! 味に自信しかありません!」
「なるほどね。最近夏菜が妙にこそこそしていると思っていたけど、これの準備をしてたんだね」
「こ、こそこそしてたかな……?」
「してたね。ま、こっちじゃなくて、あっちの本命対策の方でって可能性大だけど」
「ノーコメント……」
「それが答えみたいなものだけどね」
「桃瀬先輩桃瀬先輩! 今日何個くらいチョコ貰えましたー?」
「えーっと、こう言っとけば嫌味ったらしくてヘイト集まるぞいいぞーって言われた文言を使うね。百から先は数えてない」
「なるほど! 今の発言で桃瀬先輩への好感度がとっても下がりました!」
「え、何それ傷付く。これ、言わされてるの。本心じゃないからね。あでも百個以上あったのは本当ね。でもだからって」
「なるほど、完全に理解しました! ではそういう事で! ハッピーバレンタインー!」
「いやそれで理解されたとか言われても困るんだけど。あの、ちょっとー?」
勢い良く扉を閉めて、桃瀬先輩の言葉を遮る優ちゃん。本当にパワフルねあなた。おかげさまで私、こんばんはさえも言わせてもらえなかったのだけど。
「じゃあ次はお隣! 浅葱先輩ー! 私たちが来まっ!?」
「わっ」
勢い良く扉を引こうとする優ちゃんの手が何かをするより先に、扉が開いた。優ちゃんが引くより先に、内側から押した人がいたからだ。
「ビックリした……何よ、この騒がしい事態は」
ラフなスウェットに身を包んだ、浅葱先輩だった。
「こんばんは、浅葱先輩」
「こんばんはー! これからお出かけですかー?」
「ちょっとコンビニにね」
嘘だ。すぐにわかった。まず薄着過ぎる。急に暖かくなったり例年を上回る寒さを叩き出したりと寒暖差の激しい日々だけど、夜が寒いのは変わらない。最寄りのコンビニまで行くにしても流石にこの格好ではね。手にはもちろん、ポケットにも財布が収まっているようにも見えないし、まず間違い無いかと思います。
「そうなんですねー。まあその話は置いておいて!」
優ちゃんも気が付いてるだろうに、追求するつもりはないみたいだ。
「これ! どーぞです!」
「え、何これ」
「私たち三人で作りました! ご家族のみなさんの分もありますんで、是非召し上がってください!」
「三人で作ったのなら異物混入とかは大丈夫……だよね?」
「浅葱先輩ってばやだなーもうっ! 本気で嫌がらせするならもっと目立つように思いっきりやるに決まってるじゃないですかー!」
「うん、そういう子だよね、あなた。ま、夏菜監修なら間違いないか。じゃあありがたく。ママは今日は不在だから帰って来たら確実に渡しておくね」
「お願いしますー! っていうか浅葱先輩ってお母さんの事、ママって呼ぶんですねー! ギャップ萌えー! 可愛いー!」
「でしょ。ごめんね、何やっても可愛くて。黒井さんと違って」
「あ、それムカつくー!」
「大きい声出さない。時間考えなって。そこの冷や汗ダラダラの夏菜と子ねこ、早くこのうるさい子連れてって」
「うん……」
「はい……」
「わ。ちょ。ま。えと、また遊びにきますねー! 首を洗って待っててくださーい!」
「毎日洗ってるっての」
白藤先輩と二人で優ちゃんの腕を引っ張り退散。優ちゃんと浅葱先輩はこういう感じでじゃれ合うんだと私は理解出来たけど、白藤先輩は大真面目に二人の不仲を心配しているらしく、気が気じゃないご様子。一切口開いてませんでしたもんね。後で私からフォローを入れておこう。あの二人はあれで仲良しこよしなんですよーって。仲良しこよし? ほんまか? わかんにゃい。
「さて! あと二人ですね!」
「うん。ただいまー。奏ちゃーん。千華ちゃーん。ちょっとちょっとー」
山吹、東雲。そう書かれている表札の前に立つと、躊躇なく扉を開ける白藤先輩。責められる事ではないですけど、せめて十秒くらい、時間が欲しかったです。ひっそりと、心を整えていますもので。
いけない。今日一緊張している。いや。強がるな。怖い。私は今、めちゃくちゃビビっているんだ。
「んあー? って、何ぞこれ? どういう状況?」
扉が開いた先から飛んできた視線と私の視線が、一瞬重なった。自然に重なり、自然に重ならなくなった。そう思ったけど、そうじゃなかった。私の方から、逸らしてしまっていた。
「どーもです! 山吹先輩!」
「どーもです、黒井優後輩」
それに気付いているのか気付いていないのか。その答えをくれないまま山吹先輩は、優ちゃんに笑顔を向けていた。
「誕生日おめでとうございますー!」
「ありがとありがとー」
以前色々あった優ちゃんからの祝福に、作り笑いなく応える山吹先輩。優ちゃんも自然な感じだ。お互いもう割り切れているって事なんでしょうか。だとしたら凄いなあ。ちゃんと友達に戻れてる。それって、マンガやドラマで描かれるみたいに簡単な事じゃないと思うから。
「あ、誕生日プレゼントはありません! 忘れてました!」
「うーん清々しい」
「でも私の誕生日にはプレゼントくださいね!」
「うーん逞しい」
「代わりになんですけど……」
不思議な間を設け、優ちゃんが私に視線を寄越した。
「……あのですね!」
あ、これあかんヤツや。何か企んでるヤツや。
「私たちふじのや三人娘を代表して、小春から贈り物があるんですよー!」
「は?」
「はい!?」
「ってあー! いっけないもうこんな時間! お母さんに怒られちゃう! って事で白藤先輩行きましょう! 松葉先輩と二人きりで車に乗ったら私が襲われかねないので白藤先輩もご一緒してくださいお願いします! さあ行きましょうすぐ行きましょう!」
「え? わ! あの、優ちゃん!? あのー!?」
自分以外の全員が混乱している事も言いたい事も聞きたい事もあるのも理解していながら止まる気配のない優ちゃん。無理矢理に腕を組み、大きな体の白藤先輩を引き摺りながらどんどん離れて行ってしまう。
「って事で、よろしくね! 小春!」
あざと可愛い敬礼とウイングのコンボ。してやったり感が全開だ。もしかしなくても、最初からこの状況を作り出すつもり満々だったね、優ちゃん。みなさんへのプレゼントの一つだけを私に持たせていた段階で気付いておくべきだったなあ。
「いやよろしくって何!?」
「そのまんまの意味ー! あ! 松葉先輩ー! 用事済んだんで早急に車出してください! っていうか電車かったるいんで家まで送ってくださいー!」
「なんか話変わってきてない!?」
既に松葉家の前でコントが始まっている。なんという行動の早さ。
「ごめん、状況に付いていけない。何がどうしてあの騒ぎ?」
「わ、私にも何がなんだか……」
という嘘。不思議と、罪悪感はなかった。
「いいからお願いします! 小春が! 山吹先輩に! 渡せば終わりなので、私たちは先に行動をしなきゃと思いまして!」
「……なるほど! 完全に理解した!」
「え? 元ちゃん?」
「そういう事なら急ごう! って事で行くぞー夏菜もー!」
「行きましょー!」
「だ、だからぁ! 全然わかんないよーっ!」
彼氏と後輩に挟まれた白藤先輩の叫び声を残し、三人はあっという間にエレベーターの中へと消えていった。
今ので確信しました。松葉先輩、色々理解していますね? 私がその……それ的なアレだって事とか。あの乗っかり具合は間違いないでしょう。白藤先輩がああもピュアだもので、余計に際立っていましたよ。
先日の負傷の一件からこっち、松葉先輩には心配をかけ倒している事でしょう。美味しいチョコの作り方やアレンジの仕方等を教わるべく白藤先輩との時間を強奪してしまった事といい、申し訳ない事ばかりだ。いつか何かで返さないと。けれど今は。
「マジでなんなんあいつら」
自分の事に集中させてください。
ヤバイ。周囲に聞こえているんじゃないかくらい心臓がうるさい。惨めな痣を作った日以来になるからかな、山吹先輩と顔を合わせるのが。
「えっと……みなさんの謎テンションの理由はわかりませんが、用件はこれです……」
「これは?」
「私と優ちゃんと白藤先輩でカップケーキを作りまして……」
「ああ、ふじのやのアレか。へー。今年はカップケーキにしたのか。シャレてんなあ」
「みなさんの分を持ってきましたので、良かったら召し上がってください」
「やったぜ。ふじのやブランドにハズレなし。こいつは期待値高いぞー」
包装の口を開け、中身を改める山吹先輩に、取り繕ったような感じも、気不味さすらも感じない。私はこんなに緊張しているのになあ。
「わざわざありがとね」
「いえ……」
「千華たちにも間違いなく渡しとくから」
「お願いします……」
気付く。山吹先輩、この場をさっさとお開きにしようとしている。どうやら、私とはあまりお話がしたくないらしいですね。多少なりとも、山吹先輩も緊張しているって事ですかね。それとも、あの日の事を思い出してモニョってしまうから、とか? どっちでもいい。私のやる事は変わらない。
本当は日中、先輩が下校するまでに時間を頂戴したかった。でも出来なかった。怖かったから。
意気地のない私は、自分を誤魔化す言い訳を用意した。どうせバイトの後みなさんに渡しに行くんだから、その時でいいじゃないかと。それならば話の流れで自然に、なんなら優ちゃんの後押しも期待出来るかも、なんて打算までした。
結果、その通りになってしまった。少し形は違ったし、なんなら想定以上に追い込まれているまでありますけど、私主導でのアクションは一つも起こせなかった。
情けない。みっともない。悔しい。
しかし悔やんでいても仕方がない。反省はいつでも出来るけど、今出来る事は今やらなきゃ、いつまでもやれないまま終わってしまう。
優ちゃん。必ずやりきるからね。やると決めた事、ちゃんと。
「じゃあ」
「そ、それでですね! えっと……少々お待ちを……」
「うーん、そろそろ受験勉強に戻りた」
「こ、これ!」
団地のみなさんの中で唯一、進学の為のスケジュールを全て終えられていない山吹先輩が会話を閉めに入るも完全スルーし、黄色を基調とした包装紙に包まれた小箱を取り出し、まるで投げ付けているかの如く、山吹先輩の眼前に勢いよく突き出した。
「うん? これは?」
「その……チョコです……」
「もう貰ったよ?」
左手にぶら下げている袋を目の高さまで掲げて揺らしていらっしゃる。これ、わかっていてやってますよね、山吹先輩。
「それは私たち三人からで、こっちは……私一人からです……」
「……いいの?」
いいの? この言葉に込められた情報量が多過ぎる。だから今は、考えないようにする事にした。
「貰ってもらわないと……困ります……」
「……なら、貰うよ」
私の手中から小箱を抜き取る際、互いの指先が触れ合った。危ない。あまりにも慌てて遠退く指先を追い掛け、捕まえてしまいそうになってしまった。
「とっても素晴らしいお師匠さまに教えを乞うたので、味に自信ありです」
「ああ、そのお師匠さまなら間違いないや」
膝とメンタルをやられて下向きになった私を無理矢理に。でもゆっくりと、立ち直らせようと奮闘してくれた、優しいお師匠さまの愛らしい笑顔が脳裏に浮かぶ。天使のような微笑みを思い返すだけで力が出る。よしよし。小春、パワーアップです。まだ押せる。やると決めた事は、まだあるんだ。
「そういう事なので……是非召し上がってください……」
「了解」
「で!」
「いや急に声デカっ」
「それはそれとして……」
またも鞄内へと手を突っ込み、包装がくしゃっとならないよう取り出した赤を基調とした小袋を、今度はゆっくり丁寧に、山吹先輩に眼前に差し出した。何かを意識したわけじゃなく、自然とそうしていた。
「これも貰ってください……」
「もしかして、誕生日プレゼント?」
「そうです……」
自分の場合、バレンタインに貰うチョコがどういうチョコなのか判断に困る。
二人で汗を流したある日の朝、そう仰っていた。なら、山吹先輩が判断に困らないようにしようって、あの日から決めていた。
「至れり尽くせりだ……ありがとうね」
「いえ…………あの、良ければ今開けてもらえませんか?」
「ここで?」
「はい」
「いいけど……」
私の真意を測り兼ねているのか、山吹先輩の反応はあまりよろしくない。別に大した理由などないんです。ただ少しでも、言葉を交わしておきたいだけなんです。
「じゃあ失礼して…………これは……」
最初に候補に上がったのが参考書。続いて万年筆とか財布とか小銭入れとかあれやらそれやら。しかしながら、私の脳内に取り憑いたコレジャナイ感を払拭出来ず、全て却下となりました。これらの候補だって、ネットの海を泳ぎまくって絞りに絞った物なんです。正直言って、プレゼントに何を渡せばいいかなんてまるでわかりませんでしたもん。
ただ、普段使いしてもらえる物。いつでも身近にある物とかがいいなっていうのは漠然とあって。そこで考えに考えて浮かんだのが。
「キーホルダーというか、キーケース?」
「そうです……」
キーケース。黒い革に赤いラインが二本走っているキーケースが、最終的に辿り着いた物だった。結構いい値段しちゃって腰が抜けそうになったのはここだけの話で。
「確か山吹先輩って、みなさんのお家の鍵をキーリングにダーっとくっ付けていた覚えがあって……」
「小学生の頃にそこら辺で見つけたヤツに適当にぶら下げてからずっとそのままだね」
「でしたよね……だから……それ……あ、あの、決してそのリングをどうこう言いたいわけではないですし、そのリングに特別な思い入れがあるとかそういう事なら」
「いやいやそういうの全然ないよ。なんとなくこのまま使ってたってだけだし。いい機会だ。明日からはこっち使わせてもらうね。オシャレでイカすじゃん。うん、気に入った。ありがとね、ねこちゃん」
卑屈な私を見てや、山吹先輩の応対も柔らかくなった。意図していたわけではないですけど、私グッジョブ。
「えと……恐縮です……」
「そんな縮こまらんでも。さて、これで全部かな?」
「え?」
「まだ何かある?」
「……あります。最後に一つだけ」
「もう贈り物じゃないよね?」
「はい」
私たち三人からと、私からと、私から。山吹先輩に渡るべき物は全て、正しい道を行った。
「……いつか、教えて欲しいんです」
「うん?」
「私の知らない、山吹先輩の事を」
「……そんなヤツ、いないよ?」
「います。現に今、私の目の前にいます」
そんなヤツと呼ばれた人物の微笑みは頼りなく、弱々しい。やっぱり知らない人ですよ、この方。
「でも、今じゃなくていいです。難しいと思いますので。今は」
今は。何処かの政治家や、何処かのモンスター童貞や、何処かの先輩も使用していた、とっても便利な言葉。一つの意味しかないかもしれないし、百もの意味があるかもしれない。
きっと、何処かの先輩の言う今はには、そんなに多くの意味はない。けれど、そんな言葉が自然と口から出てくるには、ちゃんとした理由があると思うんです。
その理由を見つけたい。叶うなら、今はという言葉に頼らなくてよくなる日まで、変わらずいる事を許して欲しい。
まだ、諦めさせないで欲しい。終わらせないで欲しいんです。
「だから、今じゃないいつか。私に教えてください。まだ教えてくれていない、山吹先輩自身の事を。出来るなら、私だけに」
「大した物なんて隠れてないんだけどな……」
私から山吹先輩へと届ける最後の一つは、正しくない道を通り、山吹先輩に辿り着いた。
だって、正しくないですもんこんなの。
「それで、私の事も話させてください。山吹先輩の知らない私の事を。私だけの言葉で。今度こそ」
ほら。正しくない。こんな、どちらにとっても錘にしかならない物、正しいわけがないんです。
「……もう全部?」
「今はこれで」
「そか」
「はい。なので……帰ります」
「……送っていこうか? もう遅いし」
「お気持ちだけで充分です。ありがとうございます」
「そう……」
「では、私はこれで。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
特別な日が過ぎ去る間際に訪れた来客に最後まで応対してくださった先輩に一礼し、くるりと反転。エレベーターへ向かう。意外と、足取りは悪くなかった。
「……山吹先輩!」
少し声を張り、その人の名を呼びながら振り返ると、今にも閉じようとしていた1010号室から漏れ出る光量が増加した。
「誕生日おめでとうございます!」
言いそびれていたままだった、今日という日の為にある言葉を叫ぶと、笑いながら手を振り返してくれた。
「また……会いましょう……」
あの人まで届きっこない言葉を掻き消すように、何処かの扉が閉じる音が、夜の川原町団地に響いた。
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