願い星、叶え星

「あ! 付き合う以前のデートでの場合も考えてみてください! ちょっと本日色々ありまして、付き合い始める前にデートに行く事が決まったものでして! 何卒ー!」

「……優が私にしたかったというのは」

「諸々込み込みの恋愛相談なんですー!」

「そうか……そうなのか……そっかぁ……」


 何やらぶつぶつ言いながら、ミルクも砂糖も一切入れていなかったコーヒーに砂糖を入れ始めるケイトさん。って、少し入れ過ぎじゃありませんか?


「あの、ケイトさん?」

「ああいや、なんでもない……なんでもないさ、こんな程度……」

「いえいえ確実に体に良くないですよそのコーヒー」

「それで、なんだ? 付き合い始める以前に性行為をするのはアリかナシか、って相談であっていたかな?」

「はい! やっぱり付き合ってもないのに本番までやっちゃうのはよくないんですかね? 謙之介先輩は優しくて真面目な人ですし、道理や順番を大切にしそうですし、尚更違うかなあ……」

「相手……謙之介なのか?」

「はい!」

「そ、そうなのか…………まさかそんな事になっていたとは……」


 あーそっか。ケイトさん的にはそこからか。ケイトさんくらい皆さんと仲が良ければ、夏菜先輩と松葉先輩が同棲を始めた事はもちろんとして、謙之介先輩が夏菜先輩ガチ勢である事も知っているだろう。からの、私の登場。そりゃ驚きもしますか。


「青春はノンストップなんだなあ……偉大だなあ……」

「はい?」

「いやいや、若々しいなと……というか、どうしてわざわざ私に?」

「だってケイトさん、めちゃくちゃモテるじゃないですか!」

「う」


 ほんの一瞬、ケイトさんの表情が曇った。何か気に触るような事言っちゃったかな? でも、東雲先輩から聞いてるんです。ケイトはとにかくモテる! 行く先々でナンパされてる! モテ過ぎるくらいモテる! あたしには敵わないけど! 今でも独身なのはその所為なんだ! って。モテ過ぎるから独身とか東雲先輩に敵わないとかいうのはよくわかりませんけど、モテ過ぎるが故の苦労とかがあるのは本当なんでしょうね。私にはわかりませんちくしょう悔しいわかりたい私もモテたい超モテたいぞこのやろー。


「私くらいの頃ケイトさんは私なんかの想像が及ばないような、それこそ星の数ほどの甘ーい経験がおありでしょうし!」

「ぅ」

「恥ずかしながら私、そういう相談の出来る、特に歳上の友人や知り合いが全然いなくて……」

「……団地のあの子たちではダメなのか?」

「もちろんあの方々は頼りになるんですけど、流石にケイトさんほどの百戦錬磨っぷりではないでしょうから」

「むぅ」

「それぞれに受験等々でお忙しそうですから、尚更頼めませんし」

「そこはしっかり考えているのだな……」

「もちろんです!」

「なら私の方の事情にも気が付いてくれないものだろうか……」

「あの、なんて仰いました? よく聞こえなかったんですけど」

「気にしないでくれなんでもない本当だ」

「は、はあ……とにかく、そういった理由でケイトさんを頼った次第です……なんかごめんなさい、こんな相談で……でも! ケイトさんなら間違いないですから! どうか頼らせてください! お願いします!」

「わかった。いやわからないが……とにかく、頭など下げてくれるな……」

「それじゃあ!」

「力にならせてくれ。その……私で良いのならば……なんとかするから……」

「やったぁ! 今後、バシバシ相談メール送るので! よろしくお願いします!」

「バシバシ送るのかあ……」

「はい?」

「いやいや……了解だ。よろしくされました。頑張りますです」


 少々戸惑っているのかなんなのか、キャラが揺れ揺れなのが気になりますが、とにかく快諾してくださった! やったあ!


「とりあえず整理しよう。優は謙之介が好きで、それで」

「あ! 告白は済んでます!」

「済んでるのか!?」

「はい!」

「そ、そうなのか……誇大妄想から来る妄言だとばかり……」

「まさかまさか! スパッと行きましたよー! 受験あるから返事は進路決まるまで待ってくれって言われちゃいましたけどねー」

「ほ、ほほう……それはそれは……それはまた……」

「何かおかしいですかね?」

「おかしくはないのだろうが……なんというか……忙しない話だな」

「そうですか? でもでも、私がモタモタしてる間に謙之介先輩取られちゃったら面白くないじゃないですかー。そんな事になったら手癖の悪い泥棒猫は屠らざるを得ないじゃないですしー」

「ほ、ほふ?」

「そういうのは可愛げに欠けちゃいますからやりたくないんですよねー」

「可愛げ以前の問題だろう……」


 なんだかビミョーな感じの表情を浮かべるケイトさん。この手の話を誰かにすると、決まってみんなケイトさんみたいな表情をするんですよねー。そんなにおかしいかなあ?


「つまり。謙之介からの返事待ちであり、更にその先、色良い返事を貰えた後の事を優は考えていると。そういう事でいいんだな?」

「今朝になって前提が少し狂った感はありますけどそうなりますねー」

「理解したが……具体的にどう言った内容の相談が他にあるんだ?」

「さっきのとりあえずホテル案件とか、どうすれば謙之介先輩を気持ち良く出来るのかとか、そういったテクニックの上達方法とか、その場の雰囲気に流されてのキスはギルティなのかなーとか、あとあれです、初体験ってやっぱりいた」

「ストップ。ストップだ優。ここが朝の喫茶店である事を忘れるんじゃない」

「あ、そうでした」


 すっかり忘れてましたわ。ケイトさんとついでに私に集まるおじさまたちの視線が下心満載なのも納得です。見るな寄るな下郎ども。このお姉さまにお近付きになろうだなんて二万年早いぜっ。


「そういった質問に答えるのは憚られる。というか私には……うん……あまり……」

「はい?」

「や、モデルケースこそ多々あれど、明確な最適解がある事ではないなと思ってな……」

「確かに!」


 何事にも個人差はありますもんね。ケイトさん、激しそうというかヤバそうというか、超凄そうだし。何がとは言いませんけど。


「というか……なんだろう…………少しはブレーキを踏んだらどうだ?」

「ブレーキ?」

「そうだ。横取りされるのは面白くない。だから急いでいる。それはわかる。しかし、あまりにも勇み足やし過ぎないだろうか? 私にはそう見えるな、うん。うんうん」


 コクコクと首を縦に振っていらっしゃるけど、なんでしょうか、何処かホッとしていらっしゃるように見えるというか、上手く話題逸らせたー的な安堵的な何かが透けて見えるような気がするのは。不思議だなあ。


「急いては事を仕損じると言うだろう? 優の主義には反するかもしれないが、先人の言葉に耳を傾けて損はない。少しペースを落としてもいいんじゃないか?」

「はあ……」

「不服そうだな」

「不服とかじゃないです。ただ、私ってそんなにバタバタしてるように見えるのかなあと思いまして。小春にも言われた事あるんですよ。優ちゃんはいつでもフルスロットルだから、見てるこっちが心配になるって」

「優の馬力を知っているからこそ不安になるのだろうな、小春は」


 あーそっか。山吹先輩とのアレか。確かに私ってば、初めて声掛けてからガンガン攻めまくったもんなあ。小春と仲良くなったのもあの頃だし、暴走特急みたいな印象持たれててもおかしくないかあ。


「小春は心配しているらしいが、余計なお世話と思うか?」

「思いませんよ! 思いませんけど……私の事……過保護にし過ぎなんじゃないかなあとは……」

「それだけ優が大切だという事だ。それに、謙之介の事も」


 その流れでどうして謙之介先輩か出てくるんだろ?


「足の速さは人それぞれ。優には優の、小春には小春の、謙之介には謙之介のペースがある。わかるな?」

「はい」

「なら聞こう。今の謙之介に出せる最高速が優の最高速の半分。それ以下だった場合、優ならどうする?」


 要するに。事を急いでさっさと関係を進展させたい私と違い、謙之介先輩がじっくりと関係を進めたがったらどうするのか、って事でいいんでしょう。ですよね?


「言い方悪いが、無理矢理手を引いて同じ速度で走るよう強要するのか?」

「それは……」

「少々説教臭くなってしまうが……あれがしたいこれがしたいああなりたいこうなりたい。それを全て謙之介に押し付ける事が、謙之介の幸福に繋がると思うか? まさかとは思うが、私と交際を始めたのだからそれは何もかも許容している事と同義だの、私と一緒にいれるんだからそれだけで幸福だのと言うわけではあるまい?」


 少し大袈裟な言い方をしてしまったなと呟きながら甘々カオスってるコーヒーに口を付けるケイトさんに、怒っている様子は一切見られなかった。


「優が謙之介との未来を夢見るのはいい事だ。その押しの強さと行動力は素晴らしい物だと思う。なればこそ、今の謙之介はもちろん、謙之介の将来までも考えてみるべきなのではないか? いやこれでもまだ大袈裟かもしれないが……ああそうだ。優自身が言ったな、謙之介は優しい人だと。その優しさに甘えてはいけないと思うんだ。謙之介が同じ気持ちであると思ってはいけない。謙之介なら全てを受け入れてくれるなどと思ってはいけない。いや、そんな風に思ってなどいないのかもしれないが……なんにしても、もう少し謙之介の言葉に耳を傾け、気持ちに寄り添うべきだと私はだな……そうでないと、上手くいくものも上手くいかないと思うのだ……多分…………ふぅ……」


 実は口下手なのかな、ケイトさんって。時折言葉に詰まるし、そもそも私の反応見る前にある程度自分なりの結論を用意し、それありきで話してるし、安堵のため息的な何かを吐き出してるし。いいや違う。口下手なんかじゃなく、私程度でも理解できる言葉をどうにかこうにか選んでくれているのだ。そうだ、間違いない。さっすがケイトさん! 出来る女は違いますねーっ!


「ケイトさんの仰る事はごもっともです。わかっています。わかっているつもりです」

「なら」

「でもっ! 私は私を変えられません。私は、私のペースで! 謙之介先輩の手を掴んで、とことん走り回ってやるんです!」


 きっと正しくない。危険なレベルの摩擦が生じて私と謙之介先輩はもちろん、私たちを取り巻く人々に火傷を負わせてしまうかもしれません。私はもう少し大人になるべきなのでしょうね。


 でもなー。そういうのはいいかなーって。


 駆け引きの一つも出来ない私に出来るのは、これでもかと最大火力を叩き込みまくり続ける事くらい。


 賢くないですし、一度躓いたら洒落にならないダメージを負う事になるでしょう。しかし私は、こういう私でいいんだと思っています。


 こういう私だからここまで人生を巻き返せたんです。これからだって、やり抜いてみせますとも!


「謙之介先輩が私のペースに乗って来ないのなら、先輩をお姫様抱っこしてでも二人で駆け抜けます。それに、走りながらでも考える事は出来ます。あちこち寄り道したり回り道したりする事にもなるんでしょうね。その全て、私自身が納得行くスピードで駆け抜けてやるんです」

「自分勝手な話だとは思わないのか?」

「思ってますとも!」

「え」

「私はですね、とことん自分勝手に進むんです。どらどらと突き進み続け、そうして発生した私を取り巻くビッグな幸せウェーブに謙之介先輩も巻き込んじゃって、無理矢理にでも幸せになってもらっちゃうんです。今の私の中にないようなクソデカ感情を謙之介先輩にもらって、今の謙之介先輩の脳内にないようなクソデカ感情をブチ込む。私の欲しいも謙之介先輩の欲しいもバッチリ両立! すり合わせも完璧なスーパーハイブリッド! とーっても都合の良い幸せ、目指してます!」


 正にポカーン、ってな具合に固まるケイトさん。何やら私はまたも突飛な事を言ってしまったらしい。


「ま、前向きなんだな……優は……」

「はい! 前ばっか見てますよー私は。前に目が付いている人間ですから」


 目が前に付いているのは、前を見るため。他の理由なんてないと思うのですよ私は。


「……うん、私は理解したよ」

「と言いますと!? アレですか!? 私にブッ刺さるよきよきーなアドバイスが」

「私では優の力になるには役不足らしい、って事をだ」

「ええー!?」


 さっきまでの困惑具合は鳴りを潜め、何事にも驚かない物怖じしそうにない余裕と威厳に満ち溢れた、凛とした大人のお姉さんがそこにいた。


「優には私の言葉など必要ない。私程度の経験などなんの参考にもなりやしない。力になれなくてすまないな、優」

「そんな! 私にはケイトさんが持っている豊富な経験や実践的なテクニックが必要なのです! バリバリ頼らせてください!」

「不要だ。優はそのまま、混じりっ気ないまま、黒井優を貫いてくれ。絶対にそうあるべきだ」

「……どうしてですか?」

「面白そうだからだ」

「はい!?」

「この先、転びもしよう。怪我もするだろう。涙も流すだろう。それでもどうか、そのままの優でいて欲しい」


 いやいや! なんかいい話風に纏めようとしてますけど、面白そうって言いましたよね!? 面白そうとはー!?


「しかし……まあ……何が協力出来るのかさっぱりわからないが、私でよければ力にならせてくれ。というか、進展があったら必ず連絡をくれ。どんな足跡を優が残して行くのか気になって仕方がないんだ」

「それじゃあ!」

「優にとって必要だと言うのなら、私を頼ってくれ。優が望む未来を掴めるよう、及ばずながら手伝わせていただこう。本当に何の力にもなれる気がしないがな……」

「やったぁ!」


 なんかよくわかんないけど、ケイトさんを丸め込む事に成功したよーっ! やたーっ! 丸め込むって、言い方悪いな私!?


「それでは」

「それじゃあ早速さっきの質問に答えてくださいお願いします! とりあえず次のデートにコンド」

「ストップだ優本当にストップだ頼むから」

「そうだよくろちゃん! っていうかくろちゃん!? ケイトと一緒!? なんで!?」

「うぇ!? 東雲先輩!?」

「来たか」


 前のめりになる私と困り顔のケイトさんの席の前に、めちゃカワ金髪天才お姉さん、立つ。くろちゃんと私を呼ぶ、唯一のお姉さん、東雲千華先輩だ。


 そういえばケイトさん言ってましたね。この後行く所がある。私が知っている人も来るって。東雲先輩だったのかあ。


「くろちゃんとケイトとか意外な組み合わせ過ぎるんだけど! 仲良かったの!? そもそも面識あったんだ!? 二人でどんな話をしふにゅう」


 グイグイ来る東雲先輩の脇腹をケイトさんの指先がなぞった途端、糸の切れた人形みたいになるブロンドお姉さん。小春が言ってたっけ。東雲先輩の弱点、脇腹だって。にしてもここまで効いちゃうかね。


「他の客に迷惑だろう、騒ぐな馬鹿者」

「しゅ、しゅみましぇん……」

「諸々の質問には追々答えるとしよう。ああ、優の質問には答えないぞ」

「どうして!?」

「どうしてもだ。とりあえず昼食にしよう。済んだら移動だ」

「ふぇ、ケイふぉ……あたひらち……ろこいくろ……?」


 東雲先輩もこの後行く所は知らないらしい。私も詳細ぜーんぜん聞いてない。私も気になりますよーを示すようにコクコクと首を縦に振ると。


「格好付けて言うならば、星を探しに行くんだ。きらりと光る、極上の星をな」

「は? 意味わかんないんだけど。頭大丈夫ふおぉぉぉぅ……」


 破天荒ガールの脇腹に痛烈なダメージを与えながら、ケイトさんはそう言った。


* * *


「や、ケイトちゃん」

「久し振りーケイトー!」

「お久し振りっすケイトさん!」

「ええ。本当にお久し振りです。皆さん」


 私と東雲先輩そっちのけで繰り広げられる再会劇の真ん中にケイトさんがいて、その周囲を囲むのは老若男女入り乱れた、エネルギッシュな方々。基本皆さん、顔がいい。


「あーそういう事かーふーん」


 この場所へ足を踏み入れる直前。ケイトさんの目的地がどこであるかを察したらしい東雲先輩の様子はこんな感じ。楽しんでもいなさそうだったし喜んでもいなさそうだった。強いて言うなら、気不味そう、みたいな感じだった。


「今日はあいつは?」

「ありのままを伝えます。パス。なんか気乗りしない。お前に全部任せる。との事です」

「変わらないねーあの子は」

「いつまでもガキのまんまだなほんと」

「本当に困ったものです……」

「それで、後ろの二人は?」


 瞬間、皆さんの視線が私と東雲先輩に集まった。ごめんなさい訂正します。ほぼ東雲先輩に、皆さんの視線が集まった、が正しそうです。


「彼の代理というわけではないのですが、同行者を二名連れ立って参りました。二人とも、自己紹介を」


 そう振られても、東雲先輩の反応は薄い。なんだかご機嫌斜めってる? よ、よくわかんないけど! ちゃんと挨拶をしておかなければ!


「は、はい! はじめまして皆さま! 黒井優と申します! 私はケイトさんの弟子みたいなものです!」

「いやいや待て。優を弟子に取った覚えはないぞ」

「じゃ、じゃあ友達で! そういう感じな者です! よっ、よろしくお願いします!」


 よろしくーとかお願いしまーすとか、疎らな返答が私目掛けて飛んでくる。明らかに皆さん私より年上なもので、妙に緊張しちゃってダメ。こういう所で陰キャムーブするから一皮向けられないんだぞ、黒井優っ!


「ほら、お前も」


 東雲先輩は答えない。トレードマークと言ってもいいような眩しい笑顔を隠したまま、何も言わずただ、ケイトさんを見ている。


「千華」


 催促こそしているけど、ケイトさんは怒ってもいなさそうだし、呆れてもいなさそう。ただ、東雲先輩を待っている。そんな風に、私には見えていた。


「……はじめまして……千華…………東雲千華です。よろしくお願いします」


 東雲先輩らしからぬ落ち着いた自己紹介を終えると、東雲先輩を見る皆さんの目の色が、露骨に変わった。


「おーそっかそっかー!」

「君が朝陽の娘さんか!」

「エミーちゃんそっくりじゃなーい!」

「目元なんかは朝陽くん似だな」

「朝陽兄さんにこんな可愛い娘さんが……自分、お近付きになりたいっす!」

「落ち着けって。引いてるぞ、あの子」

「さーせんっす!」

「みんな君に会いたかったんだよー!」

「はあ……」


 盛り上がる皆さんとは対照的に、東雲先輩の表情は明るくない。気圧されているとかではなさそうだけど……。


「テンション上がるのはわかるがみんな落ち着け」


 前のめりな皆さんを諫めながら、白髪混じりのおじさまが一歩前に出た。やだ、この方イケおじ……めちゃカッコいい……。


「改めましてこんにちは。私がここの座長だ。ようこそ、劇団赤い羽へ」


 劇団赤い羽。神奈川と東京の県境にある、大きな雑居ビルの三階にある、県内はもちろん、国内でもトップクラスに有名な劇団。数十年前まではここまでの評価を得ていなかったらしいが、一人の劇団員がここから羽ばたいて行った事により、知名度がうなぎ上りになったらしい。


 その劇団員の名は、東雲朝陽。この劇団をを巣立ち、アメリカを中心に活動し、瞬く間に世界中に名を轟かせた、豪放磊落な役者さん。東雲先輩の、お父さんだ。


「君がここに来るのは初めてだね、千華ちゃん」

「はじめまして。よろしくお願いします」

「そんなに畏まらなくていい。君の為人は耳にタコが出来るくらい朝陽から聞かされているからね。なあケイト?」

「口を開けば身内の話ばかりしていますからね、朝陽は」

「ほんとにね。千華ちゃんの事を褒め倒して、一度も会った事ねーけど! で一笑いを取って話を締めるのが昔の朝陽の鉄板パターンだったなあ」

「一度も会った事ねーけどは言わなくなったけど今でも同じ事やってんよなー」

「でも娘自慢したくなるのもわかるわー。こんなに可愛いんだもん!」

「ほんと、朝陽んとこは似た者夫婦よねー。あの子も」

「あの!」

「ほい?」


 盛り上がる劇団員の皆さんに、良く通る声が割って入った。


「似た者夫婦っていうのは……」

「朝陽とエミーちゃん。君の両親の事だ」

「ママ……ここに来た事あるんですか?」

「何度もあるとも! なあ!?」

「あたし覚えてるわよー。初めてあの子がここに来たのは朝陽と付き合い始めた頃だったわねー」

「何度も公演観に来てくれたよなあ」

「舞台袖から出て来た朝陽を見るなり頑張れ朝陽ー! って叫んじゃったりしてたなあ」

「常連さんにキレられてたっけ」

「あーあったあった!」

「稽古にも顔を出すのが当たり前になってたよね」

「ケイトさんと一緒に、ですよね」

「ええ。懐かしい話です」


 思い出話でまたも盛り上がる劇団員の皆さん。朝陽さんがここと深い縁があるのは当たり前として、東雲先輩のお母さんまでこの場所と深い縁があるとは。


「君が生まれてからの朝陽とエミーちゃんは、君の話ばかりをしていたんだよ」

「そうなんですか……」

「意外かな?」

「それは……」

「朝陽はね、自分の話をしようとしないんだ。自分大好き人間なくせにだ。おかしな話だろう? しかし、最高にあいつらしい。そういう所はエミーちゃんも持っていてな。あの二人が来ると、あまり関わりのない人の情報ばかりを擦り込まれるんだから笑ってしまう。そうだ。これは勘なのだが、君の前での朝陽は、自分の話ばかりしていないか?」

「まあ……そんな感じですね……」

「そうか。そうだろうな。本当…………肝心な所で不器用な男だ……はは……」


 笑い始めた団長さんに続き、朝陽さんと付き合いの長そうな方々も笑い始めた。この画だけでわかっちゃいますね。このばしょにとって、どれだけ朝陽さんが大きな存在であったのかが。


「あの、それどういう意味ですか?」

「そのうちわかるよ。そんな事よりも見て欲しい物があるんだ。えっと…………ああこれだ。この写真。当時の私の誕生日を祝った際の写真なんだが……とりあえず見てくれ」


 東雲先輩に自分のスマホを手渡す団長さん。こそこそーっと私も画面を覗かせてもらうと、随分と年季の入っていそうな、一枚の写真が表示されていた。照り返しの感じとか見ると、古い写真を直撮りしたものらしい。


「ママ……ケイト……」

「朝陽さんもいらっしゃいますね」


 写真のど真ん中で満面の笑みを浮かべるのは、東雲先輩のお母さんなんだなあと一目でわかるくらい先輩とそっくりなエミーさんがいて。そのエミーさんを挟むように頬を寄せ、エミーさんに負けないくらい眩しいくらきの笑顔を見せる若かりし日の朝陽さんと、少し照れ臭そうにピースをしている、今とさほど変わらないはちゃめちゃ可愛いケイトさんが寄り添っていて。その背後や周囲を当時の劇団員の方々が囲んでいた。


 素敵な写真だ。本当に素敵だ。だから。


「ふーん……」


 東雲先輩の目が奪われるのも当然でしょう。


「私の誕生日なんだから私が真ん中になるべきだろうに、目立つの大好きエミーちゃんが朝陽とケイトを引っ張ってど真ん中に構えちゃってなあ」

「あーあったあった」

「もう何年前よあれ……」

「っていうか座長写ってなくね?」

「座長は朝陽たちの後ろでピースしてたはず」

「座長、当時から影薄かったんすねー」

「うるせえしばくぞ」

「っていうか、朝陽さんの話してくださいよー!」

「朝陽さん、娘さんたちのお話しかされないじゃないですかー!」

「俺たちは朝陽さんの話が聞きたいんですよー! せっかく娘さんもいらしてくださった事ですしー!」

「ええい喚くな若い衆。その話は後だ。素敵なゲストが来たからって本来の目的を忘れるんじゃないぞ。じゃあケイト、そろそろ」

「ええ。お願いします」

「ああ。ほらみんな! 準備準備ー!」


 団長さんが声を荒げると、団員の皆さんの顔付きが変わり、慌ただしくなった。何かを始めるご様子ですが、まだ何も聞かされてませんよ私はー!? アウェイ感っていうか添え物感半端ないですし、ちょっと帰りたくなって来ましたぞー!?


「ケイト」

「なんだ」


 団員さんたちが慌ただしく動き回る光景をぼんやり眺めながら、この場所へと連れて来たケイトさんを呼ぶ東雲先輩。振り返ったケイトさんの目を見る事なく、言葉を続けた。


「どうしてあたしを連れて来たの?」

「知って欲しかった。知らないまま、日本を離れて欲しくなかった」

「あいつの事を知って欲しかったの?」

「違う。朝陽の……いや。朝陽とお嬢様と私の人生を大きく変えたこの場所を、お前に知って欲しかった。それ以上の事は何もない」

「……そ」

「何も言わずに連れて来てすまなかった」

「別に。怒ってない」

「そうか」

「うん」


 頷きも微笑みもしない目も合わせない東雲先輩とケイトさん。なんだか頼りなくて、寂しそうにさえ見える二人の姿が、いやに印象的だった。


* * *


 ケイトさんがこっそりと私に耳打ちしてくれた情報を要約して開示しようと思う。


 ケイトさんが劇団赤い羽の稽古場を訪れたのは、劇団員の中から数人を選び、アメリカに連れて行く為らしい。引き抜きの為のスカウティングと言うよりはアレだ、演劇留学みたいなものだ。


 留学とか言いながら、現地のドラマや映画にエキストラ以上脇役未満くらいのモブポジで出演したりと、朝陽さんのバーター扱いではあれど、単なる留学の域を越えている経験を積ませてもらっているらしい。そのまま朝陽さんの事務所に所属を移しアメリカを舞台に活動している役者さんもいれば、赤い羽に戻って舞台役者として名を上げた人もいるし、朝陽さんの紹介で国内の別事務所へ移りタレント活動をしている方もいらっしゃるとかで。


 朝陽さんが言うには、第二の東雲朝陽、発掘しようぜツアー! っていう名前の活動らししいです。いや、名前ダサっ……。


 今回スカウティングに来たのはケイトさんですけど、朝陽さんや他の方が来られる事もあるそうです。そこは演技のいろはを熟知している朝陽さんがくるべきなのではという私の質問に。


「朝陽が言うには、一番楽しそうに芝居してるヤツを連れて来てくれればいい。芝居の上手い下手なんてどうでもいい。一緒に仕事するなら楽しそうにやるヤツとやりたいから、だそうだ。ちょっと待て優。そんな目で見るな。アホなのは私ではない。あの男だ」


 と答えてくれました。アホだなんて思いませんよー私は。やる気とか楽しむとか、そういうのは大切ですから。


 ここまで聞いてようやくケイトさんの言っていた、半分仕事で半分プライベートの意味がわかりました。仕事とはいえ、旧知の仲の方々に会うんですもんね。


 広い稽古場の中で繰り広げられる老若男女入り乱れた役者さんたちの本気のぶつかりあいに、私は圧倒されてしまっていた。演劇とか生で見た事がなかったというのもあるのかもしれないが、何よりも、さっきまで明るく朗らかに昔話に花を咲かせていた皆さんがまるで別人になってしまっているという光景に飲み込まれてしまっていた。いやだって、本当に別人になってるんですもん。役者ってスゲー!


 呆然とする私とは違い、とても真剣な眼差しで皆さんを見守っているケイトさん。時折何事かをスマホにメモしていたのが気になったけど、覗き見するだけの余裕なんて私にはなかった。


 そしてもう一人。こういうの黙って見てるのめっちゃ苦手そうな東雲先輩。ですが、いい子もいい子。それどころか一言も発する事なく、皆さんの本気を見つめていました。一体思いながら見ていたのでしょうね。


 時間にして一時間と少し。え、お金払わなくていいんですか? 払わせてください! ってこっちからお願いしたくなるような役者さんたちのガチンコバトルを見た私はね、素直に言いましたよ、ケイトさんに。


「皆さんアメリカ行き決定で良くないですか?」

「バカ者」

「あぅ」


 ペチっと頬を叩かれてしまいました。ありがとうございます、ご褒美です。


「でもでも、実際難しくないですか? 皆さん活き活きしていらっしゃいましたし!」

「その通りだな。だからこそ、今この場で答えを出すつもりはない。録画を見ながらホテルで悩むとするよ。朝陽に憧れ、朝陽に続こうと躍起になっている者もいるんだ。納得いくまでとことん悩み通すさ。それが私なりの、彼らへの礼儀だ」

「やだケイトさん……イケメン……そんなにイケメンっぷり見せつけられたって私は謙之介先輩一筋なんですからねっ!」

「私は女なのだが……」

「何やら愉快そうな話をしているね」

「団長」


 きゃっきゃうふふふする私とケイトさんの前に、額に汗を浮かべた団長さんが立った。

 

「なあケイト。この後だが」

「わかっています」

「お客さん二人も大丈夫だから、よかったら」

「気配り感謝します。優、この後、劇団の皆と夕食を共にする事になっているのだが、優さえ良ければ」

「行きます! ゴチになります!」

「食い気味だな……まあいい。気乗りしてくれたのなら私も嬉しい限りだ。行こうか」

「やったぁ!」


 いやね、アレなんです! 芝居ってスゲー! モードなんです私! だから皆さんに聞いてみたいんですよね! あのシーンはどんな気持ちでーとか、ど素人っぽい質問をバシバシと! やっべ、芝居ハマりそう……こんなに心が躍る物だったなんて知らなかった……やだもう楽し……!


「という事だ。千華、お前は」

「あの」

「うん? 私?」


 ケイトさんの言葉をぶった斬った東雲先輩は、真っ直ぐに団長さんに視線を向けていた。


「その……ですね……」


 言葉に詰まる東雲先輩? なんですかこのレアキャラ。一体何がどうして今日はそんな具合になっちゃっているのです?ちょっと心配になるレベルなのですが。


「……また……」

「また?」

「来てもいいですか?」


 東雲先輩の口から飛び出てきたのは、意外過ぎる言葉だった。


「千華……」


 心底驚いてる様子のケイトさんとは違って、私は黙り込む事しか出来なかった。


「当時の朝陽の話が聞きたいと思った、とか?」

「違います……あいつの事は別に……あたしが聞きたいのは、ママの事で……」

「嫌いかな、朝陽の事が」

「き、嫌いかって言われると……えと……」


 動揺している。いつもの先輩なら、嫌いです! あいつマジウザいんだもん! とか言っていそうな場面なのに。


「……敢えて言葉を選ばないが……朝陽は、父親としては失格かもしれない。長らく君に会おうとせず、エミーちゃんとも離れて暮らしていた。どんな理由があろうとも、それは揺るがぬ事実だからね」


 そこで団長さんは、ケイトさんに視線を向けた。ケイトさんは何か言うでもなく、真っ直ぐに視線をぶつけ返すだけだった。


「それでも朝陽は、自分はお前の父親なんだと声高に叫んでいる。なるほど、そんな朝陽の事を君が嫌ったり疎ましく思うのはわからないでもない話だ。なんとも身勝手な男だと思う」


 それは私も思っていました。仕事かなんかで国外に居を構え、幼き日の東雲先輩と離れて暮らしていた事を初めて聞いた時から。そばにいてあげなきゃダメでしょ。こんなに可愛いお子さん、放っておいたらダメじゃないですかって。


「しかしだ、特別あいつを擁護するつもりはないが、こうは考えられないかな。そこまでしなければいけなかった理由がある、と」

「理由って」

「それはわからない。私にわかるのは、その理由というヤツが、朝陽とエミーちゃんを支えていたものだという事だけだ。誰かには理解出来ないかもしれない。けれどあったんだよ。朝陽とエミーちゃんには。二人だけが分かり合える理由が。二人だけの約束が」


 その約束の為に東雲先輩に寂しい思いをさせてしまったと? 美談みたいに言っていますけど、私みたいな現実主義者には単なる綺麗事にしか聞こえません。まあ、なんと言いますか? でっけーロマン的な物は? 感じますけど?


「二人だけの……約束……」

「そう。メンタルクソザコな朝陽が一人で過ごす事を選ばなければならないくらい、ビッグな理由があったんだろうさ」

「メンタル……クソザコ? あいつがですか?」

「そうとも。何せ朝陽は重度のかまってちゃんで、一人で過ごす事そのものが大嫌いな寂しがり屋だからね。もしかしたら、幼い頃に両親を亡くしてしまっている事も大きく影響しているのかもしれないね」

「じゃあ……なんで一人で……」

「それは朝陽とエミーちゃんにしかわからないよ。しかしね、私でもわかる、とーっても簡単な事があるよ」

「それは?」

「昔から、今日までずっと。家族や家族同然の友人たちと離れて過ごせているのは、もちろんケイトあってこそではあるのだが……何よりも、君があってこそ、って事さ」


 団長さんは言った。微笑みながら、言った。


「そんな事ないと思うだろう。理解出来ないだろう。しかし、私にはわかるんだ。望まぬ別れを迎えても折れずにやってこれたのは、君が元気でいてくれたからなんだよ」

「そんな事」

「あるんだよ。だからどうか言わせてくれ。ずっと君に言いたかったんだ。ありがとう、千華ちゃん。私の後輩であり友人の朝陽を支え続けてくれて。本当にありがとう」


 背筋を正し、東雲先輩に頭を下げる団長さん。その様子を見るや、東雲先輩がテンパり始めた。


「う、うぇ? そんな、やめてください……っていうかそんな事……あたしに……言われても……」

「素直に礼を受け取ってくれないのはあの二人というより、ケイト譲りかなあ?」

「さてどうでしょう」

「はっきり物を言う性分なのに妙な所で素直じゃないからね、ケイトは」

「言葉の意味がわかりかねます。生粋のアメリカンなので、私」

「そういう所だよ……本当、面白いヤツばかり集めてくるなあ朝陽は……はは……」


 愉快そうに笑っていらっしゃる。ケイトさんも笑っているし。東雲先輩だけは、はっきりとしない面持ちで俯いてしまっていますけど。


 っていうか、一言だけ言わせて? 私、全然話に付いていけねー! この場にいるかー私はー!?


「って、いかんいかん。少々脱線してしまった。こんなだから話が長いくどいと揶揄されてしまうんだな。失敗失敗。こほんっ。なあ、千華ちゃん」


 あ! なんか話終わるみたい! 興味深い話でしたけど、なんかちょっと重めなんでしんどかったっす! でも続報気になるっすね!? って事で東雲先輩に訪問の権利を認めてくださると嬉しいっす! やべ! 不思議な緊張感に煽られ過ぎてキャラがブレてるっすわ! っべー!


「はい」

「千華ちゃんさえよければ、いつでもここは遊びにおいで。抱え切れないくらいの土産話を用意して、我々赤い羽の面々は君を待っているからね」

「えっ、と…………あ……ありがとう……ございます……でいいのかな……」

「いいんだよいいんだよ。私からももう一度、ありがとうだ」

「……どっ、どう……いたしまして?」

「はっはっは……それでいいんだよ、それで。はっはっは……!」


 またも声を上げて笑い始める団長さん。人好きのする、いい笑顔だ。


「……は…………はぁ……」


 そんな笑顔を見ても、東雲先輩に笑顔は戻って来なかった。


 謙之介先輩とのデートの権利を得たり、最強のアドバイザーに協力の約束を取り付けたり、目の前で舞台を見るという貴重な体験や、東雲先輩の意外な一面を見られたりと、様々なが重なり、正直内心浮かれまくっている私。私の人生、更に加速する予感……!


 じゃあ、東雲先輩はどうだったんだろう。


 先輩がここで見付けた物は、一体なんだったのだろう。いい物なのかな? よくない物なのかな?


 その答えを聞くのは今じゃない。それだけは、なんとなくわかった。


 この日以降、東雲先輩から来る連絡の頻度が激減したのは、一つの答えのような気はするんですけどね。

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