黒い渦巻き

「あ、晴れ着」

「袴の人もスーツの人もいるね」


 団地の敷地から国道に出ると、鮮やかな晴れ着に身を包んだお姉さま方や袴やスーツに身を包んだお兄さま方の集団とすれ違った。これから飲みにでも行かれるのかな。皆が皆、いい笑顔をしていらっしゃる。


「成人の日らしい光景だね」

「うんうん。眼福眼福」

「いやらしい目で見ないの」

「晴れ着シーズン助かる……髪をアップでまとめるの助かる……うなじにはロマンが詰まってる……眼鏡着用だともっと助かる……」

「少しは自重して」


 しばらくポニテやめよとは、夏場になると頻繁にポニーテール姿を披露してくれる浅葱美優のセリフである。めっちゃ似合うのに、もったいない。


「成人式が楽しみだなあ」

「たくさんのうなじを見れるから?」

「うん」

「素直過ぎるのも問題だからね、変態」

「それはさておき、めちゃくちゃ楽しみじゃない? 成人式の日に、俺たちがどうなっているのかさ」

「うーんまあそうだねー。振袖は着てみたいかなー」


 全然興味なさそうに答えるんだなあ。そこまで先を見てる場合じゃない、ってか?


「その時は是非」

「うなじは全力死守するから」

「酷いや」

「どっちが」


 言葉で小突き合いながら歩き慣れた道を行く。一切疾しさなどなかった一夜を美優と明かしてから数日。特に緊張も気不味もない、平常運転な夕刻。今日はちょっとばかし特殊な用事で美優とお出掛けだ。


「美優も講座受けるの?」

「受けない。見るだけ」

「もったいないなあ」

「あたしが作ったって誰も喜ばないじゃん」

「いやいやありえないありえない。学校中の男連中が一喜一憂狂喜乱舞間違いなしでしょ。自分が川高で一番可愛い女の子の称号貰ったの忘れちゃった?」

「忘れてないけど……」


 確かに忘れちゃないんだろうね。けど、友達ではあってもそれ以上ではない連中に手渡す物もかける情けもない。そういう事なんだろうね。でもさ。


「どっちにしろ作ってみなよ」

「なんで?」

「俺が欲しいから」

「はあ?」


 キツめのはあ? いただきました。こういう展開、今まではなかったから驚いているんだろうな。例年、なんか適当な感じで終わってるもんね。


「おかしいかな?」

「おかしくないけど……本気?」

「うん」

「……やだ」

「なんで」

「なんとなく」

「えー」

「嫌なものは嫌なの。絶対あげないから」

「ケチ」

「ケチですよーどうせー」


 取りつく島もない。そんなに頑なにならなくてもいいのに。

 

「そんなに欲しいって言うなら」


 たったったと、俺の前に踊り出て、くるりと振り返った美優は。


「その気にさせてみて。あたしを」


 不敵な笑みを浮かべ、そう言った。


「無理ゲーじゃん……」

「かもね」


 不敵な笑みが、悪戯小僧染みた笑顔に早変わり。


 その笑い方、奏太そっくりだね。


 なんて言ったらどんな顔するんだろう。今日の美優は。


* * *


「わ、甘い匂いすっごいな……」

「ほんとだー」


 開ける扉を間違えてしまったのかと、思わず自身を疑ってしまった。常日頃は開けた途端に油っこい匂いやお酒の匂いが出迎えてくれるから。何年もここに通っているけれど、こんなにも甘ったるい香りに歓迎されるのは初めてだ。


「二人ともきた!」

「お疲れさまです」

「お疲れさまです!」


 そんな事ないですよー間違えてないですよーと、三人の女の子の声が俺を引き留めた。


「ここは本当に居酒屋なのかと首を傾げざるを得ない美少女天国。そうか、ここが世界の果てなんだねパトラッシュ……」

「何言ってるの美優ちゃんは……」

「浅葱先輩も大概変わってますよね」

「ねえ小春。百合? 浅葱先輩から百合の波動出てる? 気の所為?」

「そういう要素に敏感よね優ちゃんは。気の所為だからステイよ、ステイ」

「あ、はい」


 看板娘一号、白藤夏菜。二号、赤嶺小春。三号、黒井優。エプロンと甘い香りを纏った、ふじのや看板ガールズだ。いやはや、なんて顔面偏差値の高い店なのか、ふじのやは。遡れば夏菜ママこと真琴ちゃんやケイトさんまでいたとか本気か? いくらでもいるでしょ、歴代看板ガールズ目当てで来てたお客さん。


「順調?」

「順調順調! 二人とも筋がいいの! 本当に初めてチョコ作るのーってくらい!」

「夏菜先輩の教え方がお上手だからですよー!」

「ですです」

「そ、そうかなーっ? ううんそんな事ないよーっ! 二人が凄いんだよーっ!」


 照れてる。可愛い。写真撮りたい。我慢。くぅ。


 という事で、この場がどういった会場であるかは理解出来ていただけた事と思う。アレだ。夏菜が先生役になって生徒が美少女である、いつものパターンだ。俺は俺で毒味役って言ういつものパターン……なんだけど。今回は頼まれたとかではなく、話を聞いたから興味本位で来ただけだ。まあ、敢えて言うならば。


「照れてる夏菜かわ……嫁にしたい……」


 緩んだ顔をしている川高一可愛い女の子の様子が気になったから、だったりする。先日の事もあるし。もう少し言うならば。


「やっぱり浅葱先輩ってそっちの気が」

「それはない。自分でも度が過ぎるかなーってくらい夏菜を推してるだけ。っていうか、夏菜を見て何も感じない方が人として問題ありでしょ」

「それは間違いないです!」


 美優と黒井さん。今日までたった数分間しか顔を合わせた事がなかった、優という字が名前に入るこの二人の組み合わせがどんな科学反応を見せるのか、とても興味があったりもするのだ。


「っていうか、浅葱先輩は参加しないんですか? 夏菜先輩による、頑張れ華の女子高生! バレンタインは私たちが主役になるんだぜ大作戦! の講座に!」

「しない。作戦名長っ」

「言ってあげないでください浅葱先輩。その辺のネームセンスがアレな感じなんです、優ちゃんは」

「小春に言われたくないですぅー!」


 今日は成人の日。彼女たちが主役になるらしい日の約一ヶ月前だよ、一ヶ月前。随分気が早い対策だことで。今週末にセンター試験を受ける人物が二人もいるって言うのに。しかも、この場に人を集めたのは小春ちゃんでも黒井さんでもなく、受験シーズンど真ん中である夏菜自身らしい。


「小春ちゃん優ちゃんにもやめておいた方がいいんじゃないかって言われたんだけどね、受験に向けて出来る事は私なりにしっかり出来てるつもりなの。あとはもう、緊張しないように挑むしかないなーって。だからね、いつも通りの時間が欲しくて。受験の事が自然と頭の隅っこの方に押し出されちゃうくらいの。だから、ね?」


 とは、俺と美優に語ってくれた、夏菜なりの理由である。元気とあれこれあったりなんだりかんだりしながらも一切手を抜かずに受験勉強をしていたもんなあ。よくもまああれだけ波風立ちまくりな日々を過ごしながらもペースを崩さずに受験と向き合えていたものだと尊敬すら覚える。俺だったらメンタルグズグスになっちゃってネットの海に浸かりっぱなしになっていたやも。恐ろしや恐ろしや。


「おしゃべりもいいけど手元に気を付けてねー二人とも。火傷したり手切ったりしたらダメなんですからねー」

「はい」

「はいー!」


 包丁片手に返事の良い二人である。すっかり先生兼先輩になったね、夏菜は。後輩が出来て嬉しいなあって喜んでいたのがつい昨日の事のようだってのに。


「優ちゃんも言ってたけど、ほんとに美優ちゃんは作らなくていいの?」

「あたしは夏菜ちゃん印の非売品チョコを味わいに来ただけだから。そこの顔だけがいい男は後輩たちの毒味役だから。夏菜の分は絶対あげないから」

「お好きにどうぞ」


 と言いつつ、しっかり美優へのヘイトを募らせている俺である。だって、夏菜の手作りチョコとか食べたいに決まってるじゃん。美優の意地悪。何をニヤニヤしてるんだ。怒るぞ。


「あたしの事はいいからみんなの話聞きたいなー。旦那のいる夏菜は置いといて」

「だ、旦那じゃないよっ!」

「じゃあ何?」

「こいびっ! こっ、こ……恋人……ですぅ……」

「はー可愛いっ!」

「あぅ……」

「はー元気潰したい」

「なんで!?」

「惚気話は置いといて。黒井さんは誰かにチョコ渡すのー?」

「もちろん、謙之介先輩です!」

「あーやっぱその名前出て来ちゃいますかー」

「出て来ちゃいますよぉ、小春お義姉ちゃんっ」

「やめて。めちゃカワ過ぎて無条件で受け入れちゃいそうになっちゃうでしょやめて」

「その日が来たら無条件で受け入れてねー」

「嫌だなあ……」


 小春ちゃんの胸元に頬擦りをしているぞ黒井さんちょっとそれ目に毒過ぎませんか羨まし過ぎませんかそこ代わってくれませんか。っていうか嫌がる素振りも抵抗の一つもしない小春ちゃんは慣らされ過ぎでは?


「ね、リアルスケール黒井優チョコを謙之介先輩にプレゼントしようと思ってるんだけどどうかな!?」

「もし本当にやったら優ちゃんはソウルメイトからソルトメイトになるから」

「塩対応になるってこと!? それは嫌だから、私自身にリボンを巻いて」

「およしなさい。本当におよしなさいあなた。白藤先輩のなんだこいつって顔が目に入らないの?」

「やだなー! 冗談に決まってるじゃないですかー夏菜先輩ーっ!」

「あーうん、わかってる……うん……大丈夫…………だよね……」


 頭の中お花畑さんの描いたフィクションじゃあるまいし、絶対にやらないと理解は出来ているのだが、黒井さんなら行動に移しても何も不思議じゃないという、信頼なのか不安なのかもわからないものが存在しているのもまた事実。なんにしても、黒井さんと謙之介のバレンタイン当日は大騒ぎになりそうだね。


「最近モテ期きちゃってるねこちゃんは? 大好きなお兄ちゃんに」

「渡しません。モテ期も来てません」

「つまんない答えだなあ」

「大丈夫です浅葱先輩っ! ツンデレ小春の分は私から渡しておきますので!」

「余計な事しないの。絶対渡さないし」

「とか言いながらもしっかり謙之介先輩の分を作ってしまう小春なのであった」

「作らないってば」

「じゃあ誰に渡すのー?」

「う」


 黒井さん、ニヤニヤしてる。絶対わかってて言ってますねこれは。全然関係ないんだけど、チョコを刻む為に持っているその包丁が怖いです。なんか、似合い過ぎてて怖いです。僕に向けないでくださいね? ねっ?


「私も気になる気になるっ」

「お姉さんも気になりまーす」

「お兄さんも気になりまーす」

「ソウルメイトも気になりまーす!」

「う、うぅ……!」


 俺は小春ちゃんの口から聞いてるし、美優は察してるだろうし黒井さんも気が付いているだろう。だからだろうか、夏菜以外への視線がいやに鋭いのは。


「その……渡したい人はいます……」

「それってもしかして、小春ちゃんの好きな人って事!?」

「企業秘密でお願いします……」

「気になるー! 気になるよーっ!」


 うーん、これは本気で気が付いてませんねー白藤さん。バイトで頻繁に顔を合わせているし、とっくに気が付いていておかしくないかと思うんだけどなあ。その辺おニブさんな夏菜も可愛い。


「そ、それよりほらっ、手早くやらないとチョコが溶けちゃいますよっ」

「露骨な話題逸らし入りましたー」

「真面目にやらないなら優ちゃんは帰りなさいっ。夜の営業まであんまり時間ないんだから急がなきゃでしょっ」

「わかってますよーだ」


 真っ赤に染まった頬がせかせか動く。まだ恥ずかしいんだね。その割には俺に言えたりしてるよね。奏太が好きなんだって。もしかして俺って、そういうの話し易い系男子? 頼りたい系男子かな? 穿った見方をすれば、都合がいい系男子かもしれない。後者だった場合のダメージが大き過ぎるからこれくらいにしておこう。


「わ、私よりも浅葱先輩です浅葱先輩!」

「あたし?」

「うちの学校で一番モテる浅葱先輩の動向は私だけじゃなくたくさんの生徒が注目してるはずですよ! なんならOBや教師陣も保護者たちもPTAも!」

「盛り過ぎ。盛るのはその乳だけに」

「盛ってません! ナチュラルボーンなバストですっ!」

「いいなあ、ナチュラルボイーン……」

「優ちゃんは弄りに来ない! あなたこそ大層な物をお持ちでしょ! 勿体振らないで教えてください! 浅葱先輩は誰にチョコをプレゼントするつもりなんですか!?」

「誰にもあげないよー」

「本当に!?」

「強いて言うならそこのヘナチョコイケメンとそこの天使の旦那と寝惚けた顔のあいつくらいかなー」


 旦那さんじゃないよー! と照れを隠さず叫ぶ夏菜みたいにツッコミを入れたい衝動はあるが、ここはグッと堪える。ある瞬間から微かに表情を曇らせた妹分の動向にこそ集中したいからね。


「……手作りを渡すんですか?」

「うんにゃ。めんどいからパス。そこらで適当に買ってくるだけ」

「そ、そうなんですか……」

「美優ちゃん、毎年出来合いの物を渡すだけだもんね……」

「だって面倒じゃん。それに、毎年バレンタイン当日はそれどころじゃないしね」

「確かに」

「そういえば二月十四日って……!」

「おろ、黒井さん気付いた?」

「はい! なるほど、確かにある意味ではそれどころじゃないかもですねー!」

「騒がしくなるからねー」


 うんうん頷く三人の女の子と、一人置いてけぼり感のある女の子。流れに乗れていない小春ちゃんだって知ってはいるんだろうね。まあ、難しい日よね、実際。特に女の子の側がさ。


「浅葱先輩が誰にも手作りチョコを渡さないっていうのはわかりましたんで、ちょっと強めの質問しちゃっていいですよね?」

「いいですかじゃない辺りメンタル強いよねー黒井さんは」

「では聞きます。ずばり! 好きな人はいるんですか!? 教えてください! 浅葱先輩っ!」

「いないよー」

「本当にですか!? ねえ本当に!? ほんとのほんとですか!?

「質問以上に圧が強い……本当に本当ですよー」

「なんだー! バレンタイン当日の校内は戦争かなーって思ったのに! ドロドロの血生臭い争いが見れなくて残念です……」

「興奮ポイントが斜め下過ぎ。やっぱ変わってるねー黒井さんは」


 風代わりな後輩に屈託のない笑顔を見せる美優。ねえ、気付いてる? もう一人の後輩の、何かを探るような視線に。


 そうこうしながらも看板娘ーズ全員が次の工程、湯煎の作業に入った。チョコがドロドロだあ。美味しそう。


「意外だなあ」

「あたしがバレンタインで張り切らない事? 好きな人がいない事?」

「後者です。浅葱先輩のガードの硬さって、好きな人がいるからなのかなーとか勝手に思ってたんですよ」

「そんなんじゃないよー。その辺りはあたしに聞くより夏菜と修に聞いた方が早いと思う。ね、夏菜?」

「わ、私に振らないでよっ」

「修?」

「俺もノーコメントのスタンスで」

「ぶー」


 ほっぺ膨らませてる。何おこよそれ。何が正解だって言うのさ。俺に何を言って欲しかったのさ。


「いやいや、浅葱先輩に聞いた方が早いに決まってるじゃないですか」

「そんな事ないんだなーこれが」

「どうしてです? 性格上絶対にはぐらかしちゃう的な意味合いですか?」

「それもあるんだけど、真面目に答えると」

「ふんふん」

「あたしはね、あたしの事をなーんも知らないの。だからわかんないの」


 抑揚も、笑顔でさえフラット。感情の起伏も感じない、波風立つ気配もない。自分を知らないわからないだなんて言っているのに、下にも上にもいかない。


 それ、ちょっと普通じゃないんじゃないかな。


「いやいやーそんな事ないですよー」


 美優の様子に眉を顰めるよりも早く、先の発言を否定する人物が現れた。


「ほい? どゆこと、黒井さん」


 黒井さんだった。確実に美優を動揺させた人物は、美優の方を見ようともせず、溶けゆくチョコに視線を落としたまま。その姿はまるで、こんなの当たり前でしょ、とでも訴えているようだ。


「んーとですねー」


 間延びした声で、黒井さんは言葉を繋いだ。


「自分の事を知らない人間なんて、マンガやラノベの中にしかいないんです。誰だって自分を知ってるんです。知らないなんて事は絶対にないんです。だって自分だもん。好きな所も嫌いな所もいい所も悪い所も何もかも全部知っているんです。人生の中で一番長く付き合ってる人間なんだから、知らないわけがないんです」

「そういうものかなあ」

「そうです。間違いないです。私は浅葱先輩の事をそんなに知りません。仲良くしてもらい始めたのはつい最近ですし。それでも、浅葱先輩の言う、わからないの正体くらいはわかります」

「それは?」

「浅葱先輩の言う自分を知らないって言葉は、事実を認めてない。現在を受け入れようとしていない。過ぎた事を悔やんでいる。何かから逃げている。こういった言葉の合わせ技なんです」

「それでいくとあたしは、何かから逃げている、って事になると」

「はい。もっと端的に言うと、浅葱先輩はビビってるんです。何かに」


 一切遠慮なく斬り付ける黒井さん。止めた方がいいんじゃないかと夏菜と小春ちゃんがハラハラしているが、二人を止めるつもりは、俺にはなかった。


 正しい正しくないを問うつもりはない。ただ、黒井さんの考えが聞きたかった。それを聞いて美優がどんな顔をするのかも、見てみたいと思う。


「それに、知らないわからないって不都合な物から見て見ぬ振りをしていれば、平穏無事な今を形作れます。周りから優しく扱われるなんて利点もあるのかもしれませんね」

「ごめん、一つ質問」

「なんでしょう?」

「これは一般論? 自論? それとも、体験談?」


 美優の質問に、チョコを湯煎している黒井さんの手が止まった。よくぞ聞き難い事を聞いてくれた、美優。


 黒井さんの言葉ははっきりとしていて、こういう物なんだぞーと断言する響きばかりだった。しかし、ついさっきの文言は違った。あるのかもしれませんだなんて、明らかに確信を得ていない人間の言葉だった。美優もそこが引っかかったんだろう。


「体験談です」

「聞かせてもらってもいい?」

「大した話じゃないですけど……」


 そう前置きし、黒井さんは口火を切った。


「もうご存知かもしれませんけど私、高校デビュー勢なんです。中学の頃はずっと一人でキモオタやってました。今も変わらずやってますけど」

「知ってる。それで?」

「これは小春にも言ってなかったんですけど、中学一年から二年の後半くらいまでですかね。ガチの中二病を患いまして」

「ちゅーにびょー?」

「とりあえず重たい病気とかではないとだけ言っておきます。細かい事は後で説明しますから、続きを聞きましょう」

「わ、わかった!」


 マジで中二病を知らない夏菜とその辺りの見識半端なさそうな小春ちゃんが頷き合っているのを見てや、黒井さんは続けた。


「私、アレがカッコいいと思ったんです。奇抜な格好して、意味不明な事ばかりを口にする姿がクール。明らかに周りの人間とは違う姿が超イカすって、そう思っちゃったんです。実際、制服改造して登校してました。ただただ自分の為に、自分のしたい事をしてました。友達なんていませんでしたから、誰に見せる為でもなく」


 黒井さんがオタク趣味の持ち主である事は聞き及んでいたけど、想像より遥かにディープかつヘビーなエピソードを披露されてしまい、リアクションに困る俺たち。そんな俺たちに視線を寄越す事も手を止める事もない。白い生クリームらしき物を黒いチョコの海に流し込みながら、黒井さんは自分を曝け出す。


「いやーマジで痛かったですよ私。元々友達なんていなかったですけど、大なり小なりクラスメイトと会話する機会くらいはあったんですよ。けど、中二全開になってからは誰とも言葉を交わした記憶がないです。頭がおかしくなったんじゃないかって親にも心配されちゃったりもしました。でも私は楽しかった。自分のやりたい事が出来ている。これがカッコいいんだから、これ以上ないんだからって思っていました。けどある日、急に熱が冷めたんです。きっかけは、一年の一学期の頃によくお喋りしていた女の子が他の学校の制服を着た男の子と手を繋いで歩く姿を見た事です。引っ込み思案で男っ気の全然なかったあの子に彼氏がいる? それに比べて私は一人で何をやってんだ、ってなっちゃって。そこから中二卒業はあっという間でした」


 軽率に同調なんて出来やしないけど、執着や拘りが一気に冷める瞬間には覚えがある。対象となる一つの事象だけでなく、いろんな事がどうでもよくなってぼけーっと過ごす時間が増えるんだよな。何やってたんだ自分はって後になるまでがワンセット。


「バカじゃないの。オタクでもなんでもいいけど、越えちゃいけないラインってあるだろって。あんな事やってた所為で友達もろくに出来なかったんだって、結局、中二を卒業しても変わらず一人ぼっちでした。自業自得です。一度ヤバイヤツ認定されたらそりゃね。それからは、なんとなくマンガを読んでアニメを見てるだけの中学生活になりました。今以上に親を心配させるわけにはいかないと受験勉強だけは意識して頑張りまし。ご飯時以外ほとんど部屋から出て来ない生活は変わらなかったので、結局心配させ通しだったと思います」


 夏菜と小春ちゃんの表情は明るくないし、手も止まってしまっている。愉快な話かと言われたらそんな事はないんだ、無理もない。唯一美優だけは、少しも顔色を変えていなかったけれど。


「私、わからなくなったんです。なんでこんな事になっちゃったのか。どうして私の周りには誰もいないのか。どうして私には居場所がないのか。だから考えたんです。考えて考えて、それでもわからないなーって、ずっとそう思っていたんです。そのまま中学三年の秋になって、ある日唐突に思ったんです。わからないだなんて、私は何を言ってるんだ、って」


 湯煎はもう充分らしく、長方形の容器にチョコを移しながら、黒井さんは口を動かし続けた。生チョコでも作るのかな。


「いいや違うだろ。わからないわけないだろ。全部私が、私の意思で、やりたかったからやってたんだ、全部自業自得じゃないか。わからないフリなんて意味ないんだって。この道を選んで、この生き方を決めたのは全部自分じゃないかって。私、逃げてたんです。認めようとしてなかったんです。全部全部、私を中二ワールドに落とした作品たちが悪いんだって。彼氏はもちろん友達もいない。自分の部屋以外に居場所がない。私がこんな風になったのはあいつらが存在している所為だって。私の前に現れたからだって。そう決め付け心を軽くして、今度はわからないフリをして、都合の悪い物に蓋をしていたんです。そうして自分を守っていたんです。何も知らず、何もわからず、何も認めず、何も見ようとしない。そんな私でいれば、偽物でもなんでも、平穏は得られますから。よしっ」


 一先ずは落ち着ける工程まで来たらしく、チョコの注がれた容器にラップを被せ、厨房奥の冷蔵庫に入れて小さくガッツポーズを作る黒井さん。やりきった感を出す生徒の姿を見ても、何をどうしていいのかわからない白藤先生は完全に置き去り状態だ。


「その全てが間違っていました。そんな一時の誤魔化しをしても何も変わらない。何も誤魔化せない何も生み出せない。何処まで逃げようとしたって追い掛けて来るのも私なんだから逃げられるわけないんです。遅かれ早かれ、臆病な自分と向き合うしかないんです。だから私は認めて、とぼけるのをやめて、開き直りました。だってそれしかないじゃないですか。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。そんな事しても何も変わらない誰も同情してくれない自己嫌悪が募るばかりでどうしようもない。そんなの嫌でした。いつかの私が確かに抱いた中二病をカッコいいって気持ちと行動。全て黒歴史ですよ。私史上ブッチギリにヤバイ地雷です。それは認めます。でも、後悔にだけはしたくなかった。いつかの情熱を、嘘にだけはしたくなかった。だって、自分が大好きでいたいですもん。私が私を嫌いになったら、一体誰が私の事を好きになってくれるかわかりませんし」

「あ……」


 完全に手が止まってしまった小春ちゃんの代わりに湯煎をするらしく、ボウルとヘラを優しく拝借する黒井さん。手に触れられてようやく呼吸する事を思い出したかのような小春ちゃんの表情が、いやに印象的だった。


「わからなくなんかない。そんなフリやめて、ちゃんと認めるんだ。逃げんな。私がバカだった。キモかったんだって。でももうそれはしょうがない。後悔したって泣いたって何も変わらない。そうしてようやく、ちゃんと終わらせる事が出来る。それが出来たら、開き直って生きてこう。友達がいなくても、彼氏が出来なくても、信頼出来る人がいなくても、それでも。私の居場所がどこにもないこの場所が、私の居場所なんだから」


 強い。凄い。


 語彙力が追い付いて来ない。黒歴史とやらを語る黒井さんは、あまりにも力強くて、眩しかった。


「そんな風に考える事が出来て以降、世界が変わりました。私も変わりました。居場所がないなら作る。欲しい物は絶対手に入れる。やりたい事は全部やる。自分に言い訳しないでいい私であれ。自分が大好きな私であれ。みたいな。そうして色気のない中学生活の間にリア充ズルい羨ましいって卑屈パワーを燃料にあれこれ準備して、晴れて高校デビューですよ! いやーいきなりモテたモテた。やれば出来るじゃん私ーって舞い上がったりもして。あ、こら小春ー。ずっと混ぜてなかったからダマになっちゃってるぞー」

「へ? あ、う、ご、ごめん……」


 平常通りのテンションで来られたからか、小春ちゃんの目が真丸になっている。そりゃそうよね。温度差ヤバイもんね。


「まあ自分語りはこの辺にして。つまりそういう事です、浅葱先輩。ご理解いただけましたか?」

「ごめん、中二病以外ほとんど頭に残ってない」

「ほぁー!? 今なんとー!?」

「話長過ぎるんだもん。そのくせ結論だけは最初に提示してるし。聞いてて眠くなっちゃった」

「がるるる……うーっ! ふしゃーっ!」

「嘘、嘘だから吠えないで。面白かったよ、痛々しい中学時代の青春カッコ笑いエピソード」

「わざわざカッコ笑いとか口に出さないでください! 結構傷付きます! あと、つまらない嘘付かないでくださいっ! 私にも、自分にも!」

「嘘……嘘かあ……」


 やっと黒井さんのメインターゲットに話の焦点が映った。黒井さんの言う黒歴史とやらをもう少し掘り下げて欲しい気持ちはあるけど、それはまたの機会かな。


「ねえ黒井さん。あたしが」

「その前に!」

「はいほい?」

「なんか急にわーってなって、ぐーって思った事、浅葱先輩に言っておきたいと思います」

「ふんふん。ん? んん?」

「何言ってんだこいつみたいな顔やめてください。言われなくてもわかってます。それに、何言ってんだこいつは私のセリフでもあるので」


 瞬間、空気がピリついた。みんなの視線を一身に集めながら、黒井さんは言った。


「私、腹立ってます。浅葱先輩に」


 覇気とかそんなの察知できるほどの人間じゃないけど、黒井さんが発しているのは明らかに敵意である事くらい、流石にわかった。


「ほほーう?」


 軽いリアクションの美優。涼しい顔しちゃってるけど、俺にはわかる。


 美優は今、怯えている。

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