特別の形
「背中痛っ……」
冷たく染まった冬の朝風がランニングウェア越しにふわりと身体を撫でただけで、背中やあちこちの関節周りにピリッとした痛みが走った。入念にストレッチで解してもこれですか。
「そりゃ痛くもなるか……」
日付が変わる前からうん時間もずっと同じ姿勢で固まってもいたらね。座禅を組んでいたとかではない。重たくて軽い女の子が倒れてしまわないよう支えていただけ。
結局一晩ずっとあのまま。涙を流さぬまま泣きじゃくる美優が俺の背中で寝息を立て始めたのを確認した後に、グラマラスな体を寝かせて布団を被せたのが数時間前。以降妙に目が冴えてしまって一睡も出来なかった。そのくせ日が昇ると急に眠気くるのなんなんだ。めちゃくちゃ眠いぞ助けてくれ。
しかし、自身で定めたスケジュール通りにこなすから日課は日課たり得る。今朝も今朝とてランニングをするのだ。これをやらないとその日の調子が上がってこないし。え、元より調子が悪いんじゃないのかって? ショック療法みたいなものです。多分。
「さて……」
いい値段のしたアームバンドにスマホを入れて、耳にはノイズキャンセルのパフォーマンスが頗るいいイヤホンをぷすり。ランニングの際はアップテンポな曲に頼りがちだし、今日はしっとりしたバラードでも聞きながら走ろうかな。
「ほっ」
右。左。右左右左。右左右左右左右左。徐々にスピードを上げていきながら、上半身を揺らし過ぎないよう、腰を下げすぎないよう、下半身に頼りすぎないフォームを意識して作っていく。それなりに見栄えの良いフォームとスピードを獲得した頃には俺の体は愛しい団地を飛び出していて、見慣れた景色が視界から押し出されていくんだ。この、全てを置き去りにするような感覚、好きなんだ。
「おはようございます」
娘さん夫婦と三号棟で暮らしている、朝の散歩が日課のおばあちゃんとすれ違ったのでイヤホンを外し、足は止めないままに挨拶。俺を引き止めるつもりはないらしく、柔和な笑みとおはようと手を振るのコンビネーションを俺にプレゼントしてくれただけに留めてくれた。昔はすれ違う度に足を止められて世間話をさせられていたっけ。懐かしいな。
おばあちゃんと別れて少し進むと、なかなかな傾斜の登り坂に差し掛かる。ここを抜けるまでペースを維持出来るかが俺の拘りポイント、とかなんとかランニングを始めた頃は大袈裟に意識していたけど、今では無意識にペースの調整が出来るようになっている。慣れって凄い。なんなら、ランニングに関係ない事を考えたりする余裕もある。例えば、こんな風に。
美優。浅葱美優。
めちゃくちゃ可愛いとめちゃくちゃ綺麗を併せ持って生まれちゃったし、体付きなんて本当に女子高生かってくらいエロい、なんかもう無敵かお前、ってくらい見た目がいい女の子。あと、口元のホクロ。桃瀬的にポイント高い。っていうかエロい。いいよね。わかって欲しい。
姉御肌というか、面倒見の良いお姉ちゃんって感じ。結構口は悪いし、常時不機嫌そうだったり気怠そうな感じに見られる美優なんだけど、根っこは真面目で仲間思い。自分よりも周りの事を大切にしてしまう、優しい優しい女の子。
そんなにも女の子女の子している美優が生まれた翌日に俺が生まれて、それ以来ずーっと同じ団地で暮らし、同じ学校に通い続けてきた。顔を合わせなかった日を探す方が難しいくらい、いつも一緒にいた。
今も大して変わっちゃいないけど、昔の俺は今以上にめちゃくちゃ格好の悪い、痛々しいくらいのポンコツだったから、毎日のように壁にぶつかっていた。特に運動方向でのコンプレックスが大きかったかな。逆上がり。縄跳びの二重跳び。跳び箱。足の速さとか、もう何から何まで。
美優と同じく、生まれた日からずっと一緒だった男の子二人がいるんだけど、その二人は何でもできたんだ。俺に出来ない事が、なんでも。それが羨ましくて悔しくて、いっつも一人で悩み、苛立っていた。
俺にだって出来る。やってやるんだ。二人に追い付いてやるんだって、身の丈通りの小さなモチベーションを引き摺って、時間を見つけては一人で特訓をする日々だった。
動機が動機なもので誰にも見られず知られずにこそこそと特訓をするようにしていた。しかし。
「またやってる」
どんな場所、どんな時だって、美優に見つけられてしまった。
邪魔。幼い俺の幼いプライドは、そう思った。だから言ったんだ。あっち行ってとか、邪魔しないでとか。拒絶の言葉をぶつけられても美優は、嫌だとか無理とか、そういう言葉を言わなかった。代わりに言うんだ。
何時までやるの? 悪い所見つけてあげる。誰にも言わないよ。あたしと修だけの秘密だから。ほら、頑張って。修なら出来るんだから。焦らなくて大丈夫。などなどね。
美優に毎日のように揶揄われ、小馬鹿にされ、おもちゃにされていた。大きくなった今はその質が向上し、更にタチが悪くなった。少額だけど金銭の動きを要求されたりと、もはややりたい放題である。
そういう厄介ちゃんな美優だけど、本当の本当に越えて欲しくないラインは絶対に越えなかった。言って欲しくない事は言わないでくれた。人の悩みや葛藤に唾を吐くような真似は一度もしないどころか、一緒になって悩んでくれたり、壁を越えようと努力してくれたり。こっちから美優を頼るより先に、そうしてくれていた。
二重跳びが出来なかった。だから出来るようになる。特訓しました。出来るようになりました。すると、美優は言うんだ。
「やったじゃん。やっぱ修は頑張ればなんでも出来る子だ。よくできました。うんうん……やったぁ……」
静かに喜ぶんだ。俺よりもずっとずっと喜んで、笑ってるんだ。
変な子だなあ、って思った。だって、ずっとそうなんだよ? 悔しさに歯噛みしてばかりの俺の視界にすすすって入ってきて、事によっては手伝いをしてくれたりもしたけど、基本的には何か大きな事を言うでもなく静かに俺を見守るだけ。俺が目標を達成するとローテンションのまま、俺以上に喜ぶんだ。わけがわかんないじゃん、そんなの。もっと自分の為に時間を使えばいいのに。
しかしいつからか、それが当たり前になっていた。だって美優だし。世話好きで、優しい優しい美優だから。ここにいるのは何もおかしい事じゃないって。
そんな美優に俺がしてあげられる事は、ちゃんと結果を出す事。頑張る事しかなかった。美優に返せる物が他に何もなかったから、美優が喜んでくれるように、成果を出すしかないじゃんか。
俺が俺の前に立ちはだかった壁を越えるのは、俺自身の為だけじゃなくなっていた。その壁を越えるまでずっと直ぐ側にいてくれている美優を、喜ばせてあげる為。
いや、少し違うか。体裁を取り繕わない言葉を選ぶならばこうなる。
俺が美優の前で頑張ってこれたのは、ずっと直ぐ側にいてくれている美優を、自由にさせてあげる為。
俺の事を心配してくれるのも期待してくれるのも応援してくれるのも嬉しい。何度も美優に救われてきたと思っているよ。しかし、俺みたいに何の取り柄もないヤツの為に自分の時間を無駄にして欲しくなかった。美優には美優の付き合いがあり、時間の使い方があるんだから、それを大切にして欲しかった。
焦るなって美優はよく言ってくれたけど、それを聞くたびに焦っていたよ。あの二人……奏太と元気に置いて行かれる事よりも、勝手に置いてけぼりになろうとしている俺に、美優を巻き込んでしまう。そう思うと、焦らずになんていられなかった。
誤解を招きそうな言い方を敢えて選ぶが、美優はいつだって、自分から俺たちに縛られにきていた。
俺のコンプレックス解消トレーニング然り、俺らそれぞれがひっそりと迎えた重要局面には、必ず美優の姿があったように思う。それは、面倒見がいい、お節介。それだけじゃ片付けられないと思うんだ。
だって美優だから。昔の俺はそれを結論として、そこから先、美優の更に深い所まで思考を伸ばそうとしなかった。
それがいけなかったんだ。いつでも美優は俺たちの事を考えてくれていたのに俺たちは、美優が近くにいる事を当たり前だとして、美優の気持ちを知ろうとしなかった。美優は飄々とした、何を考えているかわからないヤツだからーなんて言ってさ。
美優はきっと、関わっていたかったんだ。俺たちに。どうしてかって、俺たちの事が好きだから。大切だから。見てくれこそ結構遊んでそうに見える美優だけど、中身はとびっきりピュアピュアな女の子。本当の本当に、これ以外になかったんだと思う。
これは、昔の俺には考え付きもしなかった、今の俺だから出来る予想でしかない。そこそこ的を得ている自信がある。
だとして、俺はどうしよう? 昔の俺には結果を出して喜ばせる以上の事は何も出来なかった。もうそんな事は言っていられない。考えなきゃ。見つけなきゃ。ずっと俺たちを支え続けてくれていた美優に、俺が出来る事はなんだ?
自分の幸せ以上に俺たちの幸せを願ってくれる優しい美優は、俺たちの所為で傷付いてしまった。たくさんたくさん傷付いて、それを自分から言い出せずにいる。俺たちに頼られる事は知ってるし得意だけど、俺たちを頼る事を知らないから。今もたった一人で、痛みに耐え続けている。
傷を塞ぐとか、癒してあげるとか、求められているのはそういう発想ではない。なんだろう……上手い言葉が見つからないな。ただ、これだけは言える。
お人好しでお節介でイタズラ好き。だけど誰よりも優しくて、いつでも寄り添っていてくれた美優がいてくれたからこその今の俺たちが、今までの美優を否定し、変化を強いる事は間違っている。俺たちがそれをやっちゃいけないんだ。
出来る事は少ないかもしれない。でもあるはずなんだ。俺だけが美優にしてあげられる事が、必ず。だから俺は……。
「おはよーっす!」
「え、うるさ。何? うるさ……ウザ……」
「心底嫌そうな顔するのなお前!」
イヤホンをしていても割り込んでくるデカイ声と、ブンブン手を振る小さなシルエットが、思考と視界に割り込んできた。考え事をしている間に団地の前まで戻ってきていたらしい。
「まだ走るんだろ!? 今日は俺も付き合うわー!」
「朝から元気だね、元気は」
「それが俺の取り柄だからな!」
俺の足を止めないように並走を始め、ニカーっと笑う元気。元気と早朝ランニングをするなんて何年振りだろうか。
「っていうか急にどしたの?」
「いやー仕事で仲良くなった人らの新年会に顔出しまくってたら見るからに腹回りにお肉がね。プニっときてるんよプニっと」
「何それ。すっかり社会人みたいじゃん」
「片足くらいは突っ込めてるつもりだよ。あと何周すんだ?」
「四周だね」
「オッケー余裕ー!」
「ランニングだからね。競争するつもりないからね。ペース維持だからね」
「わーってるわーってる!」
絶対嘘だ。残り一周ってなった途端、ここから競争な! とか言い出す未来しか見えない。乗って来なかったら煽ってくるだろうし。面倒なヤツだな、松葉元気。
「つーかよお」
「ん?」
「スタミナ付いたよなー修」
「そう?」
「言っても今の俺ら、結構なスピードで走ってんよ? なのに余裕で会話出来てんじゃん。実際まだまだ余裕だろ?」
「まあね」
「いやマジですげーわ。スタミナお化けかお前は」
とは、ぴょんぴょんと無駄な動きをしまくっているのに息も乱れない汗の一つもかかない松葉元気さんのセリフである。俺の方が一周多く走っている事を加味したってこの余裕っぷりはなんなんだ。こっちがスタミナお化けならそっちはスタミナのバケモノだろう。
「俺なりに体力付くよう努力してきたつもりだし、多少はね」
「ランニング始めたの確か中一くらいだろ? それを今日まで欠かさずやってるのマジですげーわ。尊敬するレベル」
「妙に持ち上げるじゃん。何か裏がありそう」
「素直に受け取っておけよなー」
「あーはいはいありがとう。で、俺に何か話が?」
「まああるんだけども」
「やっぱり。何?」
「その…………俺と夏菜の事なんだけ」
「えいっ」
「どぉっ!? え!? 痛い! 痛いな!? ケツ蹴られたな!? なんで!?」
「なんかムカついた」
「理不尽ー!?」
知らないそんなの。大体、小さな頃からずっと夏菜の心を自分自身にタゲ集中させていた元気の方がよっぽど理不尽じゃないか。今のは元気が悪い。俺は悪くない。
「何? 惚気話?」
「そういうんじゃなくてよ! その…………前に言ってたじゃんか……修は夏菜の事がって……ほら……」
「言ったね」
去年の秋。人生初のアルバイトを元気パパの会社でした日にそんな話をしたね。あの日以降の元気ったら、結構な不安定ぶりだった印象あるんだよね。一人で考え込む時間も増えたみたいだし。良くも悪くも、元気と夏菜の間で保たれていた均衡に波風を立てるくらいの仕事は出来たのだと自負している。よく頑張ったよ、あの日の俺。
「だから……修には改めて言っとかなきゃいけねえなって……」
「うん」
「……夏菜の事……俺が…………必ず幸せ」
「ほいっ」
「にぃっ!? だからケツ! ケツをぉ!? さっきよりずっと痛い!? よくもまあ走りながら腰の入った一撃打てるな!?」
「なんかムカついたその二」
「せめて最後まで言わせて!?」
だってムカつくじゃん。それ、俺がしたかった事だもん。割り切れたつもりだし、振り切れたつもりだけど、俺の道に立ち塞がった張本人に言われるとイラつきもするってものでしょ。今のも元気が悪い。俺はこれっぽっちも悪くない。だよね?
「なんだよ……こっちな結構真剣なのに……」
「そういうのは言葉にするんじゃなくて行動で示してこそでしょ。っていうか、俺の分までとか俺の代わりにとかほんの少しでもそんな風に思っているなら、その考えは今すぐ捨ててくれ。そんな考えのヤツに、夏菜と一緒にいて欲しくない」
「……わりい……」
「なんだよ、ふにゃふにゃしちゃっ、てっ」
「あうっ! 痛いねぇ!? 来るのわかっててもしっかり痛いねぇ!? 今朝の修はいつになく荒々しいんだねえ!?」
「これくらい我慢してくれ。元気には散々痛い思いさせられたんだから」
「いやまあ……そうなのかも…………でも!」
「ん?」
「謝らないからな」
隣を走る元気は、俺ではなく、前だけを見ていた。キリッとしてるけど、蹴られた尻を摩りながらだと絵にならないね。
「こういう事になった事、絶対に謝らないからな」
「それでいいと思う。っていうか、謝られたら殴ってる。多分本気で。殺す気で」
俺への侮辱だし、夏菜と一緒になっておきながら今更何を、っていうのもある。
俺だけじゃない。みんなを心配させて、期待させているんだ。ちゃんと結果で答え続けてもらわないとね。
「おーこわこわ。なら、だらしなくない俺を見せ続けなきゃだなー」
「そうだよ。あ、一つ言っとくね」
「おん?」
「何も変わらないからね、俺たちは」
付き合い始め、同棲を始めた二人が、若干ではあるけど、俺たちとの距離感に悩んでいるのは理解出来ていたつもりだ。特に夏菜は、元気以上にそういう所を気にしてそう。ああいう子だからね。
二人がどういう事になろうと、俺たちは変わらない。変わってく事はたくさんあるけど、大切な事は変わらない。その当たり前を変えずに、二人なりの幸せを築いて欲しい。
っていう、俺なりのメッセージだ。
「二人がそういう事になったって、俺たちは変わらない。そうだろ?」
「……おお!」
「うんうん。とりあえず、せいっ」
「痛ーっ!? いや違くない!? 流れ的に違うよね今のは!? どうしてこんなことしちゃうの!?」
「なんとなく」
「もはやサイコじゃねーか怖いわ!」
たくさんの嫉妬をちょっとの八つ当たりに凝縮してるんだ。これくらいは甘んじて受け入れて欲しい。
「まあ…………なんだ……頑張ってみるから」
「うん。夏菜の事、元気に任せたからね」
あれ、意外とフラットに言えたな。俺の初恋を、本当の意味で終わらせる言葉だっていうのに。
今年の夏に間接的にフラれ、それからなんだりかんだりもあって、今日になってようやく一つ、長かった割には中身薄めな物語にエンドマークを打てた。
残念でした、俺。おめでとう、元気、夏菜。元気くん? 夏菜を泣かせたら、マジで許さないからね。とは思うけど、そんな心配は無用かな。
「おうよ!」
この眩しい笑顔になら安心して、俺の初恋の人を任されられそうだ。なんて、何処目線か俺は。なんか笑っちゃうや。
「うんうん。あ、俺からもちょっと話あるんだけどいい?」
「いいともー!」
「その…………美優の事なんだけど」
俺と同じく、生まれた日から美優と一緒だった元気には、今の美優がどう見えているのか知りたかった。こういう機会は大切にしなきゃ。
「ふんふん」
「最近の美優、どう思う?」
「エロい!」
「とりゃっ」
「あばーっ!? 今日一! 今日一の火力出てるよおにーさん! あ、泣く! 泣くほど痛いよ!」
「真面目に答えない元気が悪い」
「真面目に答えたんだって! なんか最近のあいつ雰囲気変わったじゃん! なんかこう、大人の雰囲気纏ったっていうか……品のあるエロさになったっていうか……エロさのグレードが右肩上が」
「せいやっ」
「りひいぃぃぃ! もうほんと痛いから! やめてよほんともう頼むからっ! 俺が悪かったからっ!」
「元気に聞いたのが間違いだったよ」
「散々人のケツ蹴っておいてなんて涼しい顔してるのあなた……怖い……」
とか言いながらちっともスピード落ちない元気こそ怖いわ。
「えーと、何? 美優の様子が変だなー的な話がしたかったのか?」
「そんな感じ」
「まあわかるけど。前より口数減ったし、一人でボーッとしてる時間が増えたような感じあるんよな」
「何か心当たりない?」
「修こそなんかねえの?」
「や、俺が元気に聞いてるんだけど」
「美優の事で俺が知ってて修が知らない事なんてなんもねーだろ」
「そうなの?」
「そうだろ」
「どうして?」
「いや知らんけど」
「……何この会話のドッジボール感」
「なんかおかしいか?」
「おかしいでしょ」
そっかぁー? と首を捻る元気。おかしな所しかなかったと思うんだけども。
「いやさ、俺にも上手く説明出来ないんだけどよ、美優と言えば修。修と言えば美優、ってのが昔からあってだな……」
「なんだそりゃ」
「当人はあんまわかんねーかもだけど、お前らが一緒にいる時の雰囲気って、すげー特別で独特なんだよな」
元気の言う通り、全然わからないよ俺には。きっと美優にもわからない。そんな、何か特別で独特だったりする? 他のみんなといる時と何も変わってないんじゃないって、俺はそう思うんだけどな。
「なんつーのかな…………言葉にするのクッソ難しいな……なんて言ったらいいのかな……むむぅ…………あーもう! わからん! わからんから考えない!」
「えー」
「とにかく! お前らの感じは独特だって事だけ覚えとけ! 以上!」
「はあ」
独特ねえ。全然ピンと来ないや。
「えーっと、美優の様子がおかしいって話だったよな。それについては何もわからんぞマジで」
「そっか……」
「同じような問答になるけど、修こそ何か心当たりねえの?」
「……あるにはある。ないにはない」
「なんだそりゃ」
元気が訝しむのもわかる。元気よりも適当な事を言っている自覚もあるけど、千華と奏太絡みで心を乱しているとは言えないよ。
「俺自身、よくわかってないって事」
「なんか、わかんねー事だらけだな」
「ほんとだね」
「何か起きてるのはわかるのにな」
「うん」
「でもよ。美優に何か起きた時、一番力になれるのは修だって事だけはわかるぞ」
「そうかなあ」
「そうだよ。間違いない。あいつらだって同じ事言うぞ」
「そうなんだ……」
「おうよ」
じゃあ俺だけ違う意見なんだね。美優の身に何かあったとして、美優が真っ先に頼るのは、奏太だと思ってるから。
「言っても美優はああいうヤツだし、俺らを頼ろうとはなかなかしないだろうけどな」
「だね」
「自分の事は散々頼らせてきたのにな」
ああ、わかってたんだ。いわゆるお姉ちゃんムーブを美優が、意識的にやっていた事。
「嬉しかったんだろうな。俺らに頼られる事が」
「かもね」
そうそう。そうする事で、自分を認めていたんだと思う。
「わかるなあ……誰かに頼られたら嬉しいもんなんだよ。なんかこう、自分が認められているような、そんな感じになるんだ」
「それは経験談?」
「お? や、あーっと……」
「誤魔化さなくていい。夏菜でしょ? 夏菜ってば、何かあると元ちゃん元ちゃーんだったもんね」
「まあ……そんなと」
「せいやっ」
「ごっ!? え!? 殺意!? 確固たる殺意感じたよ今!?」
「惚気と煽りのハイブリッドに純粋にイラついた」
「そんなつもりないですぅ! つーか話振ったのそっち! でもごめんなさいほんと!」
今日一番のキレたミドルキックを受け、流石に元気の足が止まった。いわゆる、信号待ちジャンプをしながら復帰を待つ。早くしてくれない?
「なんかもうマジでわからん……俺の周りで何が起きてんだ……」
「色々じゃない?」
「その色々を知りたいんだが」
「美優に聞くしかないね。でも」
「ぜってー言わないよなあ……」
「それ」
「自分を頼らせてばっかじゃなくて、自分から頼ったっていいのになあ……」
はいストップ。それ、ピンときた。
きっと知らないんだ、誰かを頼るって事を。誰かに頼られようとばかりしていたから。頼ってくれって言われた方がどれだけ嬉しくて、頼もしく感じるのかも。
なんだそれって思うかもしれない。けれど本当に、美優は知らないんだよ。でなければ、こんな事にはなっていないはずだから。
「……損な性格なのかもね」
「でもそれがあいつのいい所の一つだ」
「だね」
「ああ……うっし! もういける! 痛くない! 泣かない! もう蹴るなよ!? 絶対蹴るなよ!?」
「わかってるって」
いいフリをもらった。今度は全身全霊の一撃をぶち込んでしんぜよう。
いつの間にか一周を終えていたらしく、今朝のノルマはあと三周になっていた。ペースもフォームも乱れまくりだけど、これはこれでいい具合に心肺に負荷が掛かっているような気がしないでもない。今度からは積極的に元気を連れて来よう。そしてケツを蹴ると。なるほど、これが天丼ってヤツか。
「なんかしてやれたらいいな、美優に」
「何かあるのかな?」
「あるよ。俺たちにもある。修にはもっとある」
「何それ」
「極端な話するけど、俺が美優に出来る事って、あいつらの誰でも出来るんよ、多分。でも修が美優に出来る事ってなったら話は別になるんじゃねーのって」
「そう?」
「そ。修にしか美優にしてやれねえ事がある。それも一つや二つじゃない。そう思う」
俺にしか、美優にしてあげられない事、ねえ。確かにある。絶対にある。そう思っているけど、自信なくなっちゃいそうだ。だって何にも浮かばないんだもん。どうしたらいいんだろうね。
「だといいけど」
「なんか美優の話ばっかしてんな」
「俺らに心配掛ける困ったちゃんだからね、仕方ない」
「それ言い出したら全員そうだろーが」
「確かに」
「つーか……ぶっちゃけた話するけど……修の方が心配だぞ俺は」
「心配?」
「今のお前はなんか、俺らの中で一番バタバタしてるよな」
思わず隣を走る小さなランナーを見てしまったけど、当人は前を向いているだけだった。
「バタバタしてるって?」
「バタバタっつーか……ふわふわで不安定なのにドラドラ突き進んでるっつーか……」
「ごめんわかんない」
「去年の夏くらいからの修はなんか……よく言えば怖いもの知らずなんだけど、悪く言えば猪突猛進っつーか……まあそんな感じに見えるんだわ」
そんな事ないでしょ。とは思わなかった。心当たりがあり過ぎる。
サッカー部の部長として挑んだ最後の大会で、みっともないくらいのボロ負けして。後日行ったイリュージョンランドで夏菜に間接的にフラれて。実際俺は、不安定になっていた。それを悟られまいと明るく振る舞っていた自覚もある。あれ、こんな発言してたの俺? そう思わざるを得ないようなシーンが思い返してみると結構あったように思う。
「夏の大会と……あとほら……言い辛いんだけど……イリュージョンランドでどうたらってヤツの後だし……その辺がきっかけなんだろうなって……」
イリュージョンで夏菜にフラれたって話を知ってる上に、観察力に優れた元気だ。気が付かないわけがないか。
「そうかもね」
「その……どうなんだよ。つーか大丈夫なのかよ……」
「夏菜を俺にくれたら大丈夫になるか」
「うりゃ!」
「痛ったぁ……なんで蹴るの……酷いや……」
「散々人のケツ蹴っといてよく言うわ! 今のは絶対お前が悪い!」
「わかってるよ。ごめん」
「わかればよろしい!」
これくらいのウザ絡みは許してくれる元気、優しいよなあ。
「美優の事が気になるのはわかる。俺だって気になる。でもその前に、もっと自分の事を気にしてくれよ。今の修、なんか危なっかしいわ」
そうかもね。何せ、焦ってますから。
強い女に。カッコいい大人になる。そう言っていた女の子は、昔からの悲願を達成して、掲げた目標に大きく近付いた。
自分が過ごし易い世界を守る事ばかりを考えていた男の子は、自分を慕う女の子の気持ちに応え、一回りも二回りも大きな男になり、もっと大きな世界を見据え、もっともっと大きくなろうとしている。
小さな頃に抱いた目標を叶えるべく一生懸命に勉強を重ねていた女の子は、高いハードルを当たり前のように飛び越えて、その目標に近付くべく、海を渡ろうとしている。
自分を良くしたい。胸に潜めた想いを成就させたいと、一生懸命に頑張り続け、着実な進歩を見せている妹分。
想い人がいる? それがどうした。と言わんばかりに、目標目掛けて突進し、ばっちり想い人の懐に潜り込み、目下籠絡作戦を展開中の、恋する女の子。
どんどん先に進んで行く仲間たち。そんな姿を目の前で見せられて、焦らずになんていられない。
俺は、今の俺が嫌いなんだ。このままでいたくないんだ。もっとカッコいい男に。逞しいヤツになりたいんだ。早く一人前になりたいんだ。でもどうしたらいいかわからないんだ。
俺とみんなは違う。ヒントになっても答えにはならない。答えは、自分で見つけるしかない。それはわかってる。わかってるけど見つからない。俺は何処にも進めていない。こんなの、焦って当然じゃないか。
「どうにかなるといいけどね」
「何に悩んでんだ?」
「まあ、色々」
「俺らにも言えない事か?」
「うん。プライド的な問題で」
「そか。なら聞かねーわ」
「そうして」
「けどよ、抱え過ぎて潰れそうになっちまったら」
「そうなる前に元気たちを頼るよ」
「そうしろそうしろ」
わかっちゃいたけど、いいヤツだよなあ、元気。これで俺から夏菜を奪わなければ……はいやめやめ。俺のこういう所が嫌いなんだ。被害者意識、よくない。こういう所も変えていきたいな。
俺。美優。そして奏太。それぞれ胸に期するものがあるのはなんとなく知っている。しかし、そこに至るにはまだ遠過ぎる。
一時とはいえ、俺たちの別れは近い。それまでに俺たちは、変われるかな。離れて行く背中に笑顔で手を振る事が出来るかな。
今の俺に出来るのは、作り笑いくらいだって事はわかっているんだけど。
「俺の事を心配してくれるのは嬉しいけど、俺よりも美優の事を気に掛けてやってよ。最近の美優、ほんとよくないから」
「わかった。それとなく夏菜にも伝えておくわ。どうせ気付いてるんだろーけど」
「だね」
そういう気付きはいいもんね、夏菜。それで、何も言わずにそっと寄り添って、挙動不審になったりしながら探りを入れたりして。不器用なりによくない事をなんとかしようと一生懸命で。そんな所も好きだった。
「…………なあ、ぶっ込んでもいいか?」
元気は、俺を見上げながら言った。
「いいよ」
「今の修ってさ……」
「うん」
「美優が好きなのか?」
「ううん」
元気を真っ直ぐに見据えて答えた。
「……そか……」
元気の顔色は、変わらなかった。
違う。そういうのを抜きにして、美優が大切なんだ。心配なんだ。そのはずなんだ。俺が好きだったのは、夏菜なんだ。いきなり変わるとか、昔からそうだったなんて展開はあり得ないんだ。そういう事じゃないんだ。
「じゃあ俺からも質問」
俺は、元気を見下ろしながら言った。
「おう」
「今でも俺が、美優を好きなように見える?」
「…………さあな」
そう答えた元気は、俺の方を見ていなかった。
* * *
「疲れた……」
今朝のランニングは常時の三倍くらい体力気力を使った気がする。全部元気の所為だ。案の定、ラスト一周は競争な! とか言い出すし。付き合っちゃう俺が悪いんだけどね、たくさん話聞いてくれたから断り辛くて。え? 散々っぱら蹴りを加えてたお前が悪い? ちょっとそういう難しい事はわかりませんね。他を当たってください。
ランニングウェアの上着と靴下を洗濯機に放り込んで、自室の前に立つ。ノックはしないけど、ゆっくり扉を開けなければ。中にはうちの学校で一番可愛い女の子が眠っているはずだからね。
「入るよ……」
抜き足差し足で部屋に入ると、穏やかな寝息が聞こえてきた。音の発生源は布団から頭だけ出して身を丸めていた。よく眠っているなあ。
「失礼しまーす……」
あまり衝撃が伝播しないようゆっくりとベッドに腰を下ろして、俺のベッドを独占している可愛い女の子の寝顔を観察。相変わらず可愛い寝顔だ。人の寝顔を観察とか悪趣味。変態。なんて言わるのが目に見えるけど、バレなきゃいいのだ、バレなきゃ。
「……なんだよ……」
しかしまあ……今朝に限り、寝顔観察してよかったかなあ、って。
「何してんだ……」
小さく呟きながらゆっくり、なるべく優しく、美優の両目の辺りに親指を走らせる。少しは誤魔化せたかな。どうだろ、起きたら本人が気が付いちゃうのかな。気が付かないうちになんとかしてあげたいな。
「泣くほど辛いなら……それを教えてくれよ……」
涙のラインを後始末しながら言った言葉は、美優に届いているのだろうか。
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