欠けたノイズフィルター

 ブームってあるじゃん。最近の流行的なヤツ。あれさ、学校みたいな狭いコミュニティでも発生するじゃん? 校内ブームって言ったらいいのかな。それがさ、三学期になったばかりの三年六組にも来てる……っていうか、川ノ宮高校全体に来てるみたいなの。


「白藤と!?」

「元気が!?」

「付き合い始めたー!?」

「きたああああああ!」

「やったあああああ!」

「おめでとおおおお!」


 登校二日目の話題を独占したのは、夏菜と元気だった。


「大騒ぎすんなや……」

「あぅ……」


 照れに照れ倒しているご両人だけど、付き合い始めた説を否定はしなかったもんで一気に大騒ぎに。二人の距離感がおかしいと感じたクラスメイトが二人に突撃取材をしたところ、素直に認めたんだってさ。距離感とかよく気付くよねー。あたしにはそんなに変わんないように見えたんだけどなあ。


 そんなこんなで。突如やってきたホットなニュースにヒートアップしまくりな放課後の教室内では、進行形で元気と夏菜が弄られまくっている真っ最中。あれ? なんであたしの事は誰も話題にしないの? 久し振りに世界一可愛い女の子に会えたってのに。まあ今はいいか!


「俺はわかってたぞ。だって白藤から漂ってたもん。リア充オーラ」

「リア充とか古いわ。白藤から漂ってたのは新妻の色気だろ」

「新妻とかアホか」

「ちょっと男子ーそういうのやめなよー」

「ねーねー元気元気っ。告白のシチュエーション教えて教えてっ」

「あんたも聞くなそういうの。でもやっぱ気になるわね」

「せめてどっちからだったのか教えて!」

「っていうか二人はどこまでいったの!?」

「ヤった!?」

「いやいやそれはないだろー」

「夏菜と元気だしねー」

「それなー」

「それがそうでもないみたいだよ。鷹の目を持つこの僕には見えるんだ。白藤さんから漂う経産ふべっ!?」

「何を言おうとしてんだドアホ……」

「今のセクハラだから。変態」

「そもそも同棲もまだなのに新婚も何もねーだろ」

「わかってて言ってんだマジレスすんな」

「にしても同棲かー。いいね。あんたらんとこの団地で空いてる所抑えちゃえば?」

「おおいいねそれ! 帰省も楽チンだ!」

「その辺なんか考えてないの? 高校卒業したら同棲するんだー! みたいなさ、具体的なプランとかさ!」


 言いたい放題なクラスメイトたちのマシンガントークに困り顔の元気と夏菜に飛んできた何気ない質問。


「それは……」

「その……」


 質問した側的には軽いノリでした質問なのに、二人して頬を赤らめて口籠っちゃうもんで、ざわざわがどんどん大きくなっていってしまった。


「え? ちょ、え?」

「いやいやないない。それはない」

「そうだよ。ない。ないから。ないです。ないって言ってんだろ落ち着け童貞ども。はい落ち着きます」

「でも二人のリアクションが……」

「今更取り繕う事すら出来ないくらいわかり易い反応しちゃってるんですけどー!?」

「違う違う! 違うよ! だっておかしいじゃんそんなの!」

「そ、そうよそうよ! いくらなんでもそれは急展開過ぎるから!」


 クラスメイトたちの動揺が拡がっていく中で居心地悪そうにする元気と夏菜。小声でぽしょぽしょと言葉を交換してるのは、打開策を相談してるんだろうね。涙ぐましい努力ですなあ。


 しかし。二人の努力が形を成すよりも早く、疑惑が確信に変わってしまった。


「あ。夏菜とそこのチビ、年末から同棲始めたから」

 

 遠巻きに混乱の様子を伺っていた、美優の一言で。


「美ー優ー!」

「美ー優ちゃーん!」

「いやバレバレだったから。あたし云々以前の問題だし」


 怒る二人をひらひら躱して笑う美優。そんな傍から、ビッグなウェーブ、到来。


「マジかあああああ!」

「あああああああああご懐妊おめでとうございますうううう!」

「み、乱れている! 風紀が乱れているよーっ!」

「マジかー! 仕事早いねあんたらー!」

「受験前に思い切ったねー!」

「やはり白藤から漂っていたのは新妻の色気だったじゃないか!」

「いやよく見ろ! あれはもはや経産婦の余裕と言ってしまってもよい物だ!」

「わかるわー。同棲ってそれ即ち出産みたいなとこあるっておばあちゃんが言ってたし」

「あんたのおばあちゃん変な悟り開いてんね。こわ」


 いやないわ。なんなんだうちのクラス。バカしかいないの?


「あ、あの……」

「お前らいい加減に」

「うるせー!」

「お前ら幸せ者は黙ってろ!」

「そうだそうだー!」

「なかなかくっ付く様子のないあんたたちにどれだけあたしたちがヤキモキさせられてきたと思うてか!?」

「いや知らねーし!」


 暴論でしかないけど、みんなの言う事もわからないでもない。何せ、夏菜が元気の事が好きって話はあたしたちが一年の頃から学校の誰もが知っていたレベルの話だからね。


 みんなを心配させ続けてきた夏菜がついにって事でこそ余計に盛り上がってるんだろうね。川高のアイドル白藤夏菜がついに! みたいな。いや違うわ! 川高のアイドルあたしだわ! え、ミスコン? それはそれ! これはこれだから!


「盛り上がってんなー」

「止めないの?」

「面白いから止めなーい」

「右に同じ」

「じゃあ聞くなっての」


 奏太と修でさえ投げっ放し状態でニヤニヤしている始末。この二人でさえブレーキ役を果たしてくれないんじゃ元気夏菜弄りブームはしばらく収まらなそうだ。二人とも、強く生きるのよ……!


「こっちも気になるけど、隣のクラスで巻き起こっているブームも俺としては気になる所なんだよね」

「あーあの二人か」

「触れない方が良かった?」

「もう触れてんじゃねえか。つーか気にしてねえからへーきへーき」

「ならいいや。気使おうとして損した」

「おいこら」

「奏太も気になってるんでしょ? 謙之介とあの子の事」

「まあ……今のところ今年一番のスキャンダルではあるな」

「だよね」


 謙之介とあの子の事って……アレか。うちのクラスを中心に爆発的に拡がった夏菜と元気のハッピーニュースに負けず劣らずのビッグなニュースか。


「五組の子から聞いたんだけど、夏菜と松葉くんが付き合い始めたって事は、夏菜ガチ勢の赤嶺くんはさそがしヘコんでるだろうなってなるじゃん? ところがどっこい赤嶺くん、ミスコンと山吹くんへのアプローチで一気に有名になった一年の黒井さんに追っ掛け回されててそれどころじゃないらしいよ。赤嶺くんが落ち込んでるかどうかは本人のみぞ知るだけど、黒井さんが赤嶺くんガチ勢になったのは間違いないと。ビックリだよねー」


 との事。くろちゃん本人から聞いてた話だからあたしは特に驚かなかったけど、ゴリゴリに距離を詰めようとしてるのを実際に見ちゃうと改めて驚かされるし、学校中の話題になるのもわかるよ。それくらいくろちゃんは有名人だからね。もちろん謙之介も。顔とキャラはいいからねーあの犬。隠れファンも多いんだよね。


 にしても、夏菜に間接的にフラれて落ち込んでる謙之介に、奏太に直接的にフラれたくろちゃんがねえ。何が起こるかわからないもんだねえ。


「さっき聞いた話だけど、あの二人一緒に登校して来たらしいよ」

「登校ルート全然違うだろあの二人」

「黒井さんが謙之介を待ち伏せて隣に並んで登校してきたって感じだろうね。バイタリティ半端ないもんね、黒井さんは……」

「んだよ、訳知り顔して」

「色々あったんだよ……」

「いやこれ訳知り顔ちゃう。恐怖に震え慄いてる顔や。何があった?」

「知らない方がいい……」

「マジで何があったんだ……」


 奏太と修のフリーダムなやり取りも、謙之介とくろちゃんも、元気と夏菜も、とにかく気になる。気にせざるを得ない事だらけだ。がしかし! もう一度だけ言わせて欲しい! なんであたしの事はちっとも話題になってないの!? ちょっと髪整えたりしたんだけど!? ちょっぴり背が伸びたような気もするんだけど!? 二学期より絶対可愛くなってるんだけど!? おっかしいなーっ!


「なんだか色めき立ってるねー」

「だねー」

「素っ気無いなあ、我が校のクイーン様は」

「クイーンって。や、クイーンかあたし」

「自覚すらないし」

「実際に偉くなるわけでも賞金貰えるわけでも学費が安くなるわけでもないしなー」


 はいそこ! そこの浅葱さん! それなら大人しくこのあたしにミスコントップの座を譲ってくれてもよろしいのではないでしょうか!? いややっぱなしなしそれはなし! トップの座は自ら勝ち取る物なのです! いや勝ち取れなかったんだけどね! あー思い出したらまた悔しくなってきたー! この恨み晴らさずでおくべきか!?


「がるるるる……!」


 敵意込めまくりの視線を美優様に向けてみると、こっちはこっちでクラスメイトたちと面白そうな話をしている真っ最中だったので、聞き耳を立てちゃう事にした。


「美優がふらふらしてる間に美優の周りは愉快な事になってきたねー」

「だねー」

「だねーじゃないでしょだねーじゃ」

「だねーでいいとこでしょ」

「わたしが言いたいのは、いい加減美優も彼氏作ったら、って事」

「作った方がいいのかな?」

「いいでしょそりゃ」

「アオハルよアオハルー」

「っていうか美優に彼氏が出来てくれないと川高のマドンナを諦めきれない有象無象がよそ見してくれないじゃん」

「有象無象って言っちゃってるし」


 楽しげに笑うクラス内屈指のモテ女子たち。美優のファンはマジで多いからね、そういう意味じゃ美優に特定の相手が出来た方がってのはわかる話だ。


「じゃあ理想の彼氏錬金するかー」

「茶化さないの」

「っていうか! 美優って気になる人とかいないの?」

「あー聞きたい聞きたい! 美優って全然そういう話してくれないもん!

「いないの!? 好きな人!」

「えー?」

「ど直球過ぎるからそれ」

「そうそう。あんたら何聞いてんのよ」

「うーん……」


 盛り上がるクラスメイトを他所に、静かに唸る美優。なんか、悩んでる? 悩む要素ある質問じゃないよなあと訝しんでいると、眠いですー感全開だった美優の緩い笑顔が、きゅっと引き締まる瞬間を見た。


「だいたい、美優にそんな人がいるって知れたら学校中がパ」

「いるよ」

「ニック……に……?」


 あんなに騒がしかった教室内が、瞬く間に沈静化。凪いだ海みたいになっちゃった。室内全員の視線が集まる中、まるで強調するみたいにもう一度、みんなに知らしめすみたいに、美優は言った。


「好きな人、いるよ?」


 室内の沈黙が保たれたのは、ほんの数秒。


「ちょマジ!?」

「そんな素振り全然なかったじゃんー!」

「おおおおああああああ!」

「スキャンダルキター!」

「川高が揺れるぞ揺れるぞー!」

「相手誰なの!?」

「やっぱり富豪? それとも大富豪!?」

「俺!? 俺か!?」

「あんたはわたしと付き合ってるだろこら!」

「しれっと我クラスにもう一組カップルがある事が判明したねえ!?」


 目の前で花火か上がったのかってくらいの爆音が教室内を荒れ狂う。


「た、助かったぁ……」

「なんなんだこいつら……」


 夏菜と元気に群がっていた連中でさえ美優目掛けて殺到する始末。二人への興味はすいーっと逸れちゃったね。


「あーはいはい落ち着けー。みんな騒ぎ過ぎだから」


 クラスメイトたちに詰め寄られても美優は、緩い笑顔を崩さない。


「何やってんだあいつ……」

「本当にね……」


 その笑顔を見る二人の男の子の横顔に、笑顔はなかった。


「うーん……」


 なんだろう。上手く言えないけど、違和感が凄かった。


 美優の言った事も。美優が笑ってる事も。こういう話題の中心に、美優たちがいる事そのものも。


 元気と夏菜。謙之介とくろちゃん。そして、美優。


 三学期のド頭は、どっか浮き足だったような甘ったるいような三つの風がビュンビュン吹き荒れる、大荒れ模様となっていた。


* * *


「おいこら」

「ふべっ!?」


 頭のてっぺんに鋭い痛みが走った。なんだなんだとすっぽりと耳に嵌っているイヤホンを外しながら振り返ると。


「なんだ美優か……」


 数百ページありそうな本を右手に持った美優が、不機嫌そうに立っていた。


「さっきから呼んでたんですけどー」

「ごめん、全然聞こえてなかった」

「何聞いてんの?」


 あたしが耳から抜いたばかりのイヤホンを引ったくって自分の耳に当てると、不思議そうな顔になる美優。きょとん顔も可愛いなちくしょー!


「何これ?」

「リスニングの教材! 訛りの強い英語とかも聞き分けられるようになっといた方がいいかなーって思ってさ、いろんなパターンの聴いてみてんの」

「あー地方訛りとかあるんだっけ」

「そうなんだよねー。おじいちゃんおばあちゃんにケイトなんかは都会っ子って感じなんだけど、時たまクセが強過ぎて何言ってるかわかり辛いなーって人にも会うからさ」

「ふーん」

「で、美優は何してんの?」

「発音の教材とCD。取りに来るって言ってたでしょーが」

「あ、忘れてた」

「自慢の記憶力仕事しなさいよ」


 そうだった。仕事で異国の人と組んでやる事もあるらしい日本でも指折りのファッションデザイナーである美優ママが時たま使う教材を借りるって話をしてたんだった。英語ペラペラなんだよねー美優ママ。


「あんたの英語力で一人暮らしなんて無謀の極み。最低限あたしとみのりのゴーサインが貰えるだけの実力を身に付けてから渡米するよーに!」


 美優ママこと蕗子ちゃんにこう言われちゃったもんで、修ママことみのりちゃんに教わったりなんだりかんだりしながら目下特訓中なのだ。


「ごめんごめん。ありがと」

「お礼はいい。謝礼なら受け取る。あと着払い代金もちょーだい」

「清々しい黒さだね!」

「ぎゃーぎゃー喚かないの」


 ぐるりと部屋の中を眺めながらあたしのベッドに座り込む美優。直ぐにここを離れようってつもりはないみたいだ。


「久し振りに入ったけど、相変わらず紙臭いねーこの部屋は。あと散らかり過ぎ」

「オシャレでいいでしょー!」

「どこが。整理整頓しとかないと夏菜とケイトさんにまた怒られるよ」

「その時はその時!」

「まったく……」


 呆れたように首を横に振りながら枕元に転がっている空っぽのペッドボトルを手に取りシュート! 美優の指先を離れたかつてドクペだった何かの抜け殻は、綺麗な弧を描いてゴミ箱にすとーんと落ちた。ありゃま、ちゃんと捨てるの忘れてた。


「部屋の壁は本棚で埋まっていて、分厚くて意味不明で胡散臭い本ばかり収められている。本棚に収まりきらない本はあちこちに積まれてる。制服は脱ぎ散らかされたまま。細かなゴミも散らかってる。何この部屋。女子力なんてかけらも感じられないし、ちょっと怖いし。お化け屋敷かな?」

「そう? 普通じゃん?」

「そうだった。あんたは感性からまともじゃなかったわ」

「辛辣だねえ!?」

「事実なんだからいいでしょ」

「事実じゃないでーす! ダメでーす!」

「うるさ……っていうかあんた、この部屋の荷物どうすんの?」

「どうって?」

「アメリカに持ってくのかって事」

「本は全部置いてくよー。ここにあるのはもう覚えたし。向こうで良さそうな洋書を買い漁るつもり!」

「向こうの家もお化け屋敷になる運命なのね……」

「お化け屋敷違うから! 可愛い部屋になるんだから!」

「あーはいはい」


 もう興味が失せたのか、気紛れな美優様がゆっくり立ち上がった。部屋に戻るつもりらしいね。


 な! ら! ば! 今度はあたしのターンだ!


「ねえ美優」

「んー?」

「今日大騒ぎになってたのあるじゃん」

「夏菜と元気、犬と黒井さんの話か」

「じゃなくて、美優の話」

「あー」

「美優に好きな人がいるってヤツ。あれなんなの?」

「なんなのって」

「いやさ、その場を引っ掻き回すための嘘だってのはなんとなくわかったのね」


 そう。あたしは気が付いていた。ほんの一種だけど、美優がニヤニヤしながら言ってた事。美優のああいう顔は、誰かをからかってる時とかに見せるニヤニヤ顔なの。だから、好きな人がいるってあの話、あれは嘘なんだと思うの。だからこそ言いたいのよねー。


「それはわかったんだけど、はっきり言いすぎっていうか」

「何が言いたいの?」

「やーほら、美優ってファンが多いからさ。結構荒れるんじゃないかなーって」

「荒れるって、あたしはSNSか何かか。別に周りにあれこれ言われたってなー。そんなの全部気にしてもしょうがないし。ミスコン三連覇もしたし、これ以上好感度的なの集めても仕方ないしー」

「むっ」

「そういえば千華はミスコンで何連覇したんだっけ? ド忘れしちゃったなぁー」

「ゼロに決まってらあゼロに! 誰かさんが三連覇したからね!」

「てへぺろ」

「ムカつくーっ!」


 こういうとこ! 美優のこういうとこほんとどうかと思う! 特にあたしへの煽り性能の高さなんとかならないのほんとに! それとなんだその可愛さは! 可愛過ぎるんだよチクショー!


「っていうか、あんたがそういうの気にするの意外過ぎる。なんかヤバい薬でも」

「キメるかおバカ! こっちは真面目に話してるのにー!」

「いやー真面目に的外れな心配してるからさー大丈夫かなーこの幼児体形はってなるのも仕方ないじゃんかー」

「一言余計っ! って、的外れ?」

「うん、的外れ」

「つまり?」

「いるよ。好きな人」

「……マジ?」

「マジ」


 部屋の扉に寄り掛かった美優は、笑っている。いつものおちょくるような笑顔じゃない。どうやら、マジもマジらしい。


「そ、そうなんだ……」

「知らなかった?」

「うん……」

「そりゃそうか。気付くわけないよね。千華だし。こっちはこれっぽっちも隠してるつもりなかったのに……」

「き、気になる言い方するじゃん……」


 内容も気になるけど、それ以上に気になる事があった。


 美優……怒ってる?


「誰か聞かないの? あたしの好きな人」

「聞いたって答えてくれないじゃん……」


 あたしたちの事は根掘り葉掘りしようとするんだけど、自分自身の事はほとんど明かしてくれない。あたしの知ってる美優は、そういう女の子だからね。


 そういう前提があるからだろうか。美優の様子が妙に引っ掛かった。きゅっと目蓋を閉じ、小さくではあるけど一度二度と深呼吸している様が。


 それはまるで、何かを心に決めた、とでも言っているようで。


「あたしも別に知りたいとか思わな」

「奏太」


 それを聞いた瞬間。ぱちっと目を開いた美優と視線が重なった瞬間。ものすごい寒さとものすごい熱さが、まとめて襲いかかってきた。肌がざわつく。脳内で何かがチカチカと光って弾けてまた光ってまた弾けて、あちこちに焼き付いていく。体のあちこちが痛む。変な汗が背中に滲むのがわかった。


「何変な顔してんの。ちゃんと答えたのに」


 変な顔してるのどっちよ。なんでそんな、悲しそうに笑ってんの、美優。


「……う、嘘だよそれ……」

「嘘じゃない。小さい頃からずーっと、奏太が好きだったの。知らなかった?」

「し、知らないし……そんなの……」

「だよね。知ってたら今頃こんな風になってないもんね、きっと」


 これ以上聞かないでとか、ちゃんと聞いてとか。


 含みのある言い方には、いくつかのメッセージが込められている気がした。


「わかんない……けど……」

「そりゃわかんないよね。あたしもわかんないや。あたしはどうしたらいいんだろ。ね、あんたはどう思う?」

「どうって言われても……」

「まあ千華的にはこのまま何も言わずにいて欲しいって感じだよね」

「そんな事言ってないし思ってもない……」


 これが学校の友達の話とかなら、当たって砕けてこーい! とか無責任な事を言っていたかもしれない。けど、美優の事となると話は別だ。正直今は軽くテンパってるのもあっていい具合の言葉が浮かばないけど……。


「強いて言うなら、美優のしたいようにすればいい……みたいな……」


 平常だろうと異常だろうと、ああしろこうしろなんて言えないし言いたくない。こういう言葉を選ぶしかないんだ。


「ふーん……」


 まただ。また美優が、怒った顔になった。


「ほんとに?」

「ほんとって何?」

「本心でそう思ってるのって意味」

「そうだけど……」

「嘘。あたしのしたいようにすればいいなんて思ってないでしょ」

「思ってるって! 嘘なんか」

「奏太の事好きなあんたがあたしのしたいようにすればいいなんて、嘘じゃなきゃおかしいじゃん」


 嘘なんか言ってない。最後まで言えなかった言葉が、頭の中で虚しく響く。


「気付いてないとでも思ってたの?」


 美優はもう、怒ってなかった。それだけはわかったんだけど。


「気が付かないわけないじゃん。バカ……」


 まだ、怒っててほしかったな。


 そんな、あまりにも弱々しくて色のない笑みを見せられるくらいなら、まだ。

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