チェックメイト
お初にお目に掛かります。わたくし、黒井優と申します。苗字に黒って入っているし、芸能人を食い漁っているだなんて噂の立った事のある女優さんと姓名が似ているもので、腹黒ちゃんなどと無粋なあだ名を付けられた事のある、黒井優です。
酷い言い掛かりですよ本当に。確かに私は性格ブスかもしれないけど、腹黒までは言い過ぎだと思うんです。それに時々言われるんです。優は重いとか、メンヘラの波動を感じるとか。そんな事全然ないのに。言い掛かりも甚しいなあほんと。次に面と向かって好き放題言われたら然るべき対応をしなきゃですかねー。
芋臭いキモオタ中学生活を経て、高校デビューに成功した川崎市立川ノ宮高校在校の一年生。ろくに友達のいなかったこれまでとは打って変わって、賑やかな高校生活を過ごしております。
私には一人、友達……いえ。ソウルメイトがいます。その子の名は小春。小なんて名前に入ってるくせにめちゃめちゃ主張の激しいお胸をぶら下げている、川高最強のロリ巨乳です。いやもうマジでヤバいです小春は。顔もスタイルもキャラもいい。しかもオタク! ああもうなんて強いんだ小春は。さいつよ。強さしかない。お前がナンバーワンだ。ほんとに可愛いんだよなあ……食べちゃいたいくらいです……。
美少女オタクなんてキモオタたちが創り出した二次元世界でしか生きられない存在だとばかり思っていたんだけど、まさか三次元にも存在していたとは。これを小春に言うと、どの口が言うの。と言われます。
確かに今の私はそれなりに可愛いです。その自信もあります。そうなるように心血注いで自分磨きを頑張り続けた結果、異性同性を問わず声を掛けられる回数は目に見えて増えました。一度も話した事のない人に告白されたりもしました。本校の恒例行事であるミスコンでも上位に食い込めました。
目に見える成果をこれだけ出せた自分自身に自信の一つも持てなくてどうすんだって話です。
しかし、思い知らされました。可愛くなったって、叶えられない事もあるのだと。私なりに結構頑張ったんだけどなーあの先輩落とせなかったもんなー。あーあー。
いやまあ、それは既に過去の事なのです。だからもうこの話はどうでもいいのです。あんまりしつこく聞いてくる輩には何かしらのお仕置きを与えようかなー、なんて。冗談ですよ、冗談っ。
今の私のターゲットはソウルメイトである小春の、二つ歳上のお兄さん。赤嶺謙之介先輩だけなんですから。
ガチ勢になったキッカケは……我ながらチョロ過ぎたのですが、偶発的に抱き締められたからです。私を守る為の行動だったとはいえ……激しい包容でしたねぇ……。
きっと謙之介先輩には僅かばかりのやらしい気持ちがあったのでしょうね。だって、あんなに力強く抱き締める必要なかった場面ですもん。危機が去った後でも私を抱き締めたままお喋りしていましたし。純心な先輩ですけど、あの時ばかりは下心が先行していたりしたのでは? いやそうです。そうに決まってますっ! まったくもうっ、謙之介先輩はどうしようない淫乱ドスケベ野郎ですね! 私が身も心も調教してあげなきゃ!
よーし! 俄然やる気出てきたー!
「うん……うんうん……!」
スマホのインナーカメラを起動して全身をチェック! お洋服頑張った! お化粧頑張った! うっかり何かあった時の為にエッチな下着も着けた! しっかり何かあった時の為に避妊具も用意した! ちゃっかり何かあった時の為に手錠も用意した! 準備万端! 今日も結構可愛いよ私! 性格以外は!
「いた! おーい! 黒井さーん! こっちこっちー!」
あ! よ、呼ばれた! あの人に呼ばれちゃったーっ! 一人残らず消滅すればいいのにと思わざるを得ないこの人混みの中から私だけを見付けてくれたんですね! まったくもうっ! そんなに私に会いたかったんですか!? だったらもう少し早く見付けて欲しかったなー! なんて! こっちは謙之介先輩が到着してからずーっと行動を監視していたんですからねっ!
「おはよう黒井さん! あけましておめでとう! 今年もよろしくね!」
小走りで駆けて来てくれた謙之介先輩から勢いの良い挨拶。あの団地の皆さんが謙之介先輩を犬と称するのも理解できます。先輩の背後でブンブン揺れる尻尾が見える、ような気がしますもん。なんですかなんですか、そんなに興奮しちゃってもーっ! エッチな下着用意しておいて正解ですかねーこれは!
「あけましておめでとうございます謙之介先輩! 今年もよろしくお願いします!」
「うんうん! よろしくー!」
にーっこりと笑う謙之介先輩ほんとにわんちゃんみたいで可愛い……首輪付けてみたいなあ……。
「あけましておめでと優ちゃん。今年もよろしくね」
「んふ……んふふ……」
「聞いてる?」
「ああごめんごめん! ちょっと悦ってた!」
「悦ってたとは?」
「あけましておめでと小春! 今年もよろしくね!」
「いやまず答えて?」
謙之介先輩から三歩ほど離れた所にいる小春も発見。新年初小春だ。いやー新年早々ドチャクソ可愛いな小春は。なんだこの可愛い生き物。ほんとに人間か? 異世界転生でこの世界にやってきた肌色成分過多なラノベヒロインとかじゃないの? 謎の触手に体を縛られたり服をじわじわ溶かされたりする系女子でしょこれ。何もしてなくても可愛いしエロいとか薄い本の表紙を飾る素質しかないじゃんヤバイわ。
いやでも待って欲しい。小春にさせていいのはコスプレだけであり、安易に小春を脱がそうだなんてもっての外。小春を辱めようとする輩から私が守らねば、小春の純血を。なんなら兄妹まとめて私が奪うのもいいな。今更ながら、水泳の授業で小春を凝視していたクラスの男子たち許せねえ消すしかねえ。とりあえずクラスメイト全員分の藁人形を用意しなきゃ。
「暮れは色々ありがとね! 小春のお陰でエキセントリックな年末を過ごせたよ!」
「あーうん、どういたしまして。というかお互い様でしょそれ」
「だねー」
「なんだ、年末の小春ってば全然家にいないと思ったら黒井さんと遊んでたのか」
「ですです! ねー小春ー!?」
「そそそだねー」
「何バグってんだ小春」
「うるさい寄るなあっちいけ」
「辛辣だね今年も!」
小春の頬がヒクヒクと動いている。満面の笑みを浮かべまるまいと堪えているんだろうなあ。そりゃあ謙之介先輩には言えないもんね。十二月最後の三日間は二人で全身全霊でオタ活してましただなんて。
毎日始発に乗ってコミケ行ってー夜は二人で美味しいご飯食べてーアキバ散策したりー乙女ロード行ったりーアニソン縛りカラオケしたりー二次元アイドルのライブ流してきゃーきゃーしたりーアニメ映画観に行ったりー小春を私の部屋に泊めたりー早起きしなきゃなのに遅くまでアニメ見たりーゲーム大会やったりー。いやもうほんと、楽しいしかなかった! 初めての事尽くしでめっちゃ舞い上がってたよ私たち! お陰様で財布の中ヤバい事になっちゃいましたけどね! お年玉とバイトで立て直すから余裕余裕! だと思いたい!
「とことん小春に付き合ってもらっちゃったみたいで……ありがとうね、黒井さん」
「いえいえ! 私の方が小春を振り回しちゃったんですよ! なんて言ったって私、赤嶺小春ガチ勢あーんど厄介勢ですので!」
「何言ってんの……」
「照れなくてもいいじゃーん!」
「優ちゃんの陽キャノリが眩し過ぎて失明しちゃいそう……」
「二人は本当に仲良しなんだなあ……うう……」
「泣くな。きもい」
「いやー家族以外と初詣なんて久し振りだなー!」
「切り替え早っ」
「そうなんですか?」
「例年、元日以外は家でダラダラしてるばっかりだからねー。こういうのも新鮮でいいなあ! っていうかめちゃ混んでるなこれ!」
「うるさいし……」
顔を顰める小春に気が付く様子もなく、キラキラな眼差しをあちこちに向けていらっしゃる謙之介先輩可愛い。
年が暮れ、明けて。本日、一月三日。三ヶ日の最終日とあって、普段は物寂しい地元の神社は異様に人口密度の高い空間となっている。謙之介先輩! 初詣ですよ初詣!
これだけ混み合っているならあの手この手で謙之介先輩に合法的にボディタッチをするチャンスがいくらでもありそうです……ふふふ……やべ、ヨダレ出てきた。
「えと……急にお誘いしてしまって……迷惑だったんじゃ……」
「いやいや全然! それに本当に都合悪かったら断ってるし。誘われて嬉しかったくらいなんだからそんな顔しないでよ」
「先輩……」
優しい……カッコいい……マフラー似合う……首元いい匂いしそう……。
「っていうか、私だけ誘う流れだったと思ったのに、いつの間にこいつも誘ったの?」
「いやこいつ呼ばわりは」
「今私が優ちゃんと話してるの。口挟まないで」
「はいごめんなさい……そんな怒んなくたっていいじゃんよ……」
小春に素気無く扱われて不貞腐れる謙之介先輩もステキ……っていうか、小春? 私は見てたんだからね? 私と合流直前まで謙之介先輩の真横をしっかりキープしていたのを。私の姿が見えた瞬間に距離を開けた事もわかってるんだから。変な方向にブラコン拗らせた小春も可愛いなあ!
「多い方が楽しいじゃない! 細かい事気にしてるとモテないよー小春ー」
「気にしろ小春。細かい事気にしまくっていい何も間違ってない大丈夫だ」
「キモっ」
「そんなはっきり言わなくても! 確かに今のは自分でもどうかと思ったけど!」
「っていうかうるさい。付いてくるのは勝手だけど静かにして」
「はい……」
「とにかく行きましょ! 早く並ばないとですよっ!」
「のわっ!?」
心の中でいくぞ、おーっ! と気合を入れて、しゅんとしちゃった謙之介先輩に飛び付いて、左腕に絡み付いてみた。ふわわ……緊張する……私ってば大胆な事しちゃって……っていうか何これ……先輩の……太くて硬いよぉ……ふぇぇ……いやキッツこのキャラ。やっぱりふぇぇは二次元に限るわ。
「びっくりしたあ!? 何事!?」
「さあさあ最後尾はあっちですよー!」
「引っ張らなくても歩けるから!」
「迷子にならないようにですー!」
「俺が心配される側!?」
「ほらほら小春もー!」
「はいはい……」
「だったら小春は迷子にならないように俺と手を」
「黙れ駄犬。潰すぞ」
「はいごめんなさい」
お兄ちゃんが絡むと口が悪くなる可愛い小春と、妹の圧に負けてしゅんっていうか、ひゅんってしちゃった可愛い謙之介先輩に挟まれいざ行かん、初詣!
* * *
「きたきた! 俺らの番だぞ二人とも!」
「はい……」
「騒がないでウザい……」
相変わらずテンションの高い謙之介先輩とは対照的に、めちゃテンションの低い私と小春。そりゃあ、二時間も待たされればこうもなりますって。オタクで陰キャな私たちにはこのワイワイ空間で二時間棒立ちは拷問に等しいのですよ。
「いいからお賽銭お賽銭! 聞いた話だと、十円は入れちゃいけないらしい! 遠縁つって、ご縁と遠くなるからなんだってさ! 言葉遊びみたいなもんだと思うけど!」
「なら謙之介先輩は十円玉入れてください」
「話聞いてた!?」
聞いてましたとも。十円を入れてこれからの縁が遠くなるならば私的には大歓迎ですから。先輩に寄り付く虫を一匹ずつ潰して回るのは骨が折れそうですしね。
「無難に五円でいいでしょ。後ろもいるんだから早くする」
「お、おう!」
「はーいっ」
小春に急かされちゃった。そんなに慌てなくてもいいのに……ってそうだった。私と謙之介先輩とは違って、この後の予定が小春にはあるんだった。いやまあ、そこまで計算してこの日にしたんですけどね。
とはいえ、小春にはあらぬ迷惑を掛けてしまった。初詣慣れしてないもので、混雑具合や待ち時間を推し量りきれなかった私の落ち度だ。小春が怒られるような事はないと思うけど、小春が向こうに着くより先にあちらの方々に一言でも送っておきますか。
「次は鈴を……ほっ!」
「私も!」
謙之介先輩と同じ縄を掴んで頭上の鈴をからんからんと鳴らす。そうか、これが初めての共同作業……ふふふ……。
特に何も気にする様子も見せずにお辞儀を二度してから手を合わせ目を閉じた謙之介先輩の真似をして私も目を閉じる。えと、お願い事をすればいいんですよね? もうとっくのとうに決まってますよー!
「学生結婚を」
「優ちゃん、めっ。おだまりっ」
「はいすいません」
いっけなーいっ、全然これっぽっちもそんなつもりはなかったのにお願い事がついうっかり口から落っこちちゃましたっ。もうっ、私のドジっ。いやこのキャラもキツいな。このぶりっ子キャラでキツくならないのなんて小春か夏菜先輩くらいなもんだろうなあ。
「よしっ」
ぱちっと目を開けてぺこりして、先にこの場を離れた小春と謙之介先輩に即合流。
「結構待たされちゃったけど、ちゃんとお参り出来て良かったなあ」
「謙之介先輩は何をお願いしたんですか?」
「大学受かりますようにってお願いした」
「お参りでしたお願いを誰かに言うと叶わないって言うよね」
「そ、そうなのか!? ちょっともう一回並んで」
「やめろ」
「やめておきましょうねー?」
慌てる謙之介先輩のコートを二人で掴む。抱き付いて止めればよかった。くそう、瞬発力のない自分が憎いっ。
「うぅ……これで受験全滅だったら目も当てられねえよお……」
「謙之介先輩なら大丈夫ですよー!」
「ありがと……黒井さんは何を」
「人の話聞いてなかったのかこの駄犬」
「ご、ごめん……言わせちゃいけない事言わせるとこだった……っていうか駄犬ってやっぱやめよう!? よくないと思うの!」
「きゃんきゃんうるさい。あとウザい」
「いやなんで俺が怒られる流れなの……絶対おかしいよ……」
今年も面白可愛い兄妹コントが押し流してくれたので……高校で厳しいようなら大学で学生結婚。からの出産。デキ婚はNG。子供は男の子も女の子合わせて三人くらい。生涯大きな怪我や病気と縁のない、幸せな暮らしを寄越せ。って私のお願い事は胸に秘めたままにしておきましょう。
もしもこの願いを叶えてくれなかったら神様にはキツーイお仕置きをしなきゃいけませんねえ。神様を物理でシバく方法を考えないと。私がリアルゴットイーターだ。
「っていうか小春、時間は?」
「これから行けばギリギリって感じ。って事で私は先に帰るから」
「は? 小春、帰っちゃうの?」
「バイト」
「マジか。働き者だなあ」
「別に普通だし……」
「っていうか三ヶ日でもやってんのかふじのやは。稼ぐねえ」
私と小春がアルバイトをしているお店、ふじのや。年末は二十九日まで営業し、新年は二日から営業。言っても、元日もお店は開いてたんですけどね。
あの団地に住まうあの人たちファミリーの皆さんがお店を貸し切っていたんです。なんでも、ファミリー総出で川崎大師にお参りに行ってからふじのやで新年会をやるのがあの人たちの年始スタイルらしくて。楽しそうな写真が夏菜先輩からたくさん送られてきてましたねー。松葉先輩が写ってる写真を見るたびにニヤニヤしていた私ですはい。
夏菜先輩。おめでとうございます。幼少期からの初恋が長い長い時を経て成就する。なんてハッピーなお話ですか。もうドラマ化しちゃえばいいレベル。白藤夏菜過激派の一人として、後輩として友人として、本当に嬉しく思います。松葉先輩もおめでとうございます。どうか、夏菜先輩を泣かせる事などないように。守られない場合、松葉先輩を社会的に抹殺する等、私にも考えがあります。平穏に過ごしたいのであれば、どうか夏菜先輩を悲しませないようお願いしますね。
で、それはそれとして。謙之介先輩の懐に潜り込む上で最大の障害である夏菜先輩が松葉先輩とくっ付いた。謙之介先輩が迎えた顛末を喜ぶつもりなど毛頭ありませんが、当然つけ込ませてもらいますよ。そこで遠慮するような私なんて私である意味がない。高校デビューに成功した私は、ガンガンいこうぜ! がデフォなのです。
「ならお参りも済んだし俺たちも」
「謙之介先輩!」
「のわっ!?」
それ以上言わせる前に右腕にしがみ付く。絶対そういう展開になると思っていました。そうはいきませんよー。
「お守り買わなきゃ! あとおみくじ! 私おみくじしたいです! それとお腹空きました!」
「え、ちょ、えと……」
謙之介先輩の腕がそろりそろりと私の胸を押し返しているのがわかる。さては確信犯ですねー? スケベな人ですねー謙之介先輩は! そんなに慌てなくてもあなたの貞操は私が奪っちゃいますからご安心を!
「優ちゃんに付き合ってあげなよ。私の都合に付き合わせるのもアレだし」
「ですって!」
「や、それはいいんだけど」
「ならウダウダ言わない。じゃあ私はここで。優ちゃん、それの面倒よろしくね」
「任されたー!」
「俺が面倒見られる側なのおかしいよね!?」
「うるさい。じゃあね優ちゃん。バイト終わったら連絡するから」
「はーいっ! 頑張ってね小春ー!」
「うん」
「い、いってらっしゃい!」
「だからうるさいってば……あ。今年もよろしく」
「こちらこそよろしくー!」
「お、おう! よろしく!」
小さな小春が小さく手を振って、小走りで人波へと飛び込んで行った。バイト、頑張ってね。あと、今年もよろしく。本当によろしく。なんなら未来永劫よろしくして欲しい。小春的には私が謙之介先輩とーって言うのは複雑だろうけど、そこは私のハッピーを優先させてもらうから。数年後、私が赤嶺兄妹の間にいられるように頑張っちゃうから。その時は観念して受け入れてね。小春お義姉ちゃんって呼んじゃうんだから。
「じゃあ……もうちょい遊ぼうか」
「やったあ!」
私に出来る精一杯の笑顔を先輩に見せ、サッと顔を伏せて一言。
「計画通り……」
ここからもずっと、私のターンだ……!
* * *
と、思っていたのに。
「おおー! いいパス出すじゃんかー!」
「ほんと!?」
「ほんとほんと! 俺の利き足を把握したんだな! いい目してるなー!」
「でしょー!」
どうしてこうなった。
「お兄ちゃんもけっこー上手じゃん!」
「は?」
あ、やば。苛立ちを声に出してしまった。こんな年端もいかない男の子に何をムキになっているのか私は。でも今の上からな言い方はかちーんと来ますね。この子のお母さんがここへ来るまでに礼儀の一つでも叩き込んで上げた方がいいかなあ?
とまあ出過ぎた事はしない方向として。掻い摘んで現状をご説明します。
謙之介先輩にぴったりくっついておみくじを引きました。私は吉。謙之介先輩も吉。ペアルック、しちゃいました。なんだか恥ずかしいっ! 謙之介先輩にばっちりくっついてお守りを買いました。先輩にはその場で学業成就と無病息災と金運向上等々、手当たり次第に渡しちゃいました。引きつった笑顔を見せていたのが気になりますが、先輩は喜んでくれました。小春には恋愛成就のお守りを買いました。頑張ってもらいたいですからね。
一頻り回ったのでどこかで軽い食事にでもと行動を開始した途端、なんだか所在無さそうに一人でフラフラする小さな男の子が私たちの前に現れました。先を急ぎたい私を置き去りに、寂しそうに俯いているその子に駆け寄る謙之介先輩。
さっきまで母親と一緒だったけどはぐれてしまった。携帯等は持っていない。謙之介先輩が優しく聞き出した情報です。要するに、迷子ですね。
男の子自身は携帯を持っていないけど、家の電話番号は覚えていると言うので謙之介先輩が男の子の自宅に電話。その後、男の子の母親から電話をもらい、神社の近くにある公園まで男の子を迎えに来てもらう事に。
「そうだろー?」
「うん!」
それで今は、近くにあった公園で購入したビニールボールで、二人仲良くサッカーをしている、と。ベンチに座る私は蚊帳の外で。
「キレそう」
「黒井さん?」
「いえいえなんでもないですー! 二人とも上手だなーって思いましてー!」
「ありがと。いやーほんとに筋がいいよこの子。こんなに蹴り憎いボールを正確にコントロールしてるもん」
「へー」
「えへへー!」
照れを隠せない男の子の笑顔はとても可愛らしい。けど、あまり調子に乗らないように。今この時間は、私と謙之介先輩だけの楽しい時間を犠牲にした上にあるのだと理解するように。
「なんか、昔の奏太を見てるみたいだ」
「山吹先輩ですか?」
「あ……」
あらら。気を使わせちゃいましたかねこれは。気にする事ないのになー。っていうか、当然知ってましたよね。私と山吹先輩の事。はてさて、そんな私にどんな印象を抱いているのでしょうね、謙之介先輩は。
「プレーが正確なのが似てる、って事なんですか?」
「あーっと…………それはもちろんそうなんだけど、細かなコントロールに遊び心を感じるっていうのかな。雑に言うと、天才肌! って感じだなあ」
「なるほど」
えらく高評価じゃないですか。私には全然わかりませんが、私の目の前で謙之介先輩にベタ褒めされているという事実一つでこの子への私の評価は最悪です。敵です。
「ねえねえ! 僕褒められた!?」
「褒めたぞー。俺の友達にプロになれるんじゃないかってくらい上手いヤツがいるんだけど、そいつと君が似てるなーって話をしてたんだ」
「その人はそんなに凄いの?」
「ああ。俺の見てきた中じゃ、あいつよりサッカー上手なヤツは一人もいなかった。どんなに体の大きなディフェンダーでも止められなかったし、どんなに上手なキーパーでもあいつのシュートを止められなかった。何もかもが超凄かったんだ」
「へー!」
確かに、文化祭で行われた現役サッカー部とOB戦に無理矢理出場させられた山吹先輩は、素人目に見てもわかるくらいレベルが違った。数年のブランクがあるんだよと言ったって誰も信じてくれないのはまず間違いないですね。
もしも、望まぬ形でサッカーから離れてしまったあの人が今も現役だったら。あの人だけじゃなく、取り巻く人たちの人生が大きく変わっていたんじゃないだろうか。と思わざるを得ないですね。まあ、だからなんだって話ですけど。
そういえば、神様にお願いし忘れちゃいましたね。山吹先輩を留年させてくれって。
あの日。あの公園で。二人きりで。そんなバカな事を言ってあの人を困らせたんでしたね、私ってば。
なんか…………いや。やめた。あの記憶を思い出以上の何かにするのは、今の私にとって好ましい事ではない。
せめて、ちゃんと思い出に閉じ込める事が出来るまでは、このままにしておくんだ。
「頑張れば君もあいつに負けないくらい上手くなれるぞー! いや、もしかしたらあいつよりも上手くなるかもなー!」
「その人は今どこのチームにいるの?」
「え?」
「その人がサッカーしてるとこ見たい!」
「そいつは…………今はもうサッカーやってないんだ……」
「えー」
持ち上げてからのこのオチだけに、男の子的には納得がいかないらしく、不満を露わにしている。
「じゃあお兄ちゃんはどこのチームでサッカーしてるの!?」
「俺もやめちゃったんだよね……」
「なんで? サッカー嫌いになったの?」
「まさか! 今でも大好きだよ」
「じゃあなんでお兄ちゃんたちはサッカーやめちゃったの?」
「そうさなあ……」
こーら。あんまり謙之介先輩を困らせるような事言わないの。潰しちゃうぞ?
男の子とパスを交換しながらうんうんと悩みに悩んで、謙之介先輩はこう言った。
「サッカーだけじゃなくて、なんでもそうなんだけどね」
「うん」
「何かをずっと好きでいるのって、楽じゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ。ずっと好きでいる事で力を貰える事もたくさんあるけど、気が付かない間に削られてしまう物もたくさんあるんだ」
男の子からもらったパスを直ぐに返さず、謙之介先輩は空を見上げていた。
「うーん……なんかよくわかんない!」
「あーっと……ごめんな、面白くない話をしちゃって。まあ、なんだ……少なくとも俺はプロにはなれないからさ。君が大きくなったらプロになって、カッコいい姿を見せてくれると嬉しいな」
「プロになるよ僕! だって、日本代表になるんだもん!」
曇り一つない笑顔だ。この子は信じきっているんですね。自分がプロに、日本代表になるんだって。
「そっか」
それを見る謙之介先輩の横顔は、凄く穏やかで。
「じゃあさ、君が大きくなってプロになったら、君が出てる試合を見に行くから。だから……」
「だから?」
「……いや、なんでもない。とにかく頑張ってくれよな!」
「頑張るー! あ! お母さんきた!」
男の子のニコニコ笑顔が向いている方向を見ると、長い黒髪を靡かせた綺麗な女性が慌てて公園に駆け込んで来るのが視界の隅っこに見えた。顔までは見えませんでした。
「先輩……?」
私には、二人を見る謙之介先輩の曖昧な笑顔しか見えていないので。
* * *
「お二人共、本当にありがとうございました……」
「いえいえ! 僕らも楽しかったですし! だよね、黒井さん?」
「そうで……すね。楽しかったです」
「今の間は何?」
「お気になさらずー」
今の間は、そうでもないですと言おうとした所を無理矢理にねじ曲げたので生じたものです。だってだって、先輩と二人きりで過ごす時間が短くなったのは本当なんだもん。私悪くないもん。
「じゃあ僕帰るね!」
「おう。今度からは迷子にならないようにするんだぞ。勝手にお母さんから離れてどっかに行ったりしちゃわない事。わかった?」
「わかった!」
返事だけはいい、ってヤツですねこれ。お母さんから聞いた所によると、今回迷子になったのもお母さんとの買い物中に何も言わずに離れてしまったのがキッカケみたいですし。またやらかしそうですね。先輩からのありがたいお言葉を無為にする……やはり相容れないみたいですね、あなたと私は。
「ならよし! じゃあ、またいつかな!」
「うん! ばいばい! そっちも、彼女さんと仲良くね!」
前言撤回です全ての非礼をお詫びしますこの子味方です神です見る目があり過ぎます将来ビックな男になります期待しています先輩と二人であなたが活躍する姿を応援に行きますから今日はありがとう本当にありがとうショタも悪くないですねええはい。
「な、何言ってんだ!」
「んもーはっきり言われちゃったら困りますよぉーまだ照れ臭いんですからぁー」
「黒井さんも何言ってんの!?」
「こら、変な事言わないの。あの、本当にありがとうございました。では私たちはこれで……」
「じゃねー!」
何度もお辞儀をする母親の低姿勢な様子など気にする様子もなく、神ショタ様は私たちに手を振ってくださっている。ありがとう、神ショタ様……あなたの先行きが明るいものになるよう願っています。
「はあ…………行っちゃったなあ……」
「小さなお友達が増えましたね」
「はは、そうだね」
「神ショタ様のお相手、ご苦労様でした」
「いやいや……ん? 神ショタ様? 何それ?」
「彼はもちろん、先輩も楽しんでいるご様子でしたね」
「聞いて?」
「見ている私も楽しかったです」
「……ま、まあいいや……楽しかったよ。まさか新年発蹴りがこういう形になるとは思わなかったけどね」
役割を終えたビニールボールをお手玉していらっしゃる……なんか可愛い……。
「底抜けに明るい子でしたね」
「だね。なんか……いいよね。純粋で向こう見ずで、楽しくて明るい未来しか見えてない。羨ましいくらいだ」
「ですね」
「難しい事だとは思うけど、あのまま真っ直ぐな大人になって欲しいな」
「私もそう思います」
是非とも神ショタ様には有言実行をなさって欲しいです。そして神ショタ様がご出場なさる試合にお招き頂いたりとか……そういうデートもアリですねー! テンション上がっちゃうなあもーっ!
「にしても……なんか偉そうな事言っちゃったなって、今更反省……」
「……ちょっと、意地悪な質問させてください」
「うん?」
「だからの後、なんて言おうとしたんですか?」
わざと曖昧な言い方をしてみた。けれど、これで充分謙之介先輩には伝わるって、そう思った。
「……だから、俺の分まで頑張ってくれ。って言いそうになっちゃってさ」
「なるほど」
「そういうのは……違うじゃん?」
「そうでしょうか?」
「違うよ。期待をするのは俺の勝手かもしれないけど、俺の感傷を押し付けるのは絶対に違うから」
「感傷?」
「ま、俺にも色々あるって事で」
それ以上触れて欲しくない、って感じですね。それならば、話題を変えましょう。
「もう一つ質問です。さっきのは一般論ですか? それとも体験談ですか?」
「どれ?」
「何か好きでいるのは、ってヤツです」
「ああそれ。それならどっちもかなあ」
曖昧な答えですね。ならば、もっと踏み込んでしまえ。頑張れ、私っ。
「なら……体験談というのは、サッカーだけを指しての事ではないですよね?」
「…………まさか……知ってる?」
「はい。察しがいいですね」
「流石にわかるって……学校内に知らないヤツはいなかったくらいなんだぞーって言われちゃえばなあ……」
ボールをお手玉しながらベンチに腰掛ける先輩に続いて、私も隣に座る。意識して腕と腕とが触れ合うくらい近くに座っててみたけれど、先輩から距離を取ったりという事は全然なかった。
「楽じゃなかったですか? 白藤先輩をずっと好きでいたのは」
「今の質問の方がさっきの質問よりよっぽど意地悪じゃないか……」
「かもですね。ごめんなさい」
「…………楽じゃなかったよ。それは間違いないね」
「なら」
「けど!」
ピシャリと私の言葉を遮った謙之介先輩は、笑っていた。
「確かに楽じゃなかった。というか結構辛かった。心身共に結構削られるような日々だったよ。でもそれ以上に、白藤から貰える物がめちゃくちゃ多くてさ。それこそ白藤にお礼を言いたいくらいたくさんあるんだ」
「例えばなんです?」
「…………全部かな」
「全部?」
「そう、全部。今の俺があるのは白藤のお陰だから。やっぱ全部だ」
「……大好きだったんですね」
「そういう事言う普通?」
「ご、ごめんなさい……」
確かに今のは出過ぎた発言だったし、煽りだと受け取られてもおかしくない。猛省せねば。
「でもその通り。大好きだった。もうずっとずーっと大好きだった」
「そうですか……」
そうまで想われる夏菜先輩が羨ましいズルいとか、謙之介先輩の願いが叶って欲しかったとか、でも叶っちゃっていたら今頃私はここにいないとか、いろんな事が浮かんでは消えていった。
「だから当然悔しいよ。こういう事になって。けど……なんだろ……あ、そりゃこうなるよなって、変に納得しちゃってるんだ。それに……嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「おかしいよね。自分がフラれた悔しさや悲しさより、白藤が元気と一緒になれた事の方が嬉しいなんて。自分の事を第一に考えるならよくない思考だってのはわかっちゃいるんだけどね、嬉しいんだからどうしようもない。損な性格してんのかなー俺」
確かに、損な性格かもしれません。けど、素敵だと思います。無理矢理じゃない笑顔で心からの祝福が出来る謙之介先輩は、本当に素敵です。
「いやー白藤は凄いよ。何年も何年も一人でで抱え抜いて、望んだ通りの未来を作ったんだから。ちょっと尊敬しちゃうよね。聞いた話だと、白藤と元気、早速同棲始めたらしいよ」
「同棲!? 急展開過ぎませんか!?」
白藤先輩……なんて行動力……謙之介先輩でなくとも尊敬しちゃいますよこんなの……。
「ま、あの団地の愉快なおじさまおばさまたちの策略だとは思うけどね。それにしたって夢を叶えてからその先へ進むまでの思い切りの良さとハートの強さは凄いと思うわ。流石、俺が惚れた人なだけある」
なんちゃってと付け足して、愉快そうに笑っている。
そっか。そうなんだ。謙之介先輩はもう振り切ってるんですね。
「……凄いなあ……」
「ね。ほんとすげーよ白藤は。元気のヤツは果報者よなあ」
白藤先輩も松葉先輩もですけど、謙之介先輩の話をしていたんですけどね、私は。
「ね、意地悪な質問の仕返ししていい? っていうかするね」
「え」
え。えっ、えっええっえええ? な、なんですかいきなり!? なんで謙之介先輩はそんなにも情熱的に私を見つめていらっしゃいますの!? ま、まさか……こんなところでそんな……でもでもっ! 私はいつでもどこでも出す物出してたわわになる準備も覚悟も出来てますからっ!
「黒井さん……」
「は、はひ……」
「俺に……」
「は、はふぅ……」
「俺に教えてくれ!」
「はいっ!」
「小春に彼氏がいるのかどうかを!」
「エッチなパ…………ふぇ?」
「実は俺が知らないだけでとっくに彼氏が出来てるのかなって思ってさ! ほら、小春のヤツ急にイメチェンしたじゃん!? あれだって何か大きな意味があるのかもしれないじょん!? それにミスコンでも上位に食い込んでたし、どっかの誰かに告白されてお付き合いとかありえない話じゃないでしょ!? もう気が気じゃなくて……」
「あーはいそうですねーでもご安心をー小春に彼氏はいませんからー」
「黒井さん……怒ってる?」
「怒ってなんかいませんよー私自身の浅はかさに呆れているだけですのでー」
「っていうかさっき何を言おうと」
「細かい事はお気になさらずーとにかく小春には彼氏はいませんご安心くださいよかったですねー」
「う? や、う、うん……まあ……それならよかったぁ……!」
勝手に盛り上がった私が情緒不安定になっている横で、既に平静を取り戻した謙之介先輩は安堵のため息からのガッツポーズ。妹に彼氏がいない事をここまで喜ぶ人って二次元以外にもいるんですね。びっくり。
「はあ…………あの、もしもの話ですけど。小春に好きな人が出来て、彼氏が出来たとしたら」
「絶対許さん」
「言うと思いました」
「って言葉を飲み込んで、全力で祝福するよ」
「へ?」
意外でした……昭和のホームドラマにありがちな、小春は絶対に渡さん! 的なセリフを武器に小春に擦り寄る輩を夜な夜な暗殺して回るのだとばかり思っていました。
「だってそれしかないもん。いやまあ、不安はあるよ。寧ろ全然ある。もっと言えば不安しかないし、不快感すら覚えるよ」
「不快感って」
「でも、いつかは通る道だし……だからせめてその日が来るまでに、俺の方がしっかり妹離れをしなきゃいけないんだよな……」
それなら小春も、兄離れをしなきゃなんですけどね。あの子、ブラコン拗らせている自覚がないですから。そんな所も可愛い好き推せる。
「じゃあもしもですよ? 小春と付き合い始めた男がどうしようもない男だったらどうします?」
「別れさせる」
あら、ここは先輩と意見が合うかなあと思ったんだけどなあ。先輩ならきっと、その男殺す、とか言うと思ったのになあ。
「いやでも……そうなる事はないかな。いや、絶対ないな」
「どうしてです?」
「小春が選んだ男が、どうしようもない男のわけがないからね」
ああ、確かに。それは間違いない。
「信頼してるんですね、小春の事」
「真面目で賢い子だからね。頼り甲斐のある、一本芯の通った男と一緒になれると信じてるよ」
「ですね。小春ならきっと」
「うん。まあ、複雑な気持ちではあるんだけどね……」
頬を掻きながら苦笑する仕草は、小春が時々見せる仕草とそっくりだった。
「なら、私はどうです?」
「つまり?」
「私は将来、どんな人と一緒になれると思いますか?」
カッコ可愛い所作にほけーっとしている場合ではない。攻めろ、私。
「私は出来れば、謙之介先輩みたいな人がいいなあ……なんて……」
「お、俺みたいな人? いやあ、なんか自分の事を言われてるみたいで照れるなあ……」
照れていいんです。その通りですので。
「そうさなあ……黒井さんなら……めちゃくちゃ良い人と一緒になるだろうなあ」
「その心は?」
「だって黒井さん、めちゃくちゃ可愛いもん」
「あうっ」
「その上綺麗なんだよね、黒井さんって」
「えうっ」
「しかもオシャレ! そういうのに疎い自覚はあるんだけど、黒井さんはオシャレだなーって一目でわかるもん」
「おふっ」
「話してみると話上手だし聞き上手だし、行動力もある」
「ぐふっ」
「表情も豊かだし、可愛らしい性格してるなーって」
「かわわわわ……」
「一緒にいて退屈しないどころか楽しいんだよねー」
「はわわわわ……」
「いろんな表情見せる黒井さんだけど、笑顔がとにかく可愛いんだ」
「にゃにゃにゃにゃにゃ……」
「それと……ってごめん! 本人を前に何を言ってんだ俺は……」
「ももももももも……!」
「あの、なんかごめんね? や、嘘とかじゃないからね!? 全部本心! 俺が思ってる事だからね! そこは信じて欲しい! だから」
「す!」
もももももも! もう……ダメぇ……!
「ん? す、何?」
「す…………すき……」
「はい?」
「謙之介先輩……好き……」
「…………ううん?」
「しゅき……」
だ、だめ……むり……もう言わせて……私を楽にさせて……自分からアクション起こすのはまだ大丈夫なんだけど……攻められるの無理なの……嬉死ぬ……恥ずか死ぬ……たしゅけて小春……。
「えと……」
「しゅ、しゅきですぅ……!」
「……は! や! え! あの!」
「し、しつれーしましゅー!」
「え!? ちょっと黒井さん!?」
「今年もよろしくお願いしますうぅぅ!」
困惑しっ放しの謙之介先輩から逃げるように公園を飛び出す。これ以上ここにいたら再起不能になりそうだから。私が。
「あああぁあぁもぉーっ!」
何をやっているのか、私は。完全に自爆じゃないか。ボンバーウーマンじゃないか。攻めるのはいいとして、ここまで攻め入らせるつもりはなかったのに。
謙之介先輩の事は好きです。嘘じゃないです。嘘なわけないです。
けれど。白状してしまうと、相手は誰でもよかった、みたいな部分もある。
誰でもいい。想わせて欲しかった。でないと、忘れられそうになかったから。
それだけ鮮烈だったんです。私にとって、あの先輩は。
何せ、初恋でしたから。
でもフラれて。ハンパなくヘコんで落ち込んで。そんな時、偶然の事故だったとはいえ、謙之介先輩が私に優しくしてくれた。
嬉しかった。抱き締められて、ドキドキした。だから私は、それを理由にした。私自身に流される事にした。
あれが謙之介先輩じゃなかったら、私は謙之介先輩じゃない誰かに猛アタックを仕掛けていたんだろう。
でも、もう無理だ。他の人になんていけない。だって気付いちゃったもん。
「むり……すきぃ……!」
私がチョロめなだけかもしれません。でも、意識せずにいられないじゃないですか? あんなにも真っ直ぐに私を見て、可愛いとか綺麗とか言われちゃったら。
そうでなくても好きなのに、大好きになっちゃうじゃないですかーっ!
好きでいるのも楽じゃない。まったくもってその通りですね、謙之介先輩。以前好きだった誰かさんには後遺症を残され、進行形で好きな誰かさんにはメンタルブレイクされそうになっているし。
っていうか去年の私、よくもまあ山吹先輩の目を見ながら告白とか出来ましたね。あれ誰ですか? 知らない黒井優ですね。だって今の私、絶対そんな事出来ないもん! 謙之介先輩の目を見て告白なんて……。
「むりむりむりむりあわわわわわわ……!」
謙之介先輩から逃げるように全力で走りながら呻き声を上げる私。家族の待つ我が家に戻るまでに補導されたりしなければいいんですけど。
あの先輩の時は焦り過ぎた。その結果、キリッとした私で挑めたんだけど、結果は伴わなかった。それに、こういう私モードになっちゃったらどうしようもなくなるってわかってたから。
けど、謙之介先輩の前ではもう、あんな私は作れない。もう見られちゃってるし。そうでなくても……こんなに好きだもん……無理だよぉ……。
でもでもっ。だったらもう、頑張るしかないじゃないですか。ふにゃふにゃしながらでも、やるしかないじゃないですか。
「こ、こはるぅ……わたしがんばる……めちゃがんばりゅからぁ……!」
小春……見ててね……私は頑張るよ……いつの日か必ず、小春お義姉ちゃんって呼んでみせるんだから……!
しかしまあ、順序立てていかないと。さっき神様にしたお願いだって、まだ先の話ですし。それより先に叶えなきゃいけない事がある。一人で浮かれていないで、妄想してばかりいないで、しっかり現実を見て、出来る事をやっていくんだ。
今日は無理だったけど。今度は泣かないで。目を見て。ちゃんと言えるように。
謙之介先輩が、好きなんですって。
* * *
その夜。
「黒井さんの気持ちは嬉しい。でも、今の自分は受験生だから。進路の事はもちろん、今後のいろんな事をしっかりと定められるまでそういう事は考えられない。だから、もう少しだけ返事を待って欲しい」
謙之介先輩からの着信を取ると、概ねこういった内容の事を言われた。
あの告白ですらないポンコツ告白を、本気の告白として受け取ってくださったらしい。
それになんと言っていいのかもわからず、曖昧な相槌ばかりを打っていたら、いつの間にか通話は途切れていた。
嬉死ぬのか。辛死ぬのか。どっちにしても間近に迫った死に恐れ慄きながら過ごした三ヶ日最終日は、一睡も眠れませんでした。
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