一本道の迷路
「思惑通り、しっかりと盗み聞きをしてくれていたようだ」
礼節の類を重んじるこの人らしからぬ挨拶抜きのファーストパンチはビビるほどの破壊力があって、頭がクラクラした。
「開口一番毒強過ぎじゃないですか? っていうか盗み聞きとか言われても。俺はただラインで送られて来た通りにふじのやまで来ただけなんですけど」
「ならどうして中に入って来なかった?」
「それは」
「答えなくていい。入り辛くて当然であるものな。店内の話題を独占していた張本人であるのだから。すまないな、答え辛い事を聞いてしまって」
今夜は日頃より強めの圧掛けてくるんですね。こっちの神経を逆撫でするのが目的なんじゃないかって勘繰っちまうくらいですよ。
「上手い言い訳の一つでもしてみたらどうだ? 何も出て来ないならそれでもいい。何、安心してくれていい。繰り返しになるが、この状況は私の思惑通りだからな。誤魔化しはぐらかしはするくせに嘘だけは嫌いなお前は黙り込む以外に出来ないだろう、この瞬間は。だから罪の意識など持たなくていいんだ」
そこまで来るとただの煽りでしょ。こちとら結構な単細胞生物なんでね、素直にイラつくんですよ。わかってやってるんですよね?
「とにかく。急に呼び出してすまなかったな、元気。息災な様子で何よりだ」
「……大人に振り回されるのには慣れてますよ。ケイトさん」
「だろうな」
つい数十分前。簡素な一文のみで迅速な行動を促してきた綺麗なお姉さんは、これっぽっちも悪びれる様子もなく、フラットな微笑みを維持している。かくいう俺は、目付き悪めなうだと思われる。
「何処から聞いていた?」
「何の話です?」
「とぼけるのならばそれでもいい。その顔を見れば、聞きたくなかった事を聞いてしまったのだと容易に理解出来る」
「エスパーか何かですか。たーじいと異能力バトルしてんの見てみてーなー」
「これは超能力でもなんでもなく君たちを長年見てきた私の勘になるのだが、今夜が初めだったのではないか? 夏菜自身の口から聞くのは」
こっちの軽口を拾いつつも、話そのものには食い付いてこない。話題を急かされている感じさえする。何これ。逃げんな、ってか? 勝手な事ばかり言いやがる。
「…………そうなりますかね」
すっとぼけてもよかったし、用がないなら帰ります、なんて言い逃げしてもよかったんだけどさ、知りたいんだわ。
バカが付くほどの真面目なこの人が、こんなにもリスキーな行動を起こした。恐らく……というか間違いなく、夏菜が望んでいない行動を。
この状況を愉しみたいだけ? 単なる気まぐれ? それとも俺がどこまで気付いているのか確かめたかった? 夏菜の為を思ってお節介をした? いや、どれもあり得ない。正解はわからないけど、不正解である事だけはわかんだ。
「不器用なりに身振り手振りで伝えるので精一杯だったろうからな。本人のいない場とはいえ、他者に打ち明けられるようになったのは大きな成長だと言えよう。大きくなった、夏菜は。本当に強くなった……」
弱々しいながらもここにいるぞと主張する星がいくつか光る空を見上げるケイトさんの横顔に浮かぶ微笑みが、なんだか遠くに感じられる。
「なあ、元気」
「はい」
「夏菜は、お前の事を好いているらしいぞ」
わざわざもう一撃寄越してくれなくていいですから。二度も三度も言われなくたって知ってるっつの。ずっとずっと昔から知ってんだっつの。なんなんだほんと。
「しかも、お前の誕生日に何かしらの行動を起こすらしいぞ」
「って言われても、その日は朝から出掛ける予定があるんですよね。作り話だとか言われそうですけど一ヶ月くらい前からダチ連中とドライブ行く約束してるんですよ。仕事の休みももらってますし」
彼女いねー寂しいヤツらで集まってバイク流して、クリスマスムードの中を暑苦しく遊び歩く。そのウェイウェイな感じの提案に迷わず飛び付いたよ俺は。先を読んだとかじゃないぞ。単純にダチ連中とバイク乗れるのが楽しみでさ。買ったばっかだからとことんまで乗り回したいってのもあるし。他の理由なんてなんもないぞ。マジで。
「そうか」
「これ、夏菜に言うんですか?」
「まさか。それは私ルールに反する」
そのルールだとこの状況はルール違反じゃないんですかね。基準わかんねー。
「大切な思い出になるだろう。しっかり楽しんでくるといい。まあ、予定通りに行くかどうかはわからないがな」
「邪魔する気満々じゃないですか」
「違う。夏菜がそれを許さないだろうと思ってな。お前の誕生日に、お前に告白しようと心に決めている夏菜がな」
「そうっすか」
「反応が薄いな」
「なんて言っていいのかわかんねーだけっすよ」
「なんて言っていいのかわからない、か」
そりゃわかんないでしょ。意味不明過ぎんだろこの状況。
「それでいいんだ」
「はい?」
「今は何もわからなくていい。来たる日、来たる瞬間にわかってさえいればいい」
俺の誕生日。夏菜の口から告げられる瞬間までに、って事だろうな。
「なんですそれ」
「言葉通りだ」
「そんな曖昧な事言われても。つーか、その瞬間とやらまでに俺が何もわかれなかったらどうするんすか?」
「お前の罪が増えるだけだ」
「俺が悪い事してるみたいに言うんですね」
「タチが悪い、って所か。女の敵であるのは間違いない」
「仲良しのロリ巨乳にも同じ事言われました」
「小春か」
「さあどうでしょうね」
「何かあったのか?」
「ドン引きされる案件が一つありまして」
今年の夏祭りの時だったな。あの日以降、俺に対するアタリが強めになったんよなーあの子。そりゃそうか。敵だもんな。
「気になる所であるがそこを深堀りするつもりはない。言いたい事は別にある」
「まさか、夏菜の気持ちに応えてやれ、とでも言いたいんですか? それはケイトさんにどうこう言われる事でもないですし、夏菜にとってもありがた迷惑でしょ」
最近はだいぶ柔軟になった感はあるけど、根っこからバカ真面目ちゃんで意固地な頑固ちゃんな夏菜だからさ、自分の事は自分で、ってのがあいつのスタンスなんだ。小さな頃、俺らの手を借りまくっていた反動なのだと俺は理解している。
「早とちりするな。私が言いたいのは、お前の事だ」
「俺?」
「ああ。いい加減誰かしらに言われていてもおかしくないとは思うが、まだ足りない様子だからな、私も言ってやる」
ふっと吐き出された白い息が大気に馴染むのを見送り、更にもう一拍置いて。
「お前自身の幸せを、誰か任せにするな」
少しも視線を揺らさずに、ケイトさんは言った。
「何を言っているんだこの人は、とでも思っているのか? 私に言わせれば、気が付かないとでも思ったのか、だ。私がどれだけの時間、お前たちを見てきたのだと思っている。わかっているさ。何も変えたくないのだろう? あの団地、ふじのや。そしてお前を取り巻く連中。全てが大切なのだろう? 全てを保存しておきたいのだろう? だからお前は夏菜の好意や周囲の気遣いを理解しながらも見て見ぬ振りをするばかりで、何も変えぬよう変わらぬようと、斜め下の努力ばかりしているんだ。そうだろう?」
返答をお求めらしいけど、何も言いませんからね。何も言えるわけねーんだから。
「なんだそれは。まるでおままごとじゃないか。そんな幼稚な世界に留まっていてどうするんだ。それともお前はおままごと以外の遊びを知らないのか? そしてお前が主役のおままごとにあの子たちを無理矢理巻き込んで、自分だけが幸福であろうとする? なんだ、あの子たちは脇役か? エキストラか? 使い捨ての日用品だとでも言うのか? ふざけるのも大概にしろ」
おーこわおーこわ。やめてください。泣いちゃいますよ。マジで。
「宛らお前は、壊れた時計だな。お前の時間はとっくに止まっている。お前が心底好いていた、お嬢様がいたあの頃で」
いや、それ言わないでくださいよ。なんで言っちゃうんですか。そんな事言われたって、好きになっちゃったんだからどうしようもないじゃないですか。泣きますよほんと。
「お前が心底憧れて、心底好きになったあの人は、ありふれた一日を過ごす事がどれだけ苦しかろうと、ありふれた人生を送る事がどれだけ辛かろうと前を向いて抗い続け、自らの手で幸せを勝ち取ったんだ。誰もが羨むような眩しい幸せをだ。そんな逞しい彼女の隣に生き、誰よりも近くで彼女の幸せを見届けられた」
風向きが変わり、一方的に捲し立てるケイトさんを押し戻さんばかりだった向かい風が、追い風になった。
いいぞもっとやれ。でもあんまりやり過ぎてもダメだよ?
あの人がケイトさんの背中を押してるみたいだって、そう思えてならなかった。
「それは私の幸福であり……宝物であり……誇りなんだ」
また風向きが変わって、ケイトさんの金髪が四方八方に揺れ踊る。
何それ嬉しい! でも恥ずかしいーっ!
とか言いながらケイトさんの周りを跳ね回ってる姿が、目に浮かぶみたいだ。
俺の方には遊びに来てくれないんだね。えっちゃん。
「だからこそ腹が立つ。過去に閉じこもる事を選び、自分の幸せを自分自身で用意するつもりのないお前の生き方が実に腹立たしい。あの人を隠れ蓑にされているようで、盾にされているようで、言い訳にされているようで。ああそうとも。これはほとんど言い掛かりだ。しかしダメなんだ。本当に腹が立つんだから言わざるを得ない。なあ元気」
「…………はい」
「あの人から……私たちのお嬢様から……笑顔を奪うような真似をしないでくれ……!」
その響きは、怒りながら悲しんでいるようであり、悲しみながら怒っているようでもあった。
「……っと、すまない。少し熱くなってしまった。何をしているんだ私は……」
いきなりの謝罪と自戒混じりの独り言。ただでさえどうにかなりそうなくらい脳がぐわんぐわんしてるのにその温度差ぶつけられたら余計に悪化しちまいますよ。
「何、今のは全て私個人の意見だ。ただ気に食わないというだけのやっかみだ。元気の生き方が間違っているとは思わないのも事実だ。気に食わなくはあるのだがな」
わざわざ二度言わなくても。
「ここからは老婆心という名のお節介と強制と懇願のハイブリッドだ。しかと聞け」
ちらりとふじのやの方の様子を伺う姿が確認出来た。そろそろ夏菜が不安になって顔出す頃だと踏んでいるのかな。
「まずお前は、お前の事を考えろ。他の夢や目標を捻り出せと言っているのではない。とにかく考えるだけ考えてみろ。答えがでなくともいい。自分なりのチェックポイントに辿り着いたら次のステップだ」
「次?」
「今こそ向き合え。そして考えろ。お前にとって、白藤夏菜がなんであるか。あの子たちがなんであるか。お前にとって大切な存在であると言うのならばどうして大切なのかまで考えろ。そして答えを出せ。百点満点じゃなくていい。間違っていても曖昧でもいい。何か一つ、声に出せる答えを用意しろ。以上」
一気に捲し立てられたが、一字一句聞き逃さなかった。
「……やってみます」
そんな事をさせる理由はわからないけれど、大きな意味がある事だけはわかった。だったらもうそれでいい。それ以上の事なんて何も捻り出せねえよ今は。
「よろしい」
「……礼は言いませんから」
「送られても受け取らないぞ。それは間違っているし、そもそも礼を言われるような事などしていないだろう、どう考えても」
「ですかね……」
まあ確かに? 悪い言い方すれば、俺の事いじめただけですもんね。
「あの、ちょっと散歩行って来ます。夏菜の事、お願いします」
「あまり遠くへ行くなよ。日付が変わる前には部屋に戻るように」
「子供扱いしないでください」
「子供の常套句が出てくる辺り自らが程度の低いマセガキである事を自覚しているようで何よりだ」
「うっぜ……」
「知っている。何と言っても私は、東雲朝陽エミー夫妻に挟まれて生きている女だからな」
「説得力半端ねえや……」
生きてきた、じゃなくて、生きている、ですか。
ケイトさんと俺って、もしかしなくても似た者同士なんじゃないか? なんてな。
「わかったら早く行け」
「はい……」
おやすみなさいも何もなし。くるりと反転し、団地とは逆の方へと足を早める。この辺りは街灯の間隔がやけに広く、暗闇に紛れるのはわりかし簡単だ。
「電話長かったですねー。もしかして、今まで聞いた事がないくらい大っきな大っきなお仕事なんですか!? その辺どうなんですか!? 気になるよー!」
さっさと逃げろ言わんばかりに俺の背中を押す風に乗り、溌剌とした声が届いた。あの人はどんな言葉で誤魔化しているんだろう。まあどうでもいいか。
「はあ……」
吐き出した溜息は、力を増した風に抱き込まれ、静かに溶けていった。
「そんなにおかしいかな……俺……」
荒ぶっていた風がピタリと止み、誰かに触れて欲しかった独り言だけが、虚しく響いていた。
* * *
「ふぁ……ねむ……さむ……」
あくび、愚痴、愚痴の三連撃、炸裂。眠いし寒い。腰を下ろしている石段もなんか妙に冷たくて、ケツまで冷たくなってきた。
「ん……くぅ……ココアうめ……」
暖をわけてもらうように両手で握っているホットココアからの熱もどんどん頼りなくなっていく始末。これは辛い。冬、嫌い。夏の方が好きだなー俺。寒がりなんよね。ついでに冷え性だし。何より、女の子たちが薄着になるってのがデカいよな。太ももとかうなじの辺りがバーンと見えんのめちゃくちゃ捗る。何が捗るのかは言わない。つーか言わなくてもわかるだろ? あーあ。早く来ねーかなー、夏。
「来てんの俺だけかー」
川高生たちがお世話になりまくりの川崎駅から直線距離で3キロ弱の所にある児童公園前。今日の日付。十二月二四日。現在の時刻。午前九時三十分。待ち合わせまであと三十分もある。アホか。誰も来なくて当然じゃんか。どんだけ楽しみにしてたんだっつの。や、違うか。
「ビビり過ぎだろ……俺……」
家に長居するのが怖かっただけなんだ。
あの夜。ケイトさんに言いたい放題されまくった翌日からこっち、俺と夏菜はいつも通りだった。いつも通りに登下校を共にして、いつも通りに食事をして、いつも通りにだらだら過ごしたりなんだりかんだり。その間に起きた出来事なんて、二学期が終わった事と俺の誕生祝いをしたくらい。要するに、俺の周りで特別な事なんてほとんどなかった、ってこった。
昨日なんてほんと例年通りよ。日付が変わった瞬間に奏太と千華先頭に俺の部屋にあいつらが乗り込んできて適当に祝われて適当にプレゼントもらって適当に話してたら深夜三時とかになってやがってさ。お陰様で寝不足だっつの。
どうでもいい話するぞ。俺は、俺の誕生日に不満を抱いている。何故なら、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを一纏めにされちまうからだ。今年もクリスマスプレゼントなもらえなかったもんよ。今でこそ大した文句も出てこないけど、チビガキん頃はマジで嫌だったんだよなー。クリスマスイブ及びクリスマス産まれあるあるだと思う。共感してくれるヤツ募集。ただしプレゼントはあげません。
おっと。くだらねー話ししてて大切な事を忘れてた。修、推薦受かったんだってさ。
これはめでたい。めでたいんだけど……やっぱこれ以上言わない。察してくれ。
とにかく。みんなそれぞれに順風満帆。それぞれの青春を謳歌している、と。
きっと今日も、あいつらなりに楽しむんだろうさ。俺のいないクリスマスイブを。
「何よりですよーっと」
ちょっと色々警戒し過ぎた所為で疲れ気味なもんでさ、今あいつらと一緒にいても空気悪くするだけ説あるんだわ。だもんで、今日はこれが一番。この先も長い付き合いになるかなーどうかなーくらいの連中と遊び呆ける。うん、いいじゃんよ。な? いい青春してると思わねえ? どうよこれ!?
「テンション上がってきた……!」
なんかいい感じになってきた! あーもう! 細かい事考えるのはやめだやめ! 今年の誕生日は、バイク繫りで仲良くなったヤツらと遊びまくる! いやほんといい感じじゃんか! そう思うだろ? だろだろ!?
「よーし……早くみん」
「あのぉ」
「なはーっ!?」
「ふわぁ!?」
俺の奇声と誰かの奇声とホットココアの缶が地面に落ちる間の抜けた音がほぼ同時に大音量で響いた。すっ転ばなかった辺り、我ながらボディバランスすげーと思う。
「な、何……? なんだ……?」
俺一人盛り上がる様子に水を差す声は左後方。公園の中側からだった。ちょっとビビりながら振り返ると。
「……なんで……」
瞬間、全てとは言わないけど、八割程度の事は理解した。
どうやら俺は、一杯食わされたらしい。
腰が抜けてしまったのか、地べたに座り込んだまま、微妙な笑顔を浮かべるこの子に。
「えと…………お、おはよ……元ちゃん……」
白藤夏菜に。
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