バトンタッチ

「いらっしゃいま……ケイトさん!」

「久しぶ」

「うわー! お久し振りですー! いきなり来るからビックリしましたよー! 今日はどうしたんですかー!? あ! 何食べます!? 作りますから!」

「全力の歓待は嬉しいのだが、痛い。もう少し優しくハグしてくれ」

「あごめんなさい!」

「相変わらずだな、夏菜」


 ハグを返してくれながら、私の頭を撫でてくれたって事はこの後……。


「ふむ」

「はにゃ!?」

「少し胸が大きくなったか」


 ほ、ほらきた! セクハラボディチェック!


「無駄な肉が落ちたな。尻の肉付きがとても良くなった。食事運動共に以前より良質なものになっている様子だ。甘味を口にする機会を減らしたか? このサイクルを維持したいところだな」


 なんでそんなに色々わかっちゃうの!? 受験勉強優先でお店来る日を減らしてるから意識的に運動する時間を設けないとダメかなって思ってちょっとだけでも運動するようにし始めたんだけど……も、もしかして、効果が出てるって事かな!? だったら嬉しいなあ! じゃなくてっ!


「あ、あの……触るのやめて……」

「触り甲斐のある体をしている夏菜が悪い」

「罪の意識を持つつもりもない!?」

「夏菜も私の体を」

「触りません何言ってるんですか! ほ、ほらお終いですっ! お終いですーっ!」

「そんなに煙たがらなくてもいいだろうに。私も嫌われたものだ」

「わかっててそういう事言うのよくないと思いますよ本当に!」

「店内で騒ぐものじゃない。他のお客様方に迷惑だろう? なあ、可愛い可愛い看板娘の夏菜ちゃん?」

「そういう所もですーっ!」


 こっちは結構怒ってるのに可憐な微笑みを浮かべるだけ。この店での騒動には慣れっこな常連さんたちも笑ってるだけだし。前々から思ってたけど、私たちのふじのやってちょっとズレてるよね!?


「小腹が空いた。任せていいか?」

「任せてくださいっ! 高カロリー高たんぱく質塩分過多のものすごーく体に悪い定食作っちゃいますからっ!」

「そうか。そうなると、夏菜と一緒に食べようと思っていたこのシュークリームは食べられそうにないな。夏菜と一緒に食べたかったが仕方がない。千華たちに」

「すっごく任せてください! とーっても体に優しい定食作るんで座って待っててくださいねーっ! 直ぐに作っちゃいますからーっ! それ預かります! 冷蔵庫で冷やしておきますねー!」

「ありがとう、夏菜」

「はいっ!」


 って、あっさり丸め込まれちゃってる私のバカっ! もうちょっとだけでも甘味の誘惑に抗う意思を持とう!?


「あの……夏菜先輩? そちらの方は……」

「あそっか! 優ちゃんは初対面かー!」


 厨房からひょっこりと顔を出したのは、ふじのやに加わったばかりの新米さん、黒井優ちゃん。今日も今日とて可愛いなあ!


「この子が新しい従業員さんかな?」

「そうです! この子は黒井優ちゃん! 小春ちゃんと同級生なんです! そしてこの人がケイトさん! 私たちのお姉さんみたいな人なの!」

「そうなんですか……はえーっ……」


 基本人見知りとかしないっぽい優ちゃんがドギマギしている。こんなにもキラッキラなケイトさんを目の前にしたらそうもなっちゃうよねー。私たちは小さい頃からしょっちゅう会ってたから慣れたけど、本当びっくりするくらい綺麗で可愛くてカッコいいもんね、ケイトさん。


「ケイト・アン・メイフィールド。ケイトでいい。はじめまして、優。以後お見知り置きを」

「は、はじめまして……黒井優と申します……よろしくお願いします……」

「可愛らしい子がふじのやの一員に加わったのだと千華から聞いてはいたのだが……なるほど、想像以上だ」

「お誉めに預かり光栄です……」

「そう硬くならないでくれ。可愛い顔が台無しだ」

「は、はえっ!? 口説いてるんですか!? 百合的なサムシングに一定以上の理解はあるつもりですが私には好きな人がいるんでそういうのはちょっと困ってしまうといいますかなんといいますか……はっ!? ご、ごめんなさい勝手にペラペラ喋っちゃって!」

「聞いてた以上にユニークな子らしい」

「でしょでしょー!? とにかく座ってくださいっ!」

「わかったから押さないでくれ」


 私に背中を押されても困った様子一つ見せない、天下無敵の最強カッコいいお姉さんは、席に案内しようとする私の手をすり抜けて、厨房の前に立った。


「お久し振りです大将。女将さん」

「久しいなあケイト」

「元気そうで何よりだよ」

「お二人も変わりないご様子で」

「ああ」

「まーた綺麗になったねえあんたは」

「女将さんには負けますよ」

「おや、わかってるじゃないの」


 腰の曲がったうちのおばあちゃんが、少し屈んだケイトさんの頭を撫でていて、おじいちゃんはそれを見て笑ってる。なんか、いい光景だなあって思う。


「あの、夏菜先輩。ケイトさんって人、なんであんなにお二人と仲良しなんですか?」

「ケイトさんはね、私たちが生まれるずっと前にここで働いてた事があるんだよ」

「大先輩じゃないですか! って、生まれるずっと前? あの方、お幾つくらいなんでしょうか?」

「私たちのパパママ軍団より二歳くらいお姉さんだったと思うよ」

「って事は……う、嘘でしょ……あ、あのお美しさでアラ」

「女性に年齢の話をするのは好まれないぞ、優」

「は、はひっ!? ずぃまじぇんっ!」


 いやなんで聞こえてるのケイトさん。地獄耳過ぎません?


「今日はどうしたんです?」

「あいつと共に仕事で日本に来たものでな、寄らせてもらったよ」

「じゃあ朝陽さんも近くに?」

「あいつは沖縄だ」

「沖縄って、ケイトさんは行かなくて大丈夫なんですか?」

「もちろん同行するつもりだったのだがね。大した撮影でもないからこっちはいい。お前はみんなに会って来い。ついでに一週間くらい休んでいいぞ。っていうか社長命令。だそうだ。相変わらず突拍子もない事ばかり言う男だよ、アレは」

「じゃあ!?」

「また厄介にならせてもらう」

「やったー!」

「喜ぶのはいいが仕事に戻れ。まだ営業中だろう?」

「そうだった!」

「私の食事は後でいい。夏菜も優も、閉店まで齷齪働くように」

「はいっ!」

「わ、わかりました!」

「もうちょっと頑張ろうね! 優ちゃん!」

「はい……もう何が何やら……」


 今日忙しかったから優ちゃんはお疲れみたいだけど、あともうちょっとだけシャキッと頑張ろうね! 


「ふふ……」


 カッコいい大人って言葉を絵に描いたような大先輩の前で、だらしない姿を見せるわけいかないもん!


* * *


「……うん。美味しい。また腕を上げたな」

「ほんと!? ほんとにほんとにそう思いますか!?」

「世辞は言わないよ」

「やったーっ!」


 私作、ケイトさんおもてなし定食は結構な好評を頂けているご様子。あのね、ケイトさんに褒められるとすっごく嬉しいんだよ! イマイチな出来だったとしてもちゃんと言ってくれるし、口から出まかせのお世辞を言う人じゃないって知ってるからね!


 覚えてるなあ。私がまだまだちびっこだった頃、おじいちゃんたちにお願いして料理作らせてもらって、ケイトさんが味見をしてくれた事。その時は、初めてにしては良く出来てるって言われて、次の機会では確か、前回より進歩が感じられない。本気で料理を学びたいのならばもっと頑張らなくてはいけない。次の機会までに精進するように、って言われたんだ。


 当然へっぽこな私は落ち込んだんだけど、直ぐに気持ちを切り替えられたの。だってケイトさん、次の機会って言ってくれたから。それにね、私のおじいちゃんたちと違って、美味しくないよってちゃんと言ってくれた人だから。


 おじいちゃんたちは私が調理した物を食べると、美味しい、頑張ったねって、いつでも言ってくれたの。だからケイトさんが初めてだったの。お前の作った物はイマイチだ、って言ってくれた人。


 ダメな事をダメって言ってくれる人って、素敵だと思うの。だからね、ちょっと厳しい事言われたってケイトさんの事嫌いになったりとかもう食べてもらうのやだなとか怖いなとか、そういう風に思った事って一度もないの。次は頑張ろうとか喜んでもらおうって、そう思えるの。


 料理の技術の師匠はおじいちゃんとおばあちゃんにお父さんにお母さんだけど、心持ちって言うのかな。そういうのを叩き込んでくれたのは、ケイトさんだと思ってるの。


「というかすまないな。閉店後まで付き合わせてしまって」

「営業中だとゆっくりお話も出来ませんしこれでいいんです。ケイトさんの近況とか聞きたいですし」

「面白い話など出来る人間ではないのだがな」


 困ったように笑うケイトさんほんと美人。ケイトさんこそ朝陽さんの所で女優さんになればいいんじゃないのかなあって思っちゃう。間違いなく世界中から引く手数多になると思うんだけど。


「大将と女将は休んでいるとして、優はどうしたんだ? 何やら慌てて店を飛び出して行った様子だったが」

「これから優ちゃんお気に入りのアニメの放送があるんですよ。それで急いで帰って行ったんです。そんなに楽しみなら少し早めに上がってもらって大丈夫だからって言ってるんですけど、自分から頼み込んでやらせて頂いている仕事ですのでそんなわけにはいきません! って言うばっかりで」

「真面目な子なんだな」

「それはそうなんですけど、帰り道で転んだりしちゃわないか心配で心配で……」

「無用な心配だろう。夏菜じゃあるまいし」

「言うと思いました!」

「それでなくとも遅い時間だ。心配にもなるか。今日休みの小春は兄である謙之介に迎えに来させるなり協力してもらうとして」

「う……」

「優の方も謙之介、もしくは最近大型二輪を納車したらしい元気辺りが面倒見てくれるといいのだかな」

「そ、そうですね……」


 何気なく出てきた名前が、私の脳内を忙しなくさせた。


「ごちそうさまでした。美味しかった。ありがとう」

「おっ!? おそ! お粗末さまでした!」


 いろんな事思い出したり考えちゃったりしたもので言葉が躓きながら外に出て行っちゃった。こんな大きなものが無防備に飛び出しちゃうんじゃ危ないよ。


「琢磨も真琴も夏菜の年の頃にはここまでのクオリティは出せていなかったと記憶している。重ねて言うが、本当に腕を上げたな」

「そ、そうですかねー!?」

「世辞は言わないと言ったばかりだろう」

「でしたねーっ! い、いやー照れちゃうなー! あ! 片付けます!」

「私がやる。久し振りにふじのやの台所に立たせてくれ。夏菜は座っていてくれ。少し話そう」

「は、はい……」


 少し話そう? ここで? いつもならお店のシャッター降ろして私の部屋まで一緒に来る流れなのに。それでみんなの部屋を回る前に千華ちゃんの所に行って抜き打ちで健全な生活を送れているかチェックするんだ。ばつ印もらって千華ちゃんがいじめられるまでがお決まりのパターンなんだけどな。


「なんだか久し振りだ……失礼します……」


 台所に向けて一礼してからお皿を運び込む生真面目な姿はちょっと時代錯誤なくらい。お侍さんとかの時代ならよく見られた光景だったりするのかな。


「レジ締めは?」

「へ?」

「私が勤めていた頃はやっていなかったが今は毎日やっているのだろう? 手本を見せてくれ。この店は私の再就職先第一候補だから、今のうちに知っておきたいんだ」

「再就職!?」

「朝陽の唯我独尊に疲れ果てたらあるいは、くらいの話だかな」

「そういう事ですか……ビックリした……でもそうなる事はないです。絶対に」

「どうしてそう言い切れる?」

「朝陽さんが勝手放題に暴れ回った時に止められるのはケイトさんしかいませんから。ケイトさんが投げ出すはずないですもん」

「言うようになったな」

「あうっ!」


 私の額に優しくデコピンをした大先輩は、冗談めかして笑いながらブラウスの袖を捲って、慣れた手つきで汚れたお皿を洗い始めた。


「あえて千華の名前を出さない辺りよくわかっているな」

「千華ちゃんが朝陽さん嗜めるとか想像出来ないですし、仮に咎められたとしたら千華ちゃんの周囲で暴れちゃいそうですから」

「はは、本当によくわかっているな。あいつら二人とも稀代のかまってちゃんだからな」

「稀代って言葉が世界一カッコ悪く使われた瞬間でしたね今」

「違いない」


 控えめだけど、声を出して笑うケイトさん。私たちが本当にちびっちゃった頃と雰囲気は変わったけど、笑った姿を見せてくれるとわかるの。少し厳くて、けれどとっても優しかったケイトさんは、何一つ変わっていないんだって。


「さて、夏菜は手持ち無沙汰だろう。だから少し話をしよう」

「話って?」

「謙之介と元気の事だ」


 すーっと、ほわほわと暖かった気持ちが冷えていくのがわかった。嫌な気分になったとかじゃなくて、触れられてもどうしたらいいかわからない所だから、怖くて。


「やはり謙之介も一枚噛んでいたか」

「な、何の話ですか?」

「あえて二人の名前を出した瞬間の夏菜の機微を見ていたら、何かあったなと確信出来たよ。それでなくとも今の反応だけでも十二分にわかり易いのだが」

「う、うう……」

「怒らせたのならすまない。盛り上がりに水を差した事も申し訳ないと思っている。しかし、どうしても気になるんだ」

「気になるって……何が?」

「夏菜たちの行く末、だ」


 私の。じゃなくて、私たちの。言い間違えたのかと思ったけど訂正をする様子はない。最初からこう言うつもりだったんだ。


 私一人の行動や選択が、私たちの行く末を変えてしまう。


 なんだかそう言われているような気分になるのは、自意識過剰なのかな?


「察するに、謙之介から告白された、って所か」

「え、えっと……」

「答え辛いならいい」

「私の顔見ればわかるからですか?」

「理解が早いな。いや、寧ろ遅いくらいであるのだが」

「夏菜は直ぐ顔に出るっていろんな人に言われましたから。そんな事ないって言い張ってたんですけど、流石に白旗かなあって……」

「自覚する事も大切だぞ。それはさておき。謙之介が夏菜にというのは、おしゃべりが過ぎる金髪娘が電話の最中に口走ったものでな。私自身、彼とはまだ面識がないというのに。すまないな」

「い、いえいえ! ケイトさんが謝る事じゃ……」

「こうして話題にしてしまっている以上千華よりもタチが悪い事をしているよ私は。夏菜は私に怒ってもいいんだ」

「怒るとか出来ません……苦手ですし……」

「そうか。じゃあもう少し立ち入らせてもらおう。何があったのか話してくれ。さあ」

「切り替え早いっ!?」


 思わず叫んじゃった! 理論攻めしてくるような雰囲気出してる人だけど、好奇心優先な言動行動多いんだよねケイトさんって! そんなんだから千華ちゃんに裏で脳筋とか呼ばれちゃってるんですよ!


「夏菜が怒らないと言うから。ほら、まずは話を聞かせてくれ」

「と言われましても……」

「誰かに話したい。誰かに聞いて欲しくて仕方がない。そうなんだろう?」

「……顔に書いてありますか?」

「顔など見ずともわかるよ」


 じゃぶじゃぶと洗われていくお皿に視線を落としたまま、ケイトさんは言った。


「それに、我々年長者はハイティーン世代の話を聞くのが楽しくて仕方がないんだよ。特に私は恋愛方面の話を聞くのに目がなくてね。こういう機会は逃したくないんだ」

「そ、そうなんですか? 意外……」


 長い付き合いだけどこれは知らなかった。まーだケイトは独身なのかー、ってお父さんお母さんチームに言われてるのを見たくらいで、ケイトさん発信でそういう話をしてるの見た事ないもん。


「何もかも話せと言っているわけではない。謙之介との間に起きたビッグイベントの中身全てを詳らかにしろと言っているわけでもない。ただ、話したいと思った事だけを口にしてくれ」

「私がケイトさんを楽しませるのは確定なんですね……」

「そうだとも。ほら、早く早く」


 丁寧かつ迅速に食器を捌くケイトさんの横顔には、可愛らしい微笑みが浮かんでいる。


「……お茶淹れます……」


 裏切れないなあ、この笑顔は。こんなに理不尽な事を要求されてるのにね。


 けど、良い機会なのは本当。ケイトさんに相談したいとかそういうのじゃない。


 ちゃんと確かめて、ちゃんと整えるの。こんなにもふわふわしたままじゃ、何も形になんて出来ないんだから。


「ありがとう。直ぐに済ませる。シュークリームも開けようか。女子会だ女子会」


 今この瞬間も私の心に書いてあるものを読み取っているのかそうでいないのかわからないけれど。


「楽しみだなあ……」


 今日一番幼く、可愛らしく、ケイトさんは笑っていた。


* * *


「モテる女は大変だな」

「話聞いてました!?」

「もちろん聞いていたとも。要約すると、カッコいい大人に早くなりたい白藤夏菜の事を何年も前から好いていた人がいたが、自分には昔から好きな人がいるからそ応えられず、結果一人の男を傷付けてしまった。という話だろう。なんだそれは。二十年前の昼ドラか? 私を巡って争わないでとか言い始めるのか?」

「そんな事言うわけないですっ! そもそも元ちゃんは私の事なんか……って、っていうか今更ですけど! どうして私が元ちゃんの事を好きだって事を!?」

「それに関しては顔に書いてあるどうこうではない。全身に表れている。そもそも、他所様に悟られていないと今だに思える夏菜の方がおかしいんだ。わかるか?」

「わ、わかりませんよぉ……」

「だろうな」


 得意げに微笑んで、茶道に精通していると言われても信じるくらい綺麗な所作で湯呑みを口元に運んでいる。着物の着付けとかも完璧らしいし、本当は日本生まれ日本育ちの方なのではないでしょうかと常々。


「まあ……色々あるんだな」

「はい……色々ありました」

「それで? その色々をこれからどうするんだ?」

「……どうしましょう……」


 私の答えは決まってるはずなのに、思いとは裏腹に弱気の虫が出て来てしまった。


 やる事は変わらない。というか、やらなきゃいけない。だって、謙ちゃんが応援してくれてるんだもん。


 謙ちゃんの中には色々な思いがある。複雑なものだって抱えていると思う。それでも謙ちゃんは、真っ直ぐに私を見て、応援してるからって言ってくれる。


 私の一番の友達が抱えている思い。期待。決意。そういうの全部に応える。謙ちゃんの為にも。私の為にも。


 まだ少し怖さはあるけど、やる気は充分。あとはもう突っ込むだけ。


 なのに……なんていうかな、今のままじゃいけない気がするの。何かが足りていないみたいな、そんな感じがしちゃうの。


「念願成就の為にも、夏菜の言うカッコいい大人とやらに近付く為にも、とても大切なステップだと思うのだかな。そんな事で大丈夫なのか?」

「な、なんとかします! 絶対します!」

「そして元気と添い遂げると」

「そ、そうです! 元ちゃんと添い遂げって! 何言わせようとしてるんですかっ!」

「しかし、そうなりたいのだろう?」

「それは」

「そういう妄想だってした事があるのだろう?」

「そ、それはぁ……あぅ……」

「夏菜はエッチな子だな」

「エッチじゃないです! け、結構健全ですっ! 多分!」

「怒るな怒るな」

「怒ってませんっ!」


 怒ってますアピールしたのにケイトさんは微笑んでいるだけ。ケイトさんのそういう所を見て育ったが故の美優ちゃんみたいな所あると思っているので、美優ちゃんが意地悪なのは三割くらいケイトさんの影響だと思ってますよ私はええええ。


「まあそれに関して私から言えるのは、頑張れ、くらいだな。頑張って、元気を捕まえるんだぞ」

「は、はい……」

「なんだ、まだまだふにゃふにゃだな。夏菜の言うカッコいい大人とやらが形になるのはいつになる事やら」

「がっ、頑張りますよ……!」

「そうか。頑張れ」

「はい……」


 あ、あれれ。意外とあっさり引き下がった? 話がしたいとか興味があるとか言ってたし、もっと食い付いてくるかなと思ったんだけど。


「一つ聞きたいのだが、夏菜の思うカッコいい大人とは、どういう大人だ?」

「え?」

「幾度か口にしていたから気になってな。具体的な基準などはあるか?」

「えっ、えっと……」


 具体的な基準って言われても……む、難しいなあ……正直凄く曖昧だし…………あ! い、いる! 基準っていうか、私の中にあるカッコいい大人像に合致する人!


「具体的とか言われても答えに困っちゃいます……少なくとも今のままの私ではダメだって事で、そこを変えていきたいって事で……でもですよ、基準というか、カッコいい大人のお手本みたいな人はいます」

「ほう」

「それが…………ケイトさん……」

「私? 私がカッコいい大人?」

「はい……」


 私の向かいに座るカッコいい大人代表のお姉さんは、綺麗に光るグレーの瞳をパチクリさせている。驚いたをこんなに顔に出すケイトさん、初めて見るかも。


「……は、はは……ははは……!」

「ど、どうして笑うんですか!?」


 こんなに大きく口を開けて笑ってる姿も初めて見ました! 可愛い!


「いや何、夏菜には私がそう見えているんだと思ったら愉快でな」

「その……カッコいい大人って言ったら小さな頃からケイトさん……でした……」

「嬉しい限りだが、私などまだまだ未熟者だ。それに、言うほど大人でもないぞ。大人になりきれないが故に今でもこうして独り身だしな」

「えと……それって関係ってあるんでしょうか……?」

「大いにある」

「そうなんですか……」

「こと恋愛面においては夏菜の方が私よりも圧倒的に大人だろう」

「え、ええ!?」

「いや本当に。本当……夏菜が羨ましいよ……」


 急にしょぼーんとしちゃった。今夜のケイトさんはいつになく表情豊かだ。


「あの、それはつまり……」

「誰にも言わないと約束してくれるか?」

「へ?」

「夏菜にばかり恥ずかしい思いをさせたのではフェアでないからな。さして面白くもないだろうが、私の話を」

「聞きたい!」


 ぐいっと前のめりになってケイトさんに近付くと、びっくりさせちゃったのか、きゃっ、って声が出てた! 激レアだよ今の! 動画撮りたかったなー!


「聞かせてください今すぐにっ! 何があっても誰にも言いませんし顔にも出さないようにしますから! 約束しますっ!」

「そ、そんなに食い付きがいいとは思わなんだ……まあいい……」


 すでに少し恥ずかしいのか、雪みたいに真っ白なほっぺの一部分が、ほんのりと赤みを帯びている。いやーなにこれー! 今日のケイトさん可愛すぎるよーっ!


「その……手前味噌になるが……言い寄られた事はあるんだ……計算が追い付かないくらいたくさん……」


 知ってました! こんなにステキな人を世界が放っておくわけがないですから!


「いいなと思う人は何人かいたんだ……この人とならきっと上手くいくとか、そんな事を考えさせてくれるような人もいたんだ……けれど……」

「何か理由があるんですか?」


 言い出してハッとした。まさかとは思うけど……ほ、他の誰かとお付き合いしている人を好きになっちゃったとか!? そ、それはダメなやつです辛いやつです! もしかしてその人が……あ、朝陽さんだったり!? いやいやそれは流石に……でも…………いや! ない! ないよ! ないからっ!


「なんというか……知らぬ間に恋愛観が尖っていったというか……融通が利かなくなっていったというか……」

「つまり?」

「恐らく…………いや。間違いなく、あの人とあいつの影響だ。私がこうなったのは。何せ、あの二人が心を通わせていく様は……私には鮮烈過ぎたから」


 早とちりした私のバカ。反省しなさい。


 そうですよね。私は、あの二人が一緒に過ごす姿を見た事がない。それでもわかる。


「私も……お嬢様と朝陽みたいな……眩しい恋愛をしてみたい……なんて……」


 えっちゃんと朝陽さんは、世界中が羨むようなキラッキラに輝く恋愛をしていたんだって、知ってるもん。


 朝陽さんの事を楽しそうに語るえっちゃん。えっちゃんの事を幸せそうに語る朝陽さん。時期はズレていたし、えっちゃんは朝陽さんの事全てを話してくれたわけじゃないけど、お互いがとっても好きで大切だって事、これでもかって伝えてくれたもん。


 大きくなった今でもそうだよ。朝陽さんが一番ニコニコになるのって、えっちゃんの話をしてる時なの。千華ちゃんの話をしてる時もニッコニコなんだけど、ちょっと意地悪な感じの笑顔なの。見比べてみるとわかるよ。


「これが冗談や説得力を持たせる為の作り話なら笑えるのだが……残念ながら本気も本気なんだ。何人かと交際をした事はあるのだが、その都度言い知れぬ違和感に苛まれそのままお別れというパターンを数度経験した。そんな私だからか、半年以上交際が続いた試しがないんだ。ここだけ切り取ると色情狂か何かみたいだな」


 自虐めいた微笑みでさえ今は可愛くて可愛くて仕方がない。だってほっぺ赤いし、湯呑みくるくる回したりしてるし。行儀が悪いとか手わすらするんじゃないって私たちを怒る側の人だったのになあ。


「しかしめげる事なく私は頑張った。頑張ったんだぞ? それでも結果は伴わない。気付けばお嬢様と朝陽や真琴と琢磨を始めとした友人連中は伴侶を得ていて、愛らしい子供まで生まれていて。それら全て、自分の事のように嬉しかったよ。しかし……羨ましかった。皆がしているような事の出来る自分になりたいし、こんな幼稚な私を認めてくれる相手に出会いたい。まあ、叶わぬ願いで終わってしまうのだろうけれど」

「ケイトさん……」

「多感な時期に抱いた夢に拘って生きていたら、仕事に追われるばかりの、夢のない大人になってしまった。というわけだ」


 忙しなく動いていた喉を労うように少し冷えてしまったお茶を勢い良く飲み干した。大きな呼吸を一つを挟んで、あちこちをでたらめに泳いでばかりだったグレーの瞳が、私を捉えた。


「内緒にしてくれよ?」

「はい……」

「まあ……なんだ。私はカッコいい大人などではない、という事だ。というか、カッコよさなどどうでもいいと思っている」

「え?」

「私が言うと負け惜しみみたいになってしまうのだが……自分の拘りを拘り抜く事、貫き通す事が大切なのだと思うんだ」


 私を真っ直ぐに見るケイトさんの背筋はピンと伸びていた。もう、いつも通りのケイトさんだ。


「私は結果を伴わせる事が出来なかった。あの二人が見せてくれた以上の鮮烈な光景に出会えず、自分の意識も変えらなかった。しかし、後悔はないんだ」

「後悔……」

「強がりだとか負け犬の遠吠えだとかそんなんだから結婚出来ないんだと言われてしまいそうだが、そう思ってしまうのだから仕方がない。負け犬なりに意地を張り通し、今日までブレずに生きてこれた。そういう私が、私は好きなんだ」


 少し残っていたシュークリームをパクッと齧るケイトさんはもう、恥ずかしがるような素振りをしていなかった。


「そうなんですか……」


 うん。やっぱりだ。ケイトさんは拘っていないとの事でしたし、そんな事ないの一点張りでしたけど、やっぱりケイトさんはカッコいいです。ケイトさん自身がなんて言おうと。他の誰かがなんて言おうと。ケイトさんはカッコいいんだって。私の憧れなんです。


「……夏菜?」

「はい」

「夏菜にも、後悔をして欲しくないんだ」

「はい」

「初恋を成就させ、行く行くはカッコいい大人になる。それが夏菜の拘りであるのなら、とことんまで拘って欲しい」

「はい」


 もちろんです。その為にいろんな事を私なりに頑張ってきたんですし。


「そしてこれは……身勝手な感傷の押し付けになるのだが……私が果たせていない事を、代わりに果たして欲しい。小憎らしいなと私が思ってしまうほどの眩しいものを手にして欲しい」

「はい」


 ケイトさんが大切にしている拘りの一割とかそれくらいだけでも、私に肩代わりさせてください。きっと、形にしてみせますから。


「これ以上あれこれ言っても夏菜を困らせるだけだと理解している。だからこそ言う」

「はい」

「元気を、絶対に逃すな」


 強めな語気と反比例するみたいに、ケイトさんの表情は優しかった。


「はいっ」


 小さな頃から変わらない夢。願い。拘り。それに、謙ちゃんや修ちゃんに誓った事、嘘にするわけにいかない。何より、私自身に嘘をつくわけにいかない。


 正直、まだふわふわしている部分はある。都合良くパッ! と不安が消えてくれたりなんかしない。


 だけど。不安を上回る熱量の何かを、ケイトさんが分けてくれた。


 応えるんだ。期待に。貫き通すんだ。自分自身の拘りを。


「いい返事だが……」

「なんです?」

「いや何、言われるまでもない、といった様子だなと思ってな」

「やりたい事もやるべき事も、ずっと前から決まってましたから」

「なら、要らぬちょっかいだったかな」

「そんな事ないです。こういうちょっかいをケイトさんに朝陽さん、みんなのお父さんお母さんからしてもらわないと調子狂っちゃうから」

「変わってるな、夏菜は」

「変わった人たちに囲まれて育ちましたから」

「……可愛くなったな。夏菜」

「キャサリンさんには敵わな」

「ちょっと待て。今……なんと?」

「キャサ」

「知っているのか?」

「みんな知ってますよ。けど反撃を受けるのが怖くて言わないだけです」

「……誰から聞いた?」

「随分前に朝陽さんから」

「よし殺す今日殺す今殺す惨たらしく殺す。沖縄にヤツの墓を建ててやる」


 笑顔はそのままに物騒な事言うの怖い。とても怖い。い、言わなきゃよかった……で、でもでもっ! なんか言いたくなっちゃったんだもん!


「こ、こほんっ。それで、具体的なプランは何かあるのか? なんなら今から告白でも」

「い、いきませんっ! 急過ぎます!」

「じゃあどうするんだ? 出来れば私がこちらにいる間だとありがたいのだが」

「ケイトさんにはごめんなさいですけど、色々やろうって決めてる日がありまして。今月の後半なんですけど……」

「今月の後半…………ああ、元気の誕生日か?」

「そうです」

「その日に?」

「元ちゃんと……でっ、デートっ! しま……す……」

「もう伝えてあるのか?」

「これからです」

「誘えるのか?」

「が、頑張りますっ!」

「デートして、それで?」

「そ、それから……それから……えと……言います」

「なんて?」

「元ちゃんの事が……好きだって」

「……そうか」


 口に出しちゃうと、意外と恥ずかしさはなかった。そういえば、こうして全部を言葉に出きたのはいつ以来だろう。もしかしたらほとんど始めてって言っていいくらいかもしれない。


 そっか。ちゃんと口に出せるようになったんだ、私。進歩出来てるんだよ、きっと。そう思っておこう。


「……夏菜」

「はい」

「何度でも言う。頑張れ」

「はいっ!」


 勢い良く頷くとケイトさんも頷いて、微笑みかけてくれた。


「さて……そろそろか」

「お開きにします?」

「ああいや、一本電話を入れなくてはいけない時間でな」

「こんな遅くにですか?」

「向こうはもう朝だよ」

「あそっか!」


 そうだった。ケイトさんの本拠地は日本じゃなくてアメリカだった。日本人より日本人日本人してるから真面目に忘れちゃう瞬間があるの仕方ないよね。


「直ぐに済ませる。いつでも店を閉められるようにして待っていてくれ」

「外で電話するんですか? 寒いですし、わざわざ外で電話しなくても」

「夏菜にもまだ聞かせられないビッグなプロジェクトの話なんだ。少し待っていてくれ」

「は、はい……」


 コートを羽織り直して、暖簾を外した扉と半分近く降りたシャッターを潜り抜けて、寒々しい冬空の下へ、ケイトさんは出て行ってしまった。


「真面目な人だなあ……」


 ケイトさんは理解してくれていますか? ケイトさんのそういう所も好きですし、カッコいいと思ってるんですよ、私は。って言ったとしても、これくらい当然だ、くらいの答えが返ってくるんだろうなあ。


「ふふ…………よしっ!」


 何度もその気になった。何度も誓った。これ以上もう、誰かに頼っちゃいけない。だからこれを、最後の上乗せにしよう。


 今まで重ねてきたものの中にそっと混ぜ込んで、全てを抱き締める。ちょっと歩き辛くなっちゃいそうな重さだけど、それでも構わない。抱えて会いに行こう。伝えに行こう。


 私の抱えているありったけを。真正面から。ぶつけちゃうんだ。そして掴み取るんだ。欲しいもの、全部を。


「待ってろ……クリスマスイブ……!」


 十二月二十四日、土曜日。


 決戦だ。

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