赤嶺謙之介の青春
「あれ、今日はサッカー部も野球部も部活お休みなのかな?」
「うろ覚えだけど、球技大会の後は毎年そうだった気がする」
「あー言われてみればそうだったかも! 謙ちゃん凄い! よく覚えてるねー!」
「た、たまたまだ……」
あーもうヤバい。こんな程度の事褒められたくらいでニヤけてしまう。しかし、頑張って堪えてる方なんだぞ。今までの俺なら二人きりとか隣同士とかそんな状況になる前に逃げ出してたもんなあ。これでもめちゃくちゃ耐性付いた方なんだ。褒めろ。いや耐性とか言い方悪いわなんかイメージ良くないわ誰が褒めるか謙之介ボケコラ。でもでも、隣の子可愛い超可愛いヤバいもうヤバい無理辛いしんどい足攣りそう泣きそう助けて嘘助けないで誰も邪魔しないでお願いだから。
「どうかした?」
ひょいっと首を傾げて俺の目を覗き込んでくああああ近い可愛い肌ツヤツヤ前髪伸びたね可愛い可愛い超可愛い無理好きああ好き死んでしまいます可愛い無理無理。
って、落ち着け俺! 白藤が可愛いのは今に始まった事じゃない! 生まれつき可愛いの白藤は! それに、これくらいの距離感で二人きりってシチュなら今年の夏以降ちょいちょいあっただろ!? これまでの経験を活かせ! 緊張で吐きそうになってる場合じゃねーぞ! 気張れ! 赤嶺謙之介!
「いやなんでも……ああそうだ。白藤はどうして五組に?」
「謙ちゃんにお疲れ様でしたって言いたくて! 本当はラインで済まそうと思ったの。謙ちゃん疲れてるだろうし。でもね、謙之介なら五組にいるぞー。そういうのは口で言った方がいいんだぞー。って奏ちゃんが言うから寄ってみたの!」
「なるほど……」
なーにが邪魔したくなっただあの野郎。なんだかんだとお人好しなんだよなーほんと。
「とにかくお疲れ様でした! 試合は負けちゃったけど、謙ちゃんすっごく頑張ってた! 試合出てた人の中で謙ちゃんが一番気合入ってるなーっていうのが見てわかるくらいだったよ!」
「あーっと……空気読めない……感じだったかな……」
「え? どうして?」
「一人だけ張り切り過ぎ、みたいなさ……空気読めよみたいな……」
「うーん……よくわかんないけど、一生懸命なのはとっていい事だと思うよ? だから謙ちゃんは何もおかしな事してないと思うんだけど……そ、それが空気読めないって事なのかな? 空気読むとか読まないとか難しいね……よくわかんないや……」
「……ありがとう……」
「へ? どうしてお礼言われたの私?」
「ああいや、気にしないでくれ」
他の誰もが煙たがっていた俺の有り様を肯定してくれた。それが、びっくりするくらい嬉しかっただけだから。
「変な謙ちゃん」
「そうかな」
「そうだよ」
「……帰るか」
「うんっ」
満面の笑みで頷く姿は、小さな頃から少しも変わらない。可愛いなあ、本当に。
荷物を引っ掴んで廊下に出ると、何も言わずに隣を歩き始めてくれた。うわ近い。ドキドキするヤバい。
「運動部が活動してないと静かだね」
「確かに」
運動部連中が発する怒号にも似た音の波はなく。今日は吹奏楽部も活動していないのか、隙間風が駆け抜ける音一つがやたらと大きく聞こえる。つい数十分前とはまるで違う場所に来たような気分だ。
「白藤は今日何に出たんだ?」
「バレーボール! 背が高いからうってつけだねって言われて。一回戦は勝てたんだけど二回戦で負けちゃった。私も全然活躍出来なかったし……でもでも! 二回かな! ブロックに成功して点取れたの! あれ嬉しかったなー! 私も役に立てるんだーって! 欲を言えばアタックでも点取って見たかったんだけど、へなちょこしか打てなくてダメダメだったの……もっと練習しておけばよかったなあ」
ブロックの手の形を作ったりスパイクのフォームを披露したり、落ち着きなく自身の活躍っぷりを語ってくれる。逐一可愛いなあ。
「見たかったな、白藤が頑張ってるとこ」
「い、いいよいいよ! 見なくて! へたっぴだし……」
「上手いとか下手とか、そんなの大した事じゃないよ。ただ、ちゃんと見たかったなって。友達が頑張ってる姿」
「そ、そっか……」
さらっと言えたな、友達ってワード。進歩してるじゃんか、俺。
「……そうそう! 美優ちゃんと千華ちゃんはペア組んでテニスのダブルスに出たの! 結果どうだったと思う!?」
「一回戦敗退」
「あれ? 知ってたの?」
「お、当たった」
「あれれ!? 知らなかったの!?」
「浅葱はいい仕事するだろうけど、相方の方がやらかしまくったんだろうなって」
「正解……空振りしたり転んだり……ある意味千華ちゃんの独壇場だったよ……」
「重度の運動オンチだもんなあいつ」
「で、でもでも! 頑張ってたんだから! それにね凄いんだよ! 千華ちゃん、サービスエース取ったんだから!」
「相手が目測誤って空振りしたのだと予想」
「も、もーっ! 正解だけど素直に褒めてあげてよー!」
「褒めても調子に乗るだけだからなあ」
「そ、そうかもだけどー!」
え? プンプン怒ってる姿、はちゃめちゃ可愛くないですか? はい可愛いです。こんな姿が見られたのも金髪アホのお陰かもしれない。ありがとう。やるじゃんか。なんて、素直に褒めてみたり。
しかし、だ。こんな冗談交じりの会話が出来るようになったんだな、俺たち。
俺が白藤を直視出来ずに避け続けてきたから、白藤も俺と距離を置かざるを得ない。そうして何年も何年も、近くにいるのに遠くにいたんだもんな。勿体無い事してたんだよなあ、本当に。
「わ、寒いーっ」
外履きに履き替え外へ出ると、冷たい風に手荒い歓迎をされた。寒そうに襟元きゅっとする仕草無敵可愛い。し、しまった! マフラーしてくればよかった! そしたらあのラブコメあるある的なマフラーレンタルイベント出来たのに! やらかしたーっ!
「もう十二月だもんなあ」
「なんかあっという間だね」
「ついこの前進級したばかりって感じなんだけどな」
「それそれ! なんだか今年は一際早く過ぎて行ってるような気がするよ」
「あーわかる」
わかるっつーか間違いなくそうだよ、少なくとも俺にとっては。春の体育祭からこっち、一日一日が濃密だったから。
「あっという間に卒業式の日になっちゃいそうだよね」
「あと三ヶ月か……」
「三ヶ月しかないんだね…………あ!」
微かに漂い始めたしんみりムードを振り払う、白藤の大きな声。どうやらサブグランドの方に気になる物を見つけたらしく、脇目も振らずたたたっと駆けて行ってはーっ!? し、白藤パンツ! 危ないパンツ! 見えそ危な俺死ぬヤバパンツ! ですっ!
「ねーねーこれ!」
「はふぅ……」
「謙ちゃん? 謙ちゃーん!」
「お、おう! 急にどうした!?」
見えなかった。見えなくて良かった。見えてたら全力ダッシュでこの場から立ち去っていた事だろう。前屈みのまま白藤の隣を歩くとか白藤に申し訳ないし、ある種の拷問だし。見えなくてよかった……ってのは強がりだよ決まってんだろ! はー! 見たかったなー! 白藤の生パンツー!
「ほらこれ!」
「サッカーボール?」
白藤の両手の中には、白黒基調のオーソドックスなサッカーボール。サッカー部の連中はもっといいボールを使ってるし、球技大会のスタッフ連中が片付け忘れた物だろう。
「片付け忘れちゃったのかな」
「だろうな」
「…………謙ちゃん謙ちゃん! そこ! ちょっとだけ!」
白藤は頻りにサブグランドを指差している。なるほど。言いたい事はわかった。
「勝手にグラウンド使ったら怒られちゃうかもだぞ?」
「ちょ、ちょっとだけだから! それに私たちは落し物のボールを拾ってあげたんだからちょっとくらい大丈夫……だと思う……多分……」
「急に弱気になるんかい…………怒られる事になったら一緒に怒られてくれる?」
「もちろんっ!」
「よし」
とは言いつつ、どんだけ怒られてもかまへんかまへんと思っている俺である。だって、白藤とサッカー出来るんだぞ? こんな機会二度とねえんじゃねえかな。だったらやるしかねーじゃんって事で、パタパタ動き回る白藤に続いてサブグランドへ突入。なんかテンション上がってきたぞぉ!
「よーっし! 謙ちゃん! パスっ! えいっ! あっ!」
「おっと」
気合いを乗せた爪先で押し出されたボールは明後日の方向へまっしぐら。慌てて飛び付きトラップ。反応早かったしコントロールも上手くいった。やるじゃん俺。
「ご、ごめんなさい! 変なとこ行っちゃった……」
「力み過ぎだな。そんなに力込めなくてもボールは前に飛ぶから。あと、なるべく爪先で蹴らない方がいい」
「あーそっか! インサイドキックって蹴り方をするのがいいんだよね?」
「そうそれ。足の内側の面でボールを押し出す感じ。ほいっ、と。こんな感じ」
「き、きた……ほっ! ちゃ、ちゃんとボール止められたー!」
めっちゃ喜んでるなあ可愛いなあとんでもないなあたまんねえなあもう。
「えっと……力抜いて……足の内側で……ボールを押し出す感じ……とりゃっ」
「お、いい感じいい感じ。さっきより正確に蹴れてるぞ」
「言われた通りにやったら出来たー! 凄いね謙ちゃん! 教えるの上手ー!」
「そ、そうかな……」
「うんうん!」
「……くへへ……」
いけね。褒められたの嬉し過ぎて俺自身すら聞いた事ない笑い声出ちまった。くへへってなんだくへへって。
ふっ。と俺が蹴り出して。ほっ! と白藤が蹴り出して。およそ10メートルくらいの距離をコロコロとボールが行ったり来たりを繰り返している。それだけ。サッカーやっていれば当たり前の事をしているのに、相手が違うだけでこんなにも感じるものが違うんだなあ。
「実は私ね!」
「うん?」
「本格的に習ってみたかったの! サッカー! 小さな頃の話だけど!」
「そうだったのか」
「全然自信はなかったんだけど、謙ちゃんたちがいつも楽しそうにサッカーやってるから、なんか羨ましくて。けどダメだった」
「親に止められたとか?」
「ううん。その…………ちょっと怖くて……ダメだったの」
「怖いってどうして?」
「え、えっと……恥ずかしい話なんだけど……みんなに混じって初めてボール蹴ろうとした時に……思いっきり空振りして後ろに転んで頭打っちゃって……サッカーが怖くなっちゃったの……ちょっとだけ……」
「そうだったのか……」
このエピソードは初耳だ。言われてみれば、俺やあいつら、浅葱と東雲まで参戦でなんとなくバス回ししてる時も、白藤は輪の外から見ているだけという事があったような。そんな裏側があったとは。
「あ! でもねでもね! 見てるのはずっとずっと好きだったよ! みんな楽しそうにしてるから、見てる私も楽しくて!」
「そっか……」
「えいっ! よし、上手に蹴れた……今なら転ばない! こんなに大きくなる予定はなかったけど、大きくなったもん!」
「と言っても力み過ぎたら危ないから気を付けてくれよ」
「わかってますー!」
と言いながら、球速はどんどん早くなっている。慣れてきたのか力みが出て来たのか、それとも楽しんでくれているのか。
「あーあー。私もサッカー出たかったなあー。どうして女子はサッカーなかったのかなあ……美優ちゃん千華ちゃんと一緒に出たかったなあ……」
「グラウンドがもう一面あれば女子もワンチャンあったかもなあ」
「だね…………はいっ、この話はおしまいっ。もう終わった事言ってても仕方ない! 謙ちゃんたちが頑張ってるとこ見れただけでも良かったと思わな……きゃ!」
バシッと蹴り出したボールは一直線に俺の右足へ飛び込んで来た。球速もいい。ナイスパスだ。
「やっぱみんながサッカーしてるのを見るのは楽しいなあ……見れてよかったなあ……」
楽しんでくれたのなら何より。けども、これで五組が勝っていたらもっと……うん? 勝っていたら、どうだったんだろう?
「……もしもの話だけどさ」
「うん」
「六組じゃなくて五組が勝っていたとしたら白藤は、俺に会いに来てくれたのかな」
「へ?」
「……なんて……思った……みたいな……」
急に弱気の虫が出て来た。いや違う。ただの罪悪感だ。だってほら。
「うーん……五組が勝ってたらかー」
白藤を困らせるような事、言っちゃったから。
「そうだなあ…………悔しい! って最初になるんだと思う。六組が負けちゃったら。クラスメイトたちには勝って欲しいもん」
「だよな……」
「わ。とと……」
そりゃそうだよな。何聞いてんだ俺バカか。と思いながら蹴り出したボールは精度を欠いていて、白藤へと真っ直ぐに届けられなかった。
「それで……五組が勝ったら…………何も変わらないと思う」
「どういう事?」
「六組が負けて悔しい! いつかリベンジしたいね! って話をみんなとしたその後に、謙ちゃんに会いに行くんだと思う」
よいしょよいしょと不器用な球裁きで蹴り易い位置へとボールを運びながら、白藤はそう言った。
「謙ちゃん凄かった! 優勝おめでとう! って言いに来るんだと思う。それでね、次は六組が勝つからー! とか言っちゃうの。次っていつの話だよって謙ちゃんにツッコミ入れられたりしちゃうんだろうなあ」
「いや、来づらくない?」
「どうして?」
「だってさ……」
「全然そんな事ないよ。だって、友達が頑張ったんだもん。そういう姿見れるだけで楽しいし、嬉しいんだもん」
長く伸びた髪を冬の風と踊らせながら、そう言った。
「……なんか、小さな子供みたいな言い方するんだな」
「い、言わないで! 語彙力? っていうの全然ないの私!」
「知ってるよ」
「知ってたんだ!? ちょっとショック! えいっ!」
パタパタしながら蹴り出したもんでフォームはぐちゃぐちゃ。それでも真っ直ぐに、俺へとパスは届いた。
友達。当たり前みたいにそう言ってくれる。慣れたつもりだけど、やっぱりまだ、ちょっと馴染まない。
けど、嬉しいなあ。こそばゆいとか照れ臭いとか恥ずかしいとか色々あるけど、嬉しいには敵わない。
ひたすらに嬉しいんだ。友達って言ってもらえる事。友達って言える事も。
何度でも言うが、十年掛かったんだ。こんなにもありふれた会話を、目と目を合わせながら出来るようになるまで。
「これでも結構おしゃべり上手になるよう頑張ってるんだけどなあ……その……みんなには内緒にして欲しいんだけど……人の心を掴む話し方を学ぶ的な本を買って読んだりもしてるの……」
そんな物に頼らなくなってこっちの心はガッチリ掴まれてるよ。繰り返し何度でも言うが、十年前から。
その十年の間。白藤との間に何もなかった時間が長過きたけど、それなりに積み重ねられた物もあるもので。
控えめにおはようと言ってくれる白藤。ぶっきらぼうなおはようか小さな会釈で返すのが精一杯だった俺。
こんなの、何のエピソード性もないような一幕だ。しかし、たったそれだけが、ずっと俺を支えてくれていた。出会った日から今日まで、ずっとだ。
感謝しているんだ。可愛い妹がいる事以外に碌な取り柄もない俺の人生を支え、頑張れる理由になってくれた事。
白藤がいる。それだけでどんなことだろうと頑張って来れたんだから、俺ってヤツはかなりのチョロ甘小僧なのかもしれない。けどさ、実に人間らしくて、実に男の子らしい動機だと思わないか?
でもそれは、男の子の話。
そろそろ一つ上の話を。男の話をしなきゃいけない。
理由を貰ってるばかりじゃなく、一緒に理由を作りたい。もっと言えば、理由になりたい。
「あ、あの! ここだけの話にしてね!? 絶対してね!?」
「わかってるよ」
「こうして釘刺すような真似してるのは謙ちゃんの事を信用してないとかじゃないんだよ!? そういうのじゃなくて」
「それもわかってるよ」
恥ずかしがり屋で照れ屋さんだもんな。それで、ちょっと思わせ振りだったりもして。
「なあ、俺からもいいか? ここだけの話、ってヤツ」
「……私に?」
「そう」
「う、うん! うんうんっ! 私でよければなんでも話して!」
自分自信を頼りない存在だと思っているけれど、人に頼られるのが嬉しくて仕方ない。いざ頼られたのならば、期待に応えようと粉骨砕身。自分の事など脇に置いて突っ走る。結果、ちょっとばかり空回りしてしまったりもして。
なんかだかんだと俺はよく知っているんだな。白藤の事。
だから、わかってるさ。
こんな予定じゃなかった。偶発的だし、言ってしまえば奏太のお節介だけど。
ここが、最後のチャンスだって事くらい。
「じゃあ…………白藤」
「はいっ!」
「好きだ」
「へ?」
「俺、白藤の事が好きだ」
白藤の笑顔が僅かに強張ったのを、見逃さなかった。
春先にフラれたばかりだ。気持ち悪いと思われたかな。いやあそれはないか。白藤だし。白藤は今、困っているんだ。それならばお互い様だ。俺だって絶賛お困り中だ。
だって俺、やっぱ気持ち悪いじゃん。あんなにはっきり断られた相手に再度告白とか。ヤンデレ気質のストーカーかなんかか俺は。
けど、言わない事にはどうにも出来ない。伝えない事には先が見えない。それならやるしかないじゃんか。
「二度目なんて迷惑だよな。わかってる。ごめんな。でも、ここで返事が欲しい」
少し風が強くなったのか、白藤の黒髪が魅せるダンスが激しさを増した。それを諌める事もせず、ただ真っ直ぐに白藤は、俺を見ている。何かを考え込んでいるとか、迷っているとか、そういう風には見えなかった。
わかってるさ。白藤の中にある答えは、一つだけなんだ。そして、それをちゃんと言える女の子だって事も。
知ってたよ。ずっとずっと、昔から。
「…………ごめんっ!」
勢い良く頭を下げながら、白藤が叫んだ。
「ごめん……なさい……」
だよな。わかってた。
ごめんの言葉を聞いても、そんな程度しかしでてこなかった。
「頭を下げるなんてよしてくれ。謝るのも。白藤は何も悪くないだろ」
悪いのは俺だ。悪いし、気持ち悪いし。
絶対に勝てない戦いだってわかっていて突っ込むという、何の成果もあげられないバンザイアタックをした俺が悪い。
しっかりフラれて、ちょっとスッキリしたような、何処か晴れやかな気分になっている俺が気持ち悪い。
俺さ、頑張ったんだ。だって、頑張る以外知らないから。だから頑張って頑張って頑張った。しかし、どんなに頑張っても願いが叶う事はなく。成就の可能性は限りなくゼロに近いんだと思い知られるばかり。
春先の告白劇は俺史上最大に根性出した場面ではあったが、ああいう展開になったのだってまったくの偶然だ。自分から言えたは言えたけど、あの場面を演出したのは俺自身じゃなくてあいつらだ。
俺史上最大に根性出した場面でさえダチに甘えた結果とか。ダメすぎるだろマジで。
そもそも、美談みたいに言おうとしたが、この十年近く自分から何のアクションも起こさなかったんだぜ? そりゃあ目論見通りになんていくわけねーよ。
俺はヘタレで。ノロマで。ダサくて。キモくて。チキンで。そのくせ無鉄砲っつー本当にどうしようもないヤツなんだって、体育祭の日からこっち、骨身に染みるほどに思い知らされた。
けど、一度の玉砕くらいなんだ。まだ望みはある。諦めなければきっといつかは。まだ何も終わってないんだぞと、自身を鼓舞し続けた。
そうする事で、痛みや辛さに気付かぬフリを。自分の無力さや情けなさを認めないように。諦めていないフリをしていた。
いや、少し違うか。
白藤と話せる事、近くにいられる事。笑顔を見せてくれる事。全てが嬉し過ぎて、どれだけ覚悟を決めようと思ってもただ一つ。諦める勇気だけが持てなかったんだ。弱い頭で一生懸命考えても、他の方法を知る事も出来ず、ここまで来てしまった。
だからもう、この手段しかなかった。
告白した所で見えている情けない結末。それを、形にしてしまうしかなかった。他の誰でもない、白藤に。
「謙ちゃん……」
俺の夢は、叶わないんだよって。諦めなきゃダメなんだよって。
白藤夏菜の言葉で思い知らされる以外には、エンドマークが打てないんだ。
この、臆病な初恋に。
「なんで白藤が泣きそうになってんだ」
「だ、だって……」
「それはダメだ。ダメだぞ? そんな顔されたら……困る。とっても困る」
「困るって……」
「って、進行形で困らせてる俺が何言ってんだろうな。最初から困らせるなって話だよな。ごめんな」
「謙ちゃんが謝るのも違うよ……」
「ううん、違くない。全然違くないよ。これから元気に告白しようとしてる白藤を困らせてるのは俺だからな。俺が謝らなきゃいけない所なんだよ」
「け、謙ちゃん…………もしかして……」
「ああ。知ってた」
ずっと昔から。白藤夏菜の目には、松葉元気しか映っていなかった事くらい。
「知ってたけど、どうしても言いたかったんだ。だからこれは、自己満足みたいなもんなんだ。巻き込んでごめんな」
「う、うう……」
「きっぱりフってくれてありがとう。これでようやく…………やっぱなし」
やめた、これ以上言うのは。ここまでで充分ダサいのに、これ以上はマジで無理。多分立ち直れなくなる。踏み止まれよ、俺。これからの人生の方が長いんだぞ。
「まあ……なんだ…………応援してるからな。頑張れよ」
「え、えと……」
「応援されたら迷惑か?」
「えっと……あの……」
「それくらいいいだろ? だって俺たち、友達だろ?」
「……友達……?」
「そう。友達」
何度だって言うぞ。
「俺と白藤は友達だ。これからもずっと。何があろうと」
十年近く掛かった事を今してる以上に美化するつもりはない。ひたすらに情けない事だと思う。
けどだからって、薄っぺらい物だと思わない。だって今の俺たち、いい友達だと思うもん。
ダメダメな道のりだったなりに、悪くない所に辿り着いたよって、胸を張って言える。
あの十年は、無駄じゃなかったんだ。
だからこそ、俺と白藤が笑顔でそう言い合えるこれからを作らなきゃいけないんじゃないのか。男の俺が、前に出てさ。
「迷惑かもしれないし、気を使わせちまうだけかもしれないけど、俺で良ければいつでも頼ってくれ。必ず白藤の力になるから」
「ま、待って謙ちゃん……まだ私……」
「いいんだって。いいんだ……」
臆病なりに頑張れた。遠いなりに触れ合えた。楽しかった。その全てを思い出にして、背負って生きていくんだ。
「それとも、俺の言う事はちっとも信じられないか?」
「そ、そんな事ないよ! 謙ちゃんの事はすっごく信じてるし頼りになるし! そ、それに……」
「うん?」
「私の…………い、一番の……友達だって……そう思って……」
「……そっか」
ありがとうな、白藤。残酷だなんてこれっぽっちも思わないよ。寧ろ欲しかった言葉の最上級だ。本当にありがとう。
「あ、あの…………えっと……」
「頑張って喋ろうとしなくていい。その頑張りはクリスマスイブまでとっておくといい」
「ふ、ふぇ!?」
「クリスマスイブ。元気の誕生日辺りに何かするつもりなんだろ?」
「あ、あっ、あのあのあの」
白藤のわかり易さったら。あいつらだって何かしら感じてんじゃねーかな。きっと、元気も。
「もう一度言う。頑張れよ、白藤。一番の友達の俺が応援してるから」
「…………う……」
「う?」
「…………うん……頑張る……」
「そうそう! それでいいんだよ!」
俺みたいな臆病者だって。弱いように見せていて、頑丈な一本芯の通った白藤みたいな強い女の子だって。
願い事を叶えるには、最後まで頑張るしかないんだからさ。
「……帰るか」
「う、うん……」
「行こう」
「うん……」
「よい……せっ!」
足元で暇そうに佇んでいたボールをサブグランドのゴール目掛けて適当にに蹴飛ばす。ゴールネットが揺れたのかどうかはどうでもよかったから、そのまま振り返って歩き始めた。数歩遅れながら白藤も付いてきてくれているのがわかった。
「あ……わ…………っ……!」
独り言めいた何かを発しながら、白藤が隣に並んでくれた。
サブグランド脇から校門を出るまで。たったの10メートル程度だけど、横並びで歩いた。
今は10メートルで精一杯でも、明日からはそうじゃなくなるといいな。
「はは……!」
そんな事を考えたら、自然と笑いが溢れてしまっていた。
* * *
「はーあ……」
初めて出来た彼女にフラれた悲しみを綴った名バラードが、すっぽりと耳に収まったイヤホンから聴こえてくる。
「染みるなあ……」
部屋着に着替えぬままに自室のベッドに大の字で倒れ込み、見慣れた天井と睨めっこしながら泣きメロを聴き漁る。病んでそうと思われるかもしれないが、これが俺の平常運転なのだ。こうしていると落ち着く……とは言わないけど、悪くない感じになるんだ。雰囲気って大事よな。
「白藤……ちゃんと帰れたかな……」
学校の最寄り駅前で別れた友達の顔が脳裏を過る。俺は電車通学。白藤は自転車通学だから。
「じゃあ……また明日」
「ああ。また明日」
そう言って別れたあの瞬間に見せてくれた笑顔は、ザ・作り笑顔! ってな感じで。それすら俺の所為なんだけども。
「一緒に登下校とかしてみたかったなー」
まあ無理なんだけど。俺のメンタル的に。まず誘えねえって。無理無理絶対無理。そんな事さらりと出来るヤツならこんなに拗らせてねえっつの。
「白藤……上手くいくといいなあ……」
本心からそう思う。あのクソチビと上手くいって欲しいよ。白藤の願いなんだ、叶ってほしいに決まってる。
それに、あのクソチビ。元気の為にもなると思うんだ。
やる事なす事豪快で、底抜けに明るいキャラで通ってるヤツだけど、意外にクセ強いっつーか、実はかなり繊細だからなあ。一皮剥けるいいキッカケになると思うんだよなあ。
「頑張れよ……」
どっちも。つーか元気。白藤を困らせないように頼むわ。なるべくでいいから。
「どの口が言うんだか……」
勝手言うのは白藤を散々に困らせたこの口でした。罪深いヤツめ。
今夜の白藤はきっと、上手く笑えない。根っこからああいう真面目な子だから、どうしたって気に病んでしまう。強がってますーを一切隠せていない笑顔を作って、あいつらに心配されたりもするんだろう。申し訳ないかぎりだ。
けど、今日が最後だ。俺が白藤を困らせるのは。俺が白藤の笑顔を奪うのは。そうであってほしい。いや。そうする。白藤が俺と顔を合わせる事で気不味い思いをするのなら、そんな空気は吹き飛ばしてやる。
はーも、先から何だってんだ俺。マジで気持ち悪いな。ヒーロー気取りでも悲劇のヒーロー気取りでも気持ち悪いわ。
でもさ、仕方がないじゃんか。
初めて好きになった笑顔なんだから。気持ち悪くても身勝手でも無責任でも傍迷惑でもなんでも、大切にしたいんだ。
それに、今の俺と白藤は、友達だから。
ダチが困ってたら、力になりたいじゃんか。それだけだよ。
しかし、俺に出来るのは、その程度。
白藤夏菜がまだ隠している最高最強の笑顔を引き出せるのは、鈍感なのかなんなのかよくわかんねえあのクソチビ以外にいない。
「クソ……」
あーほんと……あのクソ生意気な面構えが頭に過ぎるだけでイライラが募る。まあそりゃそうか。だって羨ましいし。ズルいし。あと羨ましいし。
うーん、ムカつく。やっぱさっきのなし。上手くいくな。くっつくなマジで。俺の前でイチャつくとか論外だ。遠慮なく泣くぞ俺。空気読まないのは得意なんだ。
「ったく……アホかよ俺……」
元気のタッパが霞むレベルの器の小ささを自覚すると、自虐めいた笑いが溢れてきた。何一つ面白くねえのに何笑ってんだこいつ。気持ち悪いな。
「よっ……」
下半身で反動付けて体を起こして、小窓の前に飾ってある、全身金色のヘンテコ生物を手に取った。なんか意識に引っかかったんだ、こいつが。
開運と書かれたプレートを腹に貼り付け、右手と言うべきか右足と言うべきかな部位には打ち出の小槌的な何かを握っている、全身金色に塗装された、手のひらサイズのうさぎのゆるキャラ擬き。どの角度から見てもふざけた生き物だなこいつ。
これは今年の夏、川原町団地で行われた祭りの際にたーじいさんこそ、田島さんがくれたものだ。なんとお手製らしい。
たーじいさんが言うには、この開運うさぎに願い事をすれば、小さな願い事の一つくらいなら立ち所に叶えてくれるとかなんとか。うーん、圧倒的胡散臭さ。いやでも、千里眼の持ち主なんだよとか白藤が言ってた事があったし……うーん……?
まあなんでもいいさ。こいつにそんな力があるかどうかなんて、願ってみればわかるんだ。
「じゃあ……」
小さな願いだとは思わない。けど、今この瞬間、頭に浮かぶのは一つだけだから。それを願っちまおう。
「白藤が……幸せになりますように……」
重たいよな。気持ち悪いよな。わかるわかる。引くわ、俺。メンヘラかよ。自分の事願えよ普通に。
でもこれだけなんだよ、今は。だったらもう、願っとくしかねーじゃん。
すっごく信じてるし頼りになるらしい俺と、このゆるキャラ擬きと。デコボコパーティかもしれないけど、必ず力になるから。だから。
「幸せに……なってくれよ」
「ちょっと!」
「おおおぉぉおお!?」
「ご飯! 今日も何回も呼んだ! 次こんな事あったら今度からは電話鳴らすから! さっさと降りてくる!」
記憶に新しい妹の乱入劇、再び。今日はこの前以上に機嫌が悪そうだ。ごめんよ妹よ。イヤホンしてたからこれっぽっちも聞こえなかったよ。
「お、おう……」
「ってかなんで制服? 皺になったらアイロンするのお母さんなんだから。ちゃんとしてよね」
「…………なあ」
「何?」
苛立ちを隠そうともしない小春だけど、俺の呼びかけにピタリと足を止めてくれた。
「実は俺……好きな人いてさ……」
「……それで?」
「さっき告白して……フラれた……」
「…………マジ?」
「マジ」
「そ、そ…………し……きゅ、急にそんな事言われても……なんなの?」
「な、なんだろうな? 俺にもわかんねえや……なんかごめん……」
「……いいけど……」
いやよくねえんだわ。もっと謝れよ俺。妹に何言ってんだマジで。そういう所が気持ち悪いんだよ俺は。
「いきなり悪い……いやほんとに。今のはアレ、聞かなかった事にしてくれ。みっともねえし。はは……」
「……なんか……いきなり過ぎてよくわかんないけど……」
きゅっとフローリングを踏む音が聞こえて、小春が半回転。
「頑張ったんじゃないの……えと……お……あ、あんたにしては……」
「へ?」
「だ、だから!」
「…………く」
「その……」
「……こ」
「あんまり落ち込まないでっていうか……」
「こ、こは……」
「そ、そんな感じ! いろいろあったんだろうけど、切り替えてまた頑張っ」
あ、ごめん。も、無理。
「こっ! こばるうぅうぅううううぅぅ!」
目とか鼻とかから汁が出て、喉からはひび割れ気味な汚ねえ声が出始めた。あまりの爆音に驚いたのか、小春の足元から我が家の番猫、ココアが目を丸くして飛び込んで来る始末。
「わ! なになに!?」
「こは! ごばあああああ!」
「いやうるさっ! な、泣いてんの!?」
「お、おで! フラれだぁあああ!」
「それ聞いたから! 妹の前で大声で泣く兄貴とかないからマジで!」
「あんだにがんばっだのに! ぐやじい! ぐやじいーっ!」
あーあ。言っちゃった。言わないように。考えないようにしていたのに。
どんなに利口ぶってもカッコつけても、そう上手く割り切れてたまるか。
そういう物分かりの悪い俺だから、叶いっこない願いを追い掛け続けられた。
楽しかった。嘘じゃない。けどやっぱ、辛いもんは辛いや。
でも今だけ。この夜を最後にしよう。
白藤の笑顔を奪うのも。白藤の事で俺が泣くのも。そうしてようやく、前に進む事が出来る気がするから。
だから、今だけは許して欲しい。
「ちょ、ちょっと! ねえ! お、お兄ちゃんってば!」
「お! おにいぢゃんってよんれくればあああああ!」
しかし、だ。こうなると分かりきっていた結末に、少しだけ先があったな。
「あ……い、今のは忘れて! うっかりミスだから忘れろ! っていうか近所迷惑だから! あーもうっ!」
最高に可愛い妹の前で鼻水垂らしてみっともなく泣き喚くっつー、意味不明なくせに最高にダサいという事だけがわかるカットが、まさかのラストシーン。
「ひ、ひざじぶりにお兄ちゃんって」
「だーかーらー! わーすーれーろーっ!」
俺を悩ませる存在であると同時に、誰にでも自慢出来る可愛さを持つ最高の妹に死ぬほどみっともない姿を見せ付けながら。
俺の初恋とかいう、安っぽいドラマの幕が、ゆっくり落ちていった。
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